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善徳女王の感想と二次創作を中心に活動中。

RhododendRon別荘

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待賢門院の御火止まりのこと。@崇徳天皇の出生を巡る状況。

※完全に日本史トークなので、興味のない方はさらっとスルーしてやってください。


↓で取り上げた待賢門院は、「養父と出来てた。彼女の長男・崇徳天皇は養父・白河院の子で、だから夫の鳥羽院は崇徳天皇を嫌ったし、保元の乱も起きたんだ」と言う話が古事談と言う中世のスクープ本にある為に、超セクシーなイメージが流布しています。
が、よくよく考え、調べてみると、これは非常に筋の通らない話なんです。

まず、自分の子でないなら、何故に鳥羽院は白河院の崩御後、12年も崇徳天皇を退位させなかったのか?(鳥羽院には雅仁親王(後の後白河天皇)と言うスペアとなる四男がいました。おまけに、崇徳天皇は白河院の生前に元服も済ませていた為、崩御後数年が経つと、鳥羽院と政治的に対立する事態も生じるようになり、時には宸意が通っています)
待賢門院が鳥羽院を裏切る形で密通を続けていたなら、何故鳥羽院は白河院の死後、他の女性を寵愛するようになってからも、待賢門院の為に法金剛院を建立させたり、法金剛院領と呼ばれる莫大な資産を待賢門院に持たせたりしたのか?(白河院の生前に、待賢門院はすでに円勝寺領と言う資産を得ており、金銭面で不自由することはありません)
崇徳天皇が鳥羽院の子でないなら、何故鳥羽院は崇徳天皇を退位させた後、その庶長子を皇后宮の養子として育てた上で三品重仁親王として元服させるなど、有力な皇位継承者候補として扱ったのか?(当時、天皇の庶子は長男であろうと問答無用で出家させられるものと決まっていました。勿論、生母が中宮や女御でないどころか、公卿の娘ですらない天皇など有り得なかったんです。重仁親王の生母は公卿どころか殿上人の娘ですらないので、皇位継承者としては完全に不適格です)
と言うか、歴史的に見ると、崇徳天皇と後白河天皇が同父母兄弟でなければ、そもそも保元の乱は起こるはずがないのでは?(歴史的に見て、上皇と天皇、あるいは上皇と上皇が政界を真っ二つにするレベルで対立して戦いに至る時、それが親子や同父母兄弟である例はあっても、片親が違う兄弟であることはまずありません。片親が違えば、その正当性に差が出て、それによってバックにつく勢力の大きさに覆し難い差が出るので、戦いに至る前にどちらかが失脚・粛清されます)

また、色々と意味のわからない言葉を調べているうちに、どうも、当時は帝や院の后妃が懐妊した際には、かなり徹底した管理下に置かれることがわかってきました。しかも、待賢門院の場合は身分の高さもあってか色んな貴族の日記に妊娠出産のことが書かれて、今でもその日記が幾つも残っていると言う、かなり資料的に恵まれているようなんです。
そんなわけで調べてみると、どうやら「崇徳天皇は密通して出来た子」と言う話は、かなり信憑性が低いなぁ…と感じたので、その根拠を以下つらつらと。
ちなみに、タイトルの「御火止まり」とは、中宮や皇后宮の懐妊を意味しています。昔は、月経の際は皆とは違うところに焚いた別の火で食事を作ったりしたので、中宮クラスの存在だと、そう言うことがあるかないかは非常にはっきりしていました。妊娠すると、この別の火がずっと消えたままになるので、「御火止まり」と呼ばれたそうです。別の火、と言うところが神秘的で(神に仕える身のよう)、面白いですよね!(そうか…?)


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  1. 2013.03.07(木) _19:16:05
  2. 待賢門院藤原璋子
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