善徳女王の感想と二次創作を中心に活動中。

RhododendRon別荘

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『善徳女王』トンマンと『根の深い木』カン・チェユンの似て非なるところ。

カン・チェユンはよく、「俺達は卑しい奴婢だ。だから、お偉方は俺達のことは虫けら程度にしか考えていない」と言って、自己を正当化します。
でも、これははっきり言っておかしい。カン・チェユンは子供の頃シム家の奴婢でしたが、彼はそこでシム家の当主一族に言い分を認めてもらえていました。虫けらの、それも喧嘩っ早い少年の言い分を「お偉方」のシム家は聞き入れていたんです。シム家はわざわざ奴婢同士の喧嘩を仲裁してやるくらい、彼ら奴婢を大事にしていたし、虫けら扱いなんてしていない。彼ら奴婢を虫けら扱いしたのは、シム家を逆賊とした王、イ・バンウォン側です。
つまり、カン・チェユンは奴婢だから虫けら扱いされていたわけではなく、逆賊の奴婢だから虫けら扱いされたのであって、カン・チェユンの言い分は根本的に間違っています。
じゃあ、何故彼がその言い分を譲らないかと言うと、彼は「自分は虫けら扱いされた」と思えなくなったその瞬間に、敵を殺せなくなってしまうからなんですよ。ソイと再会した後に、イ・ドを殺せなくなったように、良く言えば気が優しく、悪く言えば彼が誰かを攻撃する理由とはそれぐらい浅いんです。
しかも、カン・チェユンはそうやって自己を正当化する以外に、生きる術を持ちません。「何故自分達は敵と見なされたのか」とか、「どうやったら敵を思い止まらせることが出来たのか」とか、そう言う『敵の人格と頭脳について考える』ことは出来ません。それを考えると、自分の落ち度もわかってしまう。その落ち度のせいで自分の心が責め苛まれることに、彼は耐えられない。何故なら、彼は奴婢としてはかなり厚遇され、親も恋人もいて、暴力も許されるくらい甘い環境にいた。甘やかされた子供らしく生きてきた。だから、敵は敵、虫けらを踏み潰すゾウ扱いしたり、人格なんて考える暇のない戦場に出たりしないと、カン・チェユンは人を殺せない。ある意味とても現代的な人間、それがカン・チェユンと言う人物だと思います。

そして、同じ脚本家が描いた、似たような傷(自分のせいで、自分が守らなきゃ生きていけなかったような無力な親が、自分を庇って死んだと言う過去)を抱えるカン・チェユンと『善徳女王』のトンマンと言う二人の主人公の最大の違いは、まさにここだと思うんです。

トンマンは、出会い頭のチルスクの話を熱心に聞くことからもわかるように、まず「相手を知ろうとする」子でした。大人の話を聞くことで大人を知り、時に彼らに取り入り、時に彼らを利用しなければ、トンマンは生きていけなかったんです。何故なら、トンマンにはカン・チェユンを守っていた「奴婢コミュニティ」も「主のシム家」もなかった。何もないトンマンは、カン・チェユンとは違う生き方をせざるを得ませんでしたし、何より、カン・チェユンとは根本的な性格が違いました。
だから、諸侯に殺されそうになった時も、チルスクによってソファが死んだ時も、トンマンは「私達が虫けらだから、お偉方のせいで死ぬんだ」とは考えません。「諸侯は何故自分達を苦しめるのか。どうしたら諸侯を言い負かせるのか」を考え、「何故母さんが死なねばならなかったか」を突き止めると決めました。それはつまり、「ちゃんと訴えれば諸侯は自分達を虫けら扱いしないし、チルスクだって理由もなく自分達を殺そうとするはずがない」と言うことを暗に認めているわけです。トンマンは、相手の人格を認め、自分達にも攻撃を受ける理由があることも認めた上で、立ちはだかる権力や敵と戦っていくんです。思考を拒否することで自分を正当化するカン・チェユンや、気に入らない相手を理解することを拒否しがちなイ・ドとは、正反対です。

