善徳女王の感想と二次創作を中心に活動中。

RhododendRon別荘

.

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --.--.--(--) _--:--:--
  2. スポンサー広告
  3. [ edit ]

モテ男から見た待賢門院の素顔。@源師時『長秋記』を読んで。

『根の深い木』を見る度に鬱々とし(えっ)、『八重の桜』を見る度に「面白い…かはわからないけど興味深い内容だなー。ただ、一度主役の俳優さん二人を変えて見てみたい…」と思う今日この頃。救いは、ドラマ版金田一少年(最初のシリーズです)だったりします。
細かいところは忘れちゃったりしていたものの、堤監督の回はやっぱり面白怖くて、佐藤監督(ごくせんとかマイボスの演出さん)の回は明るいのにウケます(笑) あと怖すぎるのはダメなビビりなので、明るい部分があるのは助かりますー(*´∇`*)

**

話変わって。
古語で「美しい」と言う意味を持っている言葉を上げると、代表的なのだけでも、

きよら
きよげ
やさし
なまめかし
みめよし
はなやか

と、6つはあるんですよー(すごー)
んで、じゃあトンマンだったらどんな美しさかなぁと考えると、「もてなしなつかしく、やうだいいとなまめかし」かなぁと。現代語にすると、「ふと心惹かれるような愛らしい仕草に思わずいつまでも側にいたいと思ってしまうけれど、近付いて見た彼女はとても清らかな面差しをしていて、容易く触れてはならないような凛とした美しさを持っている」と言う感じですかねー。そして、女王バージョンだと、断然「きよら」ですね!「美麗な装束にも隠しおおせぬほどの強い想いが、彼女の総身を内から幾重にも輝かせている」と言う感じです(*´∇`*)

**

とまぁ何故に古語かと言いますと、実は「新羅の宮廷生活を知ろう」が飛躍して、去年から平安時代に書かれたとある日記をぼちぼち読んでいるからなんです(・∀・)
その日記と言うのが、ちょうど源氏物語と平家物語の真ん中くらいの時代(12世紀前半)に書かれた『長秋記』と言うものなんですが、これがなかなか面白いです。著者・源師時の目を通して、女性なら上は女院、下は遊女の様子まで描かれていて、男性陣も幅広い。枕草子とはまた違う宮廷生活が垣間見えて興味深かったので、その感想をv

●著者・源師時(みなもとの もろとき)のご紹介●
当代きっての色男でモテ男で、なおかつ漢詩も和歌もなんでもござれの知識人。妻が7人くらいいたのに、毎日のように全員の家に顔を出して妻達を満足させていたらしく、妻同士でいがみ合うことはなかったとか。
父は、平安の望月男・藤原道長の孫・左大臣源俊房。母は、小一条院(三条天皇の第一親王で東宮だった人)の孫娘。父方からも母方からも天皇と道長の血を引く、サラブレッドな生まれの次男坊(腹違いの兄がいる)。ただ、母方の従兄弟に、白河院の異母弟の三宮こと輔仁親王がいた為、皇統を巡る白河院と輔仁親王の暗闘に巻き込まれ(あるいは積極的に関わり)、その結果、停職処分を喰らったりしている。
稀代の長寿と根性の持ち主だった白河院の勝利が確定してからは、その有能さにより、薄命な輔仁親王一家を守りつつ、白河院や鳥羽院(白河院の嫡孫)や待賢門院(白河院の養女で、鳥羽院の正室)の信頼を勝ち取り、中納言に出世した。ちなみに、その有能さについては、「今の時代のデキる男四天王は、師時だよね!」みたいなことを言われたらしく、そのことを日記で然り気無く自慢している。
また、息子もモテる男だったらしく、なんと、鳥羽院の子を三人も産んだ美濃局(待賢門院の女房なので、正式な后妃ではない)を妻に貰い受けている。


まずは、この師時さんの見た遊女(あそびめ)の話です。


●遊女(あそびめ)の世界。
師時の時代、歌って踊れる芸能人と言えば、遊女や傀儡子(くぐつこ)と呼ばれる女性でした。ただ、彼女達は京ではなく、青墓(岐阜県)とか神崎・江口と言った京から少し離れた場所に本拠地を構えていて、そこでホテルを営んでいました。出稼ぎも多いものの、基本的には、遊女達は自分達のホテルに旅人を泊めて、送り迎えや道案内をし、夜にはライブを行う……と言うのが仕事だったんです。
と言うわけで、43歳の師時が異母兄師頼や姉婿藤原長実と一緒に広田社参詣の旅をした時も、彼らは神崎と江口の遊女にお世話になりました。こう言う時の常で、彼女達を紹介する旅行代理店みたいな人もいて、今回は監物清経(西行の母方の祖父)がセッティングは担当。師時のような公卿達は上客なので、遊女達も気合い十分。長者と呼ばれるお店お店のボスが接待してくれるし(当時の女性は逞しく、個人営業時代には報酬の取り合いが「闘乱(半ば殺し合い)」になっていた為、遊女達は長者に所属するようになり、舞妓さんやホステスのような厳格なルールと秩序の下で働いていた)、夜も長者と寝れます(ただし、別料金)。勿論、師頼も長実も皆好きな遊女と寝ました。
ところが、芸能ついでの売春当たり前のおおらかなこの時代に、師時は「そう言うのは好きじゃない」と仲間達とは一線を画する行動を取りました。遊女と寝なかったんです。
遊女からすれば商売上がったりの迷惑行動だったかもしれませんが、こう言う男なら、確かに何人妻がいても皆を満足させられる気がせんでもない……と言う「まめ人」ぶりです。

