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善徳女王の感想と二次創作を中心に活動中。

RhododendRon別荘

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SS 犬も食わない

秋分の日にはなんの関係もない家族計画のお話です。ヒョンジョンの登場はなしで、トンマンとピダムのタイトル通りの内容ですー。
お楽しみいただけますようにv



* *


「ピダム。今日一日、私に触れるな」

 朝餉の席で、雑炊を掻き込んだヒョンジョンが外に飛び出して行ってから、暫く後。ようやく落ち着いて朝餉を咀嚼していたピダムに対して、愛妻トンマンは氷柱よりも冷やかにそう宣言した。

「……」

 いつになく有無を言わさぬ声音で放たれた、愛妻からの恐ろしい宣言。それを耳にしたピダムは、昨日治療費としてもらった菜を齧りながら、ちらっと上目遣いに愛妻の顔を見上げた。
 愛妻様は、ピダムのことなどまるで眼中にないかのようにしずしずと雑炊を食べ、飲み物を口にしている。雪のように白い肌には紅い痕跡がはっきりと見えて、それは彼の心を酷く充足させるけれども、黒い翳を作る睫の奥の瞳には、何やら不穏な紅蓮の炎がちりちりと見え隠れしていた。
 ……これは相当怒っている。と、その愛妻様に頭の上がらない夫は背筋に嫌な汗を掻いた。怒っている理由がわかるだけに、どう機嫌を取ろうか、そこが悩み所だ。いや、そもそも機嫌を取ったところでこの怒りが収まってくれるのかどうか、それもよくわからない。

「私が片付ける」
「そうか」

 何はともあれ、今日はピダムの開いている診療所は休診日で、夫婦で一日一緒にいられる日である。機嫌を直してもらうチャンスはいくらでもある――というわけで、早速ピダムは家事に勤しんでみたが、それでこの一件が解決されるわけではない。トンマンが怒っているのは、家事が原因ではないのだから。

「……ご機嫌だな、ピダム」
「あ」

 しかも不味いことに、トンマンが怒っている原因を思い浮かべる度、ピダムの口元はにまにまと緩んでいくのだから、堪ったものではない。今も、どうやら彼の顔は勝手に綻んでいたらしく、トンマンはじろりと彼を睨んだ。
 仕方がないので、ピダムも目で語る。
 ――そんなに嫌だった?
 答えは、当然、ない。
 ついと顔を背けて席を立ったトンマンをじっとり見送った後、ピダムは皿を洗いながら、しみじみニヤニヤと昨夜のあれやこれやを回顧した。
 ――ああ、昨夜のトンマンは可愛かった。
 本音を言えば鼻歌でも歌いたいくらいなのだが、それがもしトンマンの耳に届いたら、きっととんでもないことになるという自覚ぐらいはあるので、黙って回想に勤しむ。すると、次々に記憶が蘇って来てピダムを愉しませてくれたが、それと同時に、果たしてそんなに怒られるほどのことをしただろうかとも思う。
 いや、確かに相当羞恥を伴うコトはさせた。その自覚はある。何しろ、昨夜は、昔の己では想像も出来ない程、意地の悪いやり方でトンマンを苛めて、彼ですら「これは恥ずかしいだろうな」と気の毒に思うくらいのコトをさせてしまったのだから。
 だが敢えて言わせてもらえるなら、ピダムにも言い分はある。そのような意地悪がしたくなるくらい、近頃のトンマンはつれなかったのだ。
 まず、触らせてくれなかった。口づけをしようとして思いっきり避けられるということが、両の手では数えきれないくらいあった。次いで、一緒に寝てくれなかった。季節の変わり目になって、朝晩が冷え込むようになってから、ヒョンジョンがやたらと「おかーさん、さむい」と駄々をこねるようになったので、ヒョンジョンとばかり寝るようになって、ピダムは放っておかれた。さらに、ならばとたまの夜に求めてみても、「嫌だ」と拒まれた。だから、ピダムとしては、
 ――俺は、相当……いや、ものすごく我慢した。
 と、思う。思うし、そうだと断言出来た。
 それなのに、昨夜、久方ぶりの夜にささやかな……というわけでもないが、まあ愛情の籠った意地悪をしたくらいでここまで手酷く拒まれるのは、納得がいかない。そうだ、納得できない。
 そうやって己を鼓舞したピダムは、ヒョンジョンが村の子供達と遊びに出た後、読書に勤しむトンマンの傍に丸椅子を持って行き、どかっと座った。