まあそう考えると、『根の深い木』のショボいところって、要するに主役の器、スケールの違いだよなーとは思ってしまいます(ちょ) カン・チェユンやイ・ドだけでなくカリオンも含めて、真ん中にいる人間の器がちっちゃいんですよね、『根の深い木』って。
でもまあ、『根の深い木』は平和な時代の話だから、無理もないなとも思います。あーだこーだ言っても、重臣達がイ・ドに対して本気で反乱を起こす理由もないし(バンウォンなら「いつ殺されるかわからん」から有り得るけど)、カリオンだって、具体的な反乱の案(カリオン達の傀儡となる次の王は誰かとか)は何もない。しかもその平和はイ・ドがもたらしたものではなく、バンウォンがチョ・マルセンら優秀な官僚を使って「イ・ドを脅かすものを皆殺しにした」ことによってもたらされたもの。バンウォンに感謝したら、と言いたくなるくらい、イ・ドは(個人としてはともかく)王としては楽を出来ています。「外戚を排除する」と言う最大の嫌な仕事は父親がやってくれた上に、親族を全て喪った王妃は、自殺もせずに何人も皇位継承者を産んでくれている。おかげでイ・ドは、妻も喪わなかったし、もう一度「外戚を排除する」必要もなくなりました。
また、ドラマの中で、イ・ドは王宮内で堂々と泣き喚いたり幻覚を見たりとトチ狂ってるのに、「他に皇位継承者がいない」と言う理由もあって、廃位されることはありません。

だからか、イ・ドを見ていると、なんかもうピダムになれそうなくらいw、とにかくトンマンが可哀想になってきます。
即位してから、トンマンがあんなに取り乱すことなんてなかったよなぁ……としみじみしながら感じた、トンマンとピダムとユシンの話を以下だらだら呟きます。



* *


61話を見ていた父が、ふと呟いたんですよ。「トンマンは、結局ユシンには一番本音を見せるんだな」と。そして、それに弟も同意したんです。
んで、私はと言うと、「いやちょっと待て」と思いまして(笑)

トンマンは確かにユシンにあーだこーだ言います。トンマンが何を考えているかを口にします。でも、本音……『「本」当の声「音」』、つまり感情は見せていないんですよ。
61話のトンマンは、一言で言えば、泣きたかったはずです。譲位するくらい愛している夫が、偶然が重なったとは言え、「妻が俺を殺そうとした」と自分のことを誤解していると知ったんです。普通に考えて、冷静でいられない状況ですよ。しかも反乱まで起こされた日には、どれだけ泣きたかったか。
でも、トンマンはユシンに向かって泣いたりしません。ユシンは精一杯気遣っていて、もしトンマンが泣き出したら抱きしめて慰めたかもしれないのに、泣きません。そこに、トンマンの「ユシンは友人だが、臣下だ」と言うケジメがあるからです。同様に、アルチョンやチュクパンに対しても、トンマンはだーだー泣いたりしませんでした。

そうして思い返すと、トンマンがユシンの前でちゃんと泣けたのって、実はシヨルが死んだ時と、ソヒョンパパ暗殺容疑で捕まった時くらいなんですよね。あとは、ユシンが檻に入れられてたり(笑)、チョンミョンの死後間もない時だったり、門越しだったりと、「ユシンがトンマンに触れて慰められるような状況じゃない」んです。
しかも、前者は「郎徒としてのトンマン」が泣いている時で、後者は「素顔の、一人の女性としてのトンマン」が泣いている時です。こうして考えてみると、ユシンは一度も「素顔を隠さず、女性として泣いているトンマン」をまともに慰められたことがありません。
あんなに泣き顔は見ているのに、結局ユシンはちゃんとトンマンを男として慰めることが出来なかった…と言うのは、管理人的には、巡り合わせの悪さと言うか、だからこの二人は夫婦になれなかったのかな…と思う一番の根拠だったりします。
ユシンにしても、本当にトンマンを愛しく、可哀想に思った瞬間はあったのに、どういうわけだかどっかの野良犬のせいで檻に入れられてたり(笑)、チョンミョンの死後間もない時の、トンマンがショックのあまり倒れたりお互い気まずくなったりした時と、触れたくてもまともに触れられない状況だったのは、気の毒過ぎて泣けます。そこで、そう言う諸々を突き破れる性格ではないことも含めて、ユシンの不器用さや、タイミングの悪さ、もどかしさがグッと来ると言うか。

