善徳女王の感想と二次創作を中心に活動中。

RhododendRon別荘

.

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --.--.--(--) _--:--:--
  2. スポンサー広告
  3. [ edit ]

主演女優の相手役であると言うこと。

毒吐き記事に思わぬ反響があり、驚いています…!拍手やコメントをくださった皆様、ありがとうございます。
いやー、たくさんコメントが頂けて参考になりますなります。
んで、ああ、私の「役者(製作陣)に対する評価の基準」ってこれまであまり話してなかったんだな、と気づきました。わざわざ語るような話でもありませんが、お返事をする前に、いったいどういう基準で善徳女王の役者さん達を評価しているのか、はっきりさせておきます。

まず、二十代の女優さんが長編時代劇で主演する場合、製作陣は以下の点をクリアすべきだと考えています。

・主演女優は気遣いが出来る人であること。つまり、上を立て、下を労ることが出来、撮影現場のムードを良く保つ努力をする人ですね。
・主演女優に時代劇の素養があること。
・相手役には、華はなくても、主演女優をサポートし、立てることが出来る、芝居巧者を持ってくること。
・さらに、主演女優と相手役を盛り上げ、指導する為に、年配の時代劇マスターを二人に仕える役とかに置くこと。
・若い女優の演技には限界があるので、少し離れた立ち位置に演技の上手い、味のある役者陣を配置し、彼らに濃いドラマを展開させること。

若い女優の長編時代劇がヒットする、あるいは成功するには、これが鉄則だと思っています。
で、善徳女王は大体この条件を備えていました。ただ一つを除いては。

それは、仲間ゆっきーには上川さんがいたのに、ヨウォンさんにはオムさんとナムさんしかいなかった、と言うことです。


* *


えと、ちなみに、オムさんとナムさん、どっちがより良かったかと言うと、私はオムさんの方が相手役としてはまだマシだった、クレバーだったと結論付けています。
オムさんは演技が下手で台詞もろくに喋れず、武人としての立ち居振舞いも全く出来ていませんでしたが、ユシンと言う役をきちんと捉え、脚本と真摯に向き合っていました。その結果、トンマンに人生を懸けた恋をする相手役としての役目を、まぁまぁ果たしていました。その一生懸命な姿勢は評価できます。
……まぁ、下手なりに頑張りが見えた、って言うのは、せいぜいアラサーまでで終えるべきレベルだと思いますが、仕方ない。

正直な話、最初の百済戦では、アルチョンとソッちゃんがいて、二人がきちんとトンマンの芝居を受けてくれたので、助かりました。
その後はチョンミョンがトンマンの芝居を受けてくれて、ユシンのフォローもしてくれて、先輩なんだから頑張れよユシン、とつくづく思いましたが(笑)、下手なだけで終始方向性は間違えていなかったからか、女王時代はサポートしてくれる役者さんがつかなくなりましたよね。

一方のナムさんは、脚本家に物申したりしたそうですが、ドラマを通して「身の程を知らない愚かな役者」と言う印象を受けました。クレバーじゃないなと。
まず、脚本と真摯に向き合ってないから役の方向性が脚本と分裂してましたし(「あの脚本家より自分の方がドラマを、役を理解している」なんておこがましい意識をよく持てたなぁと思います)、何より、ナムさんはミシルと同じく、製作陣にめちゃめちゃ気を使ってもらっていて、常に上手い俳優さんと芝居をさせてもらっていました。ムンノ、ヨムジョンと来て、51話からはソルォンさん@ノミンさんとミセンと言う素晴らしいアドバイザーがいて、ハジョンとサンタクがきっちりサポートしてくれたのに、アドバイザーを活用している気配がなかったのには、呆れましたね…。見た目が良いのは結構ですが、容姿はいずれ衰えます。
あと、アラサーにもなって押すだけの、大袈裟で濃いだけの(しかも方向音痴な)芝居を指して「演技力がある」と言うのか、私には甚だ疑問です。

ミシルとピダムのシーンも、これまではナムさんに好意的に解釈して、「あれじゃ息子じゃなくて、若いツバメにしか見えん」とはあまり言いませんでしたが、私には、はっきり言ってあの二人、中年女と若いツバメを演じているようにしか見えませんでした。
ミシルの清遊にピダムがついていく件は、拷問かと思いましたよ。二人とも相手の芝居を受けることが出来ず、勝手にやりたいように演じていて、しかも上手くない。「ああ、親子だわ。そっくり」と皮肉を言いたくなりました、あのシーンは。チルスクにはお疲れ様を言いたいです。


で、ナムさんの何が一番気に食わないかと言うと、

「自分が主演女優の相手役だと言うことを、全く意識していない。その重大さをわかっていない」

点です。

若いから、演技力がなかろうがそれはまぁ構いません。トンマンもアルチョンも上手くはないし。
自分が何を求められる立場にいるかわかっていないのも、まぁ若いから仕方ありません。仕方ないと、しておきます。

ただし、その場合は、最低でも、「脚本に記されている役割」を忠実に演じなければいけません。
ユシン、アルチョン、チュンチュは少なくとも自発的にそうしようとしていました。だから、オムさんは正直自分の立場を理解していなかったと思いますが(理解していたら、打ち上げにも出ただろうし、善徳女王関連のイベントにももっと参加したでしょう)、なんとか脚本家の求める最低ラインに達して、一人立ち出来ました。チュクパンがユシンから離れたのは、そう言うことだと思います。

今年の大河みたいな脚本ならともかく、善徳女王の脚本は凄く緻密に書かれています。
50話までは若い役者さんの修行期間として、トンマンとミシルで比重を分け、トンマンチームがコケてもミシルチームが挽回出来るよう、そっちに上手い役者さんを大量に投入し、頭にスター女優ミシルを配置しました。
そして、ミシルの乱を通じて若い役者さん達にギアチェンジを促し、51~52話で年配キャストと別れさせ、彼らを一気に大人にした。9年飛ばしたのは一見不親切ですが、「少しずつ老ける」と言う微調整を要求される演技をしなくて済んだぶん、若い役者さん達には楽です。

あつ様の指摘した「私は鴨みたいなもの」と言うピダムの台詞も、ミシルの乱の始まりの頃のもので、しかもその時ミシルに、「そんな男に女は魅力を感じない」的なことを言わせましたよね。
ミシルの乱を通して、ピダムとユシンはトンマンと同じく親離れをし、自然と大人になるよう脚本に書かれていました。だから、即位式の時の台詞があるんです。
かつて、自分がトンマンの側にいたいが為に「自分を捧げる」と復耶会を落としたユシンは、愛していても未練は断ち切って、女王トンマンの支えになる為に「全てを捧げます」と誓った。かつて、トンマンの気を引きたいが為にその辺をうろちょろして後先考えずに引っ掻き回し、気分によって育ての親や実の親に未練タラタラだったピダムは、トンマンだけは諦めないと決めて、野生を棄てて定職につき、「全てを奪います」と覚悟を決めた。
明らかに、ユシンとピダムはそこでギアチェンジしたんです。

さらに、50話まではミシル(チーム)と分けていた比重をトンマン一人に統一し、全ての役者さんに対してトンマンを中心に演技するよう促した。
だから、女王時代はトンマンを基準に役作りをしなければいけません。相手役なら、尚のこと、トンマンが引き立つ役作りを心掛け…るのは実力的に無理でも、脚本通りには演じなければいけません。それが、長編時代劇、しかも若い女優が主演をしている場合の鉄則です。
女優さんは時代劇の大事な要素である戦闘シーンでポイントを稼げないので、絶対にその鉄則は守らなければならないんです。


女王時代のトンマンの相手役は、ユシンではありません。製作陣の力の入れ具合から見て、相手役はピダムです。
だから、ナムさんの一番大事な任務は、「相手役としての役目を果たすこと」だと私は考えます。

ピダムは、確かに少年のままでも解釈としては面白いです。
でも、「何故、脚本家はピダムを少年のままにせず、恋に狂う大人にしたのか」を無視してはいけないと思います。ドラマの完成度に関わりますし、何より、相手役が勝手な演技をしたら、ただでさえギリギリの状態で演じている主演女優が、更なる重荷を背負わなければいけなくなるからです。

ピダムは、ナムさんは主演じゃありません。役割の小さい、好き勝手が見逃される脇役でもありません。
ピダムはトンマンの恋人役であり、ナムさんはヨウォンさんの相手役です。ユシンを押し退け、相手役に出世したんです。

出世した以上、ナムさんは相手役としての役目を果たすべきでした。
独自の役作りがしたいなら、あくまでトンマンを基準に、どうしたらトンマンがより魅力的に見えるのかを基準に役作りをし、余白で自分の魅力を見せなければならなかった。それが相手役の責任です。それが出来ないなら、脚本と違う演技をしてはいけないんです。

最終話の、ヨムジョンに真実を突きつけられるシーンにしろ、トンマンまであと何歩にしろ、根底にあるテーマは「女王との恋」「女王を愛すると言うこと」です。
策略部分は周囲の上手い役者さんがフォロー出来るよう役者を配置して、ナムさんはトンマンとの恋愛に全力投球出来るよう脚本家(製作陣)は配慮しました。
ピダムの、ナムさん独自の魅力は、立ち回りで見せればいいから、立ち回りがあるシーンは最高のビジュアルを提供する――それが、脚本がナムさんに与えた機会であり、求めていることだと私は思いました。そして監督は、気合いの入ったアクションシーンを最後までナムさんに提供した。

で、結果はどうだったか?
私は、ナムさんは脚本家の期待を裏切り、製作陣のお膳立てを無視し、自分のやりたいように好き勝手に演じて、その結果、相手役としての責任は果たせず、トンマンの女心をよりわかりにくくしたと思いました。トンマンがピダムに揺さぶられて彼を愛した、その気持ちを表現する手助けを怠ったと感じたんです。

ピダム単体の役作りがしたいなら、ナムさんは相手役になるべきではありませんでした。
両想いを求めたなら、相手役に出世させてもらえたなら、自分の都合なんかより、ドラマの完成度や、主演のヨウォンさんをより魅力的に見せることを優先し、それに全力を注ぐべきです。それが、長編時代劇で主演女優の相手役を演じると言うことです。
ナムさんはビジュアルは良くても、立ち回りは良くても、クレバーなところは欠片もありませんでした。散々出世させてもらったくせに、打ち上げにも出ませんでしたし(これはナムさんだけじゃありませんが)、インタビューを読んでも相手役としての自覚に欠けている。

と言うわけで、私はナムさんがピダムをどう演じようとしたか、その為に何を頑張ったかなんて、そんなことはどうでもいいんです。
そんなことより、彼が自分の役目を理解しなかったこと、脚本の意図を無視したこと、結果的にドラマの出来を悪くしたことが問題なんです。チームプレーをしなかったんですから。

ファンの方は、その辺が心配にはならないんでしょうか。演技が下手なことより、私はそっちの方が大問題だと思うんですが…。

関連記事
スポンサーサイト
  1. 2011.07.07(木) _06:33:36
  2. ドラマや本の感想
  3.  コメント:14
  4. [ edit ]

<<7月6日と7日に頂いたコメントへの返信 | BLOG TOP | 何故「トンマンはピダム以外の人とくっつけば良かったのに」と思うのか。>>

comment

う…う~ん…

  1. 2011/07/07(木) 15:14:39 
  2. URL 
  3. あつ 
  4. [ 編集 ] 
こんにちは!昨晩の興奮から、緋翠様の反応が気になって、遊びに来ました!幸い、今日は、上司もいないし~!←いいのか?!それで!(笑)

私は、ピダム役を通してキム・ナムギルに興味をもったので、緋翠様とは違う意見かな?現に、彼が今まで演じてきたどのキャラクターとも違う表現をしていましたし、ピダムとしての不完全さをよくあらわしていたと思います。浮きたって見えたのは、彼の容姿がどうのというより、もともとピダムは人と交わって生きていける人間じゃなかったからだと思います。

そして、私は、ピダムにしてもユシンにしても、トンマンの相手役ではないと思うのです。

このころの王は、やたらと神話的な逸話が多いですが、法興大王あたりからようやく人間的な、リアルな逸話が多くなってきます。それにもかかわらず、善徳にしても真徳にしても、女王の扱いは巫女的な、ヒョッコセ辺りの神話的な不思議話とか、神か仏の化身みたいな逸話が多いです。もっとも、真徳のそれは、彼女の身体的な特徴ぐらいで、あとは武烈王となるチュンチュとユシンの話が多く、彼女そのものの話はあまりないですが、少なくとも善徳の話は彼女の不思議な予知能力についての逸話が多いです。

これは私の推測ですが、どのような経緯で善徳が女王として即位したかどうかはともかくとして、彼女が国を治め、外国に対する脅威となるためには、彼女には不思議な力があるんだと国内外に信じさせることによって、権威を保つ必要があったと思うのです。シャーマン政治とでもいうのでしょうか、そのようなものだったと思うのです。

で、何が言いたいかというと、そんな女性が一人の男を愛することが果たしできるのか、ということです。もちろん、実際は一人の女性ですし、史実にも多くの男性と夫婦の契りを結んだようですが、彼女の寵愛を受けた男性が権威を振るったという話はない。むしろ、ヨンチュン公は辞退したくらいですし、彼女が契りを結んだ男の権力を利用したことはあったとしても、その逆は彼女が許さなかったのではないかと思うのです。

そうすると、ユシンにしてもピダムにしても、そもそも彼女の相手になる男は存在せず、それに近い男が出来たとしても、愛し愛されるという人間的な関係ではなく、味方にするか、敵にするかという次元の関係しか築けないのではないかと思います。

トンマンが王になると決意した後、のちに即位するまでに彼女も、いくら王族でも、一人の女性が多くの男の上に立つには、男女の情愛、人間としての交わりを一切捨てることが必要だと気付き、その覚悟をしたはず。だから、ユシンとは結ばれなかった。

トンマンは、王になると決意したあの瞬間から、一人の男を愛するという女性としての幸せを捨てる覚悟をした。逆にいえば、それまではそんな覚悟はしてないから、トンマンの恋愛というならば、ユシンとの云々が最初で最後だったのかなと思います。

では、ピダムやユシンについてはどうだったか?

