善徳女王の感想と二次創作を中心に活動中。

RhododendRon別荘

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ご忠告です。

いきなりでビックリさせてしまうと本当に申し訳ないので、諸々のお返事をする前に、一つご忠告を致しますー。
今更…と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、お許しを!


私、管理人・緋翠に対して、

1.女王時代のナムギルさんの演技を誉め、管理人に同意を求める。
2.女王時代のピダムが可哀想だと女王時代のトンマンを批判する。
3.役者さんの演技を擁護する為に、脚本を批判する。


↑この3つを主旨とするコメントをなさる場合は、漏れなく、管理人からの反論を御覚悟の上、コメントを投稿なさってください。

えー、何故かと言いますと、この3つは、私にとってはそう簡単には頷けないことだからです。
また、これまで何度かこの3つを主張なさる方とコメントを交わしましたが、今のところ、どなたも私にこの3つについて、頷けるだけの理由も仰っておられません。

勿論、コメントをくださる方がどなたのファンであろうと、私にとっては、コメントをくださるだけで有り難いですし、ファンでいること自体を非難するつもりは毛頭ありません。ここが公共の掲示板などであるなら、私も「意見は皆違うよな」で煩いことは何一つ言いません。
ですが、私も、生半可な論拠で大好きなドラマの役者さんを批判してはいません。「なんとなく」ではなく、「ドラマのファンとして、許し難い」と思うだけのはっきりとした理由があるからこそ、ナムギルさんを批判しましたし、同様に、脚本を擁護するのも論拠あってのことです。
と言うわけで、わざわざ私のブログにいらっしゃって、上記の3つをコメントなさる以上、私も当然反論は致します。他のことならまだしも、この3つだけは、なあなあで話を合わせることは出来ません。それは、私が惚れ込んだ善徳女王と言うドラマの屋台骨を否定することになりますから。

かなり厳しい口調ですみませんー・゚・(ノД`;)・゚・
でも、申し訳ないのですが、ここは譲れません。なので、お気に召さなければ、どうか他の方のブログで善徳女王の二次創作をお楽しみください。リンク先の方々には、私のような狭量な方はいらっしゃいませんので!

冒頭でも書きましたが、これは「コメントNG」と言う意味ではなく、「いきなりお返事で反論をしたら、確実にビビらせることに…!(((;゜Д゜)))」と言うことで、掲載しました。
管理人はこのスタンスなので、反論コメントが返って来たからと言って、コメントをくださった方を嫌っているわけではないことをご了承頂けると、有り難いです…!

ではでは。


緋翠


※暫くの間、この記事を一番上に置いておきます。
※「必要ない」と思えるまで、この記事を一番上に置いておきます。ご不自由をおかけします…!
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  1. 2011.11.26(土) _16:38:53
  2. お知らせ&ご挨拶
  3.  コメント:61
  4. [ edit ]

<<11月26日と28日に頂いたコメントへの返信 | BLOG TOP | 11月23日と24日に頂いたコメントへの返信>>

comment

今さらですが…

  1. 2011/11/01(火) 23:39:41 
  2. URL 
  3. 椿 
  4. [ 編集 ] 
緋翠さん、こんばんわv

お返事に困る内容も含まれているかと思いますので、私はこう感じましたと言う思いを読み流してくださいませ~。
そしてこちらのコメントを読まれる方がいらっしゃいましたら、ご注意願います。
ナムギルさんファンの方はご不快に思われるかもしれませんので、自己責任で読まれることをお願致します。
秘密コメントにしようかとも思ったのですが、私はやはりこう思う。と言うか、二次創作をする上で譲れないところがありまして、あえて公開にしました。






うん、まったくです。と、いきなりですが、女王時代の演技については、私も同じように感じています。

ドラマを批判するとき善徳に限らず、好きな俳優さんが思った展開にならなかったりすると、「脚本が悪い。演出がブレている」ときて、最後に「共演者に対する批判」と締め括られる傾向が、残念ながら多いと感じます。
もちろん、ドラマの観方は人に強制されるものではないし、自由に観て、そう感じたとしても誰も文句は言えません。
ただ、それをブログなどで書かれた場合、万人の目にとまるわけです。
それでも「ああ、そんな見方もあるんだ」で済ませてしまうので、(←もちろん憤りは感じますが)わざわざ反論コメントを載せたりはしないのですが、同意を求められた場合は、反論せざるおえなくなります。

善徳ではありませんが、善徳と同じくらい好きになって嵌まった台湾ドラマがありまして、そのドラマの脚本も演出も素晴らしくて、俳優さんの演技も文句なしに素晴らしかったんです。
突き抜けたキャラでしたが、終始一貫していてラストに至るまでのプロセスも、ラストも、とても納得のいくものでした。
しかし、贔屓の俳優さんファンの方のブログでは、思った結末にならなかったと言う理由から、散々にけなされていました。
その方も、途中までは素晴らしい脚本だと言ってらしたにも関わらず、です。
ただ漠然と、「脚本が悪い。演出が途中からブレた。ありがちな展開」と、明確に「ここが納得できない」との指摘もないまま批判されているんです。
そもそも、ありがちでない展開なんて、そうそうありません。現代ドラマならば尚更です。
要は、そのドラマのキャラクターとして観るか、俳優さん個人として観るかの違いかなと…。
ドラマに俳優さんのPVを求めてられても、一人で作り上げるものではないし、ましてやファンである俳優さん自身にも、ものすごく失礼な観方だと私は思います。
何よりも、そんな観方をしてしまったらドラマが楽しめない上、勿体無いじゃないですかーっと、貧乏性な私は思ってしまうわけです。←ドラマを観る上で損をしたくないと言う、極めて利己的な観方かもしれませんが(笑)。
ナムギルさんファンの方が、ブログで「ピダムのキャラが前半と後半で別人になっていた」と、仰っていました。
そして「事実、「ピダムがバカになった」とナムギルも言及していましたし」とありました。
この「バカになった」発言によって、こう感じ取られる方もいらっしゃるわけです。
女王時代前の底知れなさと無邪気さを併せ持つピダムを観ていたから、尚更そう感じたのかもしれませんが、女王時代初見のとき、確かに私もピダムの迂闊さぶりに「えっ?」となりました。でも、二度、三度と回を重ねて観ていくうちに台詞の端々、そして思考や行動から「ピダムはバカじゃない」と、確信しました。
その確信は自分の中のピダム象と一致します。
でも、ナムギルさんの演じるピダムとはズレていて、どうしてもしっくりこなかったんです。が、ずっと感じていた違和感の正体が「脚本と演技を分けて観る」ことで解消されました。
残念ながら「いい役なのに、勿体無い」と思ってしまいました。
私はピダムファンですが、ナムギルさんのファンではないので、やはり観方がシビアなのかもしれません。
視聴者にキャラが違うと感じさせてしまったのは、他でもない、ナムギルさん本人なのでは?と、思います。

哀れさを全面に押し出されても、男性視聴者や私のように母性本能をくすぐられない視聴者には、ただただ、物足りなさしか残らなかったのでは?と正直感じました。
心底惚れた相手に対して、自分の持てる能力全てでもって喰らい尽くそうとする。もっともっと、恐ろしく狡猾で、だけど誰よりも純粋。そんな魅力的なピダムが見たかったですー。
緋翠さんもおっしゃっていた、それこそ珠玉のラブストーリーではないですかっ!!←堪らなくツボで、萌えてしまうポイントなのでw



追伸:改行、程好いと仰って頂き、嬉しいですv
携帯のみで読み書きしているので、一段落を長すぎず短すぎずはいつも心掛けています。なので、ホッとしました~!
ホントのところは長くなるほどの文章が出てこない!と言うのが原因だったりしますが…w

いつかスペースが反映される日を夢見て(笑)。

椿様へ

  1. 2011/11/03(木) 00:38:08 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
椿さん、こんばんはーv
読み流すにはあまりに内容が濃くて、いつものことながらお返事をせずにはいられません!(笑)……と言うわけで、私もちょっと暴走気味になりそうです。
もしここをご覧になっている方がいらっしゃいましたら、椿さんと同じく、自己責任でお願い致します。お気持ちを害されても、何も出来ませんので…!






※本当に、物凄く毒を吐いています。過去最高レベルかもしれません。





※ナムギルさんファンの方は特に、ご覧にならないことを、猛烈にオススメします…!!!!






> ドラマを批判するとき善徳に限らず、好きな俳優さんが思った展開にならなかったりすると、「脚本が悪い。演出がブレている」ときて、最後に「共演者に対する批判」と締め括られる傾向が、残念ながら多いと感じます。

私も感じます。
仕方のないことだとは思うんですが、途中までは「面白い」と評価しておきながら、掌を返すと言うのは、また随分薄情な、とは思いますねー。一つの作品であれば、好みの差とかで好きな回とそうでない回はあったとしても、出演者がほぼ入れ替わったとかではなり限り、そうそう作品の質が変わるわけもないのに、よくそんなこと言えるな、とついつい…(汗)
椿さんと同じで、私も反論コメントを他所のブログへしにいったりはしませんが、同意を求められると、やはり頷けないです。

> ナムギルさんファンの方が、ブログで「ピダムのキャラが前半と後半で別人になっていた」と、仰っていました。
> そして「事実、「ピダムがバカになった」とナムギルも言及していましたし」とありました。

ナムギルさんに対しても、一部のピダム(ナムギルさん)ファンの方に対しても思いましたが、いったいこう言う方達は51話までのピダムにどんな幻覚を見てたんでしょうか(笑)
私には、前半と後半でピダムのキャラが別人と言う方は、ただ盲目的に「ピダムは凄い」と思っているだけで、具体的にどこがどう凄いのか、いつ彼の策略が寸分違わず成功したのか、とかは全く考えていないとしか思えなくて。ただ、漠然と、51話までは劇的にピダムの地位が上がっているから、あるいはトンマンの勝利のおこぼれを預かっているのをピダム一人の功績だと考えているから、ピダムが凄いんだと勘違いをしているのか?と疑問でした。

いえでも、ファンの方はまだわかるんです。好きな俳優さんがそう言えば、信じてしまうでしょうし。
私が一番問題視と言うか心配しているのは、ナムギルさんです。
最初は、「役者が本業なのに、あんな(失礼ですが)バカな発言をするなんて、いい年してこの人どう言うつもりだ?」と、正直本気で頭を抱えました。ドラマを見ている時から、「この人、この脚本の良さはほとんどわかってないんだろうな」とは感じていましたが、インタビューを読んだ後は「何故この人が賞賛されるのか、理解出来ない。脚本を理解する頭もなければ、脚本家に対するこの配慮のなさでは人間性も誉められない」とまで思いましたしw(演技大賞のベストカップル賞の時も、展開から脚本家が憎らしくなったことも…みたいな、要らんことを言ってたんですよね…)
その後、「人気があるんだから、見所がある人なんだろう」と頭を切り替えはしましたが、除隊した後は、自分の発言の影響力をもう少し考えて欲しいです。そして、脚本に対する読解力向上を望みます。

