善徳女王の感想と二次創作を中心に活動中。

RhododendRon別荘

.

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --.--.--(--) _--:--:--
  2. スポンサー広告
  3. [ edit ]

対立と調和と下克上。@ミシルチームとピダムチーム。

私は『善徳女王』はミシルが生きている頃より死んだ後の方が面白い、と本気で思っているのですがw、もちろん、女王時代で残念だなぁと思う部分はあります。
それは何かというと、ピダムチームの描かれ方!これだけは、良くないなぁと思います……という話を、以下に。




続きを読む
スポンサーサイト
  1. 2013.05.29(水) _19:00:00
  2. キャラ語り
  3.  コメント:2
  4. [ edit ]

5月10日に頂いた拍手コメントへの返信

だんだん暑さも本格的になってきた今日この頃。『マイ・フェア・レディ』熱が、二度目の観劇を終えてもまだ燻っています。あああきりやん可愛い~(*´Д`)←

そして、二度目はさすがにストーリーもわかっていたので、安心して観られましたし、イライザや他の人達の気持ちにも、ようやく追いつけた気がします。(ついでに、イライザが二十代で教授が四十歳らしいという情報をゲットしました。合っててよかったw)

一番ハッとしたのは、きりやんイライザの真正面振りでした。
きりやんは宝塚時代から、誰に対しても、物凄く真摯に真正面からぶつかるような愛を演じる役者さんでした。特に相手役さんを見つめる眼差しの強さは印象的で、そのぶん、心を閉ざした時のシャッターは誰にも壊せないんじゃないかレベルの厚さ硬さを持っている、という…。
そんなわけで、きりやんの眼差しを追っていたら、イライザと教授のスポ根物語(←えっ)に、恋が芽生えた瞬間にめっちゃときめきました。教授目線で!(←は!?)
そして、二度目の観劇では、二幕がより面白かったです。本当に無駄なキャラがいないと言うか、意外にもフレディの使われ方がグッと来ました。
あれだけイライザラブで、下町にまでついていったフレディは、意外にも教授のテリトリー(教授の家と、教授のママの家)には入らないんですよね。そういう意図があるかはともかく(笑)、「イライザは教授のテリトリーにいる限りは大丈夫だけど、テリトリーから出たイライザには行き場がない。だからフレディが一緒にいてあげている」……つまり、フレディは文字通りイライザの騎士になっているんだなぁ…と思いまして。しかも、教授のママのテリトリーでは、ママが誰よりも偏見なしにイライザを見つめてくれています。そして、イライザもそれをわかっているから、ママのところへ行く……という、この優しい関係が、なんというか、好きです(告白)
また、フレディがいやらしさのない騎士だからこそ、教授も変わらざるを得ないと言うか、ばか正直にイライザの「フレディと結婚する」発言を信じちゃうんだろうなーと思いました。教授的には、「イライザは私のもの=私なしではイライザは何もできない」とか思ってたのに、実際には、

出て行ってもイライザは変わらず、イライザのままだった。→しかも、その間イライザはフレディといた。→イライザはフレディといても大丈夫。→いやいやいやそれは困る!あり得ない!→え?イライザも俺を好き?よし、じゃあ腹くくろう。→……好きだって言ったのに、何故かふられた……。しかもフレディと結婚!?→なんでだ!?俺の方がフレディよりずっといい男だ!愚かなイライザ!→でも、イライザにとっては、俺は、フレディよりダメな男なんだ…?だから、イライザはフレディのところへ行くのか?→……そっか…イライザは、もういないんだ…二度と戻ってきてくれないんだ…(泣)

……と泣きたくなるのも、わかります。だって、フレディいい男だもんよ。イライザと年齢的にもお似合いですしw
でも、「言葉より行動」なイライザが惚れたのは、イライザのテリトリーや気持ちにズカズカ踏み込んできて、異常なくらい自分を教育してくれた教授なわけで。しかも、きりやんイライザは、好きな人と一緒にいられるなら、自分で幸せを見つけ出せる子なんですよね。教授が甲斐性なしでもw、本当に自分で働いて養っちゃうでしょうし、優しくなくても、ちゃんと引き出していくんだろうなー…と、二幕のラストで見つめあう二人を見て感じましたv

それにしても、マイ・フェア・レディって、きりやんのヒギンズ教授でも見てみたかったですw(ノ∀`) イライザはまりも、ピッカリング大佐は龍さん、フレディは明日海さんで…!