私は、ユシンはともかく、ピダムがトンマンを愛したというのは、どうも違う気がする。ピダムの乱を盛り上げる設定として、女王の恋を用意したのだと思いますが、いくらなんでも唐突過ぎる。ピダムが自分は生まれたての鴨ぐらいの認識しかなかったのに、時は経たにせよ、特に変化の説明の無いまま、トンマンを愛したというのは、あまりにも乱暴すぎる。そして、すべてを奪うという割には、善徳即位後、何とまぁ忠実に司量部令としての果たしているのか、本当にすべてを奪う気ならば、もっと綿密に根回しして行動していたはず。にもかかわらず、その間、特に何もしていなかったのには疑問が残ります。復耶会の捜査をしていたかもしれませんが、もし、本当に奪う気なら、他にすることがあったのでは?そして、もし、本当に女王との恋というのならば、トンマンを、親鴨程度の認識から一人の女性として愛するように変化していった経緯を書き出してほしかった。

正直言って、私は、ナムギルの相手役の自覚や作家の意図を汲んだか否かという前に、作家の意図、そのものを聞きたいと思います。だから、この役は、ナムギルでなくても、たとえスンホ君や軍足さんがやったとしても、同じ結果だったと思います。むしろ、彼らがやれば、いい結果が出たというのは甚だ疑問です。特に、軍足さんについていえば、ファン・ジニの相手役は、完全なる役不足、あれこそ大物女優とその弟で、のちに朝鮮一の妓生となるジニの初恋の相手であり、次の恋をするまでの長い間、彼女の心にとどまっていた人という設定をやるには、いろんな意味で幼すぎました。ピダムの役は瞬間瞬間にいろんな表情を作ることのできるナムギルだったからこそ、魅力的に見え、人気を博したのだと思います。それは、彼の容姿が美しいからではなく(私は彼のファンですが、彼の容姿が人より優れているとは思ってません。チャン・ドンゴンやウォンビンといった人の方が優れていると思います。カメラの前でこそセクシーな魅力を発揮しますが、役を離れるとほんと、フツーです(笑))、彼の役者としての能力だとの評価をしています。

女王の恋を言うならば、もっと彼らの関係が恋愛に育っていく経過を豊かに書いていくべきです。もっと言えば、トンマンが王となる決意をし、絶対的な孤独に立たされることをも受け入れたにもかかわらず、死を前にしてその虚しさに耐えきれず、選んだ相手がなぜピダムなのか、それがわかりません。かわいそうだったから?それだけなのでしょうか?トンマンも、死の直前にユシンに「私を愛しているという人もいた」位にしか言ってませんし、「彼を愛した」とは言わなかった。本当に、それは愛だったのか?

すべてを奪うことと、トンマンだけはあきらめないことはどうやっても両立しないし、もし両立するならば、一体どういう方法があったのでしょうか?「すべてを奪う」は、最後に彼は乱をおこすということを前提に付け足したセリフに過ぎなかったのではないでしょうか?いくら求めてやまない母親の言葉で影響されたとしても、その後の行動との辻褄が合いません。

そういう意味で、ピダムの描き方は、余りにも曖昧だった思います。途中でどんどん脚本が作り替えられたため、彼が役を引き受けた時と実際にドラマが進行した時とでは、余りにも違ったものとなり、結果としてピダムのキャラクターがどんどん曖昧に変化したものになってしまったのではないかと思います。多分、それはユシンにしてもトンマンにしてもそうだったのではないかな。

だから、私は、ナムギルさんが主演女優や製作陣、作家を無視して、一人勝手な演技をしていたとはちょっと思いません。オム・テウンさんにしてもそうかな。もし、そうだとしたら、彼らの撮影外の雰囲気はないかなと思います。

PS.ちなみに、オム・テウンさん、キム・ナムギルさんの弁明をさせていただくならば、彼らは同時期に映画やドラマを撮っていまして、とんでもないスケジュールだったようです。実際、ナムギルさんは善徳の撮影に入る前に撮った「美人図」辺りから、本当に忙しくて、殆ど休みがなかったようです。この頃の彼の写真や映像を見ると、尋常じゃないくらい痩せてます。入隊を控えていたためか、どんどん仕事を事務所が受けていたようです。確か、善徳のすぐあとに「暴風前夜」を撮ったのじゃなかったかな?役柄の事情もありますが、忙しくて痩せてきたのを利用して、そのまま体重を落としたと言っていたと思います。そして、そのあとは、入隊直前まで撮っていたドラマの撮影が始まっています。打ち上げに出られなかった理由は詳しくは分かりませんが、そういった理由だったのではないかと思います。ご存じかわかりませんが、韓国のドラマ撮影事情は本当に過酷です。つい3日前に撮ったものをすぐに放映するので、まさに自転車操業ですし、スケジュールも脚本もすぐに変わります。それも全然違う方向に。だから、全員集合することなど、まずないかと。さすがに年末は予定を空けたと思いますが、そのあとすぐに撮影があったため、何の余韻に浸る暇もなく、撮影に入ったという話を聞いたことがあります。

そして、彼の弁護をするわけではないですが、ナムギルさんは韓国の善徳イベントにも極力参加していましたよ~。やっぱりピダム人気がすごかったから、彼が来ると客の反応が違うので、MBC側も呼んでたみたいです。また、彼にしても自分をここまで人気者に押し上げてくれたこの作品をとても大事に思っているようで、スケジュールが合えば参加していたようです。本当に合間に来たでしょ的な服でも参加してましたよ。(笑)

そして、日本にもNPO法人日韓交流文化院のイベントに院の熱望により参加され、善徳の宣伝してました。彼は、本当に入隊間際だったので、本来出国もできなかったのですが、院の要望が相当アツかったのか、韓国政府が特例として許可したそうです。

もちろん、彼が本当はどう思っていたかは彼に聞いたわけではありませんし、詳しい筋のパイプがあるわけではないので、真偽のほどは分かりません。

でも、ちょっと、私の好きな人が同じく好ましく思っている方に誤解されるのは少し悲しいなと思いまして、余計なお世話を焼きました~。

何だかいろいろ書きましたが、ご気分を悪くされたらごめんなさい。ただ、こういう意見もありますよとお伝えしたかったことと、単なる「善徳女王」のファンの意見交換だと思っていただけるとありがたいかな。

あつ様へ

  1. 2011/07/08(金) 21:20:14 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
前のお返事が長過ぎなので、簡潔に書けるよう頑張ります!(笑)
私もあつ様の反応が気になって…。ハッ、まさか恋(以下略)

考えてみれば、私は好きな役者さんが出ていても、ドラマ自体に興味が湧かなければチェックしませんねー。善徳女王も、他のドラマをチェックしたのはユシン、チュンチュ、アルチョンで、それもたまたまテレビでやってたから早送りして彼らの出番を探し、五分くらい見ただけでw

イベントも、韓国のは公式ブログにあった打ち上げとOST発売記念、日本のは浅野さんが来てた善徳女王DVD記念しかチェックしてませんし、撮影中の囲み取材系は確かにたくさんありましたが、わざわざ出向くものでもなし、イベントとは見なしていません。あとは知りません。公式ブログに何かありました?
日韓なんちゃらも、別に善徳女王メインのイベントではありませんから、個人イベントと見なしてます。自分のドラマの宣伝するのは当たり前ですし…。
情報収集をしてないので、よく知らずに物を言ってます。すみません(汗)

韓国の撮影スケジュールの厳しさは聞いています。ヨウォンさんも映画撮影をしていたとかで、入院もしましたし、「もっと緩いペースで撮れよ。死んじゃうぞ!」と何回か書いてきました。
でも、だから演技に支障が出ていいとは思いませんし、スケジュールの厳しさを理由に演技の質に対する評価を変えるつもりはありません。ナムさんだけじゃなく、誰の演技についても善徳女王でしか判断するつもりはありませんし、善徳女王以外のドラマと比べて演技が変わったとかはナムさんファン(役者さん個人のファン)の楽しみ方で、善徳女王ファンには関係ないんです。
打ち上げに関しても、他の長編時代劇では主要キャストは皆大概参加しています。親兄弟が死んだとかじゃないなら、出るべきではありませんか? ちなみにお母様が入院したけどお見舞いに行けてなかったから、と私は聞きましたが、「で?」と正直思いました。新年のお休みで海外旅行に家族で行ってる以上、病状が重いとは思えませんし。
まぁ、ユシンもミシルもいませんでしたが。(チョンミョンは出番が短かったし、仕方ないかなとは思います)

あと、あの、浮きたって見えたって、私書きました…?


話変わって、トンマンの相手役についてですが。
はっきり言って、ドラマのどこを見ても、このドラマにはシャーマニズム溢れる神秘の女王を書く気はありませんし、脚本家さんも一度もトンマンに「お告げ能力がある」なんて設定は与えてませんよね?
歴史書にしても、善徳女王は「花郎世紀を参考にした」となっていて、トンマンが次女だと言う設定からして「三国史記」とは決別しています。「花郎世紀」とも、トンマンの婿の一人だったウルチェの扱いを見ればわかるように、意図的に変えています。最初から、歴史書に従うつもりはないのは明らかです。

製作陣は、トンマンの苦労や知恵、愛情や別れを通して、一人の人間としてのトンマンを描いています。トンマンが三日三晩「雨よ降れ」と命懸けで祈っても、雨は降りませんでした。根性が認められただけです。そう言う世界だと、子役時代から描かれています。
歴史ネタを論じるのは好きです。でも、「歴史的にはこうだったから」と言う理由で、ドラマの世界を「おかしい」と批判し、構成や企画に賛同出来なかったなら、えっと、「初めから見なけりゃいいじゃん」と思うんですが…。

私は歴史上の善徳女王について論じているわけでも、ドラマの企画の正当性について論じているわけでもなく、「善徳女王と言う名のドラマ(物語)」について話しています。
その中で、トンマンと言う人物は捨てられ、養母に育てられ、郎徒になり…と、歴史書の内容とは無関係の人生を送り、「民を幻想で支配するのは間違いだ」と主張しました。ユシンと駆け落ちしかけ、チョンミョンの命を奪ったものへの復讐を誓い、ミシルに学び、チュンチュを溺愛し、一人で生きると誓い戦ってきた人生の終わりになって心身が弱り、ピダムにほだされ揺さぶられた。そう言う「物語」を製作陣は作ったし、その「物語」ではユシンもチョンミョンもピダムも相手役です。

トンマンは、王になると決意したあの瞬間から、一人の男を愛するという女性としての幸せを捨てる覚悟をしたのは、確かです。でも、あの時点からドラマの中では十何年の時が流れ、状況が変わりました。しかも、トンマンは死期が迫ったからピダムと結婚したのであって、その後、すぐに譲位を計画し始めましたよね。最初の決意を忘れたわけじゃありません。

ピダムのトンマンへの気持ちについては前のお返事で書いたので、一言だけ。
空白の年月にピダムが司量部令として尽くし、女王の夫たるに相応しいだけの地位を得たのは、トンマンを拐ったり無理矢理モノにすることは、不可能ではありませんが、それで愛されることはないからです。ピダムはトンマンに愛して欲しいから、トンマンの望みに従い、一方で綿密に根回しして貴族を味方につけ、トンマンですら無視できない権力者となってユシンを追い落としました。トンマンが王だから。
他にすることって、何をすればいいんでしょう?一国の王と、皆に認められるような唯一無二の関係になるのにすべきことって。