> 私はピダムファンですが、ナムギルさんのファンではないので、やはり観方がシビアなのかもしれません。

私は脚本のファンなので、さらにシビアですねww
演技力に関しても、かなり誉められていましたが、個人的には「?」でした。50話までの、サブキャラ時代はまだ良かったんですが(出番が少なく、あくまでサブストーリー担当だった分、あまりボロが出なかったと言うか)、女王時代はダブル主演みたいなものでしたから、演技力の足りなさが気になって仕方なかったです(汗)
とにかく、私の感覚では、女王時代のピダムは、恋愛、賢さ、カリスマ、ビジュアル(美しい表情)と、ピダムに必要な要素を一つもクリアしてない演技だったんですよ。なので、ピダムがいないシーンになると安心したり…。全部はクリア出来ないのは当然としても、せめて一つ二つはクリアしてくれ、と願いながら最終回を迎えた記憶がありますw

> 要は、そのドラマのキャラクターとして観るか、俳優さん個人として観るかの違いかなと…。

宝塚ファンの経験から申し上げますと(笑)、例え作品が恐ろしくつまらないものであろうと、自分の好きなスターさんが自分好みのビジュアルで演技をしてくれていれば、それだけでそこそこ楽しめるんですよ。
女王時代のピダムがナムギルさんファンに受け入れられづらかったのは、そこもあるんじゃないかと思うんですよねー。司量部令ピダムが不評なのは、前髪がなくなった上に、髭がついて、しかも表情が悪代官系列になってしまったのが大きいのではないかと。
そう言う意味でも、ナムギルさんが私は残念です。「おバカになった」と思ったなら、せめてビジュアル面を追及してくれればいいのに、わざわざ美貌を崩すような表情ばかりをしていたので…。
自分はキャラクターに不満があっても、ファンには不満を感じさせない、と言うのもスターの仕事だと思うんですけれども…。

> 心底惚れた相手に対して、自分の持てる能力全てでもって喰らい尽くそうとする。もっともっと、恐ろしく狡猾で、だけど誰よりも純粋。そんな魅力的なピダムが見たかったですー。

同じくですー!ナムギルさんにも似合うと思います!←そして私も萌えますw


椿さん、ここぞとばかりに長々と毒を吐いてすみませんでした(汗) 胸のつかえが取れた気がします…!

追伸:スペースが反映されますように反映されますように(笑)

椿様へ(続)

  1. 2011/11/03(木) 00:52:03 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
い、今更ながら…い、言い過ぎた気がしてきました(汗)

椿さんに嫌な思いをさせてしまっていたら、本当にすみません…!!(;ノД`)

休日を満喫されていらっしゃるかもかもしれないと思いつつ、こんばんわ~。

  1. 2011/11/03(木) 18:36:58 
  2. URL 
  3. 椿 
  4. [ 編集 ] 
いえいえ、私は大丈夫ですよ~と言うか、自分に対しての新たな発見もありましたしw

※そしてまたまたお願い致します!ナムギルさんファンの方は読まないでくださいませ。すみませんすみませんっ(汗)
緋翠さんにご迷惑がかかりませんように!







> 宝塚ファンの経験から申し上げますと(笑)、例え作品が恐ろしくつまらないものであろうと、自分の好きなスターさんが自分好みのビジュアルで演技をしてくれていれば、それだけでそこそこ楽しめるんですよ。

↑私、考えてみたら好きな俳優さん、辛うじてファンと呼べるかな?って俳優さんがおっそろしく少なかったです…。思い付く限り一人しかいない事実に今気がつきました。←遅い。
もともと俳優さんよりもキャラクターに落ちる傾向があるらしく、なかなか俳優さん個人では見る機会がないとゆーか、これまたマニアックな見方なのかもしれませんー。
気になる俳優さんを思い浮かべたら、よくて2人くらいしかいない事実に気がつきましたww
好きな(気になる)俳優さんBEST5を考えてみたいと思います、自分のためにも(←真剣にw)。
確かに好きな俳優さんだったらば、ビジュアルと演技を見て楽しめそうですv
ここは訂正しないといけません。申し訳ないです!

見た目のビジュアル、そして表情や視線の動かし方って物凄く大事だと思います。見せ方もやりすぎると小物っぽく見えたりしますし…。←ここら辺はもうすでに見ていて「違うなー…」と、感じてしまったり。
例え内心は震えるほどの動揺やショックに打ちのめされていたとしても、あからさまに面に出さない演技も時には必要ではないかなと、僅かな表情の変化で見せる方が、より動揺を表し、また同時に底知れなさや凄味が増す場合もあるんじゃないかと…。
目力のある俳優さんなので、目で語る演技を見たかったです。かと言って、ギラギラ目力と言うわけではないんですが…(汗) めんどくさい要求ですねw
女王時代は主役級の演技を要求されていたナムギルさんを見ていて感じました。
感情過多な演技も確かにピダムっぽいですが、著しい成長を遂げ、内面から喰らい尽くそうとする「怖さ」を見たかったです。トンマンを追い詰めているのに、残念ながら画面からはあまりそれが伝わってこなかったので…。
思考も行動も能力も、その精神のあり方も、ピダムは群を抜いていると思うんです。
でも画面からはあまり伝わってこない。残念です。
ナムギルさんが演じたピダムが全てだと、言われてしまえばそれまでですが、違和感は何とも拭えません。

ドラマ撮影に関しては、とてもタイトな撮影だったと思います。短い時間の中で役者さんに求められるものがどれ程難しいかと言うことも…。
でもずっとピダムを演じてきて、ピダムになりきっていたと仰るならば何故分からなかったのかなと、恋に盲目、それもピダムの魅力だと思います。けれどピダムの非凡さ、それは一番ナムギルさん本人が分かっていたはずではないのかなーと…。
慌ただしい撮影の中で脚本を読み、演じる。他の役者さんも皆さん条件は同じな訳ですし。

ナムギルさんの発言については、いろんなファンサイトを覗いていたときに「この人失言が多いなー」と感じました。
一度口から出た言葉は二度と戻りません。しかもメディア相手に発言した場合、自分の発言が周りに与える影響が計り知れないものなのだと、自覚が足りないなと思いました。
でなければ、売れた途端「ファンは水物」発言はあり得ません。売れない時期に支えて、応援してくれていたファンに対しての対応とは思えないし、人間性を疑ってしまいます。
軽率さにおいても、考えなしの発言や責任転嫁に呆れてしまったファンの方もいらっしゃったようですし、ブラックな面も確かにある方なんだと思いました。
受け答えに関しても、あまり機転のきく方ではないですし。だから考えなしで迂闊な発言が多いのでしょう。
私はこう言う面を無視して好きになることはないので、やはりシビアになってしまいますー。

私が唯一ファンと呼べる(←いやおこがましいですが)9年ほど前から好きな俳優さんは、演技を含め、周りへの配慮やファンへの感謝、何よりも売れなかった頃と売れた後でまったく変わらない方なので、どうしても比べてしまいます(笑)。

とりとめもなく書いてしまいましたが、ピダムを好きだからこそ要求が高くなってしまいます。

緋翠さんのブログで毒を吐いてしまいました。
この場をお借りして批判してしまいましたが、私も同じように感じ、ドラマに対する批判記事を読むたびに凹んだり、憤りを感じてしまっていたので、もし私のコメントを読まれた方がいらっしゃいましたら「こんな風に感じてるヤツもいるんだー」と、知ってほしかったのもあり公開コメントにしました。
緋翠さんには迷惑この上ない行動で申し訳ありません!

またしてもお返事しにくい内容の上、一方的に叫んでしまいましたー。
読み流してくださいませ!

吐くだけ吐いてしまいましたので、どうか緋翠さんにご迷惑がかかりませんように!!かかりませんように~っ(汗)


翡翠様、椿様へ

  1. 2011/11/03(木) 21:59:30 
  2. URL 
  3. 鷺ノ宮 
  4. [ 編集 ] 
こんばんは。
祝日お寛ぎでしょうか?

この「ご忠告~。」の発端となった自覚のある鷺ノ宮です。

翡翠様には、秘密コメントにて「女王時代のピダムの解釈に今も苦しむ当事者です。」と相談していました。
ご負担だったかと思います。
その節は、お世話になり、ありがとうございました。m(__)m

翡翠様の咀嚼解釈により、何度目から鱗が落ちたことかわかりません。
ヽ(*´▽)ノ♪

オススメ通り他所のサイトも旅して参りました。(^-^)/

ここからは、椿様にも感謝を。
10月2日に初めてお邪魔し、26日にコメントをありがとうございました。
椿様のサイトが過熱しなくて、良かったです。(^o^;)

>ずっと感じていた違和感の正体が「脚本と演技を分けて観る」ことで解消しました。

全く、同感です。
じんわりDVD を見返していたところに、このコメント。
何度も噛みしめました。(大涙)(T^T)


>過激で急展開するストーリーが、思うような展開でなかったからといって、他所のサイトに反論コメントをしにいったりしません。

仰る通りです。

ナムギルさんの女王時代の「表情演技」について。
宮廷人になってからは、衣装がガッシリしているためか、台詞と表情からしか、心情を理解する手掛かりがなく、不用意コメントになりました。ユシン並の簡略化でした。

ここからは、翡翠様お許し下さい。
私の秘密コメントを見ていない方々へ
この場をお借りすることを。

ひょっとして、身から出た錆びとはいえ、「トンマン無能論の方」と思われている?かもと、思い釈明に上がりました。

王としてのスーパーワーキングウーマンぶりは優秀です。
ただ、女人としてつまらなさすぎると。
これは、台詞でもトンマン自身が言っています。

もっとライフ&ワークバランスを楽しめばいいのに武骨者だなぁ~。無駄に可愛い分、罪作りだよ。という視聴者として罵詈雑言が感情的になり、関西弁の気迫と相まって、このような結果に。
誠に申し訳ないことを致しました。
m(__)m

視聴者の欲求通りには展開しないお預けと、そこに魅力を感じるジレンマが脚本家の意図だと解釈しています。
私も、王として、これ以上の能力の発揮はないと思っています。

視聴者の多くの方が、2人に少しはいい思いをさせてあげたかったはずです。
だからこそ、2次創作のような需要と供給があると思っています。

そこで、私の言葉不足、どう表現したらいいのか迷った挙げ句のご批判は、甘んじてお受けします。

ですから、他の似たビギナーファンの方々にも、解釈の形が成長するように温かいご鞭撻をお願い致します。

こちらに書き込むことではなく、その初歩的で、反射的な自然な感情のことです。

善徳ファンとして、裾野が広がることを願って止みません。

故に、
「脚本」の読解力向上委員会名誉会長の翡翠様。

自分の出発点として残しておいて貰おうと思っていましたが、「現代モノ」の10月23日のコメントの影響や波紋だと判断されるようでしたら削除願います。お返事不要です。いつもお手数おかけします。