「トンマン」
「……何か用か?」

 返ってくる言葉は、この上なく冷たい。冷たいけれども、ここでめげてはならないと踏ん張り、言葉を畳みかけた。

「あのさ……確かに、昨夜は悪かったよ。でも、そんなに怒らなくてもいいと思う」

 これも年の功と言うべきか、一緒に暮らし始めた頃に比べて、ピダムは大分ずけずけと物を言うようになっている。それは大概の場合、トンマンを喜ばせたのだが、どうやら今日だけは当てはまらなかったらしい。

「――ピダム」

 ぞっとするくらいに冷厳な声で名を呼ばれて、思わず瞬時に背を正したピダムに対して、トンマンが返した言葉は短かった。

「お前は、何か勘違いをしているんじゃないのか」
「えっ?」

 何を、と言いかけたところで、瞳がかち合う。ところが、てっきり怒りの焔で燃え盛っているのだろうと思っていた瞳は、憤りのみならず、一抹の寂寞を宿していた。

「……わからないの?」

 その瞳が、ピダムに問う。わからないのか、わかってくれないのかと、強く彼を揺さぶる。そしてそれは、瞬時に応えを返さなければと焦る彼を追い詰め――ふいと、逸らされた。

「わからないなら、近寄るな」
「トンマン」
「安心しろ、出て行ったりしない。本を読んでいるだけだ。……腰も痛いし」

 はあ、と大きな溜め息つきでそう零すと、トンマンの双眸は再び本に向けられた。本当に体が疲れているらしく、それ以上ピダムを追い払おうと何かしらの行動を起こすことすらない。
 その気だるさに、ピダムは酷く打ちのめされた。以前は、彼に怒る時も全身全霊、全力で怒ってくれたトンマンが、今や読書の片手間に彼に怒りをぶつけてくる――それは、昨夜の問題などよりさらに重大な損失であるような気がした。
 いや、怒られたいわけではない。ないのだが、どうでもよさそうに扱われるのが、一番つらい。反射的に、ピダムはトンマンの手から書物を取り上げた。

「ピダム、何をするんだ」

 呆れた様子で振り向かれ、心がささくれだっていく。
 ――昨夜は、もっと必死に呼んでくれたのに。
 そうだ。思えば、近頃のトンマンは、彼に対していつも片手間に対応していると、ピダムは思った。ヒョンジョンに接している時のように、五感の全てを向けてくれてはいない。ヒョンジョンのついでに、ピダムに構っている――そんな程度の愛情しか、貰えていないと。
 欲しがってばかりではいけないということは、わかっている。トンマンを包み込めるような優しい愛情が必要なのだと、知っている。だから、寛大な夫であろうと努めてきた。我慢だってたくさんして、息子にトンマンを渡してきた。
 ――その結末が、これなのか?
 トンマンにとっては、もう己はヒョンジョンの付属品なのだろうか。ついでなのだろうか。たまに構ってやればそれでいい、そんな存在なのだろうか。意地悪をしなければ、苛めなければ、欲しい言葉も告げてもらえないような、その程度の愛情しかないのだろうか。

「ピダム?」

 その瞬間、トンマンが吃驚したようにピダムの頬に触れてきて、そこでようやく、彼は自分の顔が歪んでいることに気がついた。泣いてはいなかったが、泣きそうな顔をしているらしいことを知った。

「どうしてお前がそんな顔をするんだ」

 ――どうして? どうしてと、聞かなければわからないほど、もう俺には興味がないのか。

「……困ったやつだな」

 零される溜め息の大きさが、鋭く心を抉る。本当に泣いてしまいたくなったその時、もう一度零された嘆息と同時に、白い繊手がふわりと彼を抱き寄せた。
 しかし、思わず抱きしめ返そうとすれば、「まだ朝の命令は続いているぞ」とその手を叩かれる。触るな、ということらしい。致し方なく、ピダムは黙って華奢な肩に顔を埋めて、目を閉じた。そんな彼の黒髪を撫でながら、今度は柔らかな嘆息が続く。

