善徳女王の感想と二次創作を中心に活動中。

RhododendRon別荘

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そうだったのか!

善徳女王の時代の新羅の文化は今の韓国とは全っ然違う……と言うことで、調べてみると、確かに『花郎世紀』が偽書扱いされるわけだわwと納得のフリーダムっぷりなのですが、そんな中でも忠義とか武士道などが凄まじかったりして、如何に真興王の辺りから新羅が盛り上がっていたか、がわかる気がします。
正直、戦国時代と言うか安土桃山時代辺りもそう言うムードだったと言うか……戦闘民族って言ったらなんですけど、今の日本人の感性で考えちゃいけない時代なんでしょうね、(朝鮮半島の)三国時代は。
例えば、唐入り(朝鮮出兵って言うよりこっちの言い方の方が好き)も、(個人的には)よくドラマでやってるように、出兵前から厭戦気分ってことはなかったと思うんですよ。戦がなくなって天下泰平の世だ、平和だ、と言うのは、幼少期から平和が尊いと言う教育を受けている人間の考えていることであって、そうじゃなく、武将とか上昇志向、戦闘至高の強い人はきっと、戦がなくなったら自分の輝ける場所がなくなり、アドレナリン放出がなくなるわけで、むしろ「唐入り!?新ステージ突入じゃん!イェーイ!!」なノリがわりかし全国各地にあったからこそ、大規模な出兵になり、また、最初のうちは勝ってたんだろう……と。

とまあその辺はさておき、新羅王室の人間関係もよくわからんので調べてみたところ(前回ムンノが伽耶の暗号を使っていた、と言うこともわかり、ますます??だったので)、意外な事実が発覚。

そうか、トンマンもユシンもピダムもミシルもセジョンもソルォンも、
皆、法興王(真興王の母方の祖父で、父方の伯父。この段階でわかり辛い…)の子孫だったんですね!!!

へー……へー……。(何)
世間って狭いですね…。これじゃ聖骨がいなくなるわけだよ……って言うか聖骨の定義が未だにわからないんですが…。と言うか、あまりにあっちこっち複雑すぎて、王族の定義がわからない。金氏と朴氏は両方とも王族なのかな。なら、朴氏のミシルの身分が低いのはなんでなんでしょう。父親も母親も、そんな血統が悪いと思えないんですが……父親は法興王の孫だし、母方の従姉妹は王妃になってるし…………む、難しい。
うう……どうなってんだあの王家は…!
と、とにかくものすっごい狭い身内で権力争いをしているようです。権力ある人は大変ですね…(汗)

あ、そういやムンノの謎もわかりました!両親が伽耶と繋がりがあるんですね。お母さんが伽耶の王女(だったかな)で、父方の叔母さんが月光仮面……じゃなくて、ウォルガン(月光)太子のお母さんです。つまりウォリャのお祖母ちゃんがムンノの叔母さんである、と……。へえ。

毎日の拍手、ありがとうございますーvコメントへの返信は次の記事にて!

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  1. 2010.04.28(水) _23:06:17
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大元神統vs真骨正統

ミシルと言うと年齢を超越した美貌とセクシーさが売りですが(そうか?)、個人的には不細工な顔をしてる時が好きだったりします。
こう、弟のミセンの前以外ではしない顔と言いますか。28回ではブルー上天官ソルメの前でもしてましたが、本気で考えたり腹黒くなったりしてるあの顔が大好きです。ミシルの根っこにあるど根性が垣間見えて。

そんな与太話はさておき、ドラマの中で猛烈に対立している王様側(の女性陣)とミシル。これは復讐云々と言うよりは、真骨正統と大元神統の対立だそうで、「何それ?」と気になった管理人、調べました!翻訳サイトってこう言う時に使うんですね…!

