善徳女王の感想と二次創作を中心に活動中。

RhododendRon別荘

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SS 巫山の夢・上

『SS 同床異夢』の続きです。以前、りばさんから頂いた、ピダム失踪ネタでございますー。


* *


 桃花が咲き溢れる、三巳日。優しい春風が頬を撫でる中、ピダムは桃花の白い花弁が天を埋め尽くす様を、ぼんやりと享受していた。



 陰暦三月三日になると、決まってキム・ソヒョン、ユシン親子からは、茶が献上された。
 陰暦三月三日に王に茶を献上するのは、そもそもは金官伽耶における仕来たりだった。そして、金官伽耶が新羅に併合されてからは、忠節の証として――また、伽耶勢力の権力誇示の一環としてその風習は続けられている。ソヒョンが萬弩郡に左遷されていた間は、それも途絶えていたが、トンマンの即位五年目の陰暦三月三日は、例年通り、宴を催すと言う盛大さで茶が献上され、伽耶の権勢を広く知らしめることに貢献していた。
 この当時、茶葉は唐からの輸入品、つまりは高級品であり、高位の僧侶が儀礼の折に飲むくらいだった。つまり、その茶を公式に王に献上させることもまた、トンマンの伽耶勢力優遇策の一つだ。

「陛下の御世が、幾久しく続きますよう、お祈り申し上げます」

 宴の主催者であるソヒョンは、一族を引き連れトンマンに拝礼した。
 それを王に相応しい落ち着いた微笑で受け止めたトンマンを、臨席した貴族達は、それぞれの思惑を胸に眺めていた。しかし、例年とは異なり、その年は、そこにいるべき男が二人欠けていた。――欠けているのは、ピダムとミセンだった。



 茶が献上される二月ほど前のこと。雪の残る年始に、司量部令ピダムはトンマンに、この夏、巡狩をしてはどうかと進言した。

「徐羅伐の貴族は、地方の有力者と長年に渡って緊密な関係を作り上げています。それは、彼らの権力を保証するのが、王ではなく、和白会議に参加出来る貴族だからです。故に、状啓だけでは地方の情勢は把握しきれません」

 地方勢力の掌握は、トンマンにとっても懸案事項だ。常に直接対峙する中央の貴族とは、この五年で、トンマンのみならず、ピダムも落とし所をよく心得て、一定の信頼関係を築くに至ったが、地方の勢力とはどうしても齟齬が生まれがちだった。
 勿論、これまでにも地域を限定した巡狩や、ユシンら臣下による視察は折に触れて行われていたものの、王たるトンマン自らが全国各地を視察したことはない。ピダムの一つ目の進言は、即位五年目の節目に、女王の威勢を知らしめる巡狩を盛大に執り行ってはどうか、と言うことだった。
 そして、二つ目の進言は、「巡狩の前に各地を視察する役目を、仰せつかりたい」と言うものだった。

「お前が先に地均しをしておくと言うことか?」
「はい、陛下。恐れながら、司量部にはすでに地方の不正も何件か報告されております。煩雑な仕置きは、巡狩に相応しくありません。巡狩では、陛下の御威光をあまねく知らしめることが肝要かと」

 二月ほど徐羅伐を空けることをお許しください、と頭を垂れたピダムを見て、トンマンの面に微かに憂いの色が過った。
 巡狩に関しては、異論はない。むしろ、トンマンはこれまでずっと望んでいたのに、ピダムを始め、和白会議が「安全が確保されるまでは」と反対し続けていたくらいだ。
 トンマンが引っ掛かったのは、二つ目の進言だった。
 ――ピダムが二月近くもいなくなる?
 即位以来、ピダムは常にトンマンの傍らにいた。毎朝毎夕、顔を合わせ、他の誰とも出来ない話をしてきたのだ。そのピダムが――今では、月に一度閨にも侍るピダムが長く徐羅伐を空けることは、トンマンにとっては一大事だった。何より、秘路で明かしたあの夜から、まだそう日も経っていない。あれ以来、仁康殿から秘路に繋がる戸には閂までかけて拒絶の意志を明確にはしたものの、あの夜の記憶がまだ躯中に残っているようなトンマンからすれば、ピダムの進言は年来の下準備を経てのものだとわかっていても、どうしてもあの一夜と無関係だとは思えなかった。
 ――私から離れたいのか……?
 そう聞きたくても、ピダムは政務の話のみをして、ほとんど目も合わせない。勿論、目が合わないのは、トンマンもピダムの目を避けがちだったからだが、そもそも、未だにトンマンは、あの夜のピダムの狂態としか表現のしようのない振る舞いが何だったのか、わからずにいる。それでも毎日顔を合わせているうちに、何かしらわかるだろうと考えていたのに、その機会すら喪われようとしていた。