●光源氏の後見人。
この「まめ人」師時は、頼りにされる男でもありました。不遇のまま早死にした4歳年上の従兄・輔仁親王は、自分の一男一女のことを師時に託したんです。
怨霊になりかねない親王の魂を慰める為にも、師時は頑張りました。まだ幼かった親王の一女・守子女王は、親王の政敵白河院の養女として異例の親王宣下を受けて、斎宮になりましたし(斎宮になれば、終生生活は保証される)、親王のもう一人の息子・有仁は、「光源氏だ!」と皆が思うくらいのミスターパーフェクトな青年で親王の生前に白河院の猶子となって本当に光源氏コースを辿っていたんですが(親王の薨去の数ヶ月前に臣下になって源有仁と名乗り、いきなり公卿の仲間入り。出世街道をばく進中)、この有仁に、師時は父・俊房を介して故実をマスターさせるなどの教育を怠らなかったんですね。そのお陰で、後々、有仁は故実に詳しい理想的な左大臣として万人に慕われるようになりました。


と言うように、師時は輔仁親王一家との関わりが深かったんですが、少しずつ、とある女性に関する記事が増えていきます。
その女性とは、時の中宮・藤原璋子(後の待賢門院。以後、女院と呼びます)。
この女院は、中宮になってから5人の皇子を産むと言う平安きっての強運を持ち、後世まで「うちの娘もああなって欲しい」と先例にされた一方で、『「政権を担う藤原氏」を敵に回した女は、100%淫乱な噂を流される』のルール(※管理人独自のルールです)に従って、平安きってのスキャンダルを噂された女性でもあります。
有仁の妻がこの女院の同母姉(風流な奥さんだったらしい)だったことや、師時の妻の一人が女院の女房だったこと、彼が長年仕える皇后宮令子内親王の乳母が女院の母だったこともあってか、師時が50歳になった頃から、日記には女院のプライベートに関する記事が増え始めます。特に、女院の養父白河院が崩御した辺りから、師時は女院の院司(女院専門の部下のこと)の中心になったらしく、同時期の他の記録には見られない赤裸々な話が記され始めるんです。

そんなわけで、以下は、普通の日記には出てこない女院(のプライベート)のお話を。

続きを読む
スポンサーサイト
  1. 2013.02.27(水) _23:59:27
  2. 待賢門院藤原璋子
  3.  コメント:0
  4. [ edit ]

トンマンにあって、イ・ドにないもの。@『根の深い木』を四話まで見て。

いやー、バレンタインもトンマン達の誕生日も終わっちゃいましたね!(相変わらずの更新速度にも関わらず、コメントをありがとうございます…!)
今日はこれからお返事に突入しますが、その前に今さらながら見始めた『根の深い木』をv

実は、『根の深い木』、正直、一話と二話が気に入らなくて見るのが嫌になるくらいでした(ノ∀`)
何が嫌だったかと言うと、トルボグ、なんですねー…。こう、トルボグシーンが無駄に長いわダルいわ中身はないわな上に、心情的な起承転結がトルボグメインになっていたので、「何故にバンウォンとイ・ドのシーンがメインにならんの!? 明らかに主題はこっちだろー!!(#゚Д゚)」と相当イラついたんです。(あ、トルボグのゴ●ブリのようにしぶといキャラは好きです。←酷)
でも、三話、四話と慣れたのか(笑)、あるいはイ・ド側のテーマが提示されて纏まってきて、トルボグ(カン・チェユン)の比重も減って(イ・ドの話とクロスしはじめて)私が落ち着いたのか、楽に見れました(*´∇`*)←コラ
そうして見てみると、思うのは、

「トンマンにピダムがいたのは凄いことだったんだな」

と言うことです(え)
それは、愛情がとか、恋がとかではなく、「国王トンマンに臣下ピダムがいた」ってことが、どんなに凄いことだったのか、イ・ドを見ることで痛烈に感じたんです。

続きを読む
  1. 2013.02.17(日) _19:13:43
  2. 『根の深い木』を見て
  3.  コメント:0
  4. [ edit ]

NEW ENTRY  | BLOG TOP |  OLD ENTRY




PAGE
TOP

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。