自分的にメモっておきたい話なので続きにしまっておきますー。
拍手もありがとうございます!次の記事にてお返事させて頂きますー。

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  1. 2010.05.07(金) _22:37:56
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善徳女王過去チーム家系図

今日の善徳女王32話は、1話の映像がふんだんに使われていましたねー。ついでに若返ったじいちゃん大帝……ならぬ、真興王もご登場。
32話真興大帝
真っ黒な鬘に一瞬吹いたのは管理人です。(すみません)


んで、新たにイサブ(セジョンの父)、コチルブ(ムンノの妻・ユングンの父)が登場。
32話イサブ&ノリブ32話コチルブ
左から、イサブ、ノリブ、コチルブさんです。

それからお久し振りですのノリブ(ミシルの母方の伯父)、真興王によるシーンも登場し、なんと若かりし日のセジョン&ミシルまで…!!隣で母が「この回の撮影は楽そう」とか不届きなことを言ってましたが(笑)、たまにはトンマンもお休みしないとね。体の為に……って、トンマンもたくさん出てましたよね。あのお出かけ用の衣装は可愛かったです。ずっとああ言う綺麗な色合いのものを着ていて欲しいです。やっぱしヨウォンさんが可愛いので、可愛い衣装の方が似合うと思うんですよー。髪飾りもめっちゃ可愛くて……ああトンマン可愛い可愛いよトンマン!!(…)

…………なんの話をしてたんでしたっけ?
あ、そうだ。せっかくなので、調べた家計図を書こうと思ったんでした!コチルブとかノリブとか真興王とか、その辺の家系図ですー。続きにしまっておきます。

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  1. 2010.06.03(木) _22:39:10
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美男感想とアルチョンプロフィール

日本勝ちましたね!盛り上がって見たせいか疲れ果て、寝不足です(笑)

美男は14話まで視聴完了しましたー。最初の方は相変わらず見ていませんが、14話途中で双子兄もチラッと出てきて、ますます楽しみです。
まず、ポニョが段々少年の顔になってきたなぁ…と変なところで感心(笑) 表情が少年っぽくなってきたせいか、ツンデレとのラブシーンは時折男同士に見えて不思議な感じです。(しかしいざ自覚して告白したら、ツンデレはセクハラ大王でしたね(笑) 付き合って初日であれじゃ、3日後にはポニョ、貞操の危機に陥りそうだよ…とみょーなとこで心配しましたw)
またイケメンくんがやっとこさ本気になったようで何よりですが、ポニョには忘れられてましたし…やっぱし哀れですね(笑) ポニョは罪な女ですw
そういや、母が見るたびに社長に突っ込みます。あのマフラーなんなんだろ、と(笑) 私はあのマフラーとハイテンションが好きですw

アルチョンプロフィールはマニアックな情報なので(笑)、続きにしまっておきます。

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  1. 2010.06.15(火) _23:38:57
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お役立ち本と花郎世紀。

善徳女王の二次創作をするにあたって、あれこれ本を読んだりしたのですが(変なところでオタク気質w)、その中でも特に役立った本をご紹介!

韓国歴史散歩韓国歴史散歩
(2009/10/15)
中山 義幸、平井 敏晴 他

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旅行のガイドブックとしては多分役に立たないと思うんですが(コラ)、創作の資料としては有り難かったです。古代から近現代まで色んな史跡について触れてあるし、その史跡にまつわる歴史メモみたいなのがあるし(イ・サンが最近見つけた新しい玩具参謀チョン・ヤギョン関連の史跡もありました)、トンマンもユシンも出てきますよー。特にトンマンは寺関係で物凄い登場量です。そんなとこも新羅の領土だったの!?と意外なところにも登場してて…。
最初は、花郎イケメン選手権を鮑石亭でやろうと決めて、で、歴史的に鮑石亭ってどんなところだろう……って言う興味を抱いたところからこの本を手に取ったのですが、思わぬ知識が得られて良かったですー。歴史の教科書の地図と照らし合わせるともっといいのかなーと思いますv

続きは花郎世紀からのメモですー。主に皇族の皆さんの家族関係……で、完全に管理人用のメモですw読み方はわからないので、漢字で通します!
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  1. 2010.12.23(木) _14:52:24
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トンマンはいつ生まれたのか。

花郎世紀から家系図を作ってそれぞれの年齢を見てみると、どーにもわからんことが一つあります。
それは、

トンマンはいつ生まれ、大体何歳くらいで死んだのか

と言うことです。
……これが、意外に難題なんですよ。もっと難しいのはスンマン(真徳王)の母親・月明夫人の両親は誰かってことなんですが、とにかくまずはトンマンです。

