善徳女王の感想と二次創作を中心に活動中。

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真平王の后妃とトンマンの兄弟姉妹たち。@『花郎世紀』

勉学の秋という言葉を小耳に挟んだので、たまには『花郎世紀』ネタをv
SSのネタがてら、トンマンの兄弟姉妹と、ついでに真平王の後宮事情なんぞをまとめてみました!何かのご参考になれば幸いですv(・∀・)v

それにしても、前にも書きましたが、何故『花郎世紀』には真平王の本名「白浄」も「摩耶」も出てくるのに、「徳曼(トンマン)」が出てこないんでしょう…。出てくるのは「善徳公主」「善徳帝」なんですよねぇえ。『花郎世紀』を読む限りでは、「王の諱は憚りがあるから記せない」なんてことは有り得ないのははっきりしてますし…。(王だろうと皇后だろうと諱出まくりですw)
『花郎世紀』に接する度に、「トンマン」という名前について考えてしまいます。




* *


□真平王
名:白浄(ペクチョン)
生没年:567年~632年
父:銅輪太子(トンニュン)(551年?~572年3月)
母:萬呼太后(マノ)(555年~不詳)〔真骨正統〕
トンマンのパパ。
父・銅輪が太子のままアホな理由で死没したので、普通なら王位継承から外れるところ…だったが、なんやかんやで579年7月、13歳で急遽即位した。当然政治がわかるはずもなく、三太后(思道太上太后、萬呼太后、智道太后)による執政が始まった。三太后のうち、一番の有力者は王の祖母に当たる思道で、同じ大元神統の姪・美室を真平王の右后に任じている。次に権勢を強めたのは王の生母・萬呼で、こちらは只召太后の娘であることから、真骨正統を背景に思道に対抗した。3人目の智道は、2人ほどの力はなかったものの、上手くバランスを取っていたらしい。
やがて成長した真平王は、摩耶皇后と智道太后の兄弟・子女を重用して、思道&萬呼から実権を取り戻した。ただ、なかなか皇后腹の王子に恵まれず、王位継承問題で頭を悩ませることになる。

※なんやかんや……若い真智王(金輪太子)が実母の思道太后の思惑通りに動かなくなったので、思道太后が音頭を取って真智王を廃位し、幽閉した政変のこと。真智王は三年間の幽閉の末にお亡くなりになったらしく、この幽閉期間に様々な伝説が生まれた。

●後宮について●
真平王には少なくとも宝明左后、美室右后、摩耶皇后、僧満皇后の4人の皇后と、智道太后、太陽公主、銀輪公主、蘭若公主、龍明公主、昔明公主、花明宮主、玉明宮主、宝良宮主の9人の妃がいた。これらの后妃について、『花郎世紀』ではいずれも「金」とか「朴」などの姓は記されておらず、名前で呼ばれている。また、全員が真平王のかなり近い親戚であるため、(正体不明の僧満皇后を除いて)后妃は母方の血を以て真骨正統もしくは大元神統にグループ分け出来る。この2つのグループは、政界を主導する2人の太后の派閥と言ってよく、真骨正統は真平王の生母・萬呼太后が、大元神統は真平王の父方の祖母・思道太后が率いた。
なお、新羅では、後宮に入って王の子女を儲けた後も、王と離婚して他の男と婚姻することが可能なので、后妃の大半は真平王以前の王の後宮に入った経験があったり、真平王の存命中に後宮を出て婚姻したりしている。近親婚も盛んで、真平王の親世代では同父母兄弟間での、真平王の子世代では異父兄弟間での婚姻の実例がある。タブー視されることの多い、親子や兄弟・姉妹と同時に肉体関係を結ぶことや、女が枕臣と呼ばれる愛人を持つことも、むしろ奨励されていた。従って、婚姻・出産年齢も幅広く、10代前半から40代前半まで適齢期として扱われた。
ただし、婚姻関係の自由さとは対照的に嫡庶の差は明確に区別され、庶子は決して父親の後継ぎにはなれなかった。よって、実は真平王には知られているだけでも成人した男子が3人以上いるが、皇后所生の男子は悉く夭折したため、皇后を母に持つ娘・トンマンが王位を継承し、トンマンの子女を次の王位継承者とするよう計らった。さらに、一度はトンマンの夫に選ばれたヨンチュンの場合に至っては、庶子の男子を差し置いて、正室チョンミョン公主の連れ子に過ぎない後の武烈王チュンチュを後継ぎとしており、新羅においては父との血縁関係よりも、母の身分・立場が子供の将来に強く影響していることがわかる。
チュンチュ家系図1
花郎家系図


