善徳女王の感想と二次創作を中心に活動中。

RhododendRon別荘

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愛に理屈なんて要らない。@ピダム、ミセン、ムンノ、ヨムジョン

個人的に、ムンノと言うキャラの最も不可解なところは、不思議ちゃんなところではなくw、21話で医者をやってるところでした。

……いやその、ムンノって確かにあまり殺生はしませんが、それは武術の達人ならではの驕りとか心得みたいなもので、医術に興味があるとか、弱者救済なんてやるキャラだとは思わなかったんですよ。
何故かと言うと、3話でムンノに射られたチルスクが赤ちゃんトンマンを放り投げた時、キャッチはしても、「うわぁあ、あんなことしたら赤ちゃんが!」的な焦りがなかったじゃないですか。ムンノからトンマンを渡されたソファは、すぐに無事を確認したのに、そう言うことをしていない。チラ見して、趙雲よろしく懐にくくりつけただけで、基本的にはチルスクに注意を払っている。

普通、ボランティアで医者をやるような人は、妊婦とか生後1日の赤ちゃんには、もっと気を配ると思うんですね。善徳女王でも、いたいけな少年を生け贄にする詐欺師チュクパンですら、医術の心得があるからと、ポジョンを助けています。
でも、ムンノはそんなことはしませんでした。一人にしておいた赤ちゃんピダムに対しても、抱き上げて怪我はないか確認するとか、そう言う配慮がありません。怪我人病人と同じく、赤子や妊婦と言うのは、離れていたり、負担がかかっただけでも、医者なら「よし、とりあえず診てやらなきゃ」と思う存在なのに。

……そんな人間が、ボランティアで医者なんかやるものでしょうか?

私は、やらないと思います。
仕事がないならまだしも、『三韓地勢』と言う、悲願に絡む仕事があるなら、尚更ボランティアなんかやってられないでしょうし。実際に、ピダムの少年期には、ムンノが医者をやってる様子はありませんでした。
それに、瞻星台の一件でもわかるように、元々ムンノには「民により良い生活を」なんて大志はありません。病人に対しても、花郎に見つかりそうだと思ったら治療中の重病患者を放って黙って消えるぐらい、愛情とか誠意がない。

じゃあ、なんでムンノはボランティアで医者なんかやってるのか。

――その答えは、『生類憐れみの令』にあると思うんです。


※最後の方に、またしてもナムギルさんの演じる『ピダム』を批判するところがありますので、ファンの方はご注意ください(すみません…っ!汗)


* *


生類憐れみの令が、何故、発布されたか。

私は、徳川綱吉がバカ殿だったから、とは言い切れないと考えています。何故なら、今も動物愛護団体があるように、「動物を殺してはならない」と言う理念は、「命を粗末にしてはならない」と言う観念に通じるからです。
綱吉の時代は、豊臣滅亡から65年、由井正雪の乱からは30年しか経っていません。現代日本がまだ「戦後」であるように、綱吉の時代は、戦国の気っ風がそこここに残っていたはずです。戦国の気っ風とは「人を殺して手柄を立て、財を奪い、暮らす時代」の常識です。つまり、綱吉の時代は、いくら「命を大事にせよ。殺生は大罪である」と口で言っても、なかなか浸透しないぐらい、まだ人の命が軽い時代だったのではないかと言うことは、容易に想像がつきます。
弊害はあったにせよ、そんな空気が残る時代に「犬一匹でも殺したら死刑」と言う法律が生まれれば、それは大きな衝撃になります。犬ですら殺しちゃ駄目なら、もっと大きな生き物――いわんや人間をや、と言うことです。

んで。
私は、ムンノはピダムに対して、この『生類憐れみの令』作戦を敢行したと考えています。

殺生のうち、肉食(生き物を殺すこと)を禁じることで『殺』を戒め、ボランティアで病人の治療を行うことで『生』の尊さを知らしめる。これでピダムはやたらと殺生をしなくなるだろう、慈悲深い青年になるだろう、あんな虐殺は二度と起きないはずだ!……と、ムンノは考えたのではないでしょーか。
だから、興味もないボランティア医者になり、ピダムにもそれを強いた。肉食をしたら罰を与え、人を斬ったらもっと罰を与えた。
……でも、綱吉の時代と違って、ムンノとピダムが生きたのは、現在進行形で戦国乱世の世の中です。強ければ戦で手柄を立て、出世出来る。そう言う時代です。