美男の軍足さんと善徳女王のスンホくんは、私が知ってる数少ない若手俳優さんの中では良かったように感じました。脚本に忠実に演じ、行間を埋める努力が見えた、と言う意味で。

ピダムの役がナムさんに宛て書きされたナムさんの為の役だと言うのは事実だと思います。ノベライズと全然違いますから。だから、ナムさんによってピダムが魅力的なキャラになったのは事実ですが、それは、ナムさんが魅力的に見えるよう宛て書きしてくれた脚本家さんに感謝すべきことでは…?
あと、ああまで演技派に囲ませないとダメだと判断するくらい、女王時代のナムさんの演技に対して製作陣が不安を覚えていたのも事実で、ピダムの乱の「敵は本能寺にあり」でヨムジョンのサポートが入ったのも事実です。ヨムジョンの「ピダム公、万歳」は、ナムさんが迫力十分なら不要な台詞ですから。

あと、ナムさんがドラマの中でイケメン扱いだったのは髪型から判断しました。(チャン・ドンゴンやウォンビンが誰だかわからない…(汗))

それから、私が問題視しているのは、ナムさんが長編時代劇デビューの若手俳優としての謙虚さを持ち、脚本に忠実に、気合いを入れて演じたかと言うことと、もし脚本があれこれ書き足りてないとして、脚本家じゃない以上、役者として脚本の行間を埋めるような演技をしたか、と言うことです。例え脚本が悪かろうが、役者が熱演すれば視聴者はなんとなく納得しますから。逆も然りですが。

トンマンがピダムに惹かれた理由は、57話の告白で語られてましたし、それが愛かどうかわからないとも61話で言ってました。可哀想だからなんて、あの時のトンマンは言ってません。
政略か愛かもわからないぐらい、王として生きてきて、もうトンマンと言う人格はないのかもしれない。でも、人生の終わりにピダムと二人で暮らしたかった、と語り、最終回でピダムが死んだ途端に三日間目覚めず、目覚めてすぐに死んだ。それがトンマンのピダムへの気持ちでした。それが愛だったかは、視聴者が判断することですが。

ナムさんが役を引き受けた時と実際にドラマが進行した時とでは、余りにも違ったものとなったのは、そうだと思います。
でもそれは皆そうだった(って言うか、それが長編時代劇の常だと聞きました)ので、それならそれで脚本に従うべきです。脚本でトン&ピの愛憎を書いていたんですから、ピダムはトンマンに対して一番濃密な演技をしなければならないんです。脚本に文句があっても、それに真実味を持たせるのが役者の仕事だからです。だから、ヨウォンさんも「もっと政治的な内容になると思ってた」と言っても、ピダム関連の演技もちゃんと濃密に演じているように見えました。SSを書いていると、特にそう感じます。

あと、オムさんは相手役としての最低限の役目(主役との恋愛シーンにおける熱さと、その他気合い)は果たしたからナムさんよりマシだと思っています。ただ、年齢の割に下手すぎるだけで(お前…)
ナムさんがチームプレーをしなかったと言うのも、役者としての話であって、人間性について追及しているわけではありませんよー。誤解を招く言い方をしてすみませんでした(汗)


えっと、纏めると、
「ナムさんのピダム演技は、トンマンに狂わんばかりの恋をしてるように見えなかった。トン&ピファンとしては許しがたい!もっとトンマンにベタ惚れで、十年間焦らされて焦らされて欲求不満になってる男の演技をしろよ!その方が萌えるだろーが!くっつく予定じゃなかったのが視聴者の意見でそう変わったんだから、お客様サービスだと思って、押し倒す勢いでウザいぐらいにトンマンラブをアピールせんか!ええいまだるっこしい!キーッ!」
ってことですwww

管理人のみ閲覧できます

  1. 2011/07/08(金) 21:48:05 
  2.  
  3.  
  4. [ 編集 ] 
このコメントは管理人のみ閲覧できます

ご注意ください

  1. 2011/07/09(土) 12:29:27 
  2. URL 
  3. midorin 
  4. [ 編集 ] 
midorinです。
いろいろ迷いましたが、老婆心ながら一言(というには長くてすみません)。

今回の「毒吐きうんぬん」ですが、
基本的には、個人のブログで自分の好きなことを言うのは自由と思います。
その意見が気に入らなければ、読まなければいいわけで、
発信者に物言う自由があるように、受信者には受信選択の自由があります。
強制配信されているわけではありませんから。

ただし、不特定多数を相手にした情報発信の場合は、注意が必要と考えています。
それは「中傷」を避けることです。
ネットという場は、一度「中傷の場」と化したら、収拾がつきません。
今回も、このブログ上では静かな反応に見えますが、
或いは、別の場に飛び火している可能性も否定できません。
不特定多数、匿名性がもたらす、ネット社会のこわさは現実にあります。

おそらく、緋翠さんは、中傷などしたおつもりはないと思いますが、
表現の中に何度か「クレバーでない」が出てきていまして、私としてこれが気になります。
役者さん個人の人間としての資質に対して言及されているように見えるからです。
少なくとも、オム・テウンさんとキム・ナムギルさんが、「打ち上げを欠席した理由」は、
個人の資質(俳優としての資質ではありません)が原因だと言っているように取れます。
でも、この欠席理由は、どなたかもコメントしていましたが、ファンにはわかりませんよね。
「打ち上げ出席」は、普通に考えれば、「キャストとしての契約の一部ではない」でしょうし、
売り出し中の役者さんのスケジュールが、本人にどこまで自由になるのかもわかりませんし、
役者さんの「顔」は「契約とお金」の対象なので、出席していても、画面に映らなかった可能性もあります。
ちなみに、キム・ナムギルさんが「打ち上げ欠席」に対して、
「出たかったけれど、母の見舞いに行かねばならなかったので」というようなコメントをしている映像を私は見ました。
これだって、真実かどうか私に判断できるものではありませんが、嘘ともわかりません。

何故、こんなことを細かく書いているかというと、
この部分は、ドラマ或いは役者さんに対する意見・批評を逸脱して、
おそらくは根拠のない悪口即ち「中傷」に足を踏み入れていると思われるからです。
そして、一箇所そういう所があれば、文章全体の印象が変わってきます。
中傷部分があるかないかで、発信者のスタンスが異なって見えてきます。

人を殴れば、自分が殴られる可能性も高くなります。
常識外のことをする人は、しない人よりずっと少ないでしょうが、
こちらのアクセス数を見れば、「1万人にひとりしかしないことをする人が出てくる可能性」があります。
これがネット社会のこわさです。ですから、マイナス意見を中心に述べる場合は、注意しましょう。
最新の記事「ナムさんと大和さん」はもう見ない、という人が最後に読んだのは、
「主演女優~」かもしれません。

以上、長々と書きました。
これも私見にすぎませんが、こういう意見もあることを知っていただければ、と。

ただし、私個人のこの一連の記事に対する感想は、
「疲れていたんだろうな、ブログ更新のプレッシャーも大変だろうな」です。
やはり、内容というより、表現が苛烈に見えたもので。
(見当違いだったらすみません。)



六花様へ

  1. 2011/07/09(土) 13:41:40 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
六花様、初めまして!管理人の緋翠と申します。
あの、もし間違っていたらすみません。もしや、「言葉の記憶」の管理人六花様でいらっしゃいますか?もしそうでしたら、申し訳ないことにまだ全ての記事を読んではいないので、まだコメントを残したことがないのですが、ドキドキ拝読しております。ブログを始めてくださり、ありがとうございます!

こ、濃い演技論と言うほど大層なものでは…!えっと、年齢的なことを言えば、私はヨウォンさん達より年下ですし、浅識です。
ただ、これだけドラマについて触れて、内容について考察を重ねてきて、色んな方の意見を拝見し、それでもなお変わらない意見だったので、ぶちまけてしまいました。大人気ないことだと思いますし、出来るだけドラマ以外の情報から批判しないよう、公平さは意識しましたが、主観的な話ですし、配慮が足りなかった部分はありました。困ったことに、変えるつもりもないんですけども(笑)
一応、今回も記事を書く前に、もう一度善徳女王の俳優さん達の演技についてまず正直な意見を家族にぶっちゃけw、賛同が得られたのでここに書きました。(うちの家族は毒舌なので、娘相手でも違うと思ったら論を戦わせますw)

ナムさんの演技については、昨年の3月にkntvで最終回を見て以来、私も色んなブログで感想を拝見してきました。その時に、「ああ、ナムさんのファンって多いんだなあ」と実感しましたし、同時に「ヨウォンさんの演技に対する私の評価は、少数派の意見なんだな」とも痛感して、そのことは常に意識してきました。
それでも私の基準でピダムのキャラクターを作ってSSを書いてみると、意外と好評でw、ナムさんファンの方は度量が広いなーと有り難く思っています。

ユシンの愛は、私も暑苦しいぐらい、正直画面を直視出来ないぐらいw、伝わってきました。でもオムさんは評判が悪かったと言っていたし、まぁ下手だとは私も思いましたが、あんだけ熱演してるんだからもっと優しい目で見ればいいのにと思ったこともあり、SSの中ではユシンを二枚目に、カッコよく書き続けています。
ピダムに関しては、そもそもトン&ピの設定が私好みなので欲目があって、脚本を念頭においてSSを書き、お二人の演技を軽んじているきらいはあったんです。あ、いや、ヨウォンさんの演技は結構意識しましたが、正直、ナムさんの演技はあまり意識せずに書いていました(すみません…)

「男として魅力のあるピダム」は意識し続けてSSを書いてきたので、六花様に認めて頂けて、SSのピダムに感情移入して頂けて光栄です!ありがとうございますーv

> ……あの、初めましてでこんなに勝手に語ってしまって、大変失礼致しました。

とんでもない!!正直、あんな記事を書いたら来てくださってる方の大半に見放されるか、バッシングを受けるかと、わりと覚悟を決めて書いたので(笑)、理性的なご意見をたくさん頂けて、本当に幸せ者だととても感謝しています!
拍手コメント連投でも、隠しコメントでもそうでなくても、六花様のご気分に合わせてコメントを頂ければ、望外の喜びです…!丁寧なお言葉をありがとうございますーv

midorin様へ

  1. 2011/07/09(土) 16:54:10 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
midorin様、こんにちは!ご忠告、ありがとうございます!

midorin様のご懸念、ご尤もだと思います。今回の一件を理由にどんなことが起きても仕方ないと、覚悟はしました。
でも、このブログにコメントを下さる方は、皆様大人です。そして、私に気を遣ったコメントをしてくださり、善徳女王と言うドラマのどこかを本当に愛している方々です。もっと言えば、トン&ピのどこかを、あるいは全てを愛している方々です。その方々に甘えて毒を吐き、もし全く関係ないところから今回の記事の内容を「中傷」と捉えられたとしても、それも覚悟の上で書きました。私の文章力が足りないのは、私の責任ですから。

SSを楽しんでくださっている方には申し訳なく思っています。でも、SSを書いた土台の一つは今回の記事にあり、それに加えて、私はプロの作家ではありません。ここは趣味のブログで、芸能人の公式ブログとは違います。私の考え、嗜好を示すことに対しどこまでも遠慮する必要があるのなら、読者様に料金を請求する有料ブログに移行し、プロ意識を持って、SSだけを提供します。それが私のケジメです。
また、役者さんが演じた役に対し、SSの中でも語りの中でも一定の敬意は表してきたつもりです。それを理解して頂けないとは、思いたくありませんでした。

そして、midorin様がどう思われているのかよくわからないのですが、「ドラマの打ち上げ」と「個人の資質」と言うものに対して、見解が違うようにお見受けします。
「個人の資質」と言うものは、例えば誰と付き合っているとか、何が趣味だとか、どんな食べ物が好きだとか、得意な科目が何だったかとか、ドラマとは全く関係のない、役者さんの私生活に関することです。私はナムさんの私生活について批判していません。それは彼の知人なり家族なりがすることだからです。
私達の知っている「ドラマの打ち上げ」は、役者さんの私生活の中にあるものでしょうか?マスコミを招待し、大人数のスタッフや俳優を集め、公式に大々的に行うあのイベントは、「キム・ナムギル」なり「オム・テウン」なり「コ・ヒョンジョン」と言う一人の人間が参加するものではなく、「キム・ナムギル」なり「オム・テウン」なり「コ・ヒョンジョン」と言う「役者」が参加するものだと考えるのが普通ではありませんか?ドラマを通して話題になったミシル、ピダム、ユシンを演じた「役者」が参加するものではありませんか?
私が「俳優(役者)の資質」を語る際に打ち上げやOST発表イベント、DVD発売イベントの参加の有無や、MBC演技大賞について言及したのは、あれらは「善徳女王」と言うドラマを掲げたプロジェクトに必ず組み込まれているものであり、ドラマに参加する以上、全ての役者とスタッフはプロジェクトの成功の為に協力する義務があるからです。そして、打ち上げ写真も映像も、私は見ましたし、ミシル、ユシン、ピダムが参加しなかったことは事実です。推測ではありません。

