善徳女王の感想と二次創作を中心に活動中。

RhododendRon別荘

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連載 蕾の開く頃 ―烏金の月―

いただいたコメントになかなかお返事できなくて、申し訳ないです。(台風の被害はありませんでした!ご心配をおかけしました)
お返事をする前に、どうしてもこれを書きたくて、書いてしまいました。




* *


 これまで一度だって口にしたことはなかったが、ピダムには、どうしてもトンマンの隣で眠れない……いや、眠りたくない夜がある。
 それは一ヶ月に一度、と決まっているようでいて、必ずしも訪れるわけではない。けれど気紛れなようでいてそうでもなく、訪れる時は、決まって十五夜だ。
 だから、中秋の十五夜にそういう夜が訪れたとしても、ピダムは驚かなかった。静かにそれを受け容れ、トンマンが深い眠りについたのを確かめてから、地を這ってくる冷気に侵されないよう、そっと褥を滑り出た。
 あとは、やることは決まっている。卓の傍にある丸椅子を、寝台から三尺ほど離れたところに置き、剣を持つ。勿論、刃を鞘から解き放ったりはしない。腰掛けた後、それを杖のように膝の間に立てて、その先で手を組み、前屈みになってその手に顎を乗せるのだ。別に机でもなんでも構わないところに剣を使うのは、それが一番落ち着くからである。
 トンマンは目覚めない。
 目覚めないよう細心の注意を払っているのだから当然なのだが、そのことにピダムは安堵する。それだけ彼女の眠りが深いことに、安堵する。それほどに気を許してくれていることに、涙腺まで緩みそうになるくらいの悦を覚える。
 そして、その悦が心地良い余韻を残して夜気にとけてゆく頃、彼は満ち満ちた月光に浮かび上がるトンマンの姿を、その漆黒の双眸に映した。ただ、トンマンを眺めた。
 これが、ピダムに時折訪れる夜だ。
 勿論、彼女はピダムがこうやって過ごしていることなど知らない。知らなくていいし、むしろ、知られたくない。
 常日頃は二六時中彼のことだけ考えていて欲しいと願い、時にはその想いの一端を口にもしてみるけれど、今だけは違った。彼女がピダムを見つめていない、彼のことなど考えずに無心に眠るこの時間が、ピダムには必要だった。

 はじめは、そのような己を訝しがった。何故トンマンに想ってもらえない時間などが必要なのか、己でもわからなかった。いっそ、起こしてしまおうかと手を伸ばしかけたこともある。
 しかし、結局伸ばした手は柔肌に触れる前に止まった。からだが、こころが、今は触れるなと鋭く警鐘を鳴らした。

 何故、触れてはいけないのか。
 何故、彼女を見つめていなければいけないのか。

 その答えを、何度目かの夜、ピダムは知った。知ってしまえば、それはとても当たり前で、当然で、考えるまでもないことだった。そう。

 ――これが、俺とトンマンの、距離だった。

 思い出したのだ。本来、彼と彼女の間には、距離があった。彼女の全身を眺め、その微細な表情の変化も、手の震えも、全て目にすることの出来るだけの距離が。
 触れなくても、震えているとわかった。
 言われなくても、哀しみが見て取れた。
 見つめられなくても、望むことを感じた。
 それが、ピダムとトンマンの距離だった。長い長い間、二人を繋ぐ距離だった。

 彼が思うに、トンマンと夫婦でいると、その距離は失われてしまう。触れ合った肌から伝わる感情はあまりに強く、烈しくて、眼など役に立たないような、そんな気がしてしまうのだ。いや、柔らかい掌がそっと彼の瞼になって、全てを優しい薄闇に覆い隠してしまう……とでも言うべきか。
 けれどもあまりに心地良いその薄闇に囚われ続けることを、彼の何かが拒んだ。
 確かに、トンマンの与えてくれる様々な感情に溺れてしまうことは、彼に喩えようもない快楽をもたらす。躯の快楽ではないだけに、終わりの見えないそれは、どんな苦痛も癒してくれる。
 だからこそ、ピダムはあの距離を取り戻す時が必要だった。食い入るように彼女を見つめ、耳をそばだて、どんなささやかな声も聞き漏らすまいと気を張る時が。

(……トンマンが知ったら、なんて言うだろう)

 まだ信じていないのかと怒るだろうか。それとも、哀しむだろうか。泣くだろうか。全くお前はと、苦笑するだろうか。
 笑ってはくれないだろうな、と思う。もしかしたら、これも隔て心、いや隠しごとの類として、冷ややかな目で見られるかもしれない。不安にさせるかもしれない。

(違う。違うんだよ、トンマン)

 上手く言葉に出来ないけれど、こうすることは、トンマンという存在を心に宿す上で、絶対に必要なことなのだ。
 何故なら、トンマンという人は、とても上手に己のこころを包み隠してしまう。そして、一度隠してしまったら、自らそれを開けてみせることはまずない。

(俺は、どんなトンマンも逃したくない)

 どんなことも、見過ごしたくない。知りたい。彼女が抱えているものを、全部暴きたい。暴いて、そっと手にとって、抱きしめてやりたい。
 本当は、触れあった時に全て感じ取ることが出来ればよいのだが、生憎と、彼はそう器用には出来ていないらしい。彼女の体温も香りも感触も、まだまだ刺激が強過ぎて、些細なものは吹っ飛んでしまう。
 もしかしたら、それは馴れれば変わることなのかもしれないけれど、一年やそこらで変われそうにはない。変わるには、もっと、もっと長い歳月を要するだろう。
 だから、いつか変わるその時まで、彼にはこうして無心にトンマンを見つめている夜が必要だった。何者にも……トンマン自身にも邪魔をされずに、トンマンのことを考える時間が、必要だった。
 その瞬間、

(トンマンに邪魔をされる?)

