善徳女王の感想と二次創作を中心に活動中。

RhododendRon別荘

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骨と王后めも。※追記

あつ様と聖骨や真骨の話をしていて、これは記事に纏めるべきかもーと思ったので、記事にしてみましたー。

んで、色々考えたんですが、なんとなく以下の感じで私は聖骨と真骨を定義しています。(また変わったら直します)


《新羅の身分の根拠》
・男→父親の身分が重視され、出世はそれに拠るが、本人は母親の姻統でカテゴライズされる。
・女→母親の血筋(姻統)でカテゴライズされ、子供も本人と同じ姻統になる。氏は父親から譲り受ける。

《聖骨の定義(真平王の時代)》
・父親が王、母親が王后。(この場合、母親が聖骨であるかどうかは重要視されない。母方が王の血を引く王族であればいい)→チョンミョン、トンマン。
・父親が太子、母親が太子妃。→真平王、スンマンの父ククパン。
・真骨だったが、王后になり、聖骨扱いになった。→マヤ、チド(ヨンスとヨンチュンの母)。
・父親が聖骨の王子、母親が真骨正統(チソ太后の女系子孫)か大元神統(玉珍の女系子孫)か朴氏※1で、両親が正式な夫婦。→スンマン。

※1……金氏王家の恩人・朴堤上の血筋。朴提上には娘しかいなかった為、外孫の登欣と白欣が朴氏を継承した。

《真骨の定義(真平王の時代)》
・廃位された真智王の妻子。→ピダム、ヨンス、ヨンチュン、チド。
・王(と太子)の子供。(ただし、母親が王后ではない)→ピダム、リャンミョン(ポリャンの母。真平王の娘)。
・片親、もしくは両親が王子か、公主。→チュンチュ、ソヒョン、ユシン、マヤ、ポリャン。
・母親が太后(王后)で、父親が王ではない為、王位継承の際に真骨に族降した。→セジョン、ポミョン(リャンミョンの母)。
・聖骨の生まれだったが、真骨に嫁いだ女性。→マンミョン、チョンミョン。
・両親が共に王族の金氏か朴氏。→ミシル、ミセン、ハジョン。
・聖骨だったが、何らかの理由により族降された。
・六頭品以下の身分だったが、何らかの理由により引き上げられた。

《王后の資格》
・母親が真骨正統、もしくは大元神統であること。※2

※2……ただし、真骨正統は元来は「仇道の娘・玉帽の女系子孫」と言う定義だったが、真興王の頃には「チソ太后の女系子孫」となっている模様。同様に、大元神統も本来は「宝美の女系子孫」のはずが、「玉珍の女系子孫」となっている。チソと玉珍はどちらも法興王の后で、二人の対立がその子孫に受け継がれている模様。ちなみに、女系の家系図を作ると↓のようになります。
玉帽─紅帽─阿爾兮─光明─阿留─阿老─鳥生─善兮
善兮┬保道─只召┬松華─善徳王
  │     └萬呼┬萬明─文姫
  │        └萬龍─宝龍─慈義
  └吾道─玉珍┬妙道─美室
        ├思道
        └興道─智道

こうしてみると、チソも玉珍も、玉帽の女系子孫なんですねー、実は。ただ、チソ(只召)までは(鳥生を除いて)ずっと先祖代々王后になっていたのが、玉珍の子孫に二代続けて王后の座を奪われた、と言う意識はあるかもしれません。


……と、考えていたりしますー。
だから真平王と宝良の息子には王位継承権はなく、真平王と僧満王后孫氏の息子(早世したので、トンマンが継承した)には王位継承権があったんかなあと。

問題はスンマンこと真徳女王で、彼女がチュンチュより、真平王の息子より王位継承権があるのだとしたら、スンマンが優先される理由は母親に求めるしかないのでは。母親が朴氏であること、それがスンマンを王位に就かせたようなそうでないような(どっちだ)


……と、ここまでは出自で「聖骨=王になる資格」について考えてきましたが、実は問題は配偶者なんじゃね?と言う話を続きから。


* *


聖骨と真骨の違いは、実は、トンマン&スンマンと、チュンチュの違いに集約されると思います。
何故かと言うと、チュンチュは真平王が死んだ時と善徳女王が死んだ時と二回もチャンスがあり、その時は30才、45才と即位に全く支障がない年齢で、尚且つ真平王が死んだ時にはもう息子までおり、王位継承に何の問題もないように見えるからです。

これだけ好条件の男がいて、しかも唐からは女王はNGと言われていて、それでもなお、女王が二代連続で即位した理由とは、何なのか。真徳女王が死ぬまで、チュンチュが王位継承者候補にもならなかった理由とは?