思いは秘密コメントの通りなのです。
ご迷惑な波紋となっていないかとだけ見守っています。

なんとか過熱の収拾がつきますように。
(大滝汗/・・・(;´Д`))

蛇足ですが、10日で3?痩せました。
別荘ダイエット(笑/(^o^;))










続・翡翠様へ

  1. 2011/11/03(木) 22:47:16 
  2. URL 
  3. 鷺ノ宮 
  4. [ 編集 ] 
すみません。
大事な佳境の創作活動時間に。
さらっと読み流して下さい。

祝・ピダム像が落ち着きました。
流石、文化の日です。

>ピダムの乱:万能三役
>総大将、軍師、あわや将軍。

>トンマン&ユシン&チュンチュ(&アルチョン)4人がかりで倒している。

復耶会のユシンみたいに自首できるタイミングになく、本来そんなキャラクターでもないから。
だから、ピダムにはあの最後しかなかったと思われます。

ヨムジョンの罠について。
郎粧決意に見られるように、目の前で人様が自決すれば、最後の言葉をうっかり信じてしまう効力は充分です。

韓国の死生観・自殺率等も調べながら、
ピダムは愚かではない。という結論に至りました。


椿様へ

  1. 2011/11/05(土) 14:45:32 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
椿さん、こんにちはーv 休日もブログも満喫しています(笑)
私も、「い、言っていいのか…!」とホッとしました。と言うか、あれだけ言いたい放題言ったつもりでも、まだ溜めてる部分があったんだな…と自分に呆れるやら、言えた幸せを噛みしめるやらです…!(迷惑なんてことないですよー!!)

※私からもまたまたお願い致します。ナムギルさんファンの方は、著しくご気分を害される可能性がありますので、出来れば読まないで頂けると助かります。すみません、宜しくお願い致しますー!



> もともと俳優さんよりもキャラクターに落ちる傾向があるらしく

これ、わかりますわかります!私が役者さんを好きになるのも、その人の当たり役を演じている(と思える)時なんですよー。どこにも見所のないつまらない役だったら、どんなに好きな役者さんでも見ていられません(笑)
たまに、「この人ならどんなにつまらない話でも、この人の演技だけでも見る価値がある」と言う役者さんもいますが、滅多にいませんし、別にそう言う方のファンと言うわけでもない…と言う(え)
とりあえず、椿さんの『好きな(気になる)俳優さんBEST5』が気になりますー!!楽しみですvv それで椿さんの好みが研究出来るぜ…!と。←ちょ

> 確かに好きな俳優さんだったらば、ビジュアルと演技を見て楽しめそうですv

私の場合、ミセンの役者さんが次に出てた近肖古王がそれでした(笑) 話としては「こりゃ視聴率取れないだろうな」と言うどうしようもない感じがしたのですが(すみません)、ミセンがウォルヤみたいな役どころで、どんどん比重が大きくなっていったので、ミセンファンとしてすっごく楽しかったですーv

> 見た目のビジュアル、そして表情や視線の動かし方って物凄く大事だと思います。見せ方もやりすぎると小物っぽく見えたりしますし…。←ここら辺はもうすでに見ていて「違うなー…」と、感じてしまったり。

ですね…。私の知る限り、凄く賢い人は、基本的にシニカルと言うか、表情や感情をやたらめったら波立たせたりはしませんから、見せ過ぎる演技はどうにも…。小物だと言うつもりで演技しているならまあ仕方ないんですが、その場合、何故よりにもよって不満を持った脚本を良く見せようとする演技ではなく、さらに自分の演じる人物を小さくする演技をしたのか問い詰めたいですw
あ、でも、イ・サンでも、凄く賢いキャラだと言うホン・グギョンが表情筋大活躍の小物感満載な演技をしていたので、若手役者さんはそう言うものなのかもしれません…(汗) ただ、善徳女王では、チュンチュのスンホくんが若いながらに怖さとか賢さを目で語っていたので、また物足りなく思えるのかな、と。

> 感情過多な演技も確かにピダムっぽいですが、著しい成長を遂げ、内面から喰らい尽くそうとする「怖さ」を見たかったです。

ナムギルさんの場合、『登場人物の成熟』を演技で表現出来なかったのがイタイですよね。見直すと、初登場時のピダムと、女王時代のピダムで、格好が変わっただけで、年輪と言うか、「あれからもう年月が経ったんだな」と言う感じがしなくて…。
若々しいのはミシルもそうだったんですけど、それは見た目だけで、ちゃんと第1話と比べると第50話は「老境」とわかる演技をしているんですよね。小娘感は少しもなくて。だから、「ミシルは年を取った」と言われても、「まあ、確かに」と思えました。中身はもう年寄りだなと。
ピダムはそれが演技的に見えなくて、主要キャラ老けている分、ちょっと浮いてる感じがするなーと私は思いました。「怖さ」と言うのも、そこら辺かなと。日食の時より人間的に成熟している感じがしなかったので…。

> ナムギルさんが演じたピダムが全てだと、言われてしまえばそれまでですが、違和感は何とも拭えません。

そうなんですけどねー(笑)

> でもずっとピダムを演じてきて、ピダムになりきっていたと仰るならば何故分からなかったのかなと

私もつくづくそう思います…。脚本のピダムの良さがわからなかったとしても、ピダムになりきっていたなら、何故ナムギルさんが考える「ピダムらしい」演技をしなかったのか? 脚本がどうあろうが、賢く見える演技をすれば良かったのに、それをしないでおいて脚本を批判するなんて、おかしくないか?と言う…。……正直、うだうだ文句言う前に、やることやれよ、と思いました。

ナムギルさん、確かに失言が多い人ですよねぇ…。「ファンの皆さんを愛してます」とか、もっとそつのないことを言えんのか、と私も何度か感じました(笑)
「ファンは水物」は、信じられませんでしたねー。役者業を何か高尚なものと勘違いしてるのかなと思いました。
個人的には、役者って、要するに芸を売る人なんですから、客にウケてなんぼだと思うんですよ。お客さんが去れば、何を演じようが意味がないんですから、自分の芸を見続けてくれる人は何より有り難いはずなんですが、自覚がないですよね…。以前にあつ様がナムギルさんのことを叩き上げと仰っていたのですが、私は「本当に苦労してんのか?」と首を傾げています。

私もこう言う面はかなり重視するタイプなので、シビアになります…。せめて、有無を言わせぬ演技力があればいいんですけど、申し訳ないんですが、演技力がある人は、勘所を間違えないと言うか、大概機転が利きますし…(滝汗)

私もつい、脚本が好きだからこそ、あれこれ要求してしまいます(汗)
こちらこそ、ブログでがーがー毒吐き怪獣と化してしまってすみません…!ああ、相当溜め込んでたんだな…とつくづく実感しています。

椿さんと語り合えて本望ですから、どうか謝らないでくださいー!!誰かと「そうそう!」と吐き出してしまいたかったんです。
椿さん、ありがとうございます!

鷺ノ宮様へ

  1. 2011/11/05(土) 15:29:36 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
鷺ノ宮様、こんにちはーv 祝日も平日夜も寛いでいる管理人です(笑)

> この「ご忠告~。」の発端となった自覚のある鷺ノ宮です。

あ、ご忠告の記事を書いたのは鷺ノ宮様からのコメントがあったからなのですが、7月にも同じようなことがありまして。その時は、議論する以前の問題で揉めたので、今回の記事を書きました。
基本的に、議論する相手の方はお戻りならないことが多いので(汗)、今回、鷺ノ宮様が引き続き相手をしてくださることがとにかく嬉しいです…!!私の方こそ、鷺ノ宮様のおかげで新しい視点を得ることが出来ましたvv

> 王としてのスーパーワーキングウーマンぶりは優秀です。ただ、女人としてつまらなさすぎると。これは、台詞でもトンマン自身が言っています。

あれ、言ってましたっけ!?(←ちょ) ……どうやら、私の耳が、「そんなことないもん、トンマンは女としても素敵だもん!!」とイタズラしたようです(汗)
私の場合は、「ライフ&ワークバランスを楽しむ(名君と言える)王」をあまり知らないので、むしろ真摯なところがいいなートンマンは、と思っていました(笑) ピダムに対しても、ただ「触るな馬鹿者!」とで済ませず、ちゃんと言い聞かせたり、我慢強いと言うか、王なのに本当に丁寧だな…と感心したんですよー。
そこが、鷺ノ宮様の仰る「王として、これ以上の能力の発揮はない」と言うところなのかもしれません。

> ですから、他の似たビギナーファンの方々にも、解釈の形が成長するように温かいご鞭撻をお願い致します。

成長と言うか、こう言う見方もあるのかと受け入れて頂けるように、頑張ります。
……って、

> 「脚本」の読解力向上委員会名誉会長の翡翠様。

そんな大層な肩書きをつけられると申し訳ないです…!!!いやその、精一杯頑張ります…!

あ、削除はしなくても大丈夫だと思います。例え議論が起きたとしても、それは私が望むものなので(笑)、問題ないです!
なので、どうかそんなにお気になさらないでくださいー!個人的に、過熱ってことはないです。私が言い過ぎたとしても、それが間違っていると思われたら、むしろバンバン反論して頂きたいんです。それで改めて見えることもありますし。日本では議論をすると言うだけで煙たがられる傾向もありますが、私は、好きだ嫌いだの問題ではなく、論理的な議論なら、されていいと思う派なのでーv

> 蛇足ですが、10日で3?痩せました。別荘ダイエット(笑/(^o^;))

食べてください食べてください!!!!(滝汗)

鷺ノ宮様へ

  1. 2011/11/05(土) 15:43:03 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
鷺ノ宮様、続けてこんにちはーv
創作もコメントも同じくらい大事なので、ご心配なく!波が来ている時じゃないと書けないので、お返事以外のことを優先したい場合は、結構そうしています(笑)

> 祝・ピダム像が落ち着きました。流石、文化の日です。

おお、おめでとうございますー!!