「三日のうちに、出立致します。陛下を如何に饗応するのか、御進物は如何なものかも、検めて参りますので」

 ただ、最後にピダムがそう口にした時、トンマンは言下にピダムに見放されたような気持ちになった。『饗応』には、酒食のみならず色も供されるものだが、女人のトンマンに対してあからさまに色を供することはまずない。密やかにはあるが、それよりも、女王の近臣に取り入ろうとする方がよほど気楽だろう。
 眼前に垂れ籠める鬱々とした雲を払うように、トンマンは敢えて冷然とした口調で、女王として、司量部令と細々とした打ち合わせを続けた。



 きっと、「浮わついた気を起こすな」ぐらいの戒めは口にすべきだったのかもしれない――。
 司量部令の旅路も終わりに近づいているその日、例年のように桃花を浮かべた茶を飲みながら、トンマンはその茶がただ苦いもののように感じられて、苦心していた。
 ピダムは命じられた通りにことを遂行し、毎夜その日にあったことの仔細を文にしたため、徐羅伐にいる主へ送って寄越した。女王の裁定を仰ぐべきもの、司量部令の裁定で済ませられるもの、見たこと、見なかったとしたこと……。長い文には、形ばかりの挨拶として、その地に対するピダムの印象や美味なものが何かが書き添えられ、時によっては使者が御進物とでも言うべきものを持って参上することもあったが、トンマンが本当に読みたい言葉はなかった。ただ、文の末尾に記された、トンマンの躯を気遣う短い言葉とその名前だけが、トンマンの心を僅かばかり慰めていた。
 そうは言っても、文のことでピダムばかりを責めるのは筋違いだと言うことは、トンマンも重々承知していた。

(……寂しいなら、それを書ければいいのだが……)

 初めてこんなに文を交わすのに、トンマンはピダムにろくな文を書いていなかった。
 理由は幾つかある。まず、忙しい。ピダムに幾らか任せつつあった司量部の仕置きを、ピダムが不在の間は自ら取り仕切ると決めた為に、公務がさらに繁多になった。次に、文を書くなら、その文を人に見られた時のことを考えねばならない。暗号を使っているわけではない以上、下手に私情や内密なことを書き記すわけにはいかなかった。
 何より、トンマンはピダムと違って、文に自分の名は記していない。彼女はあくまで「聖祖皇姑」と記して、「徳曼」とは名乗らない。そうである以上、「聖祖皇姑」に相応しい言葉以外に何かを書き記すなど、あってはならないことだ。
 最後に、ピダムが旅立ってからと言うもの、トンマンの体調は右肩下がりに悪くなっていた。

『陛下、恐れながら、お顔の色が優れません。御寝遊ばした方が……』

 気分が悪く、微熱が続き、じわじわと躯が蝕まれていく……その様を間近で見つめる女官長は、その日の朝も心配顔だった。
 その面をふとトンマンが思い出した時、ほとんど終わりかけていた宴の和やかさを切り裂くようにアルチョンが現れて、トンマンの斜め後ろで立ち止まった。何か、とトンマンが微かにアルチョンがいる方へ眼差しを伏せるなり、彼が耳元で囁いた言葉は――。

