善徳女王の感想と二次創作を中心に活動中。

RhododendRon別荘

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『第一美花郎比才』第拾伍話 繚乱・下

マイペースに続いております、比才話の続きです。
続きを待ってくださっている皆様、本当にありがとうございます…!


* *


 突如として降り始めた雨は、すぐに雷雨になった。
 あちこちで一張羅を濡らすまいと娘達が慌てふためき、美しく着飾っていた花郎達の中には、目当ての娘にここぞとばかりに手を貸す者もいる。反対に、ヨンチュンのように異父姉と妻妾と娘達に捕まって、世話を焼かされている者もいた。

「姉上、大丈夫ですよ、泥なんて付いていません。メセン、顔を隠さなくても大丈夫。化粧は流れていないし、濡れていても可愛いよ。ああ、雷なんて怖くないからね。ほら、父上がいるんだよ」

 その調子で両手に余る女人達を慰めるヨンチュンのすぐ傍では、ユシンの妹達がマンミョンに叱られていた。

「三人とも、転んだくらいで騒ぐのは止めなさい。みっともない」
「だって、お母様――」
「チョンヒ、静かになさい。雨が止めば、すぐに輿を用意させるから――ムニ、大人しくしていなさい! 取れないでしょう」
「だって、だって、あのイヤミな公子様、あたしが転んだのを見て、笑ったの! 笑ったの!」
「チュンチュ公は何を見ても面白いと感じるお方なのよ」

 末娘の泣き言をあっさり流したマンミョンと一緒になって、ヨンモもまた、義妹達の服に付いた泥を払ってやっていた。ヨンモもユモも、この手のどんくささとは無縁の姉妹だったので、多少面食らってはいたが。とは言え、夫の隠そうとして隠しきれていないその不器用さについてもわかってきていたので、出来るだけ自分の晴れ着に泥が付かないよう気をつけながら、ヨンモはポヒの泥を拭った。
 ちなみに、マンミョンは三人ともが転んだかのように扱っていたが、実際にはムニが転んで、ポヒがそれに吃驚して躓き、ムニとポヒを起き上がらせたチョンヒも泥だらけになっただけで、本当に転んだのはムニだけだ。

「そうだぞ、チョンヒ、俺達まで泥んこにしたくなかったら、大人しくしていろ」

 その場にはユシンもソヒョンもいなかったが、兄ユシンに言いつけられて母と妹の世話係として残ったフムスンは、噴き出したいのを必死で我慢しているかのように口元を震えさせていた。が、マンミョンやヨンモより少々荒っぽい手つきではあったが、その手はきちんとチョンヒの衣についた泥を拭き取ってやっている。

「兄上、その引きつった顔をなんとかしないと、お望み通り泥んこにしてやるわよ」

 ユシンと年の近いフムスンとチョンヒが、萬弩郡で奔放に育った頃の癖かヨンモが吃驚するような遠慮のなさで話をする中、ヨンモは少しだけヨンチュンの妻妾を羨ましいと思った。……ヨンモの白く華奢な手は、生まれて初めて泥に塗れていた。



「ユシン!」

 風月主として混乱した場の収拾に当たっていたユシンは、はじめ、背後からかかる声に気がつかなかった。郎徒達に指示を飛ばすのに忙しい上に、雨が酷く、雨音が耳を塞いでいたのだ。

「ユシン!! 公主様は?」

 肩を掴まれ、漸く振り返ると、やけに殺気だったピダムが射るように彼を睨んでいる。ユシンは少しだけ眼を丸くした。

「宮へ戻られたはずだ。今、アルチョン郎が――ピダム!」

 しかし、ピダムは最後まで聞かずに走り出したので、ユシンも嫌な予感がして急ぎ後を追った。アルチョン郎がとっくに向かっているはずだが――何かあるのだろうか?