参加出来なかったことについて、事務所が組んだスケジュールが問題だとすれば、そんな事務所に所属している俳優にも責任があるでしょう。子役じゃないんですから。
ちなみに、ナムギルさんの不参加理由が「母のお見舞い」であると言うことは、インタビュー記事で私も読みました。それから間もなく、家族で海外に旅行に行ったことも。12月23日には何をおいてもお見舞いに行かなければならない病状で、それから間もなく海外旅行に行ける、そんなこともあるものなんでしょうか。
ちなみに、ソルォンのノミンさんは撮影中にお兄様がお亡くなりになっても、撮影に支障をきたすからと、それをドラマに関わる人には打ち明けませんでした。そして、打ち上げの日も、済州島で撮影をしていたにも関わらず、とんぼ返りで打ち上げに参加しました。OSTイベントにも出てましたし、演技大賞も何も受賞していませんでしたが、出ていました。役者としてのノミンさんのこの態度を、私は立派だと思います。

私は根拠のない悪口は一つも書かなかったつもりです。
全てインタビュー記事、実際の映像、写真、憶測ではない複数のニュースを根拠にして、イベントに関しては判断しました。演技大賞に関しては、生に近い状態で映像を見ましたし、打ち上げについても、参加、不参加は徹底的に確認しました。
これまで彼らの役者としての態度をおおっぴらに批判せずに来たのは、時が経てば様々な意見も聞けて、見方も変わるだろうと思ったからです。見方は、多少変わりました。変わった結果があの記事です。

読者の方が最後に読んだのがどの記事であれ、構いません。いずれの記事に関しても、書いたことに後悔はないんです。
あるとしたら、それは善徳女王でなく、チャミョンゴに対する評価です。ドラマを全部見たわけでもないのに、ガイドブック(あるのかないのかわかりませんが)を読んだわけでもないのに、失礼だと若干恥じています。

表現が苛烈になったことは、申し訳なく感じています。もっと穏やかな表現にしようと努力しましたが、私がしたかったのは「批判」です。「批判」の文章として理性を失い過ぎていたとは思いませんし、コメントを下さる方に遠慮もして欲しくありませんでした。

midorin様、率直なご忠告をありがとうございました!
midorin様が、「緋翠、誹謗中傷をする奴だったんだな」とお思いにならなかったことを祈ります…!

読みました!

  1. 2011/07/11(月) 16:26:39 
  2. URL 
  3. あつ 
  4. [ 編集 ] 
こんにちは!休日より、平日の方がなぜか時間のあるあつです!(←注!一応、仕事人…大丈夫なのか?…)

えっと!ものすごくアツい反論(?←なるほどと思ったところもあるので~)、ありがとうございました!とても、参考になりました。やっぱり、どうしてもナムギルファンと公言すると、面と向かってナムギルについて批評してくれる方も少ないので、そういう一面もあるなぁと納得することもありました。ありがとうございます。

…もっとも、彼をプロデュースする立場ではないので(笑)、彼に伝えて直そうということはできませんから、批評された一面を今後彼がどうしていくか、ファンとして楽しみにしていきたいと思います。

で、話を「善徳女王」の脚本という点に勝手ながら絞らせていただきます。

まず、誤解のないよう、一つ私の中で明確な点を申しあげておきますが、私も「善徳女王」という作品の熱烈なファンでございます。善徳女王視聴中は、寝る間も惜しんで見入ったものです。それは何も、ナムギルがかっこよくてとかそれだけの理由ではなく、この話の魅力に引き込まれたからです。

にもかかわらず、この作品の批判をするのは何事ぞ!といわれてしまいそうですが、この作品を愛するからこそ、言わせていただきたいと思うのです。

物語の前半をミシルとの闘いと評するなら(厳密にはもっと細かく分離すべきですが…)、この部分については、やや長かった気もしますが、良くできていたと思うのです。役者さんも凄かった。法興大王が崩御してミシルの時代になったころから、トンマンが王になる決意をするまで、ミシルの迫力は他を圧していました。それは、何もコ・ヒョンジョンさんが上手かったからだけではなく、ヨウォンさん含め、すべての役者さんがミシルがそう見えるように抑えた表現をしていたからだと思います。…脚本に絞るとか言って、いきなり演技批評になってますが、多分、脚本もそうだったからあえて、続けます。しかし、トンマンが王になる決意をして自己の身分を回復するために動き始めたあたりから、その空気のバランスも変わり始めます。光が闇を圧していくように、少しずつ少しずつ、トンマンがミシルを圧していきます。このあたりの二人を中心とした戦いは脚本・演技、とても素晴らしかったと思います。たまに、「ヨウォンの演技不足だ。コ・ヒョンジョンはさすがだ。」とか、「コ・ヒョンジョンはでしゃばりすぎだ。」とか、表現は違えど、そういったご意見を見たり、聞いたりすることがありますが、私は違う意見です。そもそも、トンマンが最初からミシルより目立つ演技をしていたら、ミシルを倒すまでもなく、最初からトンマンがミシルに勝っているようなものだし、反対にミシルが最初から主役のトンマンを際立たせるような演技をしていても同じだと思うのです。つまり、トンマンがミシルを倒すまで、ミシルはトンマンを圧する存在でなくてはならないと思うのです。

そして、この空気は勝手に役者たちが生み出したものではなく、脚本からも発していたものだと思うのです。そう考える理由の一つに、トンマンが王位を得るまでの時間の長さがあります。

しかし、敢えて言うならば、ミシルの熟慮の時間が長すぎです。熟慮していることを表現するのには、わざわざその時間を取らずとも、誰かのセリフに一言、添えるだけでいいと思うのです。

とはいえ、ミシルとトンマンの攻防をたっぷり時間を使って描いたこの脚本はとてもよくできているように思います。

さて、私が問題にしたい後半です。違うという意見もあるかもしれませんが、私はミシルの死後のトンマンの敵は、ピダムだと考えています。さて、kのピダムとトンマンの件に関しては、再三申しあげているように残念に思います。

まず、どうして残念か。これまで言っていたように、二人の間に恋、あるいは愛があるというエピソードが余りにもないこと。

この件に関して緋翠様のご意見を拝聴しましたが、ここでそれに対する再反論を何点かしたいと思います。

まず、私はピダムのキャラについて書いてほしいというわけではありません。おっしゃる通り、ピダムのキャラクターについては、女王即位までの間に十分描かれていましたし、10年の歳月が流れているという設定が加味されれば、彼の中の陰の部分が沙良に育っていることも大体想像付きます。しかし、一方で、ミシルに「私は鴨だ」とか、ミシルの死の直後、トンマンに抱きしめられた時点で抱いていた感情は、トンマンへの恋愛感情というより、近親者に対する恋慕の情の方がより近かったはずなのに、いつの間にトンマンへの感情が恋愛感情に変わったのでしょうか?

確かに、不安だからこそ、異常にトンマンに執着したのかもしれません。しかし、それならば、一生誰の伴侶ともならないトンマンの一番身近の家臣でいること、たとえばアルチョンの位置にいることを望めばいいはずだと思うのです。しかし、そうではなく、トンマンを手に入れることに固執したのはなぜか、やはり恋心、あるいはトンマンを手に入れて自分が王になろうという野心があったと考えるのが道理ですが、この二つのどちらなのか、私にはこのストーリーからは読み取れないのです。

まず、恋心。これがあったのか、私はやはり疑問です。それも狂ったように彼女を求める心。そこまでの情熱をもつにいたるエピソードがない。まず、公主時代に誰の伴侶ともならないというトンマンにピダムは何の疑問も抱いておらず、むしろそんなトンマンの時代が来ることをわくわくしている雰囲気でした。にもかかわらず、歳月を経たというだけで彼女を女として求めるという経緯がわからない。近親者、あるいは似た者同士への情と恋愛感情は同じ愛という言葉で表現できたとしても、決して同じものではないはずです。ただ、一方で、それが恋愛に変わることも多いです。でも、それが変わるエピソードは重要だと思うのです。

しかし、それを長々と一つの話にしてくれと言っているわけではないのです。例えば、善徳女王と龍春公の縁談話があり、善徳もこれを了承した(もっとも、龍春から断ったが…)時、ピダムが女としてのトンマンを意識し、誰かに取られる可能性に気付いた、というような話を誰か(ピダムでもよし)のセリフに入れるだけでも、また違うと思うのです。

そして、トンマンについても同じです。ついでに、ここで緋翠様の反論から、私の意見に誤解があるようなので申しあげておきますが、私は歴史と違うからおかしいと言っているのではないのです。敢えて史実を上げたのは、時代背景から言って、王になろうと決意した時点で、女性であるというデメリットを既に負っているトンマン自身に、「女」としての幸せを捨てる強い強い覚悟があったはずだと言いたかったのです。いくら性に対して大らかな時代だったからといって、それまで一度も女性の王はいなかったし、今以上に女性が王になって大の男を従えるなんて、常識外だったはずです。まして隋・唐を相手にするとなれば、「女」としての幸せどころか「人間」としての幸せを諦めるぐらいの強い覚悟が必要だったはずだと思うのです。実際、トンマンの決意はそれほど強いものだったと思うのです。

しかし、死を前にして、トンマンも「人間」として死にたいと思った。そのために、そばにピダムにいてほしかった。それは、わかりますが、そんな強い強い決意をしていたトンマンが選んだ相手が、なぜピダムだったのか?ユシンは結婚したから?なら、アルチョンとピダムという選択でもよかったはず。(ま、変ですが…)

ここでも、例えば、トンマンは色々な縁談話が持ち込まれ、実際に婚姻もしたが、ピダムとの縁談だけは何があっても断った、それは、ピダムだけが自分を人間として、女として見ていることを知っていたから、というようなエピソードを入れたり、やはり誰かのセリフに託してもよかったはずです。こんなエピソードを入れておけば、死を前にしてトンマンがピダムを選んだ理由ももっと切実なものとなった気がします。

そして、もし、こんな話が入っていて、(女王の真意をピダムが気づいていないという前提で)ピダムがどうやっても自分を受け入れないならば、反乱をおこして自分が王になるしかないという強い決意が起きたとしてもおかしくないと思うのです。

私は、ピダムがミシル譲りの政治力と残忍さを備えた政治家だというならば、なぜ、貴族たちの不平不満を抑えられなかったのか、ヨムジョンごときにあんなにも簡単にだまされたのか、それもまた疑問なんです。あの反乱がほとんどなし崩し的に起きたとも取れる書き方ですが、むしろ、あの反乱はピダムが能動的に起こしたものだとすべきだったと思うのです。そうでなければ、ピダムの今までの設定は何だったのか。「実は(ずる)かしこい」とか、「剣の達人」とか、いらなかったと思うのです。血筋の良さと人の良さがウリの人物でもよかったはず。こんな設定にしたのは、後半で善徳の脅威となりうる人物だと言いたかったからではないでしょうか?そして、そんな人物だったとしたら、貴族に押されてとかヨムジョンにだまされてとかではなくて、自分から反乱を決意すると思うのです。

ピダムが馬鹿な男になったのが悲しいというのは、私も上記の理由で同感です。

まとめますと、話数のバランスにしてもそうですが、前半のトンマン VS ミシルについて、当初、トンマン含め、すべての人を圧していたミシルを徐々に徐々にトンマンが圧していく様子が(時として過度なくらいに)丹念に描かれていたのに対し、後半のトンマン VS ピダムは、愛憎が絡んでいるだけにもっと深いものになった方がよかったと思うのです。そうすれば、死の間際のトンマンの絶望もより深かったものになっただろうし、最後のトンマンのメッセージもより視聴者に強く伝わったと思うのです。

しかし、それは、話数を増やせと言っているのではなく、誰かのセリフに一言二言増やすだけでも違うと思うのです。即位後、二人の間に何があったのか、愛が芽生えるほどの何かがあったのか、それがどうして反乱につながったのか?ここを観客の想像に任せるのではなく、書いておいてほしかった。

そして、ピダムについてあれだけ説明しておきながら、ピダムが自分から反乱を決意したと書かなかったこと。ミシルが反乱を決意するまで、あんなに時間をかけたのに、それに匹敵するどころかもっと善徳にとって大きい存在だった(と信じたい)ピダムの反乱が、ほぼなし崩しって…。貴族も抑えられない、ヨムジョンには簡単にだまされる、ピダムって実は相当馬鹿なんじゃないかといわれても仕方ない気がします。(実際、視聴中に、一緒に見ていた母に言われました…。(笑))