「陛下、急ぎ御退出を。使いの者が仁康殿に参っております。……その者は、司量部令が行き方知れずとなったと申しております」
「――」

 それからの騒ぎを、トンマンは知ることが出来なかった。

「陛下!」

 ただ、目の前で天地が互いの座を奪い合うように揺れて、息をすることすらも覚束なくなったかと思った時には、トンマンはぐったりと崩れ落ちてアルチョンにその身を支えられていた。



「もう日が暮れると言うのに、未だに姿も見つからぬとはどう言うことだ!!」

 同じく陰暦三月三日の午のこと、ピダムと共に視察に来ているミセンは、腹の底から響く怒号を轟かせて司量部の者達を怒鳴り付けた。正確に言えば、礼部令のミセンが司量部員をどやすのは可笑しな話だったが、司量部創設時には司量部に所属し、今もピダムの視察と夏の巡狩の準備の為にミセンがそこにいるだけに、誰も文句は言えなかった。――礼部令だって、司量部令が夜中に抜け出したことにも気付かずに、司量部令から譲られた美女と散々楽しんで、寝坊したくせに……とは。

「いいか、草の根を分けても捜し出すのだ。捜し出せなかった時には、命はないと思え!」

 ミセンの頭にあったのは、司量部員の命と言うより、「これでもしピダムに何かあったら、私の命がない」と言う心配だ。ピダムを公私共に傍に置く女王は、さすがに「死ね」とは言わないだろうが、ソルォンの眼差しが自分を膾切りにするだろうぐらいのことは、誰よりも心得ている。今回も、膠着状態の続く女王との仲を旅の空で根掘り葉掘り聞き出し、様々な教授を施していたと言うのに、何故――と、その夜、見つからないピダムの行方に頭を抱えながら、ミセンは夜を明かした。
 ちなみに、出来るだけことを荒立てたくはなかったミセンに内密に一報を徐羅伐に届けたのは、アルチョンの侍衛府から派遣された者で、司量部の者ではなかった。


 一方、徐羅伐の宮中も、眠れぬ夜を過ごすことになった。
 午に倒れた女王はすぐに仁康殿に運ばれ、供奉医師が呼ばれたが、原因はわからず、薬典の薬の効き目も皆無と言って良かった。同様に、徐羅伐中の寺で祈祷が始められたが、女王は高熱に魘され、意識は混沌としている。特に大病をしたこともなかった女王の突然の重体に、神国の僧侶を統べる国統が呼ばれて、夜を明かしての祈祷が行われた。



 実のところを言うと、これまでにもピダムは行く先々で、幾度も闇に紛れて宿舎を抜け出していた。それくらいのことは警備の緩い仮の宿では容易いことだったし、どうせ徐羅伐を離れるのならと、花郎だった頃のように気儘に出歩いてみたかった。
 何より、静まり返った闇の中でぼんやりと雲居の月を眺めていると、眼に焼きついた面影のみならず、あの狂おしい一夜の記憶が全身を駆け巡った。
 ――恋しい。
 その一語に集約される想いを持て余して、ミセンに勧められるままに夜伽の娘に目を向けたこともあったものの、どうしても「違う」と言うことばかりが目について、腹が立って追い払ってきた。

(私に色を供させておきながら、いざこの腕に抱かれれば、それを嫌悪する人なのに……)

 酷い女だと思うのに、離れているのが辛くてならない。旅先からでも打てるだけの手は打って、政に関わる憂いの種は減らしているけれども、せめて王冠を脱いでいる時は、己の不在を嘆いて苦しんでいて欲しいと冀ってしまう。


 三巳日の前夜も、仄かに面窶れしたピダムは間もなく戻る徐羅伐へと想いを馳せて、夜歩きをしていた。
 夜更けには宿舎に戻ってきちんと休むはずだったその夜歩きが何故だかそのようにならなかったのは、うっかり桃の花が咲き乱れる野で仮寝をしてしまった為だった。