※ちなみに、ドラマのチョンミョンと双子設定はドラマオリジナルなのでここではスルーします。

まずは、トンマンの年齢を探る大雑把な手掛かり。

在位時期が632~647年である。(15年間)
父親は真平王(生没年:567~632年)である。
・母親の摩耶王后は、14世風月主虎林(生没年:579~?年)の同父母姉であり、少なくとも龍春が風月主在任中(596~603年)は真平王の寵愛が深かった。(by花郎世紀)
・トンマンは即位当時、妊娠可能な年齢だった。(三婿の制により、龍春・乙祭・欽飯が婿に選ばれている)
・真平王には男子が複数おり、うち、太元殿君と好元殿君の母は太陽公主(真興王と思道王后の娘)であり、早世した殿君の母は真平王の継室僧満王后だった。また、僧満王后に男子が産まれた時、トンマンの王位継承は危ぶまれたが、男子が早世した為にトンマンの王位継承が決まった。
・花郎世紀では、女が30歳を過ぎてから子供を産むと、『晩生』と評される。ただし、この『晩生』はよくあると言うか、大概そう。

と言うことを踏まえた上で、続きへ~。

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  1. 2011.01.14(金) _00:07:25
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ピダムを敗走させた男。 by『花郎世紀』

『花郎世紀』を読んでたら、ピダムの乱についての記述があったのでメモメモ。

<原文>
時國事漸劇
公與諸郎頭率郎徒
親習弓馬
拔其萃者以補兵部
公居位五年
郎政多敀武事
善徳帝疾大漸
毗曇·廉宗謀反
庾信公奉新主督戰
時京師兵少
公盡發郎徒
先突其陣
毗曇敗走亂平
公以功擢爲護城將軍

詳細は続きにて!

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  1. 2011.01.25(火) _00:20:56
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骨と王后めも。※追記

あつ様と聖骨や真骨の話をしていて、これは記事に纏めるべきかもーと思ったので、記事にしてみましたー。

んで、色々考えたんですが、なんとなく以下の感じで私は聖骨と真骨を定義しています。(また変わったら直します)


《新羅の身分の根拠》
・男→父親の身分が重視され、出世はそれに拠るが、本人は母親の姻統でカテゴライズされる。
・女→母親の血筋(姻統)でカテゴライズされ、子供も本人と同じ姻統になる。氏は父親から譲り受ける。

《聖骨の定義(真平王の時代)》
・父親が王、母親が王后。(この場合、母親が聖骨であるかどうかは重要視されない。母方が王の血を引く王族であればいい)→チョンミョン、トンマン。
・父親が太子、母親が太子妃。→真平王、スンマンの父ククパン。
・真骨だったが、王后になり、聖骨扱いになった。→マヤ、チド(ヨンスとヨンチュンの母)。
・父親が聖骨の王子、母親が真骨正統(チソ太后の女系子孫)か大元神統(玉珍の女系子孫)か朴氏※1で、両親が正式な夫婦。→スンマン。

※1……金氏王家の恩人・朴堤上の血筋。朴提上には娘しかいなかった為、外孫の登欣と白欣が朴氏を継承した。

《真骨の定義(真平王の時代)》
・廃位された真智王の妻子。→ピダム、ヨンス、ヨンチュン、チド。
・王(と太子)の子供。(ただし、母親が王后ではない)→ピダム、リャンミョン(ポリャンの母。真平王の娘)。
・片親、もしくは両親が王子か、公主。→チュンチュ、ソヒョン、ユシン、マヤ、ポリャン。
・母親が太后(王后)で、父親が王ではない為、王位継承の際に真骨に族降した。→セジョン、ポミョン(リャンミョンの母)。
・聖骨の生まれだったが、真骨に嫁いだ女性。→マンミョン、チョンミョン。
・両親が共に王族の金氏か朴氏。→ミシル、ミセン、ハジョン。
・聖骨だったが、何らかの理由により族降された。
・六頭品以下の身分だったが、何らかの理由により引き上げられた。

《王后の資格》
・母親が真骨正統、もしくは大元神統であること。※2

※2……ただし、真骨正統は元来は「仇道の娘・玉帽の女系子孫」と言う定義だったが、真興王の頃には「チソ太后の女系子孫」となっている模様。同様に、大元神統も本来は「宝美の女系子孫」のはずが、「玉珍の女系子孫」となっている。チソと玉珍はどちらも法興王の后で、二人の対立がその子孫に受け継がれている模様。ちなみに、女系の家系図を作ると↓のようになります。
玉帽─紅帽─阿爾兮─光明─阿留─阿老─鳥生─善兮
善兮┬保道─只召┬松華─善徳王
  │     └萬呼┬萬明─文姫
  │        └萬龍─宝龍─慈義
  └吾道─玉珍┬妙道─美室
        ├思道
        └興道─智道