それと、前回、誤解がある書き方をしたので、少し修正しておきますが、私は二人の間に愛がなかった方が良かったと言っているのではなく、あの展開ならば、二人の間に男女の愛があったというのは信じ難いという意味です。おいおい、いつの間に惻隠の情が恋愛感情に変わったのかい?という感じです。

むしろ、二人の間に愛があったと考えた方が、トンマンの絶望も、より深かっただろうし、いいとは思うのです。ただ、何度も書いてますが、二人の間にあった愛が、男女の愛だったと訴えるには、惻隠の情と男女の愛の間を一つ飛ばしたんではないかと思うのです。

ナムギルさんの演技力については、ファンとそうでない方との間に深い溝がありますので(笑)、避けたいと思います。しかし、緋翠様の最大の疑問(笑)について、お答えするならば、確かにピダム役は魅力的でした。私は、ナムギルが演じてさらに魅力的になったと固く信じてますが(笑)、この論議は敢えて避けて(笑)、それ以前にこの役は魅力的だったと思います。

人は不安定なものにとても魅力を感じることがあります。ピダムについてはまさにそれだと思うのです。特にピダムの場合、ミシルに対する表情やミシル死後、トンマンに抱きしめられた時のピダムの表情等は女性の母性本能を刺激するシチュエーションでしたから、そんな場面を用意した脚本がピダム(ナムギル)人気に拍車をかけたのだろうと思います。そして、殺陣もユシンの重々しさ一点張りの殺陣よりも軽やかで、まるで牛若丸(古っ!)を彷彿とさせるような身軽さも魅力的でした。加えて、粗野に見えるが、実はとても頭が良く、切れ者チュンチュが怖れを感じるほどだという設定も、ピダムを魅力的にしたのだと思うのです。

ですが、だからこそ!そんなピダムが、貴族の不平不満を抑えられず、そしてヨムジョンごときにあんなにあっさりだまされたという形で反乱したのか?むしろ、能動的に彼が自分自身で反乱すると決意した方が彼らしい。大体、なんでこんなに自分(善徳)を信じない男を善徳ともあろうものが愛したのか、さっぱり信じられん!

ピダムをピダムらしく、善徳を善徳らしく書かなかったのではないかと思うのです。

(一度まとめてますが…)まとめますと、①トンマンとピダムの間に愛があったなら、その愛が男女の愛になったきっかけを誰かのセリフに一言入れるだけでもいいから書いてほしい。②ピダムの反乱は、反乱すること自体、ピダムが自分自身で決意したことであり、ヨムジョンにだまされてとか貴族の不平不満を抑えられなかったからという形にしないでほしい。という点で不満なのです。

ミシルとの闘いをあれだけ綿密に書ける作家さんが、なぜにピダムとの闘いをあんなふうに終わらせたのか、非常にもったいない。私はそんな風に思います。

あつ様へ

  1. 2011/07/12(火) 00:35:41 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
あつ様、こんばんはー!
お返事頂けて嬉しいですv 土日の間、ずっとドキドキしていたもので(笑) なるほど、平日の方が余裕があるんですねー。いやでも、私も休日にがっつり予定があったりすると、出掛けている時間自体は短くても更新する気が失せたりします。あら?

えっと、なんかもうつっけんどんな文章ですみませんでした(汗) 一度ナムさんファンと議論したいと言う思いが過剰なまでの暑苦しさを生み出していたようです。今回は、もうちょっと普通のテンションになるよう気をつけます…!
ナムさんについては、私もプロデュースさせて頂ける立場でも、それどころか熱心なファンですらないので、ただ「大好きなドラマに出演していた役者さん」として、何より「申し訳ないことに二次創作の元ネタにさせて頂いた役者さん」として、やっぱり他の役者さんよりちょっと気になるんだろうなと思います。ファンではないんですが、トン&ピを書く以上、ヨウォンさんとナムさんについては結構研究したので。

脚本について、愛のある丁寧な批評をありがとうございます!一つ「ん?変じゃないか?」と思ったのは、「真興大帝」とすべきところを「法興大王」となさっているところぐらいですw

ミシルとトンマンのバランスについては、仰る通りだと思います。「最悪の役者」と言ったのでちょっと誤解を受けたかもしれませんが、私は「上手くない」とは言いましたが、ヒョンジョンさんがミシルと言う役を表現していなかったとか、そう言うことは一言も言わなかったつもりです。トンマンとミシルのパワーバランスは、あれで良かったと思っています。スターであり強烈な輝きを持つミシルを、じわじわとトンマンがその光を大きくしていくことで、いつしか飲み込んでいく、その匙加減は立身出世物語としてこれ以上ない出来だと思いましたし、その影でウルチェのようなキャラクターをきちんと描いていることに私は惚れました。
ヒョンジョンさんへの不満は、ヒョンジョンさんが助演としての分別を持っていたかと言う点と、過剰な賞賛を受けていると言う点にあり(←これは妬みと言いますねw)、特に分別と言う点において、「最悪の役者」と評しただけです。主演女優にしなくてもいい気苦労をたくさんさせましたから。

トンマンとミシルの攻防戦は、彼女達の対決だけでなく、トンマンなりユシンなりピダムなりアルチョンなり、トンマンチームの若手が大人になる為の成長物語でもありました。ですから、私は即位前に50話を費やしたことは間違いではないと思っていますし、実際に二次創作をしていて、キャラクターを作る根本は即位前にあります。
ミシルの熟慮の時間は私には長過ぎましたし拷問でしたがw、ミシルのシーンさえ飛ばせば、セジョン親子とソルォン親子の鬩ぎ合い、トンマンとチュンチュの知恵と経験対決など、面白いところもかなりありました。どうせなら、そっちをもっと見たかったなと思ってしまうのがファンの性ですねw

女王時代の脚本については、どうもあつ様と私では求めることがかなり違うようですねー…。
ええと、ピダムについては演技で「死に物狂いでトンマンに恋しろ」と言ってる私ですが、だからと言って、脚本でトン&ピの恋愛色を前面に押し出したり、あるいは始めからトン&ピを敵対関係にしてピダムを悪役にする必要は全くないと思うんです。何故かと言うと、そんな単純な構造は、即位前までの脚本の良さを否定することになるからです。

トン&ピの恋、もしくは愛を描くのに、あつ様はエピソードが足りないと仰いますが、そもそも善徳女王は恋愛劇ではありません。長編時代劇ならではの、「人の一生。人が生きると言うこと」を、勧善懲悪ではない価値観で描いています。
ですから、脚本で重要なのは、王道でわかりやすい恋愛劇を展開することでも、勧善懲悪の時代劇を展開することでもなく、「一人の人間の、「公私」のバランスの取り方」や、「人生に対する満足感、達成感を得る為に懸命に生きている人達」を描き、様々な人生を見せた上で、彼らが本当は何を思っていたのか、彼らが正しいのか、彼らが死ぬ時に自らの人生に何らかの満足なり幸せを感じることが出来たのか、その判断は視聴者に任せる――そう言う脚本だと私は感じました。それは即位前から描かれていたことで、ドラマ全体を通してのテーマだと思います。

最新の記事でも書きましたが、ピダムのトンマンへの感情が「鴨→恋」になったと言うのは、すみません、これはこちらの言葉足らずです。
まず、鴨の頃のピダムは、「鴨だ」と言いながらも、ミシルの死の前後、トンマンから逃げました。好意は抱いていますが、それよりももっと大きな感情があり、それは母親への思慕だけではありませんが、とにかく蒸発しかけました。それをトンマンが押し止め、初めて彼女から抱いてくれた時、ピダムはやっとトンマンを特別視するようになったと思います。そんな人は、これまでピダムの人生にはいなかったからです。さらにトンマンは、新しい職場まで提供して、ピダムに自分の傍にいるよう諭しました。トンマンの意図はどうあれ、ピダムからすれば、実の母にすら受け入れてもらえなかった自分なのにも関わらず、特別扱いをされ、彼の為に泣いてもらえて、抱きしめてもらえて、権力のある定職を与えられるなんて、処理能力を超えるくらいの衝撃だったはずです。トンマンへの愛情が爆発的に膨らんだとしておかしくありませんし、その愛情の対象が異性であった場合、いい年をした青年は彼女をどうしたいと思うか、それは考えるまでもないことではないでしょうか。
そして、玉座への興味や「王になれるって面白そうじゃね?」的な軽い気持ちからではなく、一人の女性としてのトンマンへの愛情を持った上で「トンマンと結婚出来る地位になり、彼女と結婚する」と決めたなら、思い込みの強いピダムですから、年月が経つ間に呪文のようにその言葉に締めつけられ、長年焦らされたこともあってw、狂おしいばかりの恋心に発展したとしても、不思議はないのでは。

また、51話のピダムを25話のアルチョンと一緒にすることは、してはならないことだと思います。アルチョンはあくまで忠義を果たせずに自決しようとしていたのであって、彼に必要なのは新たな忠義の道でした。ですから、それを示してくれたトンマンを生涯の主として認め、全てを捧げたんです。
一方のピダムは、実の母親を、とうとう分かり合えないまま喪い、自分の存在を認めてもらえなかったことに絶望して、蒸発しかけました。ピダムは自分が生まれたことに対して、生きていることに対して、意義を見出せずに苦しんでいました。彼の中で壊れていたのは忠義、つまりは「公」としてのピダムではなく、彼の魂、「私」としてのピダムです。だからそこを救ってくれたトンマンに対し、私的な愛情を抱くのは当然です。ただの興味や関心、「こっちを見てくれない」程度のささやかな思いだったピダムの「恋」は、あの瞬間に生きる理由になりました。
と言うわけで、ピダムがトンマンに恋をするエピソードは作中ではっきり示されています。トンマンが彼の魂を命ごと救ってくれたから、その上でピダムを絶対に離そうとしなかったから、ピダムは必然的にトンマンに惹かれた。その気持ちは九年間、最高権力と言うものが持つ歪みによってねじくれながらも膨らみ続けて、あのような形になった。……これは、不自然なことなのでしょうか?

また、縁談話ですが、縁談話があるのはいいとして、トンマンがそれを了承することこそ、即位前のトンマンの決意を否定することになります。ピダムの場合と違って、貴族勢力を味方につけているわけでもないヨンチュンとの婚姻は、トンマンには何の利益にもなりません。

トンマンの即位に際しての覚悟ですが、その前に、どうも、あつ様の時代背景の捉え方に若干違和感を覚えたので、失礼します。
まず、『三国史記』は儒教国家だった朝鮮時代に書かれた本であり、自分達のルーツを儒教に即したものとする為に、実際の事実にかなりの改変を加えた可能性は高いと思われます。
新羅は儒教国家ではないことは古墳の埋葬品などからも明らかで、女性がかなりの権力を持ち、王権をも左右する力があった可能性が高いことが、古墳の発掘調査からわかっています。とある古墳に埋葬されている王夫妻の副葬品では、妻の方が豪華だと言う発掘結果があります。日本もそうですが、所謂飛鳥時代の辺りは、王家の血を女性で繋ぐことが当たり前のようにあった時代です。新羅の女性が固有の領土を持ち、財産を持っていたとしても、何らおかしいことはありません。
ただ、王と言うのはあくまで表に出て戦をすることの出来る存在であり、子供を産む女性は権力はあっても王ではなかったことは事実だと思います。ですから、トンマンが即位する際は、特に古代も男尊女卑の激しかった唐からはかなり風当たりが強かったと思います。
しかし、真興大帝の母を見てもわかる通り(セジョンは真興大帝の異父弟で、父親は重臣のイサブです。マヤ夫人の母も真興大帝の異父妹で、父親はミシルの祖父です)、少なくとも「花郎世紀」をベースにする以上、身分の高い王の嫡女が男を従えることはなんらおかしいことではありません。(ちなみに、ドラマではスルーされましたがw、推古天皇の方が先に即位しています)

即位の際のトンマンの覚悟が強固であったのは、間違いないと思います。と言うか、男であれ女であれ、即位には強固な意志なり、覚悟がいるでしょう。特に、戦国乱世なら。

ピダムとの結婚をトンマンが選んだことについては、まず、ピダムとの結婚に必要不可欠な政略的な価値があったと言うことを念頭に置くべきだと思います。そして、理由はそれで十分です。
「ピダムが自分を女だと見ていることを知っていたから~」と言うエピソードは、要りません。ピダムとの縁談だけでなく、女王の結婚と言う最大の駒を使うだけの政略的価値を見出せない結婚を、トンマンがするわけがないからです。
また、ユシンやアルチョンと結婚したところで、「大多数の貴族の私兵」、ひいては「王権強化」に勝るものを彼らから得られるでしょうか?ピダムとの結婚(と言うか彼を受け入れること、ですね)は、百済の侵略によって、直ちに命令系統を統一し、王権強化を推し進める必要が出来たからこそなされたものであって、そう言った「公」の理由がまずありましたし、「公」の理由がなければ、トンマンはピダムを受け入れなかったと思います。
でも、「公」の部分に加えてトンマンの「私」の部分もピダムを求めたことが、事態を複雑化させたし、そこがこのドラマの面白いところだと私は考えています。(ちなみに、ピダムもまた、自分の政略的価値を高めることでトンマンが自分を女王としても必要とするように仕向け、そうやってトンマンを手に入れようと画策したので、政略結婚自体には何の問題もありません。)