> 復耶会のユシンみたいに自首できるタイミングになく、本来そんなキャラクターでもないから。

それだけじゃなく、政治的な責任を取ったな、とも思いました。「反乱を起こした、王の右腕」となってから自主しても、それは我が身可愛さにしかなりませんし。ユシンみたいに、反乱に加担する前ならいいんですが。
そして、貴族達とは深い絆も何もあったもんではありませんでしたが、ピダムは反乱軍の指揮を放棄した上で、自らが反乱の首魁として死んだことで、貴族達に責任転嫁をしなかったなとも感じました。ユシンは、彼個人としては筋を通しましたが、伽耶勢力に対してはちょっと不誠実と言うか、彼の管理不行き届きで復耶会の一件があったのに、逮捕協力もしませんでしたし。ピダムは、彼個人の力量で反乱軍をあそこまで巨大化させましたから、彼が指揮を放棄すると言うことは、反乱軍瓦解に大きく貢献していて、結果的にトンマンの為になっていますよね。

>ヨムジョンの罠について。

これは、自決するだけでなく、相手が「アルチョン率いる侍衛府の人間」だったことがかなり大きいと私は思いました。ピダムは終始、最初にトンマンの部下になったアルチョンに対しては信頼感がありましたから、彼の率いる侍衛府に対しても、「トンマンに絶対的な忠誠を誓う者達」と評価していたと考えられます。
その上、自決したフクサンは、「女王陛下、万歳!」としか言ってませんでした。あの時のピダムには、ただでさえ「俺は陛下の顔に泥を塗り、彼女に対する反乱の名目になっている」と言う負い目がありましたから、ヨムジョンの罠は、そう言う精神的な穴を上手くついていたと思います。
自決について言えば、その程度のグロテスクさでピダムが怯むとは、ちょっと私には考えられないので(笑)

翡翠様へ

  1. 2011/11/06(日) 16:13:38 
  2. URL 
  3. 鷺ノ宮 
  4. [ 編集 ] 
こんにちは。
関西は雨です。

品位あるこちらに出入りされるブロガーの皆さんと違って、議論の相手としては、役不足な私に、丁寧でいつも長文のお返事ありがとうございます。
(中身薄なので、お返事不用or 1ヵ月後でも頂ければ、ありがたいぐらいです。)

正直、管理人さんの翡翠様と、このように続くとは私も夢にも思っていませんでした。

物語「善徳」が好きなんですね。
戻ってこられない方?
Come back here,please !!

クリアリング(疑問解消)
±体重3キロ
-(怖)い思い
+新しい視点
±万人の快・不快
=「善徳」面白い(幸)
by 「目から鱗」体験者(^-^)vです~。

>ユシンの自首、ピダムの首魁(!)としての死。全文引用断念~。

?「そう、そうなのぉ~!」と、膝を叩いていました。
いつもながら、見事な補足に惚れ惚れ致します。精彩を放っています。?

只今、ユシンとピダムの項目毎の対比表を作成中。(喜々)

「ブログを立ち上げねば~」と、思いつつ、
「今は無理~」と、心の叫び。

翡翠様が、問題解決して下さるので甘えています。
私では、このような流れる文章無理でございます。(汗)
下手でも、2次創作を書いていると、浄化作用はありますが、世間のブームと自分のモチベーションがいつまで続くことやら・・・。

「ご忠告」を頂いてから、ネットマナー、公序良俗は大丈夫?と振り返り、「管理人の趣旨に従う」を見つけてから焦りました。

可否や是非はわかりませんが、?コメント承認制度にされたらどうでしょう。

私のように、NGワードが直ぐにわからず、(怖)い思いをされることなくコメントを書き込めるのでは?
もしくは、このまま、ご忠告掲示を常設されるか・・・。

いずれにせよ、常に敷居が高い方が、品位が保持できていいかもしれませんね。
こちらのPhododendRon 別荘のように熱意と気骨と知性あるサイトでは。

妄想ですが、文学部出身の国語の先生か、出版社勤務の、議論好きの帰国子女に違いない。とか思っていました。とても敵わないと、失礼。(汗・汗)
勿論、答えないで下さいよ。(^^;

その翡翠様から、下記の言葉。

>新しい視点を得ることができました。

?嬉しくて(大涙)でしたが、どこの視点でしたでしょう。

?いつも、既に、答えをお持ちのように、お見受け致します。
この機会に活字にしてみただけのように感じます。

以下に、翡翠様の記事の見出しと、私の簡略化感想を。

・素朴なギモン@ピダム
(分かりやすい「アンチテーゼ」です。この、負のスパイラル「バカバカ」論。どんな優秀なFBI/例でも、 ヒューマンエラーをするとか。なら、人は人故に愚かしい。愚かでないことはない=愚かである。なら、ピダムだけが、愚かである訳ではない。
やった-!ヽ(*´▽)ノ♪
否。ピダムは人だから、ピダムも愚かである。アレ?ダメダメ。基。
セルフマネジメント論のピーター・ドラッガー教授を引用。
「成果をあげる人とあげない人の差は才能ではない。いくつかの習慣的な姿勢と基本的な方法を身に付けているかどうかの問題である。」の見方でピダム万能3役論を支持し、「ピダムは愚かでない」を整理します。ピダムは、成果を出す考え方/貢献・強み・集中はできていたから、行動の仕方/時間管理・意思決定・目標管理・計画の角度から洗ってみます。少しマニアっぽくなれてきました?(^-^;)
この項目はユシンとの対比表にも入れてみます。公主・女王時代別に。)

・2つの台詞からわかること
(ピダム「陛下はお前を救うためにお命を擲った。/かけた、なげうった」
ユシン「私ひとりのためにお命を擲っただと?本当にそう思っているのか?なら、お前は浅はかになったものだな。」
確か吹替えは・・・。で、名簿を燃やした集会直後、百済軍が迫っているので、ウォルヤとピダムどちらの接触が先か疑問ですが、私はウォルヤから報告を受け、ユシンは女王が「命を擲った」のを知っていた派です。もしくは、ユシンの握り拳アップシーンで、ことの重さを直感したか。いつもながら、ピダムよりは遅いと思います。←是非より投票でメジャーを知りたいです。)

・素朴なギモン・続
(お気に入り「私利私欲」論、
課題のピダムとユシンの「山鹿」論/
ユシンは戦場でのみ山と鹿を見れ、恋愛は鹿しか見えないのか?
否。実父の王派とミシルが山狩りしてたので、生きて鹿を隣の山へ=国から出すことに集中していただけだと思います。他の選択肢は鹿=トンマンの見殺しですし。
生活力がないのは事実ですが、非常事態の中で山も見ていた派です。
追:花郎時代は、2人とも女王時代程、山の意識は薄いかも。
←投票でメジャーを知りたいです。)

>ピダムは山も鹿も見ていて、山を買収して鹿に懐いてほしかった。

>「トンマンに頼ってもらえるだけの、結婚を迫れるだけの権力をえる」ことは、達成できているのに、その達成感はなく、ただそれをトンマンが喜ばないと言うことに傷ついている。

?この説明に興奮しました。どこから、導かれたのか。

?猛獣使いトンマン。鞭ばかりでなく、飴が必要だよ。?
否。ピダムが繊細で聡明な人故に、甘やかせず、頼れなかったんだね。?

・ピダム視点
(黒偏コミル発見課程/拍手)

他のコメントを書き込まれている方の「発見」や「違和感解消」が、もし私の口火が間接的な起点で、翡翠様のゴールなら、ハットトリックみたいですね。
なら、新規参入者として性急にせっついて、良かったなと思います。愚かしい方法でしたが、個人的に長期間、違和感を温存出来ないので。

無駄死にでは、なかったと。
いえ、生きてます。(^^;
有意義な時間だったと。(^-^)v

仕事が落ち着きましたら、DVD の中身を見返したいです。字幕か消音+字幕か。
今は読む??ので、精一杯?
課題:チュンチュをもっと理解したいです。盗人萩/下いいですね。季節感があって、何か落ち着きます。

[追記]
椿様の含蓄ある「他所のサイトに反論しに行ったりしません。」
今も、ご最もです。(ホーム荒らしではないです。/傷心。(T-T))
ただ、翡翠様の議論のお許しを頂いたので、「記事」や「SS 」の理解を深めるための愛情とご理解下さい。管理人の警告、趣旨に従います。?

やっとスタンスが落ち着きました。翡翠様、サポートありがとうございます。これからも、お相手して頂けるようなら、宜しくお願い致します。(^-^)v
1見出し、1コメントにすればいいのに、まとめてしまいました。(陳謝)

翡翠様へ

  1. 2011/11/06(日) 16:19:18 
  2. URL 
  3. 鷺ノ宮 
  4. [ 編集 ] 
すみません(^-^;。
文字化けです。
文章頭の半角?は、本来ピンクの花マークです。(慌)

管理人のみ閲覧できます

  1. 2011/11/06(日) 20:39:30 
  2.  
  3.  
  4. [ 編集 ] 
このコメントは管理人のみ閲覧できます

鷺ノ宮様へ

  1. 2011/11/06(日) 23:15:23 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
鷺ノ宮様、こんばんはーv 東京も雨でした(笑)
私の方こそ、お返事マシンガンと言うか、言いたいことをババッと並べ立てるだけの味気のないお返事が多いのに、いつもお礼を言って頂けて申し訳ないです…!ありがとうございますv

> 正直、管理人さんの翡翠様と、このように続くとは私も夢にも思っていませんでした。
> 物語「善徳」が好きなんですね。

そこに尽きますよねw 一つのドラマでこんなに色んな人との御縁が生まれるとは、ブログを始めた時は考えられませんでした。

いきなりですが、鷺ノ宮様の文章は独特で面白いですね。

> クリアリング(疑問解消)
> ±体重3キロ
> -(怖)い思い
> +新しい視点
> ±万人の快・不快
> =「善徳」面白い(幸)
> by 「目から鱗」体験者(^-^)vです~。

↑こういう表現は思いつかないヤツなので、参考になります!私にも使えそうでしたら、キャラ語りなどで使ってみたいです。

そして、ブログの立ち上げなどは、もしご負担になるようでしたら、体調が本調子になってからをオススメしますv 何かを書くこと自体は体内の毒も吐き出せますから、オススメです(笑)
世間的には、もう少し善徳ブームもあることかと思いますー。地上波に進出したりするとまた変わりそうですし。

> 「ご忠告」を頂いてから、ネットマナー、公序良俗は大丈夫?と振り返り、「管理人の趣旨に従う」を見つけてから焦りました。

そうなんですか!おう、知らなかったです…。
コメント承認制は考えたんですが、正直面倒臭くて却下しました(爆) それに、私自身が頂いたコメントを一人で判定すると言うのは、「お前何様だよ」的な感じがして好きになれなくて…(汗) 

> 私のように、NGワードが直ぐにわからず、(怖)い思いをされることなくコメントを書き込めるのでは?

ええと……そうですね、私の立場としては、「コメントした以上、コメントの内容に責任を持て」と言う感じです(←ちょ)
良識はある程度求めてはいますが、特別なルールは求めていません。敷居の高さも品位も(笑)
反論だって、言論の自由があるのなら、許されるべきことだと思うんですよ。いつかのお返事で申し上げましたが、私は「ナムギルさん素敵!」と言われるだけなら、「おおー」で済ませてきました。反論はしていません。同意を求められたり、理不尽だと私が感じる批判をされた場合だけ、反論しています。

コメントは、「管理人に対するコメント」なんですよ。不特定多数ではなく、イエスマンでもなく、なんでも同意する人間にでもなく、あくまで私に話しかけて頂いているのに、何故反論することがタブー視されがちなのかが謎です。二次創作までしているくらい、意思のあるヤツに、いったい何を期待していらっしゃるのかなーとww

> ?嬉しくて(大涙)でしたが、どこの視点でしたでしょう。

あ、新しい視点と言うのは、色々種類はありますが、基本的には「そこに注目しなければならないのか」と言うようなことです。私自身には当たり前でも、(当然のことではありますが)そうじゃないことは山ほどあるので…!