「っ」

 野に寝転がってうたた寝をしていただけのはずが、気づいた時には日が中天を過ぎていた。「しまった」と起き上がって辺りを見渡せば、ただ桃花ばかりが風に揺蕩っている。人影どころか、鳥の一羽も見えない草深い丘で、一人きりだ。
 その、現とも思えぬ花吹雪の中心で、不意にピダムの胸を一陣の風が貫いた。

 ――このまま、消えてしまおうか。

 午になろうと言うのに、放っておかれているのだ。今更見つかることもないだろう。
 お誂え向きに、身に付けているものは豪勢とは言い難い。己なら、このまま誰にも知られずに消え去ることも出来るだろう――。
 ちょうどピダムの双眸に虚ろな望みが宿ったその時、桃花をひとひら浮かべた器を手にしていたトンマンはもたらされた報せに昏倒したと言うのに、桃花はそれをピダムに知らせることはなかった。



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  1. 2012.01.06(金) _23:31:04
  2. SS(ドラマ設定IFもの)
  3.  コメント:2
  4. [ edit ]

<<SS 巫山の夢・中 | BLOG TOP | SS 同床異夢>>

comment

緋翠さん今晩はv

  1. 2012/03/24(土) 21:42:08 
  2. URL 
  3. りば 
  4. [ 編集 ] 
わ、わ~い、コメントになんてぴったりの季節・・!!そう今日は旧暦三月三日v と、何かをごまかしつつお邪魔します。(旧暦=陰暦でもないらしいんですが、まあおいといて下さいとりあえず)

正確に言いますと私が「ピダム失踪ネタ」をふったわけでなく、緋翠さんからそのネタを伺って、じゃあ史記の即位5年め、トンマンがぶっ倒れたというのにからめて、仁王経より効くピダム帰参てのどーでしょー、て言ったのが私がふったネタかとvというかそう書いたメールにはお返事戴かなかったので、緋翠さんがどう反応されたのかは分からずじまいで、SSを読んでおお、あのネタ採用だったんだ・・・!と喜んだ次第ですv

>「陰暦三月三日に王に茶を献上するのは、そもそもは金官伽耶における仕来たり」

緋翠さんのSSで凄いな~と思う事の一つが、ご自分で仕入れられた三国時代の知識をSSに生かされるところです。しかもその取り入れようがごく自然で、しかもカッコイイな~と、しばしば思ってます。

この茶席って、時代は下りますが、景徳王代の僧侶、忠談が三花嶺の弥勒に、三月三日と九月九日に茶を供えていた、というエピソードからきてるのかな?と思ったんですが、ここでは吸収した金官伽耶から引き継いだ首露王のバースデー行事だったんですねー。

思えばトンマンも砂漠時代は茶葉で事件を起こし、危うく死ぬ所だったというのに、今は王として茶を献じられる身分に。この行事に王族として最初に参加した頃はありし日を思い出して、思えば遠くへきたもんだとうっすら笑ったりしたことも、あったかも。そしてユシン一家も、茶を献じられる立場から今じゃ他国の王に献じる立場になってるんですねー。大伽耶の保守派あたりは新羅にしっぽをふりおって、とか内心せせら笑ってたりして。

さて、本筋に話を戻しまして。桃の花の咲き誇るなか茶を喫し、離れた場所にいるピダムを想うトンマンって、場面は穏やかで華々しいからこそ鬱鬱とした内心と対照的で、暴風のような一夜が嘘のようでもあり、でもあの夜露わになってしまった、二人の間に入ったヒビがかえって浮き彫りになっているといいますか・・・

〉〉「御進物は如何なものかも、検めて参りますので」
〉〉 ただ、最後にピダムがそう口にした時、トンマンは言下にピダムに見放されたような気持ちになった。

この部分、続くのがトンマンの「きっと、「浮わついた気を起こすな」ぐらいの戒めは口にすべきだったのかもしれない――。」という事からしても、あれをピダムの突然の暴挙としか思えないトンマンには、陛下の顔見るのも気づまりだしィー、ちょっと遊んでくらぁ!とでも言われたような、おいてきぼりにされた気がしたんでしょうか。思えば、ピダムが自分からトンマンの傍を離れたいって言い出すなんて相当の異常事態ですが、トンマンも自分の想いや疑問でいっぱいいっぱいで、いやもしかして天然というか疎いせいなのか、その事に気づいてないような。