左后:宝明(ポミョン)
生没年:552年?~不詳
父:仇珍
母:只召(チソ)太后
子:良明公主
只召太后が身分の低い枕臣・仇珍との間に儲けた六女。その美貌と柔和さから、異父兄・真興王と、その子の銅輪太子&真智王兄弟に仕えた。即位間もない真平王を美室と共に導くよう思道太后から命じられるが、真智王の娘・昔明公主を懐妊中だったため、固辞。しかし真平王からは左后に任じられ、出産後に三年ほど真平王に仕えて良明公主を儲けた。真平王は宝明によく似た良明を溺愛し、二十歳を過ぎるまで常に傍に置いて離さなかったという。また、昔明公主も後に真平王の寵愛を蒙った。

右后:美室(ミシル)
生没年:547年?~612年
父:第二世風月主・未珍夫
母:妙道夫人〔大元神統〕
子:宝華公主
只召太后の次男・世宗の正妃となるも、才色絶人であったため、真興王、銅輪太子、真智王、真平王から寵愛された。思道太后の命令によって、骨品では勝るものの懐妊中の宝明に代わって真平王を導き、王の長女・宝華公主を出産。その後も思道太后の右腕として政治に携わった後、情人の薛原と共に永興寺に隠棲した。606年7月、重病の美室の回復を祈念して死去した薛原の亡骸を葬送して以後の消息は不明。晩年は子女の婚姻に頭を悩ませたり、孫娘の安産祈願を行ったり、子煩悩な面が目立つ。

太后:智道太后(チド)
生没年:550年代~不詳
父:起烏
母:興道娘主〔大元神統〕
真興王、銅輪太子の寵愛を受け、廃位された真智王の皇后となったが、思道太后の命令によって太后の一人でありながら真平王の後宮に入った。個性のキツい思道&萬呼に挟まれて影が薄い存在ながら、ムンノの後ろ楯になって地味に勢力を拡大。真平王の子ではない息子達にまで「パパ☆」と呼ばせるなど、わりとやり手。それが幸いして、智道の息子達は実父ではない真平王から絶大な信頼を寄せられた。ちなみに、智道自身は真平王の子を懐妊することなく後宮を出て、真興王と大伽耶の王女との間に生まれた天柱と結ばれて一男一女を儲けた。そのうちの一男・廉長は、抜群の金銭感覚でトンマンやユシン、チュンチュをサポートしている。

宮主:太陽公主(テヤン)
生没年:553年?~不詳
父:真興王
母:思道太后〔大元神統〕
子:太元殿君、好元殿君
思道太后の長女。実の兄弟である銅輪&金輪両太子の私臣となり、真智王の廃位後に甥・真平王にも同様に仕えたが、后になれなかったため、二人の殿君を生むも二人の王位継承は叶わなかった。その結果、好元の嫡男・興元は自らの正統性を理由に朝廷を怨み続け、文武王時代にユシンの甥を扇動して反乱を起こすこととなる。

宮主:銀輪公主(ウンニュン)
生没年:568年?~不詳
父:真興王
母:思道太后〔大元神統〕
思道太后の四女で末娘。姉・太陽公主と同様に真平王の後宮に入るが、寵愛を失ったため、思道の命令によって夏宗(ハジョン)が銀輪に仕えて一男二女(孝宗、夏姫、月姫)を儲けた。太陽公主とは住まいが隣同士だったため、太陽は夏宗を甚だ誘惑したが、夏宗は惑わされなかったという。夏宗モテモテ。

皇后:摩耶(マヤ)
生没年:575年頃~不詳
父:福勝
母:松華公主〔真骨正統〕
子:天明公主(チョンミョン)、天花公主、善徳公主(トンマン)
只召太后の外孫。恐らく宝明&美室が后位を退いた後、580年代に真平王の皇后となり特に寵愛されたが、トンマンが十代になった頃に崩御した。わりとそそっかしい性格だったのか、チョンミョンの好きな人を思いっきり勘違いしたまま、恋愛結婚させてしまったりしている。