> ・素朴なギモン@ピダム
> セルフマネジメント論のピーター・ドラッガー教授を引用。

ほ、ほほう…!?す、すみません、浅識なもので、ドラッガー教授がわかりません…orz
でも、鷺ノ宮様の対比表、楽しみにしていますv

> ・2つの台詞からわかること

これ、私がウォルヤとユシンが接触前だと思った根拠は、名簿を燃やした時の服装なんですよ(爆)
あの時、ユシンは準備が完了済みでしたが、ウォルヤと復耶会チームは復耶会の服装のままですよね。兵部の装束ではありませんでした。つまり、今すぐ出陣しなければならない時に、『身支度』が全く出来ていないわけです。
だから、ユシンとピダムが話しているのは、「ウォルヤ達が身支度(出陣準備)をしている間」だと思ったんです。それが時間軸で考えて、一番しっくり来るなと。
そして、ユシンの握り拳アップは、「伽耶人を識別する名簿を燃やす」と言う一つの悲願が、突如として目の前で達成されたことにより、改めて神国への忠義を深めた場面と解釈していました。
ホントに、どうなんでしょうねえ…。

> ・素朴なギモン・続
> (お気に入り「私利私欲」論、
> 課題のピダムとユシンの「山鹿」論/

ユシンのことなんですが、私が「駆け落ち」を「鹿しか見えていない」と言ったのは、駆け落ちを成功させるだけの『目』をユシンは全く持っていなかったからです。
例えば、ユシンは敵と味方が判別出来ていませんでした。金銭面で彼に力がないのは最初からわかっていたことですから、それなら、頼るべき相手を見極めなければならないのに、実父を「父だから」と言う感情的な理由で信じ、助けを求めました。
「生きて鹿を隣の山へ=国から出す」ことに集中していたなら、彼は「誰を信じるべきか」を正しく判断しなければならなかったはずです。
しかもユシンは、父のみならず、ピダムにも騙されました。「追っ手がかかっている」と言う状況(山)を正しく理解出来て(見て)いるなら、二度も間違えるでしょうか? 特に、父に騙された時は、「トンマンが殺されかけた」と誤解してピダムに斬りかかるほど激昂したのに、同じミスをまたするなんて、よっぽど恋に狂って何も見えなくなっているのでない限り、有り得ないと思うんですが…。

> >ピダムは山も鹿も見ていて、山を買収して鹿に懐いてほしかった。
> >「トンマンに頼ってもらえるだけの、結婚を迫れるだけの権力をえる」ことは、達成できているのに、その達成感はなく、ただそれをトンマンが喜ばないと言うことに傷ついている。
> ?この説明に興奮しました。どこから、導かれたのか。

ありがとうございますーv
ど、どこから…と言うと、ドラマから…と、山鹿論を頂いたから…としかお答え出来ないのですが。←

> ?猛獣使いトンマン。鞭ばかりでなく、飴が必要だよ。?
> 否。ピダムが繊細で聡明な人故に、甘やかせず、頼れなかったんだね。?

あ、でも、52話を見る限り、復耶会の一件があるまでは、トン&ピの仲は良好ではあったと思います。ベタベタはしていませんが、「ピダム!」とすぐに呼ぶぐらい、トンマンにとってピダムはなくてはならない『愛刀』だったんじゃないかなと。

> ・ピダム視点
> (黒偏コミル発見課程/拍手)

いやー、私も改めて、この記事を書けて良かったと思いますー!!そして、鷺ノ宮様にわかって頂けて本当に安心しました(笑)

> 仕事が落ち着きましたら、DVD の中身を見返したいです。字幕か消音+字幕か。

他の方が仰っていたのですが、吹き替えは吹き替えで、字幕より長く台詞を取れるところが長所らしいです。私の場合は、消音せず、役者さんの言葉から字幕を補足しています。(韓国語がわかるわけではないんですが、慣れると単語とかはある程度わかるのでw)

> 課題:チュンチュをもっと理解したいです。盗人萩/下いいですね。季節感があって、何か落ち着きます。

ありがとうございますv 実はチュンチュはピダムより描写が少ない分、理解が難しいです…が、チュンチュ役のスンホくんの演技は脚本と剥離はしていないと思います。たぶん(笑)

> ただ、翡翠様の議論のお許しを頂いたので、「記事」や「SS 」の理解を深めるための愛情とご理解下さい。管理人の警告、趣旨に従います。?

うお!?いやその、私は決して「私の意見に反論するな。議論も許さん」とは言いませんのでー!
私が主張したのは、「私にも反論の権利はあるので、必要だと感じたらその権利を行使します」と言うことですので、そんなにビビらないでください…っ!
これからも宜しくお願い致しますv(・∀・)/


●追伸●
> 文章頭の半角?は、本来ピンクの花マークです。(慌)
そうだったのですか!文字化けが惜しいです(涙)

tocco様へ(その1)

  1. 2011/11/08(火) 10:58:48 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
tocco様、初めまして!管理人の緋翠と申しますv
今回、コメントをくださりありがとうございます。図々しいなんてことはないですよー!それどころか、監督についての議論は久しくしていなかったので、腕が鳴ると言うか、嬉しいです!(笑)

※お返事としては少し論点がズレているかもしれません。そして、ちょっと欠かせなかったので、イ・ビョンフン監督についても批評しています(汗) しかも、私は口調が厳しくなりがちで……悪意や反感があるわけではないので、お許しください…!

では、早速v
まず、私は、善徳女王の監督二人は、かなり功罪があったと思っています。よりはっきり言えば、女王時代をつまらなく感じた方が多かったのは、監督ズとナムギルさんのせいだなと。
……と言うわけで、監督ズの「長編時代劇を作る力量」については、私もかなり訝しがっていますし、正直それほど偉大な監督だとは(現時点では)思えませんでした。
キム監督については、力量を知る為にも、参考までにチュモンとケベクを何話か見ましたが、彼は見応えのある映像を作り上げる力(演出力)に相当ムラがあることも感じました。そして、パク監督は他に時代劇を撮っていないみたいなので参考材料がないんですが、ただ、チュモンやケベクと比べて善徳女王の色彩が美しいのは、パク監督の功績だろうなと消去法で判断しています(笑)

で、確かに、この二人の監督は所謂『~ワールド』を作り出していないと思います。脚本家によってかなりドラマの色合いが違いますから、ドラマの骨格制作には脚本家と共に携わっても、脚本や演技に深く介入しているとも考えられません。
一方で、イ・ビョンフン監督は脚本執筆に携わり、演技指導までした上で、演出(映像)の力をも発揮しています。
でもそれは、監督の力量の違いだけでなく、タイプの違いでもあると思います。

私は、映像作品を作る時、二つのタイプがあると考えています。

一つは、イ・ビョンフン監督とか黒澤明監督のようなタイプ(舞台なら、脚本演出を両方こなすタイプ)で、何を作っても「~ワールド」になる監督です。彼自身がドラマ(映画)の全てに深く関わるので、脚本家が変わろうが役者が変わろうが、大して関係ありません。
ただ、このタイプは「安心感」はありますが、まかり間違うと、何を撮っても所詮似たような作品になる、と言う欠点もあります。事実、チャングムもイ・サンもトンイも、世界観は全く同じです。役者と脚本の力量と題材次第で視聴率に影響は出ますが、「いつものメニュー」ですから、大失敗はそうそうしません。主人公は賢く、天運を持ち、勧善懲悪で悪役は皆滅ぶ……テーマは常に、これです。

二つ目は、キム監督のようなタイプです。(パク監督についてはわからないので、敢えてキム監督オンリーにします)
このタイプは、演出(映像)にしか主導権を持たないので、脚本と役者の力量が大きく作品に反映されます。だから、作品によってかなりカラーも変わりますし、何が来るのかわからないところがあります。
でも、それはそれで、魅力の一つにもなっています。何故なら、脚本と役者の力量がより重要視されるこのタイプの作品は、脚本と役者との化学反応で、監督の創造力では生み出せない作品が出来上がるからです。
だから、私はキム監督にイ監督のようになれとは思いません。二人は明らかにタイプが違いますし、映画はともかく、長編ドラマ、特に史実を取り入れる必要のある長編時代劇においては二つ目の方が柔軟性があるぶん、より多彩なテーマを持ったドラマを作れるからです。

考えてみてください。
イ監督が善徳女王の監督だったら、ミセンやハジョン、チュクパン、サンタク達は、主人公最強の勧善懲悪に押し込められて、「おバカ」「漫才担当」「小物」「お人好し」などに単純にカテゴライズされ、今のような複雑な役割は担えなかったはずです。彼らがそれぞれに個性的かつ魅力的な役を演じられたのは、脚本と役者に『自由』があったからだと私は確信しています。

勿論、監督の力量次第では、例え長編ドラマであろうと、全てのキャラクターに複雑な役割を演じさせ、それを隅々まで把握し、演技指導をして、その上で映像美を追求することも出来るでしょう。
でも、tocco様も仰る通り、長編ドラマはあの過酷なスケジュールで撮影をこなし、しかも撮影中に延長したり短縮したりが当たり前です。そんな韓国ドラマの製作現場で、複雑怪奇なキャラクターを何十人分も把握して、ストーリーを練り上げ、脚本を膨らませる演出をし、その上で一人一人に相応しい演技指導を出来る監督は、天才としか言いようがありません。普通に考えて、全体の規模を縮小しない限り、そんなことは無理です。(事実、イ監督は勧善懲悪と言う毎度おなじみの型に全てを嵌め込みます)
そして、果たして規模を縮小して、キャラクターを主要人物を除いてほとんど記号化したような長編時代劇が本当に素晴らしいのか、疑問を禁じえません。どのキャラクターにも人生が見えて、何度見ても、感情的にも論理的にも楽しめるのかと言われると、首を傾げたくなりますし、そう言う監督の方が長編ドラマを撮る監督として、より優れていると言うのも、ちょっと違う気がします。

> 映像作品を世に送り出す者として、それではいけないと私は考えます。

私は、映像作品を世に送り出す者として最も大事なことは、「いかに面白いものを送り出すか」と言うことだと思います。テレビ監督ならなおのこと、視聴率が取れるかが大事です。
少なくとも、善徳女王は時代劇としてはこの三年間で最高の視聴率を獲得しましたし、チュモンはもっと上です。だから、監督の制作姿勢には一定の価値を認めるべきだと思っています。

監督に独自の世界観や芸術性を追求するなら、長編ドラマに求めず、映画に求めるべきではないでしょうか。
独自の世界観がなければ「表現者」ではない、と言うのは、ちょっと……うーん、この場合は、同意出来ません。それに、私はキム監督の個性もパク監督の個性も、アングルや編集などによって、ドラマの中で良くも悪くも十分に表現されていたと思いますし、それは、基本的には、脚本や役者の自由を奪わないほど良い加減のものであったと感じています。

と言うわけで、私がキム監督が演技指導をしなかったことを理由に、彼を責めるつもりはありません。ただ、ピダムに関しては、役者の力量不足と言う意味でミスキャストでしたから、ミスキャストの責任はあると思います(すみません。汗)
そして、物事は表裏一体で、長所も短所もあります。演技指導の不足を責めるのであれば、その代わりに、他の役者さん方の演技を失うこともお考えになった方がいいのではないでしょうか。監督が脚本に口を出し、「客観性」を持って演技指導をバリバリするタイプなら、善徳女王は今と全く違った作品になっていたでしょうし…。

> 事実、イ監督はトンイ役のハン・ヒョジュさんを誘うときに「私と一緒に仕事すると演技が上手くなるよ」と仰ったそうです。

これは私も見ましたが、ええと、同じタイプのキャラクターしか描けない割に、偉そうなことを言う人だなあ…と、思いました…(失礼!)