続きは頂いた拍手コメントへの返信ですv
いつも拍手をありがとうございます!



続きを読む
  1. 2013.05.26(日) _22:31:04
  2. 拍手コメントへの返信
  3.  コメント:0
  4. [ edit ]

スタンダードの素晴らしさ。@『マイ・フェア・レディ』2013年霧矢版と『善徳女王』

アメリカン・アイドルS12にて。スタンダードをテーマにした回にメンターとして登場したハリー・コニックJr.が言いました。「スタンダードの曲は、一つ一つのメロディーや歌詞に意味がある」と。
先日見た『マイ・フェア・レディ』(今、日生劇場で公演中ですv)はまさにその通りで、「スタンダードって本当に良くできてる」と感動しました(*´∇`*) また、見ていて『善徳女王』がフラッシュバックするようなところもあって、そういう「フラッシュバックを呼ぶところ」も含めて、以下、感動したところをつらつらと!

※私が見たのは日生のしかも霧矢版のみで、そもそも『マイ・フェア・レディ』の話自体を知らない状態だったので(映画も舞台も見たことなしで、主人公の名前がイライザだってことすら知らないレベルでしたw(ノ∀`))、「そこ!?」な部分がたくさんあるかもしれません。



続きを読む
  1. 2013.05.16(木) _21:00:00
  2. 宝塚とかドラマとか。
  3.  コメント:0
  4. [ edit ]

君仁親王の黄泉がえりと、白河院の泣き所。

待賢門院の第三皇子の君仁親王は、同時代の史料によると、体が弱く、幼少の頃から「足が萎えている」と言う障害があり(『台記』によると「筋あり骨なし」)、それに加えて、喋ることができませんでした。魚味始(今の「食い初め」)は行いましたが、着袴や元服はこのような事情によって果たせなかった為、「若宮(幼い宮)」と呼ばれています。待賢門院の異常な回数の熊野詣は、この君仁親王の誕生から約半年後に始まっており、熊野に到着したのは、誕生日である五月二十四日のちょうど半年後の十一月二十三日でした。
その後、君仁親王は十六歳の秋にあたる保延六年八月九日に出家し、その三年後の康治二年冬十月十八日に薨去します。
障害がある為に公式行事には一切姿を見せない君仁親王でしたが、基本的には両親や兄弟と同居していていて、その一周忌には待賢門院が法事を行い、父の鳥羽院、兄の崇徳院らが臨席しました。待賢門院はその法事の十ヶ月後に数え四十五歳で崩御しており、君仁親王を喪った哀しみの大きさが思われます。

さて、その君仁親王は、『今鏡』によると、「御みめもうつくしう、御髪も長くおはしましけり」とあるように、長い黒髪を持つ、可愛らしい容姿をしていたそうです。
今回は、その君仁親王が生まれて間もない頃の話です。




続きを読む
  1. 2013.05.14(火) _00:00:00
  2. 待賢門院藤原璋子
  3.  コメント:0
  4. [ edit ]

1月4日から5月8日までに頂いたコメントへの返信

遅すぎて本当にすみません…な拍手コメントへの返信です。お待たせした皆様、本当にすみませんでした!(汗)




続きを読む
  1. 2013.05.10(金) _00:45:35
  2. 拍手コメントへの返信
  3.  コメント:0
  4. [ edit ]