王の愛や結婚をなんでもかんでも私的な理由で判断することは、善徳女王においてはやってはいけないことです。
トンマンはあくまで女王であり、自分を将棋の駒だと言い切る人物です。だから、ミセン達はトンマンがピダムと結婚すると聞いても、トンマンがピダムを愛したとは思いませんでした。むしろ、結婚と引き換えにピダムがむざむざ私兵を奪われたことを悔しがり、自らの身を以ってピダムを篭絡し、再び手足へと戻したトンマンの政治的手腕に感嘆しました。
そうやって「公」の理由で説明出来る政略結婚が、果たして政略のみで行われたものだったのか、それともその影にはトンマンのピダムへの愛なり、彼の心に揺れる彼女の心があったのか、それともなかったのか、それを判定するのが「ピダムの乱」です。

「ピダムの乱」の前哨戦で、ピダムはヨムジョン達にいいようにされていて、それを不満だ、ピダムがバカになったと言うのは、つまり、ミシルの乱でも、「ミシルが貴族を掌握出来なかったのは、ミシルがバカになったからだ」と言う風に捉えたと言うことでしょうか。
私が「ピダムとミシルは良く似ている」と言うのは、彼らは明らかに自分より能力が劣っていたり、常日頃から自分に傅く者達を、強者ゆえの驕りで甘く見るところです。ライオンがハエを気にしないように、二人は、日頃は彼らに楯突かない貴族達や、刃で脅せるヨムジョンなど、何ほどの者でもないと甘く見ました。けれども、貴族達やヨムジョンとて、相当数の人数を支配し、権力を得た人達です。上に媚を売るのは彼らの処世術であって、それを「力がない」と見るのは間違いだと思います。ミシルもピダムも、彼らが甘く見ていた一人一人の者達に結集されて反旗を翻されれば、いくら個人の能力では勝っていると言っても、追い詰められてしまう。

あと、「ヨムジョンごとき」と言うお言葉自体に私は強く反論したいですw どこをどう見たら、三韓地勢をプロデュースし、いち早くチュンチュの知略を見抜いたヨムジョンを、「ヨムジョンごとき」なんて言えるのでしょう。ピダムの何倍も先見の明がある男です。
ピダムはトンマンの理念に従って行動し、彼自身の才覚で急速に権勢を増し、ヨムジョンの手腕で膨らむ権力を纏め上げた。だから、ヨムジョンが反旗を翻した時、ピダムは自分の権力を掌握出来なくなったんです。それはユシンが復耶会のことをウォルヤに任せたのと同じで、権力者も何から何まで自分一人では見ることが出来ないがゆえの、常に付き纏う短所で、それをどう収拾するかも女王時代の見所の一つでした。

反乱がなし崩し的に起こったとも確かに取れますが、脚本だけ見れば、どちらとも取れるようになっています。ピダムが追い詰められてそこに逃げ込んだようにも、元々は考えないでもなかった最後の選択肢を選び取ったようにも見えるので、それがなし崩しに見えるのは、ナムさんの演技か、彼の個性の問題ではないでしょうか。
ちなみに、私はピダムと言うキャラクターの存在意義からして、あの時点でピダムが反乱を起こしたのは自らの意志だったと考えています。「トンマンの心を反映する」と言う役割を担う彼が、トンマンと結婚したことでさらに強く繋がり、「譲位」の意志を感じ取った。でもそれをピダムは意識しているわけではなく、最後の別れの瞬間に、「トンマンにもう王位は要らない」とだけ確信した。だから、自分の意志で反乱軍を率い、また、決して降伏しなかった。それが彼の意志であり、トンマンが心の奥底で求めていたことだから、と読みましたが、少数派どころか私一人かもしれませんw

トン&ピの愛について想像に任せるのではなく、台詞で確信が持てるように脚本を書き足す、と言う選択肢は確かにあると思います。でもそうしたら、せっかくの「女王の結婚」と言う主題が、ただの愛情の話になってしまい、トンマンの政略的手腕は今以上に軽視されてしまいます。脚本家さんはあくまで大小様々な政治家や武人について書いてきましたし、それなのに、女王時代になっていきなりその主題を変えるのはおかしいでしょう。
なので、私はトン&ピの愛情表現は、トンマン→ピダムは、公私共に彼が如何に重要であるかを匂わせる程度でよく(あの倒れ方、死に方を見ても尚、「トンマンはピダムを愛してなかった。そんな描写はなかった」と仰る方が私にはよくわかりません…)、ピダム→トンマンは、上の方で書いた気がしますのでカットしますw

また、ピダムの決意が五分から十分ぐらいのシーンで終わったことについてですが(これ、短いんでしょうか…)、ピダムの乱の始まりにあたって大切なのは、「切迫している状況だ」と言うことではないでしょうか。ミシルみたいに火の気のないところにいきなりキャンプファイヤーを始めるわけではなく、貴族達はキャンプファイヤーの用意をえっちらおっちら進めて、「はい、火を付けてください!」と松明をピダムに突きつけた。ピダムの乱はそう言う状況です。
第一、時間があれば、トンマンはピダムを説得出来ました。でも、じゃあ、何故時間がなくなってしまったのか? それは、ピダムがどこまでも彼を信じてくれるトンマンに負担をかけまいとするあまり、自分で全て解決しようとしたからです。
それを身の程知らずのバカと言うか、真摯にトンマンの信頼への対価を払おうとしたと取るか、そこは視聴者の見方次第ですが、トン&ピが指輪を分け合うシーンで、ピダムは「処罰を」と言っていました。彼は少なくとも、トンマンの信頼に対し誠意を以って答えようとしたし、自分の選択の重要性もわかっていました。それでもバカな男でしょうか。あ、いえ、確かにバカと言えばバカですが、何もわかっていないわけではないです。少なくとも、男として、恋人の誠意に応えようとしたことは評価すべきことです。
そして、だからトンマンは一層彼を始末することなど考えられず、狼狽したまま押し出しました。ピダムは慣れない愛情表現に直面すると、必ず悪い方向に受け取ります。しかも、トンマンが重病人と知っています。トンマンの周囲の人間は、特にチュンチュは自分に対して殺意を抱いたことも知っています。それら全てをひっくるめて、ピダムがバカだからと言う言葉に全てを押し込めるのは、ピダムに対しても、彼の周囲の人間に対しても、過小評価だと私は感じますー。


ナムさんの演技に関しては、即位前まではチルスクのシーンを除いて特に文句はないです。そもそも物語の本筋と言うより、トンマンに絡むところ以外は支流のキャラでしたし、それなら問題はなかったんです。
演技力についても、オムさんのように勉強が足りないとかではなく、脚本に対する柔軟性が……ってまあそれは置いときましてw、ピダムと言う役は、ナムさんと脚本家さんと監督と、皆の力で魅力的になったと思いますし、女王時代に不満があるだけで、それまではナムさんで満足です!
母性本能のあのシーンは、確かに見ていて「あーこれはそうだなー」と思ったんですが、やっぱりどっか私の好みではなかったんだな、とSSを書いて思いましたw
殺陣は、確かにユシンに比べれば面白いし軽やかなんですが、個人的には、善徳女王の殺陣はムンノとアルチョンがダントツに良かったです。頭がいい設定は、即位前までは頭が良いと言うより肉食獣的勘の強い男で、得体の知れないところが好きです!女王時代は、もうちょっと賢く見える表情にならんかなーと……げふんげふん!(笑)

●まとめ●
①トンマンとピダムの間に愛があったなら、その愛が男女の愛になったきっかけを誰かのセリフに一言入れるだけでもいいから書いてほしい。
緋翠の答え:これが入ったら、政治的なやり取りが軽視されるので、却下しますw

②ピダムの反乱は、反乱すること自体、ピダムが自分自身で決意したことであり、ヨムジョンにだまされてとか貴族の不平不満を抑えられなかったからという形にしないでほしい。という点で不満なのです。
緋翠の答え:ここがわからないんですが、「ヨムジョンに騙されて」はまだしも、「貴族の不平不満を抑えられなかったからピダムが反乱に走った」は、ドラマをちゃんと見てれば有り得ない誤解だと思うのですが…。ピダムは利害が一致しない以上、彼らを殺さない限りは貴族を抑えられなかったから、まずトンマンに「処罰を」と自首した。それが受け入れられなかった時、ユシンと同じようにトンマンに自分の不始末の後始末をさせることに納得出来ず、貴族達を殺そうとしたものの、彼らもしたたかなもので、とっくに逃げていた。で、ヨムジョンだけは囮としてピダムを誘い出し、チュンチュと同じように、自分の舌先でピダムを調略しようとした。しかもヨムジョンは「ピダムは血を浴びると野生の性が目覚めて理性を失う為、心が剥き出しになって思考能力が落ち、脆くなる」ことを経験上知っていたから、わざと部下を殺させ、その後女王の護衛兵にピダムを襲わせた。それでもムンノの時のようにすぐさまことを判断しないくらい、ピダムのトンマンへの気持ちは強かった。んが、考えてみると様々な不安要因があり、夜の森で気分は暗くなるし(こう言うのって大事だと思うんですよ)、何より、トンマンは内心すでに譲位を決意していることを、ピダムは心で感じていた。……って、同じようなこと上で書きましたねw

ええと、とにかく、反乱を起こせば敵、結婚をすればそこには必ず愛の軌跡がなければいけないと言うのは、善徳女王にはそぐわぬことだと思います。そう言うドラマ多いですけど、そうやって簡単に割り切れないところがこの脚本の魅力ではないのでしょうか。ソクプムがただの嫌な奴でないように。

たしかに 

  1. 2011/07/12(火) 12:09:58 
  2. URL 
  3. あつ 
  4. [ 編集 ] 
こんにちは!そろそろお仕事を…なのに、この語りが面白くて~。…はっ!恋?(笑)

緋翠様のご意見と私の意見は物語の前半においてはほぼ一致しているように感じます。ただ、コ・ヒョンジョンさんについては少し弁明をしてあげたいなと思います。別に、コ・ヒョンジョンさんのファンというわけではないのですが、敢えて言わせていただくと、彼女への賞賛は別に彼女が助演の本分をわきまえなかったからというわけではないのではないかと思います。それを言うなら、彼女に大賞を授与したMBSを責めるべきではないかと…。もっとも、翌年も彼女が確か、他局だったと思いますが大賞を受賞し、その演説スピーチで大顰蹙を買ったのも事実なので、緋翠様の意見が見当違いだと真っ向から否定することもできないのですが、少なくとも善徳においては、彼女があの役を演じるということだけで、国民の大きな関心を呼び、それが視聴率上昇につながったのも事実です。これがコ・ヒョンジョンほどの影響力を持つ女優ではない人物がやったとしたら、このドラマの放映当初、そこまで大きな国民の関心を得られなかったのではないでしょうか。事実、当のヨウォンさんが小さい頃に憧れたスターの一人であるというようなことを言っていましたし、彼女と同年代の役者さんも同じような感覚だったのだと思います。外国人である我々には、彼女がどうしてそこまですごいのか理解しがたい一面もあるかと思いますが、それこそ、彼女を昔から見てきたわけではないので、彼女に対する称賛については、目をつぶってやるべきかと…。

次に、「真興大王」、間違えました~。ポップンオウとチヌンタイテイじゃやえらい違いですね~。なんで間違えたんだ?今の今まで気づきませんでした~。…すいません…。(笑)

そして、問題の後半について。

仰る通り、おそらく緋翠様と私の意見の違いは、物語のテーマに対する理解が違うからだと思うのです。もちろん、私の方が合っているとかそういうつもりは毛頭ありません。むしろ、私は、緋翠様の意見、私の意見、どちらも正解だと思うのです。そして、もし、仮に作家様が我々のどちらかの理解と同じ、あるいは双方とも違ったとしても、私は緋翠様の理解も、私の違いも間違いなく正しいものだと思います。そして、もしかして、これを見ている他の方が全く違う意見を持っていたとしても、そのどれも正しいのだと思うのです。