こうしてみると、チソも玉珍も、玉帽の女系子孫なんですねー、実は。ただ、チソ(只召)までは(鳥生を除いて)ずっと先祖代々王后になっていたのが、玉珍の子孫に二代続けて王后の座を奪われた、と言う意識はあるかもしれません。


……と、考えていたりしますー。
だから真平王と宝良の息子には王位継承権はなく、真平王と僧満王后孫氏の息子(早世したので、トンマンが継承した)には王位継承権があったんかなあと。

問題はスンマンこと真徳女王で、彼女がチュンチュより、真平王の息子より王位継承権があるのだとしたら、スンマンが優先される理由は母親に求めるしかないのでは。母親が朴氏であること、それがスンマンを王位に就かせたようなそうでないような(どっちだ)


……と、ここまでは出自で「聖骨=王になる資格」について考えてきましたが、実は問題は配偶者なんじゃね?と言う話を続きから。

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  1. 2011.05.01(日) _17:43:36
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むっかしーむっかしートーンマーンはー♪

韓国の民話と伝説 (1975年)韓国の民話と伝説 (1975年)
(1975)
安藤 昌敏、韓国文化図書出版社 他

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↑の『韓国の民話と伝説(第三巻 新羅編)』と言う本には、善徳女王関連の逸話がボロボロ載っています。
ただ、「善徳女王二十七年」とか書いてあるせいか、どーも不安に…w(善徳女王の治世は、一般的には十五年間と言われています)

さて、そんな中に、聞き捨てならない説話がありました。

『太白山のかんざし沼』と言うやつと、『元暁大師の破戒』と言う話です。
なんと、前者は「善徳女王の王子ヒョド(孝道)の恋物語」で、後者は「元暁大師(ソルォンの曾孫)に恋した善徳女王と、女王の遺志に励まされて、アユタ(阿踰陀。チュンチュと最初の妻ポラの次女)が元暁を口説き落とす話」なんですよ!!

管理人、勿論ヒョド王子の父親について語られていないものかと三回も読み、ネットでも検索しましたがw、記述はなく…。
ちなみにこの話は善徳女王在位中と言う設定なので、そうすると、620年前後でトンマンが王子を産んだ計算になるんです。うひょー!
んでもって、「元暁に恋する善徳女王」では、年下男にちょっかいを出すアラフォー美女って感じがして、ビビりました。ううむ。ただ、そこでは「独り寝が寂しい」と言うような設定だったので、そこでも善徳女王の色気は漂わせていても、夫は出てこずじまいでして…。
それにしても、ソルォンのひ孫…。この二つの逸話を見ている限り、トンマンはソルォンの孫世代っぽいですねー。


……これだけではなんだか記事として寂しいので、オマケに画像をいじって作ってみた迷宮シリーズのイメージ図をー。
kako-xQbU6Rn2vmoRNuar.jpg

  1. 2011.05.26(木) _23:51:41
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日本と新羅の史書に見る、真平王の時代。

トンマンのことを知るには、まずはパパの真平王を!……と『花郎世紀』を眺めているんですが、なかなか難解です。在位期間が長いもので、ややこしいややこしい。
整理がてら、三国史記、花郎世紀と、日本の史書である日本書紀の記述を一つの年表にぶち込むと言う暴挙に出てみました!(ちょっとは椿さんの参考になればなーと思います…!)

日本人として面白いのは、金官伽耶、大伽耶共に、真平王の時代には滅亡していますが、真平王時代に幾度も「任那復興」が日本国内で掲げられ、それに高句麗や百済も巻き込んでいるところです。
神功皇后の新羅征伐はなかったことだと一般的には認識されていますが、個人的には新羅と言うか、朝鮮半島での日本(国内にある勢力)による戦争は、何度もあったと思うんですよねー。中世ヨーロッパに例えると、イギリスを思い描いて頂ければわかると思うんですが(フランスが朝鮮半島です)、島国には島国の利点があって、大陸に飛び地を持ち、大陸の勢力争いに介入することは可能です。文化的な先進性と兵の強さは違いますし。
と言うわけで、三国史記には全く記述がありませんがw、真平王時代は勿論、トンマンやチュンチュの時代にも、日本と新羅、高句麗や百済と言った国々は、微妙なパワーバランスで、文化的な交流もあり、時には戦争も…と、かなり活発に交流していたと思います。
百済の義慈王や、新羅の武烈王(チュンチュ)が、即位前に日本に使者として来ていたと言うのも、そう言う事情を鑑みるに、まあ、あっただろうなと。