「敵と言うだけで殺し合う時代。殺らなきゃ殺られるこの時代なのに、何故、悪いことをした奴らを殺しては駄目なのか」

この疑問に対して、新羅で一、二を争う武術(殺人)の達人ムンノが「人を殺すのは悪いことだ」と教え込むのが、どれだけ難しいか、と言う…。
女子供は殺しちゃ駄目だ、味方も駄目だ、と言うのは、ピダムが大人になった以上簡単です。女子供は、ピダムを殺せはしませんから。

でも、罪を犯した大人の男はどうすればいいのか?特に武力も身分もある者達は?
そして、何より若者ピダムが出世したくなったら?

ムンノのピダムへの教育の難しさは、片親だからとか、そう言う問題もありますが、それより、時代背景と、ピダムが「新羅で最も大量殺人(戦争)をする能力の高い男」であることにあるんじゃないかなーと思う次第です。ハイ。(何)





話、変わりまして。

前回の「罪」話の続きなのですが、38話でピダムがヨムジョンを殺さずにただ斬ったのって、あれもまた、数ヶ月山籠りしてピダムなりに考えた罰なのかなーと考え中です。
ほら、ヨムジョンに斬りかかる前に、話を聞いてやってるじゃないですか。情状酌量の余地ありと言うか、本当にヨムジョンに殺してもいいだけの罪があるのか、確かめている気がしたんです。ヨムジョンは、ピダムから見れば、「絶対に殺してはならない」グループに属する女子供チュンチュと大して変わらない、丸腰の商人なわけですし。

でも、そのヨムジョンを、61話の段階でもまだチュンチュと同じく「絶対に殺してはならない」グループにいて、瞬殺はしかねたヨムジョンを、最終回では、弁解の余地なしで瞬殺している。
これは、ピダムにとって、禁忌を犯したも同然のことだと思うんです。
トンマンが村長を斬り殺した時に衝撃を受けたように、『生類憐れみの令』教育を施されたピダムにとって、武人ではない、兵士ではない者を斬るのは、タブーを破ること。絶対的に強い『百獣の王』だからこそ、してはならないことを、ピダムはした。

なんでそんなことをしたのかを考えた時、ピダムは、「罪」を突きつける存在だから…理不尽なことは出来ない人間だからかな、と思ったんですね。

愛に生きたいなら、ピダムは理不尽にならないといけなかったと思うんです。
なのに、ピダムはムンノに似て、「○○だから、●●だ」と、なんでも理詰めで考えてしまいます。

でも、愛は、時に理不尽なものです。あらゆる感情の賜物である愛を理屈や倫理で判断するなんて、世界が違う二つのものを比べるようなものですよね。

私は、ピダムがヨムジョンによって、ミセンによって理解したのは、そのことだと思うんです。
だから、理不尽にも、味方を見捨てても自分は降伏せず、トンマンに刃を向ける形で愛を告げに行ったし、その行為はトンマンの心を奪い尽くしたのではないかと。
また、そんなピダムを、ミセンは叔父として送り出しました。ミシルの代わりとなる手駒としてピダムを見続けていたなら、ミセンは最後までピダムに発破をかけたはずです。かけなかったのは、皮肉にも、姉より理詰めで大業に向いた性質を持つ甥が、理屈とはかけ離れたものである『愛』を一番に欲しがっているとわかったからではないでしょうか。


「哀れなことだ。お前は、今の今まで、愛が理屈では判断出来ないものだと、知らなかったんだな……」
――姉が、我々が、お前を捨てたから。愛して育てなかったから、お前は「理由なき愛なんて有り得ない」と考えるような人間になってしまった。
「それなのに、お前は愛が欲しい。それ以外は要らないと言う。愛の前では人は愚かだと言うことを、知りもせず、それでも愛を欲しがるとは。……哀れなことだ」