それを前提に、以下お読みいただければ幸いです。

私は、このドラマのテーマは、トンマンという数奇な運命を持つ一人の女性の生涯を背景に、そこに生きた多くの人間の生き様を通じて『人間が生きていくことの哀しさ、つらさ、しかしそれをも乗り越えてでも生きていかなければならない人間の弱さ、強さ、美しさ』だと思うのです。ま、ちょっとわかりにくい表現ですが、それは私の文章力の無さに起因するものですが、要するに、ラストシーンで、トンマンが新羅に入った直後の少女トンマンに心の中で語りかける、「トンマン、あなたはこれから多くのつらい目、哀しい目にあうでしょう。それでも、トンマン、生きていくのよ。」というシーンが、私は主題を表したシーンだと思うのです。(…多少、セリフは違うかもしれません。それはちょっと多めに見てください。(笑))

そして、私はトンマンとミシルの違いは、色々ありますが、私にとって最も大きなところは、トンマンはミシルより、実は情にもろく、人間として弱い部分を持っているところだと思うのです。もちろん、ミシルが情に疎いというわけではありません。むしろ、ミシルの方が人間の情に敏感かもしれません。しかし、トンマンはミシルと違って人の生死にものすごく敏感です。ソファが死んだ(実は死んでませんでしたが…)ことを契機に、もう誰も死んでほしくはなかった。一方でミシルは、新羅という帝国を築き上げるために人が犠牲になることも多少は否めないと感じている節があるように感じます。そこがミシルとトンマンの違いだと思うのです。トンマンが、そういう人物だったからこそ、アルチョンのような部下を得られたし、ユシンから愛され、報われなくてもそばにいたいと思われたと思うのです。

しかし、そんな非常に人間的なトンマンが王になる決意をした時点で、自分の人間的な部分を捨てる覚悟を捨て、実際に捨てた。

婚姻云々は、例えばこういう話を入れれば、二人の間に単なる女王とその側近というだけの間柄だけではなく、何かがあったと予感させることが出来るのではと思っただけなので、他にもっと良いエピソードがあればそれでもいいとは思うのです。ただ、敢えてこの話を続けさせていただくと、私も女王時代のトンマンは自分の婚姻は、政略上、最も有効に使うべきだと思っていたと思うのです。まして、トンマンは女性です。しかも、真骨であるということ以外、彼女を守ってくれる後ろ盾はありません。男の影に隠れるというのではなく、仰る通り、戦に出なければならない立場が王だとしたら、トンマンはだれか有力な男性を夫という形で引きいれることも十分に戦略的価値があると思うのです。女王の婚姻は、単なる恋愛ではなく、むしろ、もっと乾いたもので、王になる覚悟をする前のトンマンでは決してできない婚姻だと思うのです。少なくとも、私の認識はそうであるので、トンマンが縁談話を了承することが、なぜにトンマンの覚悟を否定することになるのか、わかりません。むしろ、トンマンが人間的な部分を自ら捨てたからこそ、婚姻すらも政略に組み込むことを了承できたのではないでしょうか。

ついでに、龍春との縁談話についてですが、…まぁウルチェとの縁談を例えてもよかったのですが、役者さん同士の歳が余りにも違いすぎて、個人的にどうも躊躇が…というだけであります。そして、別に他の男性との縁談話でもよかったと思うのです。

ただ、婚姻相手は、トンマンの体に異常がない間、ピダムだけは何があっても許さなかった、という設定にした方が、トンマンの女王という一面だけではなく、実は情け深いという部分を強調するためにいいかなと思うのです。

もっとも、その人間としてのトンマンが守ってきたルールも、百済戦の辺りでピダムを自分のそばに置いておくために、また、王権の維持のために、最終的には破らざるを得なかった。そして、また一方で、ピダムとの婚姻により、ピダム勢力が勢いづく可能性も否定できない状況でもあったのに、それでもなおかつピダムをそばに置きたいと思ったトンマンの心情に、彼を重要なコマとして考えていたからという理由ももちろんありますが、それだけではなく、自分の余命が余り長くないと感じていたトンマンが、最後はピダムと共に人でいたいと思った、トンマンの人間としての弱さからくる理由も否定できないと私は思います。

この部分をもっとわかりやすくするために、縁談云々の話とピダムとの婚姻だけは承諾してこなかったという話を加えてはどうかと思うのです。もちろん、誰かのセリフに加えるだけでもいいので。

私は、トンマンという女性を、単に政治戦略にたけた女傑とするだけでなく、彼女の人間的な脆さも忘れないでいて欲しいと思います。彼女は、自分自身ですらコマであるとする一方で、それに対する一筋の哀しみも感じていた。その人間に対し、哀れに感じていた部分があったからこそ、彼女はミシルと違うし、それに惹かれる者も多かったし、視聴者(少なくとも私)にも魅力的に見えたと思います。そして、彼女にそういう一面があったからこそ、ソファやチルスクといった人たちの人生も焦点が当てられたと思うのです。

話はずれますが、2点ほど反論を。

まず、気になったのはヨンチュンとの縁談ですが、私は、彼との婚姻は政治戦略的に意味は十分あると思います。トンマンは、真骨であるということ以外、今のところ確たる後ろ盾がいない。いくら貴族勢力を味方にするつもりがないといっても、民の力だけではどうにもならないと思います。そこで、注目したいのは、ピダムが押さえている貴族勢力以外の貴族たちです。あるいは、地方豪族といってもいいかもしれません。ピダムが押さえている貴族勢力に対抗する新たな貴族・豪族勢力を新たに作るという意味で、ヨンチュンにその勢力を作らせ、自分の後ろ盾とするという戦略は、価値がないでしょうか?

次に、歴史認識についてですが、仰る通り、この時代、女性も権力を握ってもおかしくはありません。その前提があるからこそ、ミシルの時代もあったのでしょう。ですが、そうはいっても、ミシルすら、王になろうとはしなかった。

余談ですが、前半のミシルを見ながら、なんでミシルは王にならないのだろう?なんで、目指すのが王妃?ととても疑問でした。しかし、トンマンが王になると言い出した時、ミシルの反応を見て初めて気付きました。そもそも、この時代の人間に、いくら女性に力があっても「女性が王になる」という認識がなかったからではないでしょうか。その理由は…

…すいません。仕事が依頼されました…。大変中途半端ですが、この文章を消すともう一度書くのは無理!ですので、いったんここでシメさせていただきます…



つづき~

  1. 2011/07/12(火) 17:21:43 
  2. URL 
  3. あつ 
  4. [ 編集 ] 
(勝手に)仕事の一服がてら、続きを~(笑)

「女性が王になる」という認識がなかった理由、それは、とても単純ですが、「今まで誰もいなかったから」ではないでしょうか。王は男、それが常識だった。確かに、日本において推古天皇が即位しています。しかし、そもそも、これは女性に力があったからという理由だけではないと思います。もちろん、その部分も否定できませんが、それでもなおかつ、男性が妥協せざるを得ない理由があったからです。推古天皇の即位も色々な見方があります。物部氏と蘇我氏との権力闘争外にいた人間が即位することによって両氏が妥協点を見出したとか、聖徳太子の戦略だとか、いやいや、推古自身の力だとか…。ただ、少なくとも多くの男を妥協させたのは、『中継ぎ』としての即位であるという名目だったと思います。この議論は、非常に興味深いですが、論旨がずれるのでここまでとして、話を善徳に戻すと、もし、トンマンの即位が何の違和感もないものだとするならば、なぜそれまでに、トンマン以上に新羅社会に影響力があった女性たち、ミシルあるいは只召夫人といった女性が即位しなかったのか。真骨の男がいたから、確かにそういう理由が主だと思いますが、そもそも「女が王になる」ということを誰も考えなかったからではないでしょうか。だからこそ、ピダムはわくわくし、ユシンは懸念し、アルチョンは彼女に忠義を立てる意味があると感じたのではないでしょうか。(もちろん、アルチョンの決意には、もっとたくさん理由があるとも思っていますが。)

そんな中、女の身ながら王になる決意をしたトンマンの決意は、今までなかったことをやろう、常識を破ろうとする分、反動の大きさも十分考えられるので、男の身で王になる決意をするそれよりも、もっと強い覚悟が必要かと思うのです。身分の高い王の嫡女が男を従えることと、女の身ながら王になって男を臣下とすることとは、似て非なるものだと私は思います。

それと、「王の愛や結婚をなんでもかんでも私的な理由で判断することは、善徳女王においてはやってはいけないことです。」と緋翠様は仰いますが、これは少なくとも、私の意見に対する批判には当てはまらないと私は認識してます。もし、私の文章からそれを感じ取ったのならば、私の意見を誤解されていると思います。…ひとえに私の文章力の無さからくるものかと…、その点は謹んで受け入れます…。(笑)

私も、トンマンは、自分の婚姻ですら、政治戦略に使おうとする王となったと思っています。しかし、私が言いたいのは、それは本来のトンマンという女性とは違う一面だということも忘れずにいて欲しいのです。

(もしかしたら、緋翠様はお嫌いになるかもしれませんが(笑))、私はトンマンが公主時代にユシンがミシルの孫と婚姻すると決断したことに対し、ピダムの前で少女のように泣き、「好きだと伝えればよかった…。」あれが、トンマンの本来の一面であると思うのです。あるいは、こう表現すればいいでしょうか、期待胸を膨らませて砂漠から新羅に来た一人の少女、その時のトンマンは少なくとも政治戦略云々とはかけ離れた世界にいる、人が笑うことがとても好きな女の子、それがトンマンの生来の一面だと思います。この一面が、女王になったからといって消えたとは思いたくないのです。なぜなら、それが、ミシルと違う点であり、何よりも、彼女が他の誰より魅力的な人物であると感じる一面だからです。

ですが、そんな一面すら、女王となったトンマンは自ら黙殺した。あくまでも、自分の婚姻の政治的意味を忘れるような人物ではなかったと私も思います。しかし、トンマンが死を目前にして、自分自身の人生を振り返った時、ふと淋しさを感じ、人間としての弱さを覗かせた、それがピダムだと私は思います。もちろん、彼女は女王ですから、ピダムとの婚姻に政治戦略上の価値があったからこそ、「婚姻する」と決意したのでしょう。しかし、ピダムとのことが単にそれだけだとしたら、一体女王時代のトンマンの何に魅力を感じるのでしょうか?言い方を変えれば、あの時の善徳の立場では、ピダムを失脚させ、追放させることもできたはず。もちろん、ピダムはそれでもやはり重要な人物であり、大事な駒で、少しでも人材が欲しいトンマンは、手元に置きたかったという理由もあったと思います。けれども、それだけなんでしょうか?

私は、トンマンはピダム・アルチョン・ユシン、この3人に関してだけは、どうあっても手元に置いておきたかった人物だと思うのです。といっても、彼ら3人はトンマンにとってはどれも違う立場の人間です。どれも重要で、この3人の誰が欠けることもトンマンは許さなかったと思います。しかし、ほかの二人は別の機会に言うこととして、あえてピダムに限って言うのであれば、トンマンにとって彼は、単なるミシル勢力を掌握する駒とだけ考えているのではない気がします。トンマンにとってピダムとは、自分が王になる決意をした時点で捨てようと覚悟した人間の部分だと思うのです。なぜなら、彼だけが彼女を王として接してはいないから、『トンマン』という一人の人間として接していてくれるからだと思うのです。だから、トンマンとピダムの関係を語るについて、トンマンの人間的な部分(緋翠さまのおっしゃる「私」の部分)を無視することはできないと思うのです。ですが、もちろんそれは、彼女の結婚を「なんでもかんでも私的な理由で判断」したわけではなく、ピダムとの婚姻に関してだけは、私的な理由もないとはいいきれない一面があると思うと言いたいのです。

もし、それが全くないのに、ピダムにトンマンを狂おしいほど恋焦がれろとういのは、いささか気の毒です。それこそ哀れで愚かな男にピダムをしたいのですかと逆に聞きたいです。

また、「反乱を起こせば敵、結婚をすればそこには必ず愛の軌跡がなければいけないと言うのは、善徳女王にはそぐわぬことだと思います。そう言うドラマ多いですけど、そうやって簡単に割り切れないところがこの脚本の魅力ではないのでしょうか。ソクプムがただの嫌な奴でないように。」という批判についても、少なくとも私の意見に対する反論とは認識できません。反乱についてはあとで書くとして、結婚すればそこに愛の軌跡がなければいけないと私は言った覚えはありません。私が言いたいのは、他の男性との縁談が、そこに政治政略上得られるものがあるのならば、トンマンは了承したけれども、ピダムとの婚姻だけはそう簡単に割り切れるものではなかった、だからこそ、彼との縁談だけは断り続けた、けれども、死を目前にした上、了承しなければトンマンは永遠にピダムを失う恐れがある状況下におかれたトンマンは彼との婚姻を決断したが、それは単に政治政略上のものだけではなかった、と考えた方が、その後の反乱、そして、ピダムの死という悲劇につながった時、より、トンマンの絶望や、トンマンという女性の人生の哀しさ、つらさが伝わるかと思うのです。