そして初めての遠距離恋愛(・・・か?)の体でもあるようなwそしてやっぱり奉られた「聖祖皇姑」の名、王である事にがんじがらめのトンマンが、だからこそトンマンたる所以ともいいますか。ドラマ陛下がつづったピダムへの手紙に「徳曼」と名を記した場面を思い起こします。あれは重いですよね。そして、もしドラマのピダムがこのssのように「聖祖皇姑」の名を記した手紙を受け取った事があるなら、初めて「徳曼」と書かれた手紙を受け取った時にはショックだったろうし、名前の部分をさすさすしてたのもすごくうなずけるな~と。

公主時代のような気安さはもうなくても、しかも色供が微妙な影を落としているとしても、トンマンにとってピダムって、ストレスを吸い取るというか分かち合うというか、ある意味気を使わないでいい相手だったんじゃ?という気がします。(だから呼び捨てなのかなーとも。)だからどんなに行き違おうが、二人で一緒にいさえすれば総合的には大丈夫、と勝手に思ってます。離れると途端にダメになるような気がします、この二人。

同床異夢の後、考え続けるトンマン、二人の間の隙間風を感じ続け耐えられなくなるピダム。こんなに違うのにこんなに同じで、背中合わせの二人だな~という感じがします・・・

りば様へ

  1. 2012/03/25(日) 20:13:22 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
りばさん、こんばんは~v
こちらは、旧暦と陰暦の違いがよくわかっていない緋翠ですw(陰暦は月の暦なので、1ヶ月が30日…と覚えています。あやふやです。←)

> 正確に言いますと私が「ピダム失踪ネタ」をふったわけでなく、緋翠さんからそのネタを伺って、じゃあ史記の即位5年め、トンマンがぶっ倒れたというのにからめて、仁王経より効くピダム帰参てのどーでしょー、て言ったのが私がふったネタかとv

や…やはり記憶の纏め方がめちゃめちゃでしたか…!(;゜▽゜)
そうでした、12月にそのメールを頂いて、そこから「これ使えるなーどうやって使おうかなー」と妄想に走り、迷宮シリーズにするかその他で思考錯誤し、そこら辺が纏まらないことにはお返事出来んぞ…!となり、1月に「書けたー!(*´∀`*)」と記事にしたのでした。
メール自体は、「思い出語りなのに、延々とお返事し続けたら、そろそろ負担だよな…りばさんはお返事を書こうとしてくださるだろうし、これはりばさんのブログ更新を阻んでるよな…」と勝手に尻込みしてましたorz←すみません…。

> 首露王のバースデー行事

バースデー行事だったかはあやふやですが、金官伽耶ネタです~v 見つけた瞬間に、「使うぞ、これ絶対使うぞ!」となったネタの一つです(笑)
三国時代のネタを入れないと、やっぱり当時の新羅っぽさが出ないかなーと感じますし、でも、行事がメインになるのではなく、トン&ピを表現する手段の一つとして使いたいなあといつも気をつけているので、りばさんがこう言うところに注目してくださるのが凄く嬉しいですvv(りばさんのブログでも歴史ネタをよく取り上げてくださるので、それもギラギラと参考にしています。←)

> この茶席って、時代は下りますが、景徳王代の僧侶、忠談が三花嶺の弥勒に、三月三日と九月九日に茶を供えていた、というエピソード

これは知りませんでした…!(統一新羅時代のことは、混乱するのであんまりチェックしないようにしているんですよ。)
なるほど、これも詳しく調べてみたら、三国時代ネタに応用出来るかも知れませんねー。