藤原苡子@平安時代のとある恋愛譚。

ただいま、『二人の王女(めちゃくちゃな邦題ですな…)』と言う、則天武后とその娘の太平公主を描いた中国ドラマを飛び飛びに視聴しています。
このドラマ、ホントにターゲットがはっきりしていて、美男美女ばかりが登場し、乙女向きなセットには年がら年中ちょっと糸屑がほつれたりもしている花が咲き(綺麗なんですが、明らかに造花なんですよw)、目の保養度が半端じゃないんです。中国ドラマなのに、砂埃ゼロですよ! しかも、内容はそんなに甘くもなければドロドロでもなく、ヒロインが真顔で暗殺命令を出したりする、と言う…。
なんと言うか、くどい煩い粘っこいが持ち味の韓国ドラマに対して(←コラw)、雄大なセットを用いながらもこざっぱりとした味わいが特徴と言うのは、中国ドラマならではな気がします(ノ∀`)
また、十話くらいから視聴し始めたので、人間関係がわからんと思って公式を見たら、何故か宣伝文句に『善徳女王』が! 「ちょ、見透かされてるww」と、ちょっぴり情けなくなりました(笑)
そう言えば、このドラマには「阿ー弥ー陀ー仏ー」が決め台詞なお坊さん集団が登場するのですが(南無阿弥陀仏なら意味わかるけど、阿弥陀仏…?)、それがもう、ガラの悪い連中で!w 勿論仏典に精通していてお経も読めますが、持ってる槍で近衛兵と「少林寺かよ!?」な戦いを始めますし、なんだか、「日本の悪僧もこんな感じだったのかも…」と思いました。武士と合戦できるレベルですもんねー、悪僧。あと、このドラマに出てくる仏像はかなり衝撃的なビジュアルなので(私は爆笑しました。←)、これからご覧になる方は、それもぜひぜひw

纏めますと、『二人の王女』、楽しいですよー(・∀・)/




※以下、日本史ネタです。

白河院が「入内」させた姫君と言えば、待賢門院藤原璋子ばかりが取り沙汰されますが、実はそれ以前に、白河院は一度、とある姫君の後見となって、その姫君を「女御に参」らせています。他ならぬ待賢門院の夫の鳥羽天皇の生母・藤原苡子です。

苡子は閑院流の藤原公実の妹で、璋子には叔母にあたります。
苡子の父の実季は、大臣まであと一歩のところで急死していて、実季の末娘の苡子が入内した時には、長兄の公実も権中納言に過ぎませんでした。兄妹の母・藤原睦子は存命でしたが、無位です(ちなみに、苡子は実季四十二歳の時の子で、公実は苡子より二十三歳も年上の兄)。要するに、苡子は入内どころか、女御になれるかどうかすら怪しいところにいました。
一方、ようやく二十歳になった堀河天皇は、堀河天皇の典侍でその情人でもあった讃岐典侍の『讃岐典侍日記』や、堀河天皇ラブな藤原宗忠の『中右記』によると、気遣いの出来る優しく勤勉な天皇でした。この頃は、叔母であり中宮でもある篤子内親王と仲睦まじく暮らしていましたが、二人の間に子供はいません。
篤子は白河の同母妹で、堀河が元服した時に時の関白藤原師実の養女として入内しました。しかし、堀河より十九歳も年上だったので、堀河が二十歳となった今はすでに懐妊の望みは薄く、白河&堀河の皇統は断絶の危機に瀕していました。
しかも、じゃあと次の后妃を入れたくても、摂関家には相応しい女がいません(いないから、篤子内親王が中宮になったわけですが)。
そこで、白河が白羽の矢を立てたのが、今は亡き白河の母・茂子の姪にあたり、白河の近臣である公実の妹・苡子でした。苡子はこの時、二十三歳。その死去までは四年と少しと、僅かな時間しか残されていませんでしたが、苡子の激動の人生は、この時始まりました。


※以下、出典は中右記、殿暦、為房卿記です。





続きを読む
  1. 2013.05.09(木) _22:00:00
  2. 待賢門院藤原璋子
  3.  コメント:0
  4. [ edit ]

SS 寝首

この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
パスワード入力
ブロとも申請
  1. 2013.05.07(火) _22:00:00
  2. ダーク連載『迷宮』
  3. [ edit ]

NEW ENTRY  | BLOG TOP |  OLD ENTRY




PAGE
TOP

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。