ミセンがピダムを引き留めなかったのは、叔父としての『愛』だと思っています。それまでずっと甥としてより、主君として見てきたピダム(ヒョンジョン)への、最初で最後の『愛』の贈り物。
ピダムが彼を糾弾したヨムジョンは斬って、同じように糾弾したミセンは斬らなかったのは、罪の大きさも勿論ありますが、ミセンが最後に『愛』をくれたのだと、どこかでわかったからではないでしょうか。ミセンもまた、政治家としては理不尽なことはしない男なのに、反乱の大義名分たるピダムを、ピダムが行きたい道を行けるように逃がしてやっていますし。
そう言う、叔父と甥の心が通い合うシーンがあのシーンで、だからミセンは万感の想いで「ヒョンジョン」と呼び掛け、ウンインさんは「哀れなことだ」と言う瞬間にくしゃっと泣いたんじゃないかなーと思っています。


……そして、そう考えた時、ナムギルさんの演技にちょっと違和感を覚えるんですね、やっぱり(笑)
なんでヨムジョンを殺してからミセンが来るまでの間に、笑ったんでしょう。
あそこで笑う理由が、いくら考えてもわからないんですねー…。あそこは、笑うべきじゃない…と言うか、少なくとも笑ってるように見える表情はすべきじゃないと私は思うんですが…。なんで、生涯をかけた望みだった「トンマンの愛を知ることが出来、同時にその愛に気付けなかった自分を知った」場面で、笑うんでしょう。わからん…。(わかる方、良かったらお教えください…!)

あのシーンでピダムがヨムジョンの言ったことに衝撃を受けて座り込むのは、ヨムジョンに図星を指されたからと言うより、愛と言うものの理不尽さを自分が知らずにいて、結果としてトンマンの愛に応えられなかったのだとわかったからであり、ヨムジョンを殺すのは、あくまで、彼が、ピダムを暗殺しようとした罪をトンマンに着せることで、何より大切なトンマンの愛を踏みにじったとわかったから。だから、同じようにピダムを担いだにも関わらず、ヨムジョンは斬られ、ミセンは斬られなかった。


「違う」
――俺は、トンマンを信じられなかったんじゃない。トンマンが、大義より愛を優先させるとは、信じられなかったんだ。
だって、理屈で考えると、おかしいじゃないか。王たるトンマンが、反逆者を生み出す火種となった俺を愛する理由がわからない。愛したって、自分の首を絞めるだけじゃないか。
ムンノだって、最期に俺を見直したのは、俺が三韓地勢を捨ててまでムンノの為にひた走ったからだ。ちゃんと理由があるんだ。
トンマンには、もう俺を愛する理由がない。――俺が神国にならない限り、愛する理由がない。


ピダムの愛に対するこの思い込みを、ミセンは放置し、ヨムジョンは膨らませた。それも、女王トンマンの盾である侍衛府の者を使い、さらにはトンマンの愛を知りながら、それを踏みにじり、その愛の愚かさを嘲った。
――トンマンの愛を、トンマンを、嘲った。

だからこそ、ピダムは禁忌を犯して、ヨムジョンをあそこで殺した。
そして、呟く。


「俺は、違う」
――トンマンを愚弄するなど、有り得ない。俺は、トンマンの愛を踏みにじることなど、決してしない。


……のではないかなーと思ってたり思わなかったりします(何)

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  1. 2011.08.09(火) _20:45:27
  2. キャラ語り
  3.  コメント:4
  4. [ edit ]

<<8月9日に頂いたコメントへの返信 | BLOG TOP | 8月6日と7日に頂いたコメントへの返信>>

comment

  1. 2011/08/10(水) 00:49:06 
  2. URL 
  3. うさこ 
  4. [ 編集 ] 
今晩は、私は今日は一話を見返していました。
日中は、今日も暑くてヘロヘロでした。
で………

生涯をかけた望みだった「 トンマンの愛を知ることが出来、同時にその 愛に気付けなかった自分を知った」場面で、 笑うんでしょう。わからん…。(わかる方、 良かったらお教えください…!)


と、のことですが
演技では是か非かわかりませんが本当にはあると思います。
笑っていながら本当には叫んでいる。
というようなことが。
ピダムが霊廟でトンマンを抱くシーンもピダムは奪うように強くは抱いていないです、でも愛して愛しぬいてでも手に入らない女
人が不意にこぼれてきた星のように手の中に落ちてきたら。人はそれを強く握りしめたりできない。ましてやピダムのような男が狂うほど求めた星なら手の中に包むように確かめるように抱きしめる、のかも。で話が逸れましたが、ある程度歳月を重ねた男には、そういう姿もあるようにおもいます。