今回のSSでは、ドラマでは描かれなかった部分の埋め合わせもしたかったので、茶葉のくだりは、私も砂漠時代を意識しました。
「聖祖皇姑」の名の部分も、ドラマの「徳曼」署名がどれだけ凄いのかを、私なりに表現したいなと思いまして…。トンマンなら、即位後は本名を署名したりしなかったでしょうし、ドラマにはあまり「聖祖皇姑」の名が出てこなかったので、『名前』を重要視する善徳女王だからこそ、その部分もクローズアップしてみたかったんです。

> そして、もしドラマのピダムがこのssのように「聖祖皇姑」の名を記した手紙を受け取った事があるなら、初めて「徳曼」と書かれた手紙を受け取った時にはショックだったろうし、名前の部分をさすさすしてたのもすごくうなずけるな~と。

なので、こう思って頂けてめっちゃ嬉しいです!ドラマをより楽しめる道具になるのが一番ですからv(*´∀`*)v
また、このSSを書いて改めて、トンマンらしさ、ピダムらしさ、この二人の関係性の三点を表現するのに、手紙は凄く重要なパーツだな~と実感しました。

> 大伽耶の保守派あたりは新羅にしっぽをふりおって、とか内心せせら笑ってたりして。

これは、こう考えて頂きたかったので、秘かにガッツポーズしましたw
スロ王の時代からあった風習をネタにしたのは、ソヒョンパパ達の徹底した服従っぷりを表現する為でもあったんです。「臨席した貴族達は、それぞれの思惑を胸に眺めていた」と言う文章を入れたのも、それを批判的に見る人もいる…と言うことを暗示したかったからですしv

> 桃の花の咲き誇るなか茶を喫し、離れた場所にいるピダムを想うトンマンって、場面は穏やかで華々しいからこそ鬱鬱とした内心と対照的で、暴風のような一夜が嘘のようでもあり、でもあの夜露わになってしまった、二人の間に入ったヒビがかえって浮き彫りになっているといいますか・・・

ふわわわわありがとうございます…!書く時は、「苦悩のシーンだからこそ、美しく!」とタカラヅカ気質で書いていたような気が…。←え?
感覚的に書いたシーンなので、こうやって丁寧に解説して頂くとお恥ずかしいです(照)

> あれをピダムの突然の暴挙としか思えないトンマンには、陛下の顔見るのも気づまりだしィー、ちょっと遊んでくらぁ!とでも言われたような、おいてきぼりにされた気がしたんでしょうか。

そんな感じですねー。「遊んでくらぁ!」とまでは行かなくてもw、「顔を合わせたくない」と言う意志だけで、危機感が湧いて、ガーン…とショックを受けたのではないかと。自分が女として愛されているとは思えないだけに、ピダムにも愛想を尽かされたと感じたのではないかと妄想しています。んで、実は、頭は理解はしていなくても、無意識のうちに心の中では異常事態と気がついていて、だからこそ体調が大きく崩れちゃったのではないかと。

> 公主時代のような気安さはもうなくても、しかも色供が微妙な影を落としているとしても、トンマンにとってピダムって、ストレスを吸い取るというか分かち合うというか、ある意味気を使わないでいい相手だったんじゃ?という気がします。(だから呼び捨てなのかなーとも。)

同感ですー!トンマンにとって、ピダムはクレヨンしんちゃんのネネちゃんのぬいぐるみ的な存在と言うか(ええ!?)、公私共にトンマンの助けであり、救いでもあるような気がしています。(「私」の部分で頼りにしていると言うことの象徴が、「司量部令」ではなく、「ピダム」と呼ぶことですねー!) だから、二人とも、離れた瞬間から少しずつヒビが入って、呆気なく壊れてしまうのかな…と。

> 同床異夢の後、考え続けるトンマン、二人の間の隙間風を感じ続け耐えられなくなるピダム。こんなに違うのにこんなに同じで、背中合わせの二人だな~という感じがします・・・

イメージ映像が浮かんでくるような素敵なまとめをありがとうございます…!
やっぱり、りばさんのコメントは、妄想が発展しますね~v


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