善徳女王の感想と二次創作を中心に活動中。

RhododendRon別荘

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『花郎世紀』に登場するトンマンと、トンマン時代の風月主たち。

『花郎世紀』のうち、トンマンに関係のある部分をまとめた記事です(・∀・)
何も面白くありませんが、↓の家系図ともども、興味のある方に楽しんでいただけたら嬉しいです!v

↓にあるこの色の部分は、『花郎世紀』からの引用です。自信がないので現代語に訳してはいません!(えー)


●風月主の家系図●
風月主系図(15~32)





* *


十三世風月主龍春(ヨンチュン)
生没年:578~?年
任期:596〔十九歳〕~603〔二十六歳〕年
一言:
真智王と智道王后の息子。母智道が真平王の後宮に入ったので、あんまし年齢の変わらない真平王を「パパ☆」と慕って育った。その血統の良さとモテっぷりで、真平王の娘数人と関係を持つことになったりしたが、なんだかんだと皇婿の座にまでのし上がった。んが、トンマンが即位すると、わりとさっさと隠居したらしい。

建福二十年 公與秘宝郞 従帝于漢水之戦 男甫以功授大奈麻不受時大王無嫡子 欲以公之兄龍樹殿君為婿以傳之 殿君問於公 公曰 大王春秋方強 [イ尚]有嗣則恐不幸也 殿君以此讓之 而摩耶皇后不聴 遂以殿君為婿 即天明公主之夫也
先是公主心慕于公而 私言于后曰 男子莫如龍叔 后以為龍樹而誤嫁之也 公主乃私告于公曰 妾所本慕者乃君也 公曰 家道以長為貴 臣何敢如兄乎 公主益愛公 扶公地于帝 累遷 公階位同龍樹公 龍樹公知公主意 欲讓公主于公 公力拒之 摩耶皇后夜宴于宮中召公 使之混処公主 龍樹公亦常稱病 命公侍公主而慰公主之心 公未嘗自懈肆情 以此公益重於内
及以位讓虎林公 入居樞要 大舍以下多用郎徒之有才者 以此郎徒之登用者 亦甚重公 皆願死效
善徳公主漸長 龍鳳之姿 天日之表 可以嗣王 時摩耶皇后已崩 無他嗣子 故大王屬意公 勸公主讓其位 公主孝順乃讓之而出宮 善徳以為公能扶己 請為私臣 大王乃命公奉之 善徳聰慧好情公知不可當固辞 不得乃奉之而 果無嗣 請退 大王乃命龍樹公侍 亦無嗣
時僧満皇后○○生子 欲代善徳之位而夭殤 僧満忌公兄弟 公乃出外 及出征高句麗有大功 進封角干 龍樹殿君臨薨 以夫人及子托于公 其子乃太宗我皇也 夫人乃天明公主也 初龍樹公娶天花公主 及娶天明公主 以天花公主賜于公 生子早卒 及侍善徳公主 帝以天花公主賜白龍公 善徳公主即位 以公為夫而 公以無嗣請自退 群臣乃議三婿之制 欽飯公•乙祭公副之 公素哀金輪荒色見廃 性不好色 無媚主之意 退意愈堅 善徳乃委政于乙祭 而許公退居 公乃以天明公主為妻 以太宗為子





十四世風月主虎林(ホリム)
生没年:579~?年
任期:603〔二十五歳〕~609〔三十一歳〕年
一言:
摩耶王后の弟で、ねーちゃんが真平王に寵愛されていたので出世した、とはっきり書かれてしまっている。ポジョンと同棲してた疑惑や、風月主を退任する際に妻ユモを次のユシンに譲ったとか、女性関係はなんかよくわからん。が、ホリムの頁には「ホリム公は閼川(アルチョン)公•林宗(イムジョン)公•述宗公•廉長公•庾信(ユシン)公•宝宗(ポジョン)公らと共に七星と呼ばれ、彼らは南山に清遊して会合した。三韓統一の業績はこの七人から始まった」と記されていて、ホリムの功績は侮れない。息子善宗は善徳女王時代に慈蔵法師の名で大活躍する。



十五世風月主庾信(ユシン)
生没年:595~673年
任期:609〔十五歳〕~616〔二十二歳〕年
一言:
言わずと知れたユシン。のわりに、花郎世紀での記述はあんまり多くなく、半分くらいは金官伽耶の王と王后一覧みたいになっている。実は息子サムグァン(三光)は風月主になっていない。が、ユシンの弟妹からは風月主が出ている。『花郎世紀』に登場するユシンは、妹を焼き殺そうとしたり、十五歳も年上のポジョンからパパ扱いされたり、いったいどういうキャラだったんだとツッコミたくなる。