 贅沢な身分になったもんだと、ピダムは己の高慢を嘲笑った。欲しい欲しいとあれほど渇望したものを手にしておきながら、それを邪魔だと思う矛盾に苦く嗤った。

「ん……」

 すると、まさか声を立てて笑ったわけでもないのに、トンマンが小さく呻いたので、ピダムは静かに瞠目した。
 ――まさか、起きるのだろうか。
 正直、今は起きて欲しくない。いや、今でなくとも、こんな真夜中に起きて欲しくはない。眠りの浅さは健康の証ではないのだから。

「……」

 息をするのも憚られて、じっと見つめていると、どうやら寝返りを打ちたかっただけらしく、再びトンマンから深い寝息が聞こえるようになった。目覚めはしなかったらしい。
 それに、ホッとするやら物足りなさを覚えるやら、ほんの少しだけ双眸を細めて、ピダムは苦笑した。

 もう月は窓枠からとうに逃れていて、閨にはほとんど光はない。
 灯りは、つけない。つけても、何の意味もないし、むしろ安らかな眠りにとっては妨げになるだけだからだ。
 ということは、つまり、今はもう、ピダムは目の前にいるトンマンを見ているわけではなかった。
 彼が見ているのは、昼のトンマンであり、昨夜のトンマンであり、五日前のトンマンである。確かに双眸に映してきたはずなのに、あまりに近くにいるためによく「見る」ことが出来なかった全てのトンマンを蘇らせて、眺めている。そこに、トンマンが隠そうとしたものがないか、それを探している。
 言うまでもないことだが、ピダムはそれがあればいいと思っているわけではない。それは、敢えて名をつけるなら「憂い」というものなのだから、そんなもの、なければいいと思っている。
 それでも目を凝らしてしまうのは、トンマンという生き物は、本当に、信じられないくらい、たくさんの「憂い」をその華奢な躯の中に秘めているからだ。いくら彼がただの一つたりとも逃すまいと思っても、相手はとんでもなく手強くて、もしかしたら、一生かかっても見つけきれないのではないかと恐ろしくなる時すらある。……彼が見過ごしてしまったために、それが、いつか彼女を食い荒らすのではないかと、心底から震える時すら、ある。

 ピダムはもう何度も、トンマンの死を恐れてきた。
 時には、彼が彼女を殺してしまうのではないかと恐れたこともある。
 けれども、傍にいるほどに膨らむ恐れは、これまで抱いたどの恐れとも同じようでいて、全く違った。

 ――こんなに傍に、二人きりでいて、愛しあって。……もし、それでもトンマンを救えなかったら?

 それが、今のピダムを苛む最大の恐怖だった。
 生きとし生けるものに寿命という限界が存在することは、ピダムも知っている。いつか、それがトンマンに訪れてしまうことも、知っている。
 だからこそ、いつか訪れるその時に、ピダムは泣いて泣いて、泣き喚きながら、それでも彼女に胸を張れる男でいたいのだ。その時に、トンマンが、ピダムを愛してくれたことを後悔しないような、そんな男でいたいのだ。愛してよかったと、一点の曇りもなくそう言ってもらえる、そのような男でありたいのだ。
 そのためには、ピダムはどんな努力も努力とは思わないし、どんな苦労も苦労とは思わない。どんなご大層な理屈を並べたとしても、所詮はこれも、自分自身のためだからだ。トンマンにとってただ一人の男でありたいと希う彼の、尽きることのない欲望がこうさせている。
 トンマンは知らないだろう。知らなくていい。だが、ピダムは知っていることがある。

(……俺という男は、こうなってもまだ、乱を起こしたときのようにトンマンに餓(かつ)えている)

 こうやって日々彼女に触れ、微笑まれ、愛を囁かれても、まだ満たされない。何をされたら満たされるやら、見当もつかない。
 我ながらどれほど欲深いのかと驚いてもいるところだが、どうやら生涯治ることも、飼い慣らされることもなさそうだから、ピダムはこの渇望と共存していくしかないと、妙なところで腹を括っていた。
 となれば、今夜、彼がすることは決まっている。
 ピダムはかつて慣れ親しんだ距離を保ちながら、月が赤銅色の光を帯びるようになるまで、トンマンを見つめた。










隠居連載の、1話目のコメント欄。そこで初めて出会った方との別れが、30話目を一年ぶりに更新できた時に、来てしまいました。
その方への、伝えきれなかった気持ちと、心からの感謝をこめて。
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  1. 2013.09.19(木) _01:07:02
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