善徳女王の感想と二次創作を中心に活動中。

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只召太后で見るトンマンの夫候補。

『馬医』のおかげで、最近ちょくちょく雑誌でヨウォンさんのインタビューに出会います。(ありがたや~)
ドラマ自体は見ていないので、そこらへんはさっぱりなのですが(コラw)、時代劇繋がりということでたまーに『善徳女王』の話題も出てきたりして、面白いですね!(*´∀`*)
例えば、ヨウォンさんはドラマ選びの際の理由に、わりと「先輩俳優さんの存在」を挙げる方で(正しくはヨウォンさんのインタビューを御覧ください)、先輩役者さんと共演することで演技を学びたい、ということも仰っているのですが、『善徳女王』の時は、そういう発言があまりなかった気がするんですよ。ヨウォンさん比で。(『49日~』の時は、逆に同年代俳優とのドラマもそろそろやるべき的なことを仰ってましたねー)
んで、今回の『馬医』に出演してよかったことの一つとして、先輩役者さん達から時代劇の演技について教えていただいたことを挙げていて、その時に「『善徳女王』では学ぶ機会がなかった」とか「時代劇的な台詞回しについてきちんと指導が入ることがなかった」的なことも仰っていたので、「あーやっぱりなー」と思いまして。以前にもどっかの記事で触れましたが、『善徳女王』でのヨウォンさんは、お勉強になりそうな先輩役者さんとの共演シーンがほとんどないんですよね。正直、『馬医』のチニョン役がトンマン役よりも大役だとはやっぱり思えないんですけれども(すみません)、ヨウォンさんが「時代劇に対する苦手意識が減った」と仰っていたのを見て、これでまた時代劇にチャレンジする気持ちが湧いたらいいな、と思いましたv



話変わって、まだまだ勉学の秋モードの管理人。
『花郎世紀』や『三国遺事』に登場するトンマンの夫ズについて読んでいるうちに、「そう言えば、真興王のママのチソ太后ってどんな人を夫にしてたんだろ?」と不思議に思ったので、まとめてみましたv







* *


□只召太后のプロフィール
初名:息道夫人(シクト)
生没年:510年代?~不詳
父:法興王(?~540年)……智證麻立干(437~514年)と延帝夫人の子。
母:保道夫人……[火召]知麻立干([田比]處王。?~500)と善兮夫人の娘。
子女:彡麦宗(真興王)、黄華公主、松花公主、叔明公主、世宗殿君、宝明公主、萬呼公主

●只召の婚姻事情。by『花郎世紀』
只召は法興王とその皇后・保道との間に生まれた嫡女として、最初は叔父・立宗に嫁いで真興王(とたぶん他の子女)を生んだ。
この頃、老齢の法興王がついに皇后との間に男子をもてなかったことが災いし、法興王の後継者を巡って、側室・玉珍の子である比台殿君と、只召の生んだ彡麦宗の王位継承争いが勃発。玉珍の父である魏花が辞退したことで結局後継者は彡麦宗と決まったが、その結果、540年に立宗と法興王が没すると、若き太后となった只召が政権を担わなければならなくなってしまう。
後事を憂えた法興王は、只召に対して、王の外甥である朴英失と婚姻し、力を合わせて新羅を護るよう遺言。が、英失はそもそも玉珍の最初の夫であり、二人の間には妙道・思道という娘も生まれていた。どうやら法興王としては、寵愛する玉珍にも権力を遺したかったらしく、只召と英失の婚姻と同時に、僅か七歳の真興王と思道の婚姻も決定している。
こうして只召と英失&玉珍の政権がスタートし、只召は英失との間に黄華&松花の二人の公主を儲けたが、やはり玉珍との対立が多かったらしく、その影響か、英失との婚姻を解消してしまう。
引き続き政治的パートナーを必要とする只召が夫に選んだのは、老齢の兵部令・苔宗(異斯夫。イサブ)だった。彼は英失とは異なり臣下としての枠を護ろうとする人物で、只召との間に生まれた叔明公主や世宗に対しても、あくまで臣下として接し、父としては振舞わなかったという。苔宗の自制心は功を奏し、長く彼は政権の中枢に位置し、只召も婚姻を解消する必要に迫られなかった。
その後、真興王が成長してくると、只召は身分の低い枕臣(お手つき召使みたいなもの)と、情人を持つようになる。そして、枕臣・仇珍との間に宝明公主を、情人たる四世風月主・二花との間に萬呼公主を儲けた。
ところがこの二花を寵愛するあまり、先に生まれた三人の娘たちの教育を任せたところ、叔明公主と二花が相思相愛の仲となってしまう。しかも悪いことに、只召は思道皇后ばかりを寵愛する真興王に対する影響力を維持しようと娘たちを全員後宮に入れ、その中で叔明だけは只一人、苔宗の功績により王に寵愛され、一子・貞粛まで生まれていた。叔明を皇后に昇らせた只召はこの機に思道を廃位させようと目論むが、真興王は最愛の思道に泣きつかれて廃位に断乎反対し、叔明もまた二花を愛し続け、二花も同様だったため、縛りの緩い後宮で二人は密通してしまう。
密通の事実を知った真興王は、只召の懇願により叔明の廃位だけは思い止まるも、叔明への寵愛は完全に絶えた。一方で二花との密通は続き、ついに叔明は懐妊。真興王の訪れが全くない状態での懐妊だったため、臣下たちからは「貞粛太子も二花の子なのでは?」と疑われてしまい、叔明は自殺未遂を起こした末に二花と逃亡する。
幸い、二花と叔明は廃位されただけで罪には問われず、二人は夫婦となることが出来たが、この一件で只召の権威は地に落ちた。只召は娘夫婦の後を追うように永興寺に入って出家入道し、余生を過ごしたという。