そして、確かに彼は役者さんに自らの世界観を演じさせていますが、正直、所詮スイーツな世界観です。トンイやチャングムのように、恋愛や個人の立身出世が主軸ならOKですが、イ・サンのように政治劇が主軸の場合、彼の勧善懲悪でスイーツな世界観はキャラクターの破綻をもたらします。
その破綻の最たる存在が、ホン・グギョンだと私は思いました。

『イ・サンは、ホン・グギョンをそのズバ抜けた才能ゆえに抜擢し、愛し、重用したけれども、ホン・グギョンは所詮その器ではなく、独裁者と化した為に処刑された。』

脚本にあったホン・グギョンは、こう言う人間でした。
でも、イ監督の世界観では、ホン・グギョンは主人公サイドの人間であるゆえにまずお人好しでなければならず、また、主人公最強の法則に従い、イ・サンよりおバカである必要がありました。ホン・グギョンの演技は、その世界観に従っていたと思います。
ただそうすると、イ・サンの王としての資質がかなり揺らぐことになるんです。「私情によって、その地位に相応しい能力を持たない者を宰相に抜擢した(しかも、ホン・グギョンはイ・サンの部下としても誠意からはかけ離れた行動を取りました)」のに、イ・サンの王としての器が如何に素晴らしいかが繰り返され、それが主軸になっている話って、おかしくないですか?
しかも、イ・サンは英祖危篤の際に老論派にクーデターを起こされかけた時も、自力では何も解決しませんでした。英祖が脳梗塞から蘇って臣下を制するなどと言う、偶然の賜物で即位した、『ぶっちゃけ、政治家としては優秀じゃないよね?』なキャラが主人公ゆえに最強なら、残りのキャラのレベルの低さは酷いものになります。

他の作品でもそうですが、勧善懲悪で感情面の流れを大事にする一方で、政治的な能力はほとんど描けないのがイ監督の特徴です。
それでも、イ・サン役は、役者さんが演技で「思慮深い男」を演じていたので、見ていられました。でもホン・グギョンは、イ・サンの株を上げる為にもまず演技で「頭脳明晰」を表現しなければならないのに、知的な演技が全く出来ていませんでした。ピダムと同じように、顔芸が多く、感情の起伏ばかりが主張されていた。(と、感じました)
この場合、確かに、役者さんの演技は、監督の世界観には合っていたので「方向性」に違和感は感じないでしょうが、脚本で説明されている人物像とは開きが大き過ぎます。イ監督独特の世界観が、史実を生かした政治劇を作り出すのを邪魔しているとしか思えませんでした。

勿論、イ監督の世界観は魅力あるものです。
でも、イ監督が絶対的に実力のある監督だとも、彼がどんな素材をも生かせる長編時代劇の監督だとも私は思いません。勧善懲悪と感情面が先行して、政治劇としてはレベルが低い作品しか作らないからです。

と言うわけで、誰も彼もがイ監督のように「水戸黄門」タイプの時代劇を作るべきだとは思いません。監督の価値観、世界観をどんな脚本や役者にも押し付けるべきとも限らないし、長編時代劇なら尚更、監督が「演出」面にのみ力を発揮する作品があってもいいのではないでしょうか。


※続きます。長くてすみません…!!!(滝汗)

tocco様へ(その2)

  1. 2011/11/08(火) 17:03:44 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
※続きですー。



>「脚本家の能力(人間性能)」について。

善徳女王については多分ほぼかなりの記事(韓国で放送当時に流れたニュースを含む)を読みましたが、善徳女王の脚本家が他のドラマと比べて遅筆だったとは聞いたことがないですねー。
その上で、反論をしますと(笑)


> 「脚本の内容(物語)に責任がある」のではなく、「脚本家の能力(人間性能)に責任がある可能性もある」と私は言いたいのです。

明らかな遅延であればそうでしょうけれども、正直に言って、韓国ドラマの撮影には元々「脚本は直前に上がる。特に長編時代劇では、ドラマ放送前にシノプシスと大きく変わる場合がある」と言う、外国人の私ですら理解出来るぐらいの常識があります。その常識に従って演技が出来ないなら、それは役者一人の責任ではないのでしょうか。
(ちなみに、イ監督の場合は、脚本家の言い分も取り上げれば、脚本家が書き上げたもの(完成した脚本)を、監督が手直しさせているから遅かった、と言うのもあるでしょう。そして、「手直し」が必要な脚本家を選んだのは、イ監督です。特にトンイの脚本家とは、イ・サンでも仕事をしているんですから、彼女の能力はわかっていたはずですから、基本的には監督の任命責任ではないでしょうか。)
成人したプロの役者が、ドラマ界の常識に対応出来なかったのに、その責任が監督と脚本家にあると言えるのは、ドラマの出演者の大半の演技が破綻していた場合のみです。演技に致命的な欠陥があるのがピダムだけなら、それは監督のせいでも脚本のせいでもなく、役者の能力的な問題だと考えるのが普通だと私は思います。

それに、例えば舞台役者は、公演の一日、二日前にいきなり代役を申し渡されても、その僅かな時間で2~3時間分の台本を覚え、役作りをし、演じます。しかも、舞台に出ればやり直しは利かず、演出家も脚本家もカットは出来ません。それでも、上手く演じられなければ、役者の力量は低く見なされます。作品ならまだしも、演技の責任を背負うのは、役者なんです。
ナムギルさんは映像役者ですが、同じ役者でしょう?
第一、突然の代役ではなく、同じ役を何ヶ月も演じています。なのに、脚本とは相反する演技をするなら、それは彼の演技力に問題があるとしか言いようがないです。

制御しきれなかったスタッフ陣には責任の一端があると言うのは、前半でお話しした通り、制御しないことがこの監督の魅力の一つですから、私は責任があるとは思いません。

……が、それでも、監督の力量不足はあったと思います。
それは、ピダムだけでなく、女王時代(52~62話)に対する理解と努力が恐ろしく不足していることです。

> 「もっと知りたい!韓国TVドラマ」という雑誌のvol.37で、「善徳女王」の特集が組まれておりました。

これ、読みました(笑) 言い訳してるなーと。

> 「延長が決まってから、脚本家と元のシノプシスに加える点について話し合いました。トンマンの死後、トンマンが抜擢した人々が中心になって新羅が三国を統一し、トンマンの政治哲学を実践していくエピローグを構成しようとも思いましたが、そのためには12話では短過ぎました。そこでトンマン死後の物語は見送りました。ミシルの死後、ミシルに代わってトンマンと対立する強力な敵を設定することができず、トンマンを恋慕していたピダムがトンマンを裏切るきっかけなども十分に描き切れなくてドラマ全体の緊張感が失われた点は、今でも大変残念に思っています。かといって、12話以上の延長をすることも、さまざまな要件があってかないませんでした。」

キャラ語りなどで繰り返し触れていますが、私は女王時代の脚本が決してそれ以前に劣る出来だったとは思いません。前半の伏線をよく拾って、キャラクターの個性を活かしきって、複雑な政治合戦をしていたと評価しています。

でも、演出面で言えば、確かに恐ろしく劣化していました。
アングルは代わり映えがしなくなり、何かあればグッと画面をアップにする手法を多用し、ミシル宮のように独特な内装を女王時代に合わせて作るでもない。
どうやって新しい見せ方で場面を盛り上げようかと知恵を絞っている様子は見受けられず、ドラマの中で出てくるセットは半減して画面が単調になりました。視聴者の目が退屈するのも、当たり前です。

ですから、「ドラマ全体の緊張感が失われた」と脚本に責任を押し付けるのは、ミシル死後、演出力が一気に落ちたことへの言い訳だと私は思います。
脚本の力は落ちていないのに、演出が劣化し、ミシルの代わりにピダムが主役の片割れになったことで演技力も低下した。それが評価が低くなりがちな理由ではないでしょうか?

トンマンは、ミシル亡き後「王」となり、ただ一人のライバルと戦う身ではなく、国内外の全ての者達と向き合う立場となったと言うことを、脚本は良く表現していました。それを理解していなかったのは監督です。(それがピダムの演技に悪影響を及ぼしたとすれば、監督にも責任はあるでしょう。)

> 「ユシンとトンマンの、大義のために我慢する”哀而不悲(悲しいがそのそぶりを見せないこと)式の愛”であるとか、同病相哀れむ式の孤独から始まるピダムとの即興的で悲劇的な愛。どれを取っても幸せな恋の感情ではありません。ドラマに登場するトンマンの愛は、指導者トンマンのリーダーシップや権力とのジレンマを描くためのもので、ユシンやピダムなどのキャラクターに立体感を持たせるための補助的な装置にすぎなかったのです。ですから切ない恋物語に焦点を当てたというより、愛する人を極限状態に追い込んだ政治力や権力の本質、あるいは指導者の絶対的な孤独について語ることが狙いでした。トンマンやユシン、ピダムの恋心の変化については、愛情の芽生えやその後の展開が多少乱暴で飛躍しているところが無きにしもあらずでした。」

ええと、一つ確認しておきたいのですが、ドラマの主役を描く為に他のキャラクターが使われるのは、正しいことです。特に、善徳女王のようにタイトルロールの場合には。
問題は、その「補助的な装置」に、時代劇として、どこまで真実味と論理性と感情面での自然な流れがあるか、です。
私は、善徳女王の場合、「補助的な装置」に、時代劇として通用する真実味と論理性と感情面での自然な流れがあったと結論付けています。事実、ピダムについてはあれこれ語りましたが、彼がキャラクターとして破綻していたと言う明確な根拠は、未だにありません。申し訳ないんですが、脚本の問題点については、どなたも私を論破されていません。破綻しているキャラクターを探し出し、動かぬ証拠付きで私に突きつけてくださってはいないんです。あつ様も含めて。