 開陽星が隠された。開陽星の主たる公主様が天に捧げる剣舞をなさっておられる最中に、開陽星が群雲に隠されてしまった――。

「不吉な徴候です、姉上」

 顔を強張らせたシンガンは、鞘を握る手に力を込めながら、裳を蹴飛ばすように外股に歩いていた。隣には、しずしずと歩む物静かな姉ヒョンガンがいる。ヒョンガンの両手は、トンマンに渡す為の巻子本が積まれた盆を掲げて持っていた。ちなみに巻子本の中身は、比才の結果の詳細な記録だ。

「公主様の御身に、何か良からぬことが起きようとしているのではありませんか?」

 姉から返事がなくともあまり関係がないのか、熱弁を揮うシンガンは、どんどん歩く速さを上げていた。ざかざか大股に歩く彼女にヒョンガンが付いていけていないことにも気づいていないようだ。
 仕方がないので、ヒョンガンは少しだけ声を張った。

「シンガン、お行儀が悪いわ……」
「はい?」

 やっと振り返ったシンガンは、姉と自分の間にいつの間にか出来ていた距離にきょとんとしてから、再びきりりと顔を引き締めた。

「やはり、急いだ方がいいです。先に参ります、姉上」
「公主様にすぐ参りますと、申し上げるのよ」
「はい」

 あっという間に遥か先へ行ってしまった妹を思うヒョンガンの口の端から苦笑が漏れたのは、それから間もなくのことだった――はずが、その日ばかりはヒョンガンには苦笑する暇がなかった。
 背後から、別の誰かがヒョンガンを追い越していったかと思えば、振り返って一礼したからである。

「ご無礼を」

 ヒョンガンを追い越した花郎アルチョンは、前風月主の正妻たるヒョンガンへの敬意は忘れずに、きっちり挨拶をしてからまた駆け出した。行く先は、訊ねるまでもないだろう。

「あら……」

 ――これは、本当に公主の身に何かあったのだろうか?
 ヒョンガンはすうと息を吸うと、亀の歩みと呼ばれる速度を彼女なりに精一杯速めて、トンマンの居室へ向かった。



 その時、トンマンは何が起きたのか、わかっていなかった。ただ、ふわりと芳しい香りに包まれて、冷たい指にごつごつとした熱い指が絡まっていた。
 テナムボはトンマンからの反抗が手緩いと見て取るや、苦悩に満ち満ちた声で囁いた。

「公主様……。心ならずもお心に背きましたが、このテナムボ、公主様の御恩に必ずやお応え申し上げます。どうか……一言、許すと仰せになってくださりませんか? どうか、お情けを……」

 トンマンは、その囁きよりも抱きしめられたことに吃驚していた。咄嗟のことに頭が回らず、振りほどくべきなのに腕に力が入らない。考えてみれば、緊張と連日の稽古で身体は疲弊しきっている。

「公主様……」
「は――」

 しかも、「離せ」と声を荒げようとした瞬間に、涼しげな色をした袖に口を塞がれてしまった。さすがに慌てたトンマンを、雨から彼女を庇う為に脱いだ上衣でぐるっと包むと、テナムボは手馴れた様子でその躯を抱えて室の奥へ入った。

「っ、何をする……!」

 一方、そう言われたテナムボも、自分が何をしているのかよくわからなくなっていた。

『そんなに手がかかってるなら、あの難攻不落のトンマン公主を落とせるか試してみたらどうだ』
『璽主と礼部令が丹精込めて美しさを磨かせているなら…………その美しさで、公主様を惑わせて差し上げたら?』

 ――落とす? 惑わせる?
 そのようなことを、出来るのだろうか?
 彼の衣に巻かれて簀巻きになったトンマンを長椅子に下ろしてその上に覆い被さると、テナムボは円らな双眸を細めた。郎徒の頃から美貌を持て囃されたトンマンは、公主となって磨かれた今、花鈿の牡丹のように花開いている。その花が眼下にあるならば、それを愛でるのも花郎に相応しいことだ――。そのようにテナムボの理性は取り払われた。

「――許さない」

 しかし、トンマンはテナムボを鋭く睨んで彼の理性を引きずり出した。

「お前は姉上を殺した。私はお前を殺しはせぬが、許すことはない」
「――」

 それは、背筋をぞくりと震わせるような烈しい眼差しだった。澄みきった瞳の奥に隠された深い憎悪から伝わるのは、公主には不釣り合いな冥い情念――話に聞く日食のような眼差しに、テナムボは恍惚とした。
 ――今まで、誰がこんなに激しい想いを私に向けてくれただろう?
 触れるだけで肌が爛れてしまいそうなトンマンの眼差しは、テナムボにとって未知のものだった。

(郎徒上がりの公主がこんな眼をするなんて、誰が知っている? 誰も知らない。私だけだ。私だけが、この眼差しを知っている――)