結論としましては、あくまで個人的な意見なんですがw、任那は、イギリスが中世にボルドー辺りに持っていた領土と同じようなものだろうなーと思っています。ヨーロッパで本格的な文明が始まるのは、東アジアのそれと大体1000年違いですし、だとすれば、時期的にもピッタリ来るなーなんて…(コラ)


この色は、真平王の後宮事情に関してです。後宮事情については、正確な年代がわかるものは少なく、前後の関係や推定年齢から算出しています。なので、「この頃」表記があるものは、前後数年の間にあったと考えられる、とお考えくださいー。
この色は日本書紀からです。

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  1. 2011.08.20(土) _16:46:54
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ドラマに登場しなかった人達のご紹介。@花郎世紀

第一美比才では、ドラマにはいなかったけど『花郎世紀』にはいた、と言うキャラクターを大量に出しています。せっかくなので、纏めてみました。ご参考になれば幸いですv

※人間関係がややこしいです!

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  1. 2012.01.17(火) _00:14:32
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善徳女王本のご紹介と、1月17日に頂いたコメントへの返信

善徳女王の真実善徳女王の真実
(2010/02/26)
キム・ヨンヒ

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げん様が仰っていたこの『善徳女王の真実』、図書館からはなかなか連絡がなくて読めずにいたのですが、なんと地元の本屋さんに行ったらあったので、立ち読みしちゃいました(*´∇`*)←買えー!

内容は、史記・遺事・花郎世紀をフル活用してあり、ドラマの大ヒットを前提とした本であることもあって、ミシルに関してもしっかり紙幅を割いてあります。上記の三冊を読むのは面倒ですし、ユシンやピダム他の登場人物についてもきちんと触れてあるので、ドラマの視聴者にはかなり面白い内容なんじゃないかと思います。
私自身は史書三冊を資料としてプリントしてあるので、二千円を出してこの本を買おうとは思いませんが……と言うか、書いてあることで「これ知らなかった!」と言うことがなかったのですが(←善徳女王についてしつこく調べすぎ疑惑w)、これまで見た本・雑誌の中で一番充実した内容であることは間違いないです! 資料的価値で言うなら、この本とガイドブックでは月とスッポン(ちょ)、断然この本をオススメします。

ただ、ピダムの乱についての記述は、もしかしたらちょっと受け入れ難く感じる方もいらっしゃるかもしれません。
と言うのは、ピダムの乱について史書を照らし合わせると、管理人がそうだったのですが、「ピダムが反乱を起こした」と言う表現に物凄く疑問を覚える方がいらっしゃると思うんですよ。
つまり、ピダムの乱と言う『事件』を見た時に、その動機(病臥の善徳女王に代わって政務を見ていたはずのピダムが、何故わざわざ崩御間近になって兵を上げる?彼にはすでに女王の政務を代行出来るだけの権力があり、後継者擁立も政治的に出来たはず。また、ピダムが親唐派でチュンチュらが反唐派となっているが、真徳女王即位後、新羅は唐の装束を完全に取り入れ、親唐派路線を突き進んでいる上に、善徳女王は即位後何年もかけてやっと受けた即位の承認を、真徳女王は即位の翌月に受けている。チュンチュらが反唐派と言うのは無理がある)・状況証拠(準備万端で反乱を起こしたはずの上大等ピダムが最初から月城を掌握出来なかった理由がわからない。乱が勃発して間もなく善徳女王が死んだと言うのに、突然出現した真徳女王がすぐさま即位し、しかも即座に唐に承認されているのも、明らかに不審。また、乱を起こしたピダムは自ら王を名乗るわけでもなく、いったい誰を王にしようとしたと言うのか?)において、ピダムが犯人と言うにはかなり無理があるんです。
むしろ、犯人…つまり、用意周到に病床の善徳女王を襲撃して月城を乗っ取り、女王を廃位させて真徳女王を擁立、善徳女王側のピダムらを滅ぼしたのはユシンとチュンチュではないか…と考えられるフシが、幾つもあります。
何故なら、二人は善徳女王に格別重用されなかったのか、上大等のような突き抜けた権力は持っておらず、武力蜂起するしか王権を獲る手段がありません。トンマンのせいで権力が失墜したドラマのミシルが、そうだったように。
が、史記は勿論、新羅時代に書かれた花郎世紀にもそんな記述はありません。真智王と同じく没年に関する異説が善徳女王にあること(651年に死んだとか、655年だとか)や、乱の経緯が、『ピダムの乱』と呼ばれる善徳女王末年の争乱の不審さを伝えるのみです。
この本では、それらの史書の記述を詳細に取り上げて、『ピダムの乱』に新たな光を当てようとしています。トン&ピファンは大丈夫かと思いますが、特にユシンファンの方には厳しい内容かもしれませんので、ご購入の際はお気をつけくださいー。