龍春公乃擢為私臣 公誓以報國 不避矢石而従之 龍樹公亦以其子托之 公大喜曰 吾公之子三韓之主也 未幾善徳公主為嗣 龍春公為皇婿 天明公主○○○主不安 公說春秋公曰 天道自在○○○一時事有違忠孝也 春秋公然之 乃慰天明以解之 公謂春秋公曰 方今之時 雖王子•殿君不有郎徒 無以立威 春秋公乃娶公妹文姫 以為公副弟






十六世風月主宝宗(ポジョン)
生没年:580~?年
任期:616〔三十七歳〕~621〔四十二歳〕年
一言:
草食男子豆粥ポジョン。あまりに女性に対して淡白なので、母ミシルがおろおろしまくり、「息子よ彼女を持て!」と策謀を巡らせたことが書いてある。とりあえず男女問わずモテたようで、風月主になれた一因は、ポジョンを慕う郎徒達が多かったからとも。風月主を退任した後の人生は不明。出家したっぽい。とりあえず、ポジョン以降、風月主がちょっと高齢化する。



十七世風月主廉長(ヨムチャン)
生没年:586~648年
任期:621〔三十六歳〕~626〔四十一歳〕年
一言:
ヨンチュンの異父弟。実は父天柱は大伽耶の外孫にあたる。金銭感覚財政感覚が非常にしっかりしている人だったので、ユシン以下の風月主のお財布を握っていた。トンマンの即位にも尽力したし、すんごく使える人だが、とにかく愛人・庶子が多かったらしく、「ミセンそっくり。ミセンよりお金持ちだけど」とか書かれている。ちなみに、ポジョンの情人の一人っぽい。

公外公內私托以務合取三派郎頭女為妾 庶子甚衆 視宝宗公家 取其財用之 以庾信公副弟 春秋公為副弟 以傳其位 陰附于善徳公主 靖柒宿之亂 以功拔之 善徳卽位 入令調府 以給庾信•春秋兩公而 亦私致富 時人指公家為水望宅 謂其金入望如洪水也 世有以公比美生公而美生窮極奢侈 而公以儉約率身? 其富勝於美生公矣





十八世風月主春秋(チュンチュ)
生没年:602~661年
任期:626〔二十五歳〕~629〔二十八歳〕年
一言:
太宗武烈王さんの若い頃。散々嫡孫を望んでいた真平王が、なんで天明公主の長男チュンチュを後継者に指名しなかったのかは新羅七不思議の一つだが、とりあえず王位継承候補から外れて風月主になんてなってしまった。そのおかげでユシンと仲良しこよしになったので、人生何が幸いするかわからない。ちなみに、さすがに風月主の副官である副弟は経験せずに、↓のユシンの弟フムスンを抜かして風月主になった。これもユシンのえこひいき?

先是文姫姉宝姫 夢登西岳 見大水瀰滿京城 以為不吉 文姬以錦裙易之 後旬日庾信與公 蹴鞠宅前 乃正月午忌日也 庾信故踏公裙 裂其襟紐 請入縫之 公従入之 庾信欲命宝姫而 因病不得 文姫乃進奉針 庾信避不見 公乃幸之 歲餘有娠 時公之正宮夫人宝羅宮主 乃宝宗公女也 有美色與公甚相得 生女古陀炤 甚有寵 不敢納文姫而秘之
庾信乃積薪于庭 将以焚妹而問娠主 火烟連天 時公従善徳公主遊南山公主問烟 左右以告 公聞之色変 公主曰 汝所為也 盍往救之公乃○○○救之





十九世風月主欽純(フムスン)
生没年:598~680年
任期:629〔三十二歳〕~632〔三十五歳〕年
一言:
ユシンの三歳年下の弟。「お嬢さんを僕にください!」をリアルに敢行し、最愛の妻ポラン(菩丹)をゲットしてラブラブでいたら、「いいやつみたいだから、妹の方(利丹)ももらってもらおう」と舅ポリ(菩利。十二世風月主)に言われてしまった。上手くいったみたいだからいいけど、ラブラブ過ぎるのも困り物という例っぽい。十七世ヨムチャンの時代から副弟を務めていたが、チュンチュに風月主を譲った。たぶんユシンのご命令。



二十世風月主礼元(イェウォン)
生没年:607~673年
任期:632〔二十六歳〕~634〔二十八歳〕年
一言:
善徳女王お気に入りの人。ちょうどこのイェウォンからが、善徳女王時代の風月主になる。女王お気に入りだったので、ちゃちゃっと風月主の任期を終えて、礼部や調部、ついには女王の側近筆頭にまで昇進した。女王の情人だった可能性もあり。てなわけで、女王崩御後は四十一歳の若さで隠居したが、チュンチュにスカウトされて公務に復帰。唐までお供する。