 まるで秘めた恋に酔うように、テナムボはふらりとトンマンから離れた。その衝撃をどう受け止めればいいのか、わからなかったのだ。
 幼いうちに母を失ったテナムボは、数えきれないくらいいる兄弟達とはあまり接することなく、ただ彼を可愛がる祖母の下でふんわりと育った。愛らしいと言われ続け、風月主の息子だからと花郎になった。花郎に必要な武も芸もあまり苦労することなく身についたし、汚れ仕事にも縁のなかった彼には、ポジョンのような屈折は無縁だった。
 だからだろうか、狂おしい想いと言うものもまた、テナムボには無縁だった。いつも、さして深く思い悩むこともなく望むものは手に入ったし、思い悩まなければならないようなものを自ら望んだこともなかった。日々の暮らしに、彼は十分に満たされていた。
 その平穏が崩れたのは、チョンミョン公主を射たとわかった時だった。
 あの時、テナムボは初めて全ての平穏が崩れ落ちる音を聴いた。それが如何なるものか、思い知った。
 けれども、その音色は長続きしなかった。彼に鉄槌を下すはずの公子は、これまで心底からテナムボを愛憎の禍にもつれ込むものがいなかったように、テナムボを許したのだ。
 許された以上、テナムボは忘れた。一時彼を悩ませた、平穏が崩れ落ちる音を、忘れ去った。――その音色が、今度は艶やかな琴で奏でられようとしている。
 愚かにも許されると考えていたのか、拒絶の言葉に急にたじろぎ出したテナムボを睨みながら、トンマンは巻き付けられた衣を剥がしにかかった。この程度の狼藉には、悲しいかな、郎徒時代に免疫が出来ている。
 ところが、長居は危険だとさっさと立ち上がって出ていこうとしたその時、後ろからテナムボに手を掴まれて、トンマンは慄然とした。

「公主様は、私を憎んでいらっしゃるのですね?」
「……?」

 何故だか言葉とは裏腹にその声が弾んでいるように思われて、トンマンは振り返った。
 ――憎まれるのが、そんなに嬉しいことか?
 けれども、怪訝そうなトンマンの様子には構わずに、テナムボはぎゅっと手を握る力を強めた。
 そして。

「公――」
「公主様、ご無礼仕ります」

 テナムボが今度こそ危うく血迷いかけたところで、どかどかとシンガンが踏み込んできた。ついでに、陶器の割れる音が響き渡って、琴の音色からテナムボを呼び覚ました。

「公主様……」

 念入りに用意した湯が裾を濡らし、湯に浮かべてあった花弁も床に散ったが、ソファはそんなことには構わなかった。ただ、思わぬことに茫然としている。トンマンもテナムボも動けない中、シンガンだけが瞠目してソファに手を添えて、水溜まりから引き離した。

「片付けさせましょう。誰か――」
「公主様!!」

 続いてアルチョン、ピダム、ユシンが雪崩を打って飛び込んでくると、公主宮と比べてあまり広くもない室は息苦しいくらいだった。しかも、器の割れた音を聞きつけた女官も後に続いている。
 見馴れた顔に取り囲まれたトンマンは、常の怜悧な頭で思った。

(こんなに人の出入りが激しい場所で本気で押し倒す馬鹿者が、いるわけなかった……)

 テナムボは、ミセンの息子だ。赦免を乞うのに色仕掛けに出ても、おかしくはない。それに動揺した自分が無性に情けなく思えたトンマンは、男性陣を追い払いたくなった。
 トンマンの言うところの『馬鹿者』こと、新たに雪崩れ込んできた三人に睨まれ身の危険を感じているテナムボもまた、我に返った今は早くこの場を立ち去りたい思いでいっぱいだった。
 それを救ったのは、さらさらと清らかな気を纏って現れたヒョンガンだ。ヒョンガンはトンマンに一礼すると、前風月主の妻らしく玲瓏とした声で場を取り仕切った。

「美しさのみならず、護衛の職務にも御熱心なのは大変結構なのですけれど……殿方がこうも公主様の室にお集まりでは、公主様の御髪に櫛を御入れするのも、憚られますね」

 暗に、「公主様を濡れ鼠のままにしておく気か」と責められたことに気がついたアルチョンとシンガンは、わかっていない無粋な花郎三人を引き摺るようにして、室を出た。




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  1. 2012.01.14(土) _01:23:32
  2. 中篇『第一美花郎比才』
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