もしかしたらそれは、チュンチュの妻であり、嫡子ポプミン(文武王)の母ムニこと、文明夫人にあるのではないでしょうか。

聖骨と確定されているのは、智証王から真徳女王までです。この間、王の配偶者は(トンマンの飲葛文王はわかりませんが)新羅の金氏か朴氏に限定されていました。
それが、チュンチュの妻ムニは金官金氏。
母も父方の祖母も新羅の金氏の血を引いているとは言え、姓も勢力基盤もあくまで金官金氏。最初は、その金官金氏のムリョクに真興王は娘アヤンを嫁がせ吸収を図りましたが、ムリョクとアヤンの息子ソヒョンに、真平王の異父妹マンミョンが嫁いだ時は、猛反発があった。
新興勢力と、旧勢力の間の軋轢が増していた…とも、考えられます。

そんな中、今度はソヒョンとマンミョンの息子ユシンが、チュンチュに近付き、妹を差し出した。ポヒとムニ、二人を差し出し、チュンチュは彼女達を受け入れた。
それは、ユシンが「妹を焼き殺す」と言う大芝居を打たなければならないほど、非難されることだった。(ちなみにこの話を善徳女王時代の話とすると、年齢が合いません。これは、金官金氏と婚姻したチュンチュをトンマン公主が庇ったと見るべきか、あるいは、チュンチュはトンマンの夫かそれになりうる人物だったが、トンマンはチュンチュを選ばなかったか選べなかった…と言うことかなと)

他にも、金官金氏と王族(新羅の金氏、朴氏)の婚姻が難しかったことは、ユシンの弟ムスンのところでも語られています。
ユシンが風月主になった時も、新羅勢力の機嫌を損ねないようヨンモがユシンと結婚しましたし、ユシンは先代風月主から妻を譲り受けました。ソルォンさんやムンノもそうでしたが、王族の女を妻にもらうことによって、王族ではない男は真骨になれます。
それぐらい、当時の新羅では妻の血筋が重要だったとすれば、チュンチュの妻が金官金氏であることは、王としては非難ごうごうだったはず。事実、チュンチュの息子ポプミンは、王后には真興王と真平王の血だけでなく、朴氏の血も入ったまさしく新羅!な人を迎えています。

と言うわけで、チュンチュが真骨扱い……と言うか、チュンチュの即位で「王の血筋の尊さが損なわれた」と扱われているのは、チュンチュの王后が金官金氏の女であることが原因なのかな…と考えておりますー。
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  1. 2011.05.01(日) _17:43:36
  2. 新羅歴史談義?
  3.  コメント:2
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comment

おぉ!

  1. 2011/05/02(月) 22:30:52 
  2. URL 
  3. あつ 
  4. [ 編集 ] 
こんばんは!

すごくきれいにまとめていただき、ありがとうございます!これはプリントアウトして、資料として手元に置いておこうと思います!

スンマンの即位は、私も疑問がありました。正直、真興王の兄弟の娘なんて、ほぼ忘れられたも同然な位置にいて、しかも女性だったスンマンに王位が回ってくるとは…。これは、私の私見ですが、まずスンマン即位を考えたのではなく、チュンチュではだめだったという政治的判断があった様な気もします。チュンチュの即位を恐れるものが多く、恐怖心への反動で反乱の恐れもあった。その意味では、ドラマと同じだったのかなと思ってます。そこで、何色にも染まっておらず、血筋的にも問題のないスンマンが登場したのではとも考えられます。

一方で、これは韓国のファンサイトでつぶやかれていたことですが、「『トンマンとピダムの結束が固くなってきて、迫害を恐れたチュンチュ・ユシン連合がトンマン政権を打倒するためにスンマン即位を謀った。ピダムの乱はそんな中からトンマンを救い出すために起こった。』という説を唱えている学者がいるらしい。」とありました。ネットの書き込みですし、具体的なことは何も書いてないので、大方、リアルトン&ピの間にロマンスがあったと信じたいファンの意見かもしれませんが、絶対にそれはないとも言い切れないとも思っています。

タイムマシーンに乗って、「本当はどうなのよ?」とトンマンに問い合わせに行きたいところです。ww

あつ様へ

  1. 2011/05/03(火) 21:50:32 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
あつ様、こんばんは~v

わわ、ありがとうございます…!
また勉強して加筆します。ちなみに、あつ様のコメントも資料です!助かっておりますーvなので、ぜひぜひこれからもオタクなトークをしてやってください(笑)

スンマンは、そもそも父親の国飯(真安葛文王)が真興王の弟なのか、それとも真平王の弟なのかすらハッキリしてないんですよね。他に真興王の血筋(男子)がいないわけでもなく…。
ここからは私の勝手な憶測なんですが、スンマン(勝曼)とピダム(毗曇)ってどちらもお経の名前で、仏教用語がつけられているのは真平王やマヤ(摩耶)にも共通する特徴なので、実はスンマンとピダムが兄妹(姉弟)と言う線もあるかなーと。女王と同盟関係にあったピダムを倒したチュンチュが、中立派(アルチョンとか)を取り込む為に…あるいは、中立派との同盟条件がスンマンの擁立だったと言う可能性もある気がします。
なので、あつ様と同じく、スンマン即位はまず「チュンチュでは駄目」と言う条件があり、その上で「善徳女王の後継者として最も相応しい者」として選ばれたのがスンマンである以上、スンマンの血筋には周囲を屈服させるだけの力があったのではないかと。(あとスンマンの夫や子供に関して何も言及されていないところを見るに、子供が出来ない年齢で即位した可能性もありますよね)

> 「『トンマンとピダムの結束が固くなってきて、迫害を恐れたチュンチュ・ユシン連合がトンマン政権を打倒するためにスンマン即位を謀った。ピダムの乱はそんな中からトンマンを救い出すために起こった。』という説を唱えている学者がいるらしい。」とありました。

ロマンスはともかく、太后が政治的同盟者と婚姻するのは新羅なら当たり前だったようですし、それなら女王が上大等と婚姻関係にあっても不自然ではないとは思うんですよー。いずれブログに書くつもりでしたが、トンマンの息子の説話なんてのもありまして、ホントにタイムマシーンが欲しいですww


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