善徳女王の感想と二次創作を中心に活動中。

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初心に帰る。@『善徳女王』公式ノベライゼーション

お返事を溜めまくりで申し訳ありません(;・∀・)
なかなか本調子に戻らないもので、ちょっと初心に帰ってみて、ノベライズを借りてきました。後書きを読むために!笑

考えてみたら、ノベライズはドラマ放送前…要するにドラマの脚本を書く前に書かれたものなので、そこにある脚本家さんの言葉はあくまで「ドラマ開始前の意気込み」です。いったい何故この題材を取り上げたのか、この題材で何を描きたいのか、見て欲しいのはどこかというプレゼンです。
というわけで、脚本家さんが最初に思い描いたものとはなんだったのか、それを確かめに戻りました。


* *


時代精神を持った指導者がその時代精神を具現化した時代。



後書きいわく、これがドラマを通じて伝えようとするテーマらしい…のですが、この言葉だけだとさっぱりわからんアホな管理人。もうちょっと説明されていたので、それを読むと、要するに優れた指導者を描こう、という話になるのですが、そうすると思い出されるのは『根の暗い…じゃなくて、根の深い木』。
『根の深い木』でもこの脚本家さんは名君と名高い指導者・世宗を描いたわけですが、世宗からこういうテーマを感じたかというと、私はちょっとそれは感じなかったんですよね。あのイ・ドは様々な政治課題に取り組む指導者ではありませんでしたし。アバウトに感じたことは、文字という一分野にスポットを当てることで、そこから支配者層と被支配者層の関係の在り方とか、絶対君主制とか貴族制とかを描きつつも、「私だって民衆の力がどんなものかわからんけど、民衆に文字を与えてみようじゃないか」という学者イ・ドの実験とその結果、でした。だから敵役のチョン・ギジュンも学者だったし、実験が終わる前と終わった後で、国王イ・ドには何の変化もなく、日常が続いていったのかなと。

んが、『善徳女王』のトンマンは学者ではありません。ドラマのトンマンは、明らかに政治家として描かれています。

善徳女王の話を権力闘争の勝利の過程として描くよりも、人を、人材を手にしていく過程として描くことにした。



ドラマでも終始このテーマが貫かれていて、脚本家さんたちがブレなかったことが伝わってきます。

ただ、ノベライズ時点とドラマ時点とで、変わったことも勿論あります。例えば、コレ↓

キム・チュンチュと、キム・ユシンの妹ムニとのエピソードも伽耶系のキム・ユシンの家門と真骨貴族のキム・チュンチュの家門を結合し、自分の勢力にするための実に愉快かつ絶妙な謀略であったのだ。



このエピソード、善徳女王の関わる数少ないエピソードの一つだというのに、サクッとバッサリ削除されました。(ノベライズにはあったのに)
んで、せっかくだからなんで削除されたのか考えてみたのですが、たぶん、脚本家さんたちは、このエピソードはトンマンの頭脳明晰さとはあんまり関係ないと判断したのではないでしょうか。チュンチュとユシンが姻戚になったとして、それはこの二人が繋がりを持ったことの証明にはなりますが、トンマンに対する忠誠とはなんの関係もありませんし。
もしこの結婚がトンマンに対する忠誠の一部であるなら、チュンチュかユシンがトンマンの腹心の部下であることをまず証明しなければならず、そこを証明するなら、もう一人もトンマン自身が屈服させた方がドラマとしては面白いわけです。だからドラマではまずチュンチュを屈服させ、続いてユシンというより伽耶勢力を手にする姿を描いていったのではないかなと。

さらにもう一つ引っかかるのは、トンマンとチョンミョンの二人について、

自らが成し遂げようという目的のために愛を捨てる女性と、愛のために王位を捨てる二人の女性の葛藤と連帯を通じて、彼女たちの苦悩、失ったものと得たものを描こうと思ったからである。



と語っていること。
ここで「え?」と思うのは、「愛のために王位を捨てる」女性って誰よ、ということですw
普通に考えれば「自らが成し遂げようと~」がトンマンで、「愛のために~」がチョンミョンですが、まあ前者はともかく、チョンミョンってそんなキャラでしたっけ?という(笑)
チョンミョンの出番は前半戦なので、比較的ノベライズと近い形で登場していますが、ドラマのどこを取っても、チョンミョン関係で王位の話はそんなに出てこないし、王位を捨てるどころかチョンミョンはトンマンとユシンに愛の逃避行をさせるために自らの愛を捨てたくらいですし、全然「愛のために王位を捨て」ていません。
もしかしたらそういう予定だったのかもしれませんが、とにかくドラマのチョンミョンはそうじゃない。
じゃあ、「愛のために王位を捨てる」女性はカットされたのかというと、最後の最後に出てきました。『譲位して、夫と一緒に隠居する』と言い出した女性が!そう、主役のトンマンです!(笑)

つまり、トンマンは「自らが成し遂げようという目的のために愛を捨てる女性(A)と、愛のために王位を捨てる二人の女性(B)」を、どっちも体現したわけですね。順番で言うなら、A(対ユシン)→B(対ピダム)と来たわけです。
でもそこでドラマは終わらなくて、A→B→Aと再びAに戻ってきています。愛を知り、愛に全てを懸けようと心を決めた後に、その愛を捨てる、そういう形になっています。
思うに、一度目のAでは泣くだけだったトンマンが、二度目のAで息絶えてしまうのは、一度Aを経験し、さらにBも経験することで、自分が捨てるものの重さを知ってしまったからなのかなーと…。本来ならトンマンとチョンミョンの二人で描くはずだったものを、トンマン一人に集約したことで、一度はそれに人生を懸けたのに、それを自ら破壊するという、ある種の自殺行為をしている図になってしまったのかなと、そんな風に感じました。

そしてトンマンをそういうキャラクターにした最大の原因は、なんと、この後書きには一っ言も登場していませんw
ドラマ開始前の宣伝画像から言っても、ピダムは主要六人の一人だというのに、全く触れられていない。ノベライズでは、よくわからん悪役でしかない。主要六人の中で、最も歴史的な縛りがなく、ほぼオリジナルキャラクターと言っていい存在。

んで、振り返ってみると、実はこのピダムが、↑で取り上げた二つの要素を奪い取っています。つまり、

1.婚姻によって基盤の異なる対立勢力を自分の勢力にするという、実に愉快かつ絶妙な謀略
2.愛のために王位を捨てる人物


という、脚本家さんたちがドラマを作る過程で見せ場として考えた主要なテーマ二つを、ピダムが担っているんです。
1はユシンとヨンモ、チュンチュとポリャンの結婚でも描かれていましたが、主人公トンマンの謀略として発動するのは女王時代のトンマンとピダムの婚姻問題ですし、2は完全に最終回のピダムです。反乱を起こして、本気で戦争すればどうなるかまだわからないという時点で(なんせ戦争初心者のくせに、簡単に城を奪い取って勝っている)、愛のためにあっさり軍を捨てているという。

こうしてユシンとチュンチュのエピソードはトンマンとピダムのエピソードになり、トンマンとチョンミョンのエピソードはトンマンとピダムのエピソードに変化した。そうすることで、トンマンという主人公の物語性が深まり、同時にトンマンと対になる人生を歩むべきピダムの比重も格段に上がった。…のかな、と。
後書きを読んで、そんなことを考えました。



こうして初心に、トン&ピ好きに帰るのでした。←

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  1. 2014.08.28(木) _10:51:36
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