脚本は破綻していないのに、不自然に見えたとすれば、何が悪いのかは明白ではないでしょうか。

また、ピダムが破綻していると言う話はよく聞きますが、その方達がピダムと言うキャラクターを私より理解しているとは到底思えません。申し訳ないんですが、監督もナムギルさんも、そうです。
監督について言えば、トンマンとチュンチュのことも理解しきっていなかったと考えられます。そうでなければ、最終回で、トンマンのチュンチュへの遺言シーンをカットするはずがありません。メインキャラクターであるチュンチュの起承転結のうち、「結」を無視した監督が、他の部分も理解していたとは、考えられませんから。
むしろ、監督のインタビューを読む度に、「こんなに脚本がわからない監督なら、深い演技指導をするタイプじゃなくて良かった」とつくづく思います。

そして、「ピダムが薄い」と言う全ての方にお聞きしたいのですが(笑)、「結」をカットされ、それ以外の描写も最小限に抑えられながら、ピダムの乱を引き起こさせ、トンマンを追い詰めたチュンチュについては、何故「薄い」と言う感想をお持ちにならないのでしょうか?
OPにある通り、チュンチュとピダムは同格の登場人物とされていて、重要度も変わりません。そして、シノプシスから比べれば天と地ほど変貌したと言うなら、チュンチュもまさしくそうなのに、チュンチュについては文句がないけれども、チュンチュより遥かに出番が多く、台詞に頼らず色々な表現をする機会のあったピダムには不満があって、しかもそれは役者一人の責任ではなく監督と脚本家を含むスタッフのせいだとは、私にはとてつもなく論理性が欠如した言い分に聞こえます。

ピダムが本当に薄いキャラクターなら、チュンチュはもっと薄いキャラクターだと感じたはずです。
感じなかったなら、それは演技力の差でしかありません。チュンチュの方が、明らかに監督に冷遇されていたんですから。

ええと、スンホくんが一人で出来たことを、ナムギルさん一人に求めるのが、そんなに酷いことでしょうか?
そして、ベテラン陣の力量が思いっきり発揮されている演技を潰してまで、この脚本理解力が低く、自分の好きなキャラクター(ミシル)が退場した途端に怠慢に走った監督二人の世界観を、視聴者は要求すべきなのでしょうか?

私は、もし監督ズの世界観がドラマを支配していた場合、善徳女王は私がこうやってあれこれ語れるタイプの作品ではなくなっていただろうし、脇役陣に至るまで見所のあるキャラクターになることはなかっただろうと断言します。
tocco様は、いかがですか? より良い作品になっていたと、そうお思いになりますか? そして、いい監督かどうかは、作品が良いかどうか、それが全てなのではありませんか?



私も、長々とすみません…!
お言葉に甘えて、ツッコミと言うか、あれこれ反論してしまいました(汗) 専門家ではないので、色々と的外れなことも書いているとは思いますが、ご容赦ください。(気分を害するなんてことは全くないので、お気遣いなくー!それどころか、私こそ、すみません…。汗)
宜しければ、また構って頂けると嬉しいですvv

追伸:すーさん、げん様、マイマイ様がもしこのコメントをお読みになっていらっしゃったら、7月よりはいい説明になっていることを祈ります(笑)

管理人のみ閲覧できます

  1. 2011/11/09(水) 18:09:26 
  2.  
  3.  
  4. [ 編集 ] 
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tocco様へ

  1. 2011/11/10(木) 00:46:32 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
tocco様、こんばんはーv
明日明後日とお返事出来るか怪しいので、取り急ぎお返事を!

あ、実は前回のお返事は、日曜の夜がちょっと目が冴えてたので、その時に勢いで書いてしまいまして(笑) あとは推敲したくらいなので、大丈夫ですよvv
こちらこそ、あんなに長々と読むのも大変な文章ですみません…!

そして、この記事をトップに上げたのは、tocco様とのことが理由ではないのでー!!(汗) 他の方とのやり取りで、「もうちょっとトップにしといた方がいいかな……」と悩んでいたところで、今回更新が遅れることになったので、それをお知らせする為もあって、ちょうどいいやとばかりにトップに据えました。

それに、今回のテーマは三番目の条件には当てはまりませんので、ご安心を!(←?) 私は前に、善徳女王の監督を批判してますしw 脚本も話題にあったので、三番目の条件と似たような論調になってしまっていたかもしれませんが(汗)、別物だと言うことは理解しておりますので…!
今回頂いたコメントは、監督・脚本・役者のパワーバランスが議題だと感じたので、私なりに、監督・脚本・役者にそれぞれ求めることは何なのかとか、善徳女王におけるこの三者のパワーバランスはどう見えたかとか、監督の功罪について触れたつもりです。…が、ちゃんとそう言う文章になっているのか、ふ、不安です…(汗)

私の方こそ、「世の中多少間違ってても言ってみるもんだ…!」なノリでお返事していますw
私の文章力不足で誤解を与えるようなことも書いていると思いますが、tocco様のお返事から、またたくさん学びたいです。今回のコメントも、私一人では思いつかない評価の仕方だったので、次のコメントも待ち遠しいですーv
あ、ちょっと週末までバタバタしそうですので、コメントはどうぞじっくりお時間をかけてください。のんびりお待ちしております~!


最後に、変な誤解を与えるようなことをしてしまってすみませんでした…!お返事、ありがとうございますvv

緋翠様、鷺ノ宮様へ

  1. 2011/11/10(木) 06:53:01 
  2. URL 
  3. 椿 
  4. [ 編集 ] 
緋翠さんおはようございますv
すみません、コメント欄をお借りしますー!

鷺ノ宮様へ。
鷺ノ宮様、もしお読みでしたら私のブログにお越し頂けないでしょうか?
鷺ノ宮様宛にお手紙(?)を書きました。
もしかして、誤解されているかも?と焦りまして、私事で緋翠さんのブログをお借りするわけにもいきませんので、宜しければお時間のあるときにでも覗いてみてくださいませ(汗)。

誹謗中傷と言った類いの内容ではありませんので、どうか安心してお越しくださいませ。

ではでは失礼致しました。

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  1. 2011/11/10(木) 23:31:04 
  2.  
  3.  
  4. [ 編集 ] 
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  1. 2011/11/10(木) 23:47:08 
  2.  
  3.  
  4. [ 編集 ] 
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椿様へ

  1. 2011/11/12(土) 01:13:29 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
どうぞどうぞーv
私もこっそりお邪魔して、お二人のやり取りを眺めたいと思います(笑)

tocco様へ(その1)

  1. 2011/11/12(土) 01:31:03 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
tocco様、丁寧なお返事をありがとうございます!こんばんは~v

うーむ、こうやってしっかりお返事を頂いていると、なんだか燃えてきます(←危ないw) なんとか理性の皮を被ってお返事出来るよう、頑張ります…!

ではでは。
監督と演出と演技指導に関して、tocco様の仰ることは正論ですねー。監督にはそれだけの力があるのが理想だと思います。「演技の指導、統括」も演出の仕事と言うのは、その通りです。(演出と言う言葉に対するイメージが、私は正確ではなかったです…。すみません(汗))

でも(笑)
現実問題、本当に「演出」と言う仕事をこなせる監督と言うのは、ごく僅かな、一握りの存在なのもまた、事実だと思います。
そして、理想に足らない監督が自分の容量以上のものを背負い込んで演出するのは、その監督のファンだったりすれば別でしょうけども、作品を楽しみたい人間にとっては、「力不足でした」で作品が壊れては困ります。
現実にそれだけの力がないなら、欠点をどうフォローしたのかが大事ですし、私はそのフォローも監督の力量だと思うんです。その上で、そのフォローがよく出来ていれば、それはそれで、問題解決能力として評価されて然るべきことですし、欠点をフォローしているだけだからと「監督として、演出に不備がある」と言うのはあまりに理想主義過ぎる気がするんです。

勿論、私も善徳女王の監督ズは、そんなに凄い監督だとは思っていません(←)。明確な失敗をいくつもしましたし。
tocco様は「せめてピダムの演技的な間違いを指摘するべき」と仰いましたが、何度も言う通り、この監督達は「脚本理解力」が低いんです。特に、物語の中での価値観が脚本ごとに変わるくらい、キム監督は「物語を編み出す力」に欠けています。そんな監督に、ピダムの演技的な間違いを期待するのは、端から非現実的なことだと私には思えます。

私が問題視するのは、「ドラマ制作時の力量で解決出来るはずなのに出来なかったこと」です。
端から解決出来ないであろう問題を期待するくらいなら、他の作品を見るべきだとすら思います。(例を挙げれば、私はナムギルさんに「外見的に四十男に見えなかったのが問題」とは言いません。そんなことは、ナムギルさんの容姿・能力的に、端から無理だとわかっているからです。)

だから、私は「ミスキャストの責任はある」と前回お返事しましたし、役者の力量を見間違えた責任は、確かに一見すると監督にありますが、それを監督に負わせるのには反対です。何故なら、監督ズは最初から「自分達は演技指導が出来ない」と言う前提の下にキャスティングをしているからです。

イ監督がそうですが、「演技指導が出来る」監督なら、そもそも役者なんか新人でいいんですよ。だって、「演技指導」をして、見せられる演技をさせればいいんですから。
事実、チャングム、ソドンヨ、イ・サン、トンイには、主役か準主役に「長編時代劇をやらせるには、演技力危なくないか?」と言う若手役者が必ず、場合によっては複数います。で、イ監督は言うわけです。「私と仕事をすれば、演技力が上がるよ」と。

善徳女王は、一番若いチュンチュですら演技派と呼ばれる役者で、時代劇経験がないミシルとユシンの側には、時代劇経験豊富なベテラン役者を多数配置する念の入れようです。
ナムギルさんだって、「忠武路(映画界)のスター」で、何より「ピダムに良く似た」役を演じていた時代劇『美人図』で出演が決まりました。一応不安はあるので、ムンノやヨムジョンやミシルチームの誰かが常に側にいるようにもしていますが、ナムギルさん自身とファンの方は、ナムギルさんは実力派俳優と言うカテゴリーに属している、と自負しています。

何より、チョンミョン役に長編時代劇のヒロイン経験が二度もある実力派女優イェジンさんをキャスティングしたことが、キャスティングに「監督の欠点をフォローする」と言う意図があることを明確にしています。
チョンミョンは「悲劇の公主」です。イ監督なら、間違いなく手垢の付いていない演技未経験者に近い若い女優をキャスティングして、透明感と儚さ、美しさを重視する役どころです。でも、善徳女王の監督ズは、そうはしませんでした。決して透明感や儚さが売りではないイェジンさんをキャスティングしたんです。
ミシルやピダムには当たり役になるようキャスティングをした監督が、何故チョンミョンはそうしなかったのか。