こういう伝え方にするために、二人の間に単なる主従を超える何かがあったとした方が、私は良いと思うのです。私は、「善徳女王」という壮大な物語を恋愛劇にしてほしいとは思っていません。それは断固として主張します。もし、そうならば、これほどまでにファンとはならなかったでしょう。しかし、ピダムとトンマンの間に、単なる主従を超える何かがあったから、ピダムを失ったトンマンの人生はよりつらいものになったのだと思うのです。それでも、トンマンは生きようとするトンマンの姿がこの作品のテーマであり、トンマンが最後に少女トンマンに託した言葉だと思います。

そして、そういう話につなげていくにあたり、ピダムを人間的なトンマンの部分と考えるとすれば、ピダムの感情の変化が余りにも分かりません。それは、俳優さんの演技力だと仰るかもしれませんが、私としては、俳優さんも戸惑うくらい、ピダムの感情の変化について説明がないと思うのです。母を失ったピダムをトンマンが優しく受け止め、引きとめてくれて、職さえ与えてやったトンマンにピダムが愛情を抱いたという緋翠さまのご意見はごもっともだと思います。しかし、そんな大きな存在に対する愛情が、狂おしいほど請い求める恋心に発展する理由が、「いい年をした青年が相手が異性であったらどう思うか」ということだけで解決されるのはいささか残念です。私が言いたいのは、この部分の変化なのです。この部分が描かれると恋愛劇になるとは思いません。むしろ、この部分を描かなければ、ピダムはただの愛について何も知らない野暮男です。

ピダムは、確かに、人の愛に触れる機会がトンマン以上になかった男ですが、だからこそ、ピダムの恋心はもっと繊細に表現されるべきだったと思うのです。それは、ピダムが、トンマンが捨てた人間的な部分であると考えた点から考えても、同様です。

どのような形にせよ、ピダムのトンマンへの憧れがトンマンという一人の女性への愛情に変化した瞬間を書いていたら、ピダムももう少し感情を伝えやすかったのではないでしょうか?そして、それが描かれて、ピダムとの間が単なる主従以上のものだと感じさせることに成功出来たら、ピダムだけではなく、トンマンという女性の人生の哀しさをより強く感じられるように演技しやすく出来たのではないでしょうか?

また、長くなりましたね~。(笑)

ですが、あと二つ!

一つは、謝罪です。まず、ヨムジョンについて「ヨムジョンごとき」という表現をしたのはいささか乱暴でした。謝罪します。ですが、ここで私が言いたかったのは、ピダムがヨムジョンの罠や貴族の不満ということを理由に反乱を起こしたようにも取れるように書かれたことに対して不満だということです。ミシルにしても、ピダムにしても、その反乱の理由は違えども、自分自身で決断したと考えた方が、彼ららしいからです。おっしゃる通り、反乱=敵という見方は、ことピダムに関しては余りそぐわないかもしれません。ですが、ピダムという存在は、身近な側近に騙されて大事な決断をする、そんなにも頼りない存在だったのでしょうか?善徳ともあろう人がそんな人物に超危険分子を預けるでしょうか?

ミシルにしてもピダムにしても、私は自分で火種をまいたと思うのです。彼らは、彼らなりの理由があって、王に対して反乱を決意した。ピダムに関して言えば、トンマンとの愛が成就ならざるものであると気付いた時点で(婚姻すると決断したトンマンが自分をただの駒だとしか思っていないと感じたとか、そういう時点)、彼の野心を思いとどまらせていたトンマンへの恋心が破れ、彼の野心が勝ったと考えた方が、ピダムの設定に合うと思うのです。確かに、本編のピダムも最終決定はピダムがしたかもしれません。しかし、仰る通り、本編のピダムはお膳立てはヨムジョン達がすべてして、あとはピダムが着火するのを待つばかりという設定にしたのでは、それこそ彼が自分の不安に負けた情けない男と思われても致し方ありません。私が「能動的に彼が反乱を犯すべきだ」と言ったのは、側近の読む徐や貴族たちにお膳立てをしてもらったうえでの反乱ではなく、あくまでもその野心の達成のために彼自身が先導し、彼自身が同志を募った上での反乱です。

それと、2点目は、緋翠様の「また、51話のピダムを25話のアルチョンと一緒にすることは、してはならないことだと思います。」という意見です。ちょっと意味がよくわからないのですが、もしかして、私が「一生誰の伴侶ともならないトンマンの一番身近の家臣でいること、たとえばアルチョンの位置にいることを望めばいいはずだと思うのです。」と言ったところでしょうか?そうだとすれば、それはちょっと誤解だと思います。「一番身近の家臣でいること、たとえばアルチョンの位置にいること」とは「侍衛府令」の地位にいることだと言いたかったのです。51話のピダムと25話のアルチョンを一緒にした覚えはないので、ちょっと良く分かりませんでした。

何だか、結局だらだらですね~。せっかく集まった緋翠様のSSのファンの皆様、本当に申し訳ありませんでした~。さぞ、なに抽象的なことばっかり言ってんのよ!と、イライラされたことでしょう…(少なくとも、私ならそう思いそうだ…)

ただ、私にとって緋翠さまは、優れたSSの筆者であると同時に、数少ない善徳語りが出来る貴重な方で、(勝手に)とても大事に思っております。そんな方が、これほどまでに熱心に答えてくださったのに、それと同じだけの情熱で答えないのは失礼だと思い、長々語りました。分不相応な対応をしたとは思っています。誠に申し訳ありません。

もっとも、失礼だと感じたとか、それだけでなく、私自身もとても楽しんで議論に参加させていただきました。こんな機会を与えてくださった緋翠様に改めて感謝します。

あつ様へ

  1. 2011/07/13(水) 00:16:50 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
暴言大魔王にも関わらず、見捨てずにコメントをくださりありがとうございます!
すぐさまお返事を……といきたいところですが、これ以上あつ様をご不快にさせてもいいことはありませんし、やりとりしたコメントの量も膨大になってきたのでw、自分が何を書いてきたのか、あつ様が何をお書きになったのかをちょっと時間をかけて見直してから、お返事をさせて頂こうかと思います。
ポンポンと賢いことが言えるような頭脳がない以上、早くお返事することより、時間をかけてお返事を書くべきだったと反省しています。

一応、私としては、ミシルが2009年当時のヒョンジョンさんの魅力をこれ以上ない形でアピールする役だったように、これからの成長を期待して云々よりも、2009年当時のナムギル氏の魅力と力量を示せる最良の役がピダムだと感じました。そして、にも拘らず、何故最も彼の魅力を生かす役を書いた脚本が批判されるのかがわからず、彼が他の役や違うピダムでは何故いけないのかを述べる為に、ナムギル氏のその時の力量について辛辣に批判しました。
言いたいことを言うのに、方法が過激だったなーとは思います。ただ、そう言う以外にどう言えばいいのか、わかりませんでした。……なので、その言い方を考えてきます!(笑)

また、最後のコメントで頂いたように、あつ様と私ではどこを重要視するのかも好みも全く違いますし(浅野さんと高島さんは私は好きですが、誰にとっても魅力的な女優でないことは確かなので、私も彼女達の魅力を延々語るつもりはありませんし、正直「いいなー好きだなー」と思っただけで語るほど入れ込んでもいませんw)、でもお互いに長編時代劇が好きで歴史ネタが好きなんだと言うことを大事にして、さらにあつ様は大河ドラマ視聴歴では私より遥かに先輩なんだと言うことも意識して(昔のものもケーブルテレビで見てはいますが、初めてリアルタイムで見たのは1995年です…)、気をつけてお返事します。

緋翠様へ

  1. 2011/07/13(水) 16:22:03 
  2. URL 
  3. あつ 
  4. [ 編集 ] 
こちらこそ、人様のブログにお邪魔して、刺々しい言い方をして、申し訳ありません。その点は、とても反省しております…。(特に、女優さん云々は少々、きつい言い方でした。また、全く関係のないその女優さんたちやファンの方々にも大変申し訳なく思っています。この場を借りて、謝罪します。)

こんな私ですが、これからもアツい善徳語りをさせていただけると、大変ありがたいです。

ではでは!

PS.「翔ぶが如く」なんて言ったから、引いちゃいますよね~…。「翔ぶが如く」は今調べたら、私が中学生だった頃の話でしたから、前の話を少々修正します。けど、それと同じくらい好きな大河が三田佳子主演の「いのち」だって言ったら、もっと引きますかね…。えぇ…。変な小学生だったんですよ…。だけど、ほんとに、あのころの大河は、毎週わくわくして見てましたよ…。でも実年齢は、ナムギルやヨウォンさんよりちょっと上くらいなんですよ…。「年ごまかしてない?」とか、時々言われます…。まして、そんな奴から「言い方に配慮せよ」みたいな言い方されちゃったら、誰だって引きますよね…。反省してます…。

先輩とか言われちゃうと、とても気が引けます…。

出来れば、お気を使わず、今までどおり、接していただけるとありがたいです…。


あつ様へ

  1. 2011/07/13(水) 23:11:30 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
あつ様、こんばんはーv

ああ、いえ、違うんです、刺々しいとか、そこは気にしていないと言うか、あつ様の口調の熱さ(ってダジャレみた(ry…すみません)を見て、「ああ、ナムさんが好きなんだなあ」とほんわかする部分もあるので、そこは全く構わないんです。
ただ、どうも議論をする上でしっくり来ないと言うか、「いや待て、これどっかで覚えがあるぞ」とか、「質問と答えが噛み合ってない」と感じる部分が増えてきたので、一度あれこれ検証して、お互いのコメントの文意を考えた方が良いだろうと思ったんです。私も、あつ様も。

と言うわけで、出来ればあつ様も私のコメントをもう一度ご覧になって(かなり不愉快な部分もあると思いますが。汗)、質問に対するお返事など頂ければ嬉しいなーと…!私もあつ様のコメントの内容を一つ一つ吟味して、ちゃんとお返事しますので!

ではでは~v

追伸:あ、いえ、私は自分が生まれる前の大河である『徳川家康』とか『真田太平記』をケーブルテレビで夢中になって見てた奴ですので、全然引きませんw ただ、幕末以降は文化や衣装的に興味の対象ではないので(時代が古ければ古いほどいいらしく、中学生の時は古代オリエントにハマってヒエログリフを勉強してましたw)、『いのち』は見てないです(汗) いやでも、大河ドラマって楽しいものだと思いますよ!視聴者の年齢が若ければ若いほど、色んな意味で未知の世界が広がっているから、見応えもあるじゃないですかー。ふつーにドン引きされそうなので、「一緒に『葵』について語りたい」とか、そんなことは滅多に人には言えませんがww
と言うわけで、あつ様は先輩なのです!過度に謙ったりとかではなく、年上の方には敬意を表するべきだと仕込まれているので(←サーカスみたいな言い方ですねw)、礼儀を忘れないように気をつけますv

緋翠さまへ

  1. 2011/07/14(木) 11:29:18 
  2. URL 
  3. あつ 
  4. [ 編集 ] 
こんにちは!

ご丁寧にありがとうございます。ちょっとホッとしました~。

名は体を表すとはよく言ったもので、自分でもこの名前は私にぴったりだなと思います。…はっ?!うちのじいちゃんに、予知能力があったのか?ただ、もうちょっと私の生活の糧になるような方向でアツかったらよかったのに…。まぁ、それはじいちゃんのせいでもなく、ひとえに私自身のせいなんですけどね…。

それはさておき、仰る通り、緋翠様の意見を、そして出来れば他の方の意見なども含め、もう一度よく見直してきます!ですので、また善徳語りをさせていただけるとありがたいです!

ただ、外国に行く予定があったり(←一度言ってみたかったんです~(笑)。…と言っても、韓国なんですけどね(笑)。あ、大韓航空は使いません(笑)。)、いい加減仕事しなきゃなので、すぐにお返事できないかもしれません。気長にお待ちいただけると幸いです。

ではでは!

PS.実は、私も幕末から明治にかけては好きじゃないんです。ある意味、日本がアツかった時代だという認識なんですが、どうもあらゆる意味で好きじゃなくて…。むしろ、好きな時代は平安時代だったりします。きらびやかながら、裏はどろどろで…。…まぁ、それは置いといて、そんな幕末嫌いな私でも夢中になったのが「翔ぶが如く」なんです。あ、ちなみに「いのち」は厳密には歴史ものではないんです。昔は大河もこういう実験的な話を作ってたんですけどね。主演女優に色々あったようなので(笑)、この作品を見れる機会はますます減るかと思います。残念です。

PS.2 私は現在、お返事しないと気が済まない病にかかっているので、この辺でこのやり取りもやめましょう(汗)。ですから、マジで返信不要です(笑)。


 管理者にだけ表示を許可する
 




PAGE
TOP

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。