じゃあ、ユシンが檻に入れられてたり、チョンミョンの死後間もない時だったり、公主と認めた後だからと距離を保ったり、門越しだったりしてトンマンに触れられなかった時に、「その位置にユシンがいれば!」な位置にいたのは誰かと言うと。実はそれは、漏れなくピダムでした。

考えてみると、ユシンが檻にいる時にトンマンが泣けたのは、「ユシンは檻にいて、動けないから」からでした。あの時、トンマンはユシンに迷惑をかけたくなかったので、ユシンと檻によって引き離されることで、安心して泣けたんです。
この時点でのピダムは、トンマンにとって「関係ないヤツ」でした。だから、ピダムが姿を現したら、泣くのを止めています。ピダムの前で泣いたら、ピダムに罪悪感を持たせてしまうかもしれないから。トンマンはそう言う気遣いは欠かしません。

あとは、チョンミョンの死と言う非常事態を除けば、特に公主になって以降のトンマンは、ピダムの前でしか「うえーん(T△T)」状態にはなりません。ソファやチュンチュの前ですら、取り乱しはしても、打つ手なしのただ泣きたいだけ…誰にも気を遣わずにただ泣くと言う「うえーん」状態にはならないんですよ。ピダム以外の人間の前では、トンマンの涙は必ず制御されているんです。
門越しの時だって、一番近くにいたのはピダムでした。ユシンは門の向こうの、「絶対にトンマンに触れられない場所」にいます。だから、トンマンが泣いたら、それをどうにか出来るのはピダムしかいない、そう言う状況です。つまり、確かにトンマンはユシンの為に取り乱して泣きましたが、そう出来たのは、ピダムが隣にいたからなんじゃないかと思うんです。

ピダムなら、トンマンが取り乱そうと「うえーん(T△T)」状態になろうと、ちゃんとトンマンにすべきことをさせてくれる。慰めるにしろ叱りつけるにしろ、トンマンにとって本当に必要なこと……つまり、「トンマンを生き残らせ、ピダム自身も犬死にしない」為に必要なことをしてくれる。ユシン達と違って、何かの為に無駄に死に急いだりしない。だから、トンマンはピダムの前でのみ、理性を取っ払って、「うえーん(T△T)」状態に……『「本」当の声「音」』、「本音」を出せるんじゃないかと思うんです。

そして、そう考えると、実は61話のトンマンは、ユシンに対して「本音」は見せていません。あの時のトンマンは、理性を手放してはいないどころか、涙すらユシンに見せようとはしていないんですから。
しかもトンマンは、本当に慰めて欲しい時には、絶対に涙を隠そうとはしません。隠すどころか、ユシンが結婚する時はわざわざピダムが隣にやって来るや、「ソファの前では笑顔で取り繕ってたのに、ピダムにはそれもなしか!」と突っ込みたくなるくらいボロボロ泣き出しましたし、57話でもわざわざ最高潮に泣いている時に振り返ってピダムを見つめたり、さらにはその後ピダムを追い掛けていったりと、慰めて欲しい時には「私は泣いてるんだぞ! 慰めろ!」と、むしろ猛烈なアピールをかまします。正直、トンマンはそこら辺は全然引っ込み思案ではありませんし、ピダムの求愛も霞むくらいのはっきりしたアピールをするタイプです。そこが好きです(聞いてないw)