●只召の家系図●
・その1
家系図(新羅前期2)新羅家系図(只召)
・その2
チュンチュ家系図1

こうして見ると、只召太后の夫となった三人は、立宗(父方の叔父)・朴英失(父方のいとこ)・苔宗(父のいとこ)と、なんだかんだ言って親戚なんですよねー。「親戚=真骨」ですから、当然っちゃ当然なのですが。
また、父親が決めた初婚が父方の叔父、次がいとこ、実力で選んだのが父のいとこという風に、少しずつ血が遠くなっていくのも興味深いです。『花郎世紀』の人は大概そうなのですが、大体初婚は兄弟姉妹か叔父叔母かいとこといった、一番の近親者なんですよね。親が決めるとそうなるのかなと思います。
さてさて本題の善徳女王の場合だと、『花郎世紀』では、

善徳公主即位 以(龍春)公為夫而 公以無嗣請自退 群臣乃議三婿之制 欽飯公・乙祭公副之


となっています。
男女を逆転させると、龍春を皇后に、欽飯と乙祭を宮主(側室)に、という感じでしょうか。

1.龍春(ヨンチュン)(父のいとこ。父の養子同然)
2.欽飯
3.乙祭(ウルチェ)

このうち、乙祭は善徳女王が即した632年から636年まで上大等を務めていたので、只召の場合で言えば、苔宗と似たような立場ではないでしょうか。実務担当で、血筋はそこまで近くはない、という…。
そして龍春は、血筋の近さはともかく、母が真平王の後宮に入った関係で後宮で育ち、真平王を「パパ☆」と呼んで育った人なので、トンマンの異母兄弟扱いでいいんではないかなとv 只召さんだと立宗の立場でしょうか。
欽飯だけが正体不明さんなのですが、この人はもしかしたら、『三国遺事』の「飮葛文王」と同一人物かもしれませんねー。(韓国語版wikiだと、名前から「善徳女王の叔父じゃね?」と書いてあります。んが、『花郎世紀』には真平王の同父母弟たちについて全く言及されてないので、なんとも言えないのです…)

ただ、だとすると、葛文王の地位にある人が龍春の格下につくということになってしまって、それはないよなーとも思うのです。龍春が葛文王になったのは、養嗣子のチュンチュが即位してからとなってますし。
そういうことも考えると、「飮葛文王」はもしかしたら龍春がモデルで、欽飯という人は龍春の下でも無理はない立場の人だったのかもしれません。
じゃあなんで「龍春葛文王」にならないのかといえば、『三国遺事』で善徳女王の夫を龍春としてしまうと、「チュンチュの両親は龍春と天明公主」とされている以上、龍春が真平王の娘二人を妻としていることになってしまいます。『花郎世紀』ならどうってことはない話ですが、『三国史記』と『三国遺事』の価値観から見ると、そういう細工をしないといけないのかもしれないなあと思う今日この頃でした。



こうして見ると、ドラマのピダムの出生は、ホントに良く出来てるなあと思います。
歴史上のピダムも王族の一員だったはずですが、わざわざ真智王と美室(ミシル)の息子としたことで、『花郎世紀』の世界観から見て、「ピダム」という人物の前半生が半ばオリジナルキャラクターのそれであるにも関わらず、ものすごくナチュラルなんです。ヨンチュンの異母弟だったら、上大等にもなれるし、善徳女王の夫にもなれて、なおかつムンノが養育するのもおかしくない。(『花郎世紀』によると、ムンノとその義父コチルブは真智王廃位に一役買っていて、その罪滅ぼしに真智王の王子の面倒を見てもおかしくない人物像なんですよー)
大変妄想しがいのある設定を考え出した脚本家さんたち、本当にありがとうございます!……と、不純な理由から感謝の念が止みませんw


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  1. 2013.11.04(月) _16:15:08
  2. 新羅歴史談義?
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