ではでは、続きから頂いたコメントへのお返事です!いつもありがとうございます~v

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  1. 2012.01.19(木) _20:00:00
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はるばる唐から来た人は~♪ ※加筆

酷い暴風ですが、皆様無事おうちに帰れましたか?( 」´0`)」 濡れた方は風邪にお気をつけてー!

続きは、女王時代に纏わる歴史ネタです。

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  1. 2012.04.03(火) _21:05:38
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思わぬところにスンマンが!@昭陵十四国酋長、蕃王石刻像

テレビ東京のカットバン版『善徳女王』。BSフジのこともあって大して期待していなかったのですが、今のところ、「これ、BSフジとカットの仕方が違くないか!?こっちの方がずっと面白い気がするー!!」と言う感じで、めっちゃ楽しく見ていますvv テレビ東京HPの相関図を見ても、BSフジよりちゃんとドラマを見る上での参考資料としての出来が上のように感じますし…。嬉しいですねー!(*´∀`*)
以下の数行は『階伯』BSフジ版第一話の感想なのですが、いいことを言ってないので、ご覧になりたい方だけ反転してください…!

『階伯』は、これはカットバン版だろうがノーカットだろうがつまらないんじゃないかな…と思わされる第一回でした(汗)(←善徳女王もはじめはカットバン版で見て、それがすんごく面白かったのでノーカットを漁りました)
一話なのに、五分か十分見ただけで誰も見てくれなくなってしまい(汗)、私自身も善徳女王で見たキャストやらロケ地を探すのが楽しいだけ…な感じになっていまい…orz
冒頭に黄山原の戦いと言う、すんごいお金のかかってそうな戦闘シーンがあったんですが(当時すでに60歳過ぎてるユシンが髪の毛真っ黒なのにはウケましたw)、撮り方も脚本も「どうした?」レベルで人も空間もあれこれ持て余していて…。善徳女王では、ああ言う場合は基本的にエキストラの動きもきっちり計算されていたのに、階伯ではエキストラに細かい指導が入ってないのか、すんごく適当な流れで殺陣が進んでいるような印象を受けました。緊迫感がありませんでしたねー。
ムンノみたいなケベク父と暗殺者集団の殺陣も、せっかく上から撮っているのに円陣が全く美しくなかったですし、ワイヤーアクションと殺陣の融合が不自然だったので、安っぽくなってしまっていたような気がしました。
役者を見ても、第一回なのに演技的にシメる人(真興大帝とかウルチェとかセジョンさんポジ)が誰もいなかったんですが……なんかもう、色んな意味で、このドラマいったいどうすんだ?と言う第一回でした…(汗)


さて。続きは、一個前の記事の続きみたいな話です。
現在、新羅については結構調べた気もするので、外国から新羅を見よう計画を実施中の管理人、実は唐についてほとんど知らなかったのですが、ある本になんとスンマンの名前が出てきまして!
珍しかったので、記録しておきますv

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  1. 2012.04.05(木) _00:00:00
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本当に、ピダムの乱でユシンとチュンチュは得をしたんだろーか…? ※追記

三歩歩けば忘れる頭の持ち主なので、あやふやな記憶になりつつあるのですが…。
確か、立ち読みした『善徳女王の真実』では、ピダムの乱について、ユシンとチュンチュの共謀説を取り上げていました。善徳女王に反旗を翻したのは、ピダムではなく、ユシンとチュンチュだったと言う説です。

私もその可能性はあると思ってはいます。トンマンの死には不審な点が多く、ピダムの乱だとすれば、合点のいかないところがいくつかありますから。
ただ、じゃあユシンとチュンチュが主犯かと言われると、どーも納得がいかないんです。何故かと言うと、この二人は、ピダムの乱では何も得をしていないからなんです。

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  1. 2012.04.10(火) _00:00:00
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