と、ここでカン・チェユンやイ・ドの話に戻りますと、この二人とトンマンの違いには、この二人は「私は泣いてるんだぞ! 慰めろ!」アピールを、それをしていい人に出来ない、と言うこともあるのかなぁと思いました。
イ・ドとカン・チェユンは二人ともソイに当たりがちですが、ソイは、実は男二人より遥かに繊細で、言葉を失うくらいに自分を責めるタイプです。男二人みたいに、自分の不幸を人のせいにしたりしません。せっかく武官になったのに王への復讐しか考えてなかったり、せっかく権力の持ちやすい王になったのに政治と無関係な文字作りにかまけたりと、生産性のないことに人生をかけたりしません。(イ・ドの文字作りは、はっきり言って王が自ら参加するようなことではありません。そんなことは専門家つまりソイ達に任せて、イ・ドは政治家として、作った文字を民が学び、生かせるような環境を作るべきでしょう。普通に考えて、イ・ドの時代の儒教に支配された両班がハングルなんか使うわけがないし、奴婢が字を学ぶ環境そのものだってないのに、文字だけ作って、何になるんでしょうか。イ・ドがいくら「ハングル作ったぞ! さあ使いなさい!」って言ったって、誰も使える状況じゃない以上、ハングルがコミュニケーションの道具になるわけがないことは明白です。個人的にイ・ドと言うキャラクターがちっちゃく感じるのは、彼は王のくせに、こう言った一番大事な政治的な問題については何も解決しようとしていないからでもあります)。
しかも、イ・ドもカン・チェユンも、ソイの悲しみや決意を受け止めることは出来ていません。ソイが心から泣けるのは……ソイの気持ちや志を一番理解しているのは、一緒に暮らしてきた女官仲間で、彼女を最初に守ったのはシム家のお嬢様こと王妃です。
なんというか、まあ、『根の深い木』はある意味リアルと言うか、見れば見るほど「男の味方は男」「女の味方は女」な気分にさせられるドラマだなーと思います。女達の可愛いげのなさと、男達の不甲斐なさが、もーハンパないですから!(笑)

んで、『善徳女王』は『根の深い木』とは対照的に、「異性だからこその良さ、怖さ」が描かれた作品だなーと改めて実感しています。……ただ、トンマン、チョンミョン、ミシルがいたことを思うと、「女達の可愛いげのなさと逞しさと哀しさ」って意味では、『善徳女王』の方が良かったなぁ……と言うのが、『根の深い木』を半分まで見た段階の感想です(笑)
そして、「トンマンはユシンに「本音」を見せたりしてないって!」と猛烈に主張したい今日この頃でした。←ちょ…

ただ、今回のことで、目からウロコな発見がありました。
何かと言うと、

男から見れば、トンマンってユシンに一番「本音」を見せているらしい……つまり、ピダムの嫉妬って、ピダムが特別嫉妬深いからじゃなく、当たり前の反応だったのか!!

と言うことです(爆)
いやー、これは大きな発見でしたw(ノ∀`)
「ピダム、今まで君を「嫉妬深い」なんて思っててごめんよ…君はマトモだったんだね…」とこれまで書いてきたピダムに謝らないといけませんねー(笑)
あれです、ミシルみたいに、「色仕掛けします」って時にはそれらしい服に着替えてくれる人ならこんな誤解はなかったんでしょうが、何せトンマンってそう言う技術は皆無ですもんね(ちょ) 誰が相手でもそう言う部分に変化がない…とすると、ピダムが嫉妬しても無理はありませんな。色供あり設定だとしても、スケスケとか一度も着てくれなかったでしょうし、いざピダムを口説きに入る57話ですら、「あの、トンマン、それはピダム一人じゃ脱がせられないんじゃ…って言うか抱きしめるのも痛そうだよ…?」な礼装でしたし。寝室場面も、ピダムが入ってきた時はバリバリ仕事中、しかも寝巻きはシンプルな白で、かなり分厚そうな…肌なんて少しも透けていませんでしたね…(遠い目)
うん、ピダム、誤解してすみませんでした(土下座)



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  1. 2013.03.21(木) _19:00:00
  2. 『根の深い木』を見て
  3.  コメント:0
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