なんだか未消化のコメントですいません。

うさこ様へ

  1. 2011/08/11(木) 18:38:17 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
うさこ様、こんばんはーv
本当に、毎日暑いですよねー(汗) 疲れるので夜はぐっすり寝れるんですが、あの日射しに肌が負けますw

さて。
うさこ様、コメントありがとうございます!
そうなんですよねー、私もあることだとは思うんです。思うんですが、ピダムと言うキャラを見る限り、ピダムが「笑っていながら本当は泣いて叫んでいる」のは、大事な人に裏切られた…と言うか、期待していたのに愛を表現してもらえなかった時だった気がしまして。この場合は逆で、しかも「そんなの嘘だ。トンマンが俺を裏切ったんだ」と反乱を続けるならまだしも、ヨムジョンを斬ったピダムは反乱を続ける気もなくなっているはずで、こう、狂騒が終わる瞬間とも言えるのに、戸惑うとか、脱力して乾いた笑いを漏らすとかならわかるんですが、なんで叫ぶように嗤うのかな…と。

霊廟でトンマンを抱くシーンも、分別ある四十男なら、いいと思うんです。あれで。
あ、ちなみに奪うように強く抱いて欲しかったのは54話の方でして(汗) 57話のシーンでは、もっと歓喜とか、人生観が変わった瞬間の衝撃を表現して欲しかったんですよー。
トンマンが、女王ではなく素のトンマンに近い表情に変わったように、ピダムにも、不意にこぼれてきた星を抱いた瞬間に、もっと歓喜を爆発させて欲しかったと言うか…。「本当に?本当にトンマンが俺を?」と怯えながら抱きしめ、いざ抱きしめた瞬間から、もう出世もユシンもどうでも良くなったんですから、それだけの衝撃をピダムが感じた瞬間とか、万感の思いで満たされる瞬間の感激っぷりを、私は見たかったなーなんて思っちゃいまして…。
イ・サンを見て一番記憶に残ったのが、主役のサンがピダムと同じくらい片想いした末に、ヒロインを抱きしめるシーンの、サン役の人の表情だったせいもありますが、トンマンファンとしては、「おい、トンマンに選んでもらったのに、なんでフツーの顔してんだ。それじゃ、別にくっつかなくても良かった気がするじゃんよー。こんなところでカッコつけてないで、もっと感極まれ!ユシンの余裕のなさを見習え!ミシルの時はもっとめちゃくちゃな顔してたくせに!」と思ったみたいです…(すみません…。汗)

どちらも、私の感性の問題ですよね…!(汗)
うさこ様、素直に頷けない管理人で、すみません…。

  1. 2011/08/11(木) 21:13:31 
  2. URL 
  3. うさこ 
  4. [ 編集 ] 

緋翠さま、またまた今晩はです。



あの、私は緋翠様の考えを読む度に自分もそう思う、又は自分ならこうかな、というように自分自身の考えを整理し、コメントなどさせてもらうとよりその考えを具体化できる気がしています。

きっとそれは緋翠様がすごく論理的にいろいろ考察されているから“なるほど~だとすると…”なんて自分の考えを発展させることができるんだと思います。

なので緋翠様へコメントさせてもらうとうれしくなってしまうんです。

それが伝えたくまたまたコメントしちゃいました(^_^)

うさこ様へ

  1. 2011/08/12(金) 22:11:22 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
うさこ様、こんばんはーv
お返事ありがとうございます!

> あの、私は緋翠様の考えを読む度に自分もそう思う、又は自分ならこうかな、というように自分自身の考えを整理し、コメントなどさせてもらうとよりその考えを具体化できる気がしています。

わわ、嬉しいです…!
そう言えば、私も他のブログや、頂いたコメントを読んで、頷いたり、「うーん」と首を傾げたり記事を書いたりしながら自分の考えを整理しますねー。うさこ様も同じだとわかってホッとしましたv
論理的…と言うより小煩いだけの可能性が高いですが(笑)、まあこんなブログがあってもいいだろーと…(コラ)(最近、自分はトン&ピファンでもあり、チュンチュ&アルチョン&ミセンファンでもあるけれども、善徳女王と言うドラマが好きな一番の理由は脚本のファンだからなのかな、と言う気がひしひしとしています)
うさこ様と同じように、私も頂いたコメントを読んで、自分の考えを発展させていけるよう頑張ります…!

うさこ様、優しいコメントをありがとうございます。また元気が出ました!


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