「全く……どうしてお前が泣きそうなんだ?」

 泣きたいのはこっちだぞ、と詰まられて、ピダムは大きな図体を心持小さくしてみた。

「……すみません」

 が、甘やかな追及の手は緩まない。

「ピダム。それは、何に対する謝罪だ?」
「それは…………昨夜、トンマンが嫌がることをさせたから……」

 だから怒っているんだろうと続けると、大きな大きな溜め息の後、ふるふると頭が横に振られた。

「違うのか?」
「違わないけど、違う」
「? どういう意味? じゃあ、また昨夜みたいなことを……」
「それは、嫌」

 はっきりきっぱり断言した後、トンマンは「嫌だけど……」と非常に小さな声で言葉を接いだ。

「嫌だけど、その……お前がどうしてもして欲しいなら、一年に、一回……くらいなら…………やる」

 やってもいい、ではなく、やる、という頼もしい言葉が聞けたことで、ピダムの頬はまた緩み始めた。が、それを察したらしいトンマンが、「ただし」と今度は厳然とした声で条件を提示した。

「今、私が怒っている理由がわからないなら、一生やらない。それ以前に、もうお前に抱かれたくない」
「えっ!?」

 天国から地獄へとはまさにこのことで、慌てて顔を上げようとするピダムに対し、優位を取り戻したトンマンはにやりと口の端を上げた。

「わからないのか? ピダム」
「わ、わか……ります」

 きっと、と内心で付け足し、ピダムは持ち前の明晰な頭脳を極限まで回転させた。ここでわからなければ、これから先の人生の楽しみが、大幅に削減されてしまう。
 心底から真剣に思い悩む夫に対し、今度はトンマンはこれ見よがしに眉を顰めた。

「ピダム。お前は、私の望みは必ずわかると言っていたのに……」

 それは嘘だったのかと言われては、ピダムの立つ瀬がない。嘘を言うわけがない、と間髪を入れず応じて、必死で思考を重ねる。その間にも柔らかな繊手は彼の頬を撫で、顎を軽く擽って、離れていく。衝動に任せてその手を掴めば、「まだ答えを聞いていない」と睨まれ、離すしかなくなってしまう。

「ピダム……」

 囁くように名を呼んで、トンマンは黙った。このまま様子を見るつもりらしい。
 ピダムは再度、沈思した。その様子を眺めながら、トンマンは少しずつみぞおちの辺りに鬱憤が溜まるのを感じて、つと目を細めた。

(……こんなに長い間わからないとは、思わなかった)

 実は、答えはとても単純なのだ。
 昨夜、ピダムは愛されたい愛されたいと思うあまり、トンマンから散々『愛情』を引き出した。それは今でも思い出せば真っ赤になって逃げ出したくなるくらい恥ずかしいことばかりで、だから思い出さないように懸命に努めているのだが、同時に、トンマンにはどうしても許し難いこともあった。――それは、ピダムと同じくらい、彼女もまたピダムに愛されたいと思っているということを、ピダムが完全に失念していたことだ。

(昔は、胸やけがするくらい言ってくれたのに……)

 なのに、昨夜に限って、ピダムは言わなかったのだ。いくらトンマンが『愛情』を言葉にしても、「もっと」と強請るばかりで、やっとそれもやめたかと思えば、あとはもう、そういう余裕はなかった。
 思い出しても不愉快で、トンマンはむうと悩みぬく夫を睨んだ。
 別に、ピダムの愛情を疑っているわけではない。……というより、あれだけ熱烈に求められているのだから、疑いようもない。ないのだが、それはそれとして、近頃のピダムは怠慢だとトンマンは主張したかった。
 ――昔は、もっと言葉があった。
 そう、トンマンは思う。好きだとか、愛しているとか、欲しいとか、その他諸々の言葉がピダムからは溢れんばかりに発せられて、トンマンはそれにうっとりしたり赤くなったり慌てふためいたりと、それはもう忙しなかった。その忙しなさが、好きだった。
 それなのに、近頃のピダムと来たら、言わなくてもわかるだろうと言わんばかりの態度で迫って来て、手馴れた仕草でトンマンの歓心を買おうとする。どうすれば彼女の躰が悦ぶのかは知っていると言わんばかりに、言葉という手間を省く。
 実際、トンマンの躰はそれを受け入れ、素直に悦んでしまう。悔しいけれど、その点に於いては、羞恥心というものをピダムよりもしっかり保持しているトンマンが優位を保つことは、難しい。
 だから、せめてこうして優位を保てる時に、思い知らせてやろうと思うのだ。ピダムに、彼女がどれだけピダムに愛されたいと思っているか、骨の髄まで思い知れ――と、容赦なく挑戦状を叩きつけたくなるのだ。

「……」

 同時に、早く気付けピダム、とトンマンは希う。もし気付いてくれたら、ヒョンジョンが戻ってくるまで、ちょっと仲良くしてやろうかなとも考えているからだ。何せ、それくらい、トンマンもまた、ピダムの『愛情』に飢えているのだから。




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