公與善品互相為政 均用三派 大洽衆望 仙道従宝宗 武道従庾信 居三年而讓于善品公 入礼部又転調府 善徳大王寵幸之 擢為衿荷臣 大王崩 退居養眞時春秋公将入唐 選能文章好風采者 仙花三人 僧侶三人従之無主之者 不得其人 欽純公曰 非吾禮元 誰可當之 春秋公大喜選之 公謝以閑居 春秋公曰 當此有事之時 安可閑居乎 公乃隨之 朝廷以唐人好色選遊花三人 飾以載之 假稱宗室女 公曰 誘人以色非道 况欺骨品乎 爭之不得





二十一世風月主善品(ソンプム)
生没年:609~643年
任期:634〔二十六歳〕~637〔二十九歳〕年
一言:
文武王ポプミンの王后慈儀の父。この『花郎世紀』を書いた大問にとっては母方の祖父にあたるので、たぶん悪いことは書かれていない…かもしれない。実は父は真興王の三男なので、真平王とはイトコ同士。女王の信頼も篤かったのか、使節として唐に赴いたが、それが原因でそのまま病死してしまうという不幸な人。しかも、妻ポヨン(宝龍)は、文武王の父でもあるチュンチュにちゃっかり頂かれている。うおおおい。



二十二世風月主良図(リャント)
生没年:610~669?年
任期:637〔二十八歳〕~640〔三十一歳〕年
一言:
妻は、異父姉ポリャン(宝良)宮主。……という一事からもわかるように、実はリャントには、母リャンミョン(良明)公主が情夫毛宗(ユシンの妻ヨンモの同母兄)との間に儲けた息子だったところを、リャンミョン公主の夫ポジョンの養子になったと言う複雑すぎる経緯がある。そんなわけで、妻ポリャンには頭が上がらない。美貌の天雲に入れ込んだ時はポリャンに雷を落とされ、致し方なく天雲を↓の軍官の妻にした。ポリャンは真平王の側室にもなった女性で、色々と出来る女だったらしい。ということが、↓の軍官のところでわかる。



二十三世風月主軍官(クングァン)
生没年:613~681年
任期:640〔二十八歳〕~643〔三十一歳〕年
一言:
リャント・ポリャン夫妻に可愛がられて風月主になった。六十八歳で上大等にもなっている。このクングァン以降、風月主経験者から中侍(宰相)などの最高権力者がわんさか出るが、その結果、元風月主同士の政治闘争がデカくなり、ついには風月主廃止に至ってしまう。クングァンもまた、上大等の時、ユシンの甥(二十七世風月主欽突)が起こした反乱に巻き込まれ、息子(三十世風月主天官)ともども処刑されてしまった。

公性不好色飮酒 人無敢窺其私 宝良常謂軍官者誠吾夫妻之臣也 善徳帝嘗於內宴 密謂宝良曰 聞汝嬖兒 其美果何如 宝良対曰 臣聞天子不問臣下之內事 陛下若固問之則臣妾有一私臣 可以見之 異日引軍官而見 盖意在察儀 而以軍官見之 帝問軍官曰 人言汝美 有何術乎 軍官曰 臣之美不在外皃 只在心裡 曰 汝心裡有何美乎 軍官曰 臣願為宝良夫妻死 宝良夫妻願為陛下死 所謂美者只此而已帝稱善賜食 顧謂宝良曰 汝有一兒 勝我十兒 幸善畜之
(略)
天雲高〃 難作人間雨
雖然公與良公皆入侍善徳帝 超授爵位 識者短之





二十四世風月主天光(チョングァン)
生没年:615~?年
任期:643〔二十九歳〕~647〔三十三歳〕年
一言:
ピダムを仕留めた人。郎徒の制度を大改革したらしく、その功績が長々書かれている。文武王時代になってから、五十九歳で中侍(宰相)に任じられている。父水品は善徳女王時代の上大等なので、父子ともども大出世した模様。父子ともども最高権力者になるのは、意外と珍しいパターンである。ちなみに妻尹華はものすごい金額の遺産を受け継いだ資産家で、おかげで夫のチョングァンもお金持ちになれたらしい。

時国事漸劇 公與諸郎頭率郎徒 親習弓馬 拔其萃者以補兵部 公居位五年 郎政多敀武事 善徳帝疾大漸 毗曇•廉宗謀反 庾信公奉新主督戦 時京師兵少 公盡発郎徒 先突其陣 毗曇敗走乱平 公以功擢為護城將軍




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  1. 2013.07.20(土) _18:32:38
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