宮主:昔明公主(ソクミョン)
生没年:579年~613年以後
父:真智王
母:宝明宮主〔真骨正統〕
子:二女
宝明は昔明を懐妊した時、夢に玄鳥を見ました…という伝説の持ち主。真平王の即位後に誕生したため、その後宮で育ち、寵愛を得た。後宮では異父妹・良明公主と同居しており、三生を誓うほど親密だった。後に後宮を出て、冬蘭に歌舞を学ぶうちに相思相愛の仲となって、娘・昔蘭を生んだ。真平王も2人の婚姻を許したが、冬蘭は昔明を尊んで妻とはせず、主君として仕え続けた。2人の息子・軍官は第二十三世風月主に就き、上大等に至ったが、前述の興元の反乱のとばっちりで処刑されてしまう。

宮主:花明(ファミョン)
生没年:568年?~不詳
父:第四世風月主・二花
母:叔明公主〔真骨正統〕
子:子女あり
美室の長男・夏宗(ハジョン)と親しかったため、美室から夏宗の正妻にと求められたが、母・叔明公主は頷かず、妹・玉明ともども真平王の後宮に入れた。

宮主:玉明(オクミョン)
生没年:570年?~不詳
父:第四世風月主・二花
母:叔明公主
子:子女あり
姉同様、母・叔明公主の命令により真平王の後宮に入った。なお、叔明公主は美室の夫・世宗の同父母姉だが、かつて異父兄・真興王の皇后となって貞粛太子を儲けながらも二花との愛のために全てを失ったという過去の持ち主である。

宮主:蘭若公主(ラニャ)
生没年:570年頃~不詳
父:真興王
母:美室(ミシル)〔大元神統〕
子:雨若公主
美室が真興王との間に儲けた二女。恐らく母と入れ替わる形で真平王の後宮に入った。真平王の異父妹・萬龍娘主と大変親しかったため、萬龍は息子である第二十世風月主・礼元に美貌の雨若と婚姻するよう命じ、2人は仲睦まじい夫婦となって一男三女を儲けた。うち、一男・呉起の息子が『花郎世紀』の筆者・大問である。

宮主:龍明公主(ヨンミョン)
生没年:575年頃~不詳
父:真興王
母:智道太后〔大元神統〕
子:不明
龍春(ヨンチュン)の異父姉。母・智道が真平王に仕えたため、その後宮で育ち、成長すると真平王の寵愛を得た。廃位された真智王の子である龍春が19歳の若さで第十三世風月主に就任出来たのは、龍明の後ろ楯あってのことだったという。

皇后:僧満(スンマン)
生没年:不詳
父:不明
母:不明
子:一男
『花郎世紀』に登場する后妃の中で、出自や家族に関わる記述が全くない唯一の人物。摩耶皇后の崩御後に皇后となり、620年頃に王位継承者たる一人息子を儲け、トンマンからその資格を奪うことに成功したが、息子は敢えなく夭折。うちひしがれた僧満は、何故かトンマンではなくトンマンの夫である龍樹・龍春兄弟を忌んだという。また同じ頃、男子を生んだ宝良を妬み、後宮からの退去を命じている。

宮主:宝良(ポリャン)
生没年:604年~670年頃
父:宝宗(ポジョン)
母:良明公主〔真骨正統〕
子:宝路殿君
宝宗の二女。十代で母方の祖父・真平王の後宮に入って宝路殿君を生んだが、僧満皇后に嫉妬され、臣下との婚姻を命じられる。宝良は六歳年下の異父弟・良図に好意を抱いていたため、二人の母・良明公主が真平王と計らって2人を婚姻させ、宝宗の後継者とした。良図が第二十二世風月主に就任すると、宝宗の血を引く者として良図に代わって郎政を委ねられた。即位後のトンマンとも友好的な関係を築き、女好きの良図の手綱を上手く握り続けたが、最期は良図が戦死したとの誤報により命を絶ったという。



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