郎徒時代、トンマンは男装、ミシル&ユシンは時代劇未経験と、チョンミョン以外の主要三人に演技的な不安要素がありました。これでチョンミョンに演技力のない役者さんを持ってきたら、三人がコケた場合、主要キャストに演技的な柱がなくなり、下手をしたら視聴者が誰にも入れ込めずに視聴率が伸び悩むと言う惨事になってしまいます。
勿論、三人には力があるので、いつまでもコケてはいないでしょうが、不安要素があり、監督に演技指導の力がないとわかっている以上、郎徒時代のチョンミョンには三人を支え、カバー出来るだけの演技力を監督は求めたのだと思います。
事実、イェジンさんにとってはチョンミョン役は本来彼女には当たり役とは言い難いのに、見事に演じきりました。

キャスティングを見る限り、監督ズは己を知っていて、「本格的な演技指導は出来ないし、それどころか、演技面では何もアドバイス出来ない。演技的にコケたら役者同士で支え合ってくれ」と言う前提で、キャストを選んでいると思いましたし、それは監督の問題を解決する手段でもあり、作品の質を落とさない為のギリギリの選択だったと思います。

> そういうわけで、私はたとえキム監督のような「自由放任文殊の知恵」タイプの監督だったとしても、演出に責任を持つ立場である以上、俳優が脚本に基づいて演技をしなかったのは俳優だけではなく、監督自身にも責任があると考えます。

理想はそうですが、そもそも、その理想を実現出来る監督なら、「自由放任文殊の知恵」タイプにはなりませんし、チョンミョンのキャスティングも有り得ないと思います。
責任を問うなら、「何故キャスティングの段階から演技指導を放棄することを前提としたキャスティングをしたのか」と言う批判をして、「演出でするべき仕事をサボる方針で撮影に臨むなんて、監督として間違っている。監督なら、役柄に合う役者なら新人だろうと抜擢して、演技指導をするべきだ」と責めるのが理論として正しくありませんか?
ピダムと言うたった一人の例外を取り上げて、その例外ゆえに「自由放任文殊の知恵」タイプと言う、「監督は演技指導も出来ず、結果的に演技に責任は持てない」方針を批判されては、そもそも「自由放任文殊の知恵」タイプの存在意義がないと思うんですけど…。

「自分は俳優に自由に演技させる方針の監督である。だから俳優が脚本またはシナリオに基づいていない演技をしていても、それは脚本に基づいた役作りができなかった俳優本人のみの責任であり、自分には何ら責任は無い。」と言う方針は、確かにキャスティングで努力を怠れば無責任ですよ。
でも、キャスティングで細心の注意を払って、「自分で責任を負えるだけの自負と力量を持った役者」を選んでいるなら、それは一つの方針として「有り」だと思います。視聴者が楽しめることを前提に、役者達の演技の競演を楽しむのを演出の主題とする作品なら、たくさんありますから。
「監督が演技を全て統括する作品」ではなく、「力量ある役者達の競演を楽しむ作品」を作る為の努力を監督はしたと私は思いますし、だから、彼らに演技指導をしなかった責任は問いません。

それに、ミスキャストと言っても、ナムギルさんは誰よりもヨウォンさんやミシルのヒョンジョンさんに合っていましたし、ピダムと言うキャラクターにも合っていました。実際に、ナムギルさんにとって、ピダムはこれまで演じた中では最高の当たり役だったはずです。当たり役と言うものは、演技力をかなり底上げしますから、ずぶの素人ならともかく、プロの役者だったら、演技で失敗していると見られるなんて、滅多にありません。
なので、ナムギルさんに謙虚さがあれば、ミスキャストになんかならなかったはずだと思うんです。

しかも、監督ズには確かにナムギルさんの気性を判断出来なかった責任もあるっちゃありますが、ナムギルさんの場合、彼もファンも、ナムギルさんは下積みが長くて苦労もしたし、見た目や人気重視の浮わついたアイドル俳優なんかではなく「実力派俳優」だと自負しています。
こう言ってはなんですが、「実力派俳優」が演技的にあからさまに失敗したなんて、それだけで恥ずかしいものです。しかも、ピダムの演技的に成功している部分について、ナムギルさんやファンの方は「ナムギルさんの手柄」にしています。監督や脚本の手柄ではなく。
公平に言って、ナムギルさんが『「監督の演技指導を必要とする」非実力派俳優』だと言うなら、失敗だけでなく、成功も監督の責任です。でも、ナムギルさんは『「監督より演技のプロであると言う前提のある」実力派俳優』なんですよね。だとしたら、成功だけでなく、失敗も彼の責任とするべきではないでしょうか?
それが、「実力派俳優」に課せられた義務じゃないんですか?

纏めますと(笑)、どんな監督にも「演技指導力」を含む完璧さを少しでも要求するなら、同時にチョンミョン役に役柄に合っている役者を選ばず、役者の実力に頼るのを大前提としているキャスティングをしたことを問題視すべきではないでしょうか?(義務を怠りサボってることになりますから)
次に、ナムギルさんが「ファンは水物」と言って『実力派俳優』を名乗る限り、キャラクターの失敗ならともかく、演技(脚本理解)の失敗の責任を一部であれ監督に負わせるのは、恥の上塗りで可哀想だと私は思います。(「演技力の欠如」に加えて、「実力派俳優と言う看板に見合う仕事をしなかったのに、責任も取らない不誠実な役者」と言うことになりますから)
なので、ナムギルさんの自負と監督の努力を尊重して、私は敢えてナムギルさんに全責任を押しつけます(笑)


※続きます。

tocco様へ(その2)

  1. 2011/11/12(土) 01:42:53 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
ええと、私は監督はナムギルさんに対して、「自由放任文殊の知恵」タイプの監督としては責任を果たしたと考えています。

「自由放任文殊の知恵」タイプの作品の場合、例えばピダムで言えば、ウインクなどの身体の動かし方を決めたり、髪型や衣装の変遷を決めたり、彼の為のセットを用意したり、周囲のキャラとのパワーバランスを決めて大雑把に「こんなタイプ」と言う外枠を作り、それを役者に与えるのは監督の仕事です。
一方で、「ピダム」と言う人物の内面を掘り下げるのは脚本の仕事です。
そして、この二つを繋げて、自分の役が破綻しないように調節して、完成品に仕上げるのが役者の仕事だと思います。役者の仕事は、監督と脚本が全体図を考えるあまり個々のキャラを見失った場合などに、自分のキャラを違和感のないよう維持することだと。(例えば、ソルォンのノミンさんは、ミシルを慰めるシーンで、「肩に手を置く」とあったのを、「腕を優しく掴む」に変えた、と言っていました。これが、私の考える役者の仕事です。監督や脚本の意図は壊さず、ソルォンと言う役を一貫性のあるものにしていますから)

全体を考えたアイディアと外枠作りに、物語性と陰影作りに、個別の調節。この三つは、全く別物の能力が求められます。
勿論、これらは時間さえかければ一人で賄える代物ですし、事実、作家は一人で賄い作品を書きますが、善徳女王の場合は、違いますよね。数人のシェフで何百人分の料理を短時間で作らなければならない時のように、厳格に役割分担をしなければ、料理(テーマ)の数は増やせません。
まあ、こんな余裕のない作品作りをするのがそもそも問題ですが、儲ける為にはそれしかないなら、仕方がないことです。ドラマ作りは企業のプロジェクトであって、儲けが出なければ意味がないんですから。

私が役作りのミスの責任はナムギルさんが負うべきだと思う理由の一つは、彼がミスしたのは「個別の調節」だからなんですよ。ノミンさんがしたように、自分の演じる役に一貫性を与える「調節」を、彼は考えていませんでした。例え脚本が豹変しようが、「キャラが豹変した」と演技的に思わせないようにするのが役者の仕事なのに、彼は自らキャラを豹変させました。

それに、監督は女王時代は「映像作り」と言う点では力尽きたと言うか怠慢も甚だしかったですが、「司量部」を含めたピダムと言うキャラクターだけはきっちり作り上げています。一揃えの新しい装束、新しいセット、外見上の変化に加えて、「シノプシスではミシルと死ぬはずだったし、役者さんもミシルと死なせてくれと熱望した、実力派俳優ノミンさん演じるソルォンを、ピダムのフォローの為に生かす」など、「外枠作りとアイディア」面はちゃんとやっているんです。
演技的に全体を統括して、ピダムの方向性を修正することは確かにしていませんが、それを言うなら、花郎時代のユシンの、武人とは思えない緊張感のなさも修正すべきでしたし。でも、ユシンに対しても、『龍華香徒』と『復耶会』と言う外枠はきちんと作って与えていたし、アルチョンには常に緊張感があったので、ユシンの緊張感のなさも、オムさんの演技力不足だと私は判定します。

監督の力不足と言うか、監督に脚本家や役者としての才能がなく、脚本理解力が低い為に女王時代の脚本がわからず、映像に無駄が多かったことは事実だと思いますが(なので、話数が足りなくて表現出来なかった云々は脚本理解力の低さを棚に上げた言い訳扱いしました(笑))、「役者の競演を楽しむ作品」の監督としては、実力的に少々不安のある俳優に対しては、フォローし尽くしたと思います。



ところで、韓国ドラマ界の「常識」に対して責任があるのは、撮影期間を決めるプロデューサー(MBCとか)であって、監督ではありませんよね。
あと、話数が変わったり、視聴者の反応によって脚本を当初の予定から変えなければならなくなるのも、脚本家の問題ではありませんよね? そう言う製作姿勢であるプロデューサー側の問題であって、時間に終われながら、視聴率の為に必死で変更に付いていかなければならないのは、監督も脚本家も役者も同じです。
これが韓国ドラマ界の「常識」であって、誰も胡座なんかかけません。脚本家が早めに脚本を上げる努力をしないなんて、そんな余裕が週2回放送のドラマの、正味週2時間分の脚本を書く仕事をしている人に有り得るのかも、甚だ疑問です。

一方で、プロデューサーは視聴者に、映画とは違う、連続ドラマならではのより面白い作品を見せる為に、大金を投じて事前準備をした上で、視聴者の反応に合わせて作品内容を弄ると言う前提ありきで撮影と放送を同じ時期にしていますし、監督・脚本家・役者はそれを了承済みでタフな撮影に挑んでいるはずです。
役者は奴隷ではなく、参加する作品を選べるんですから、問題が起きた瞬間にもう演技力を発揮出来ないと言うなら、撮影にもっと余裕がある作品に出ればいいだけですし。



うーん……。
ここまでお返事をして感じたんですが、「役者の演技を「演出」の一部として、演技の責任を監督も負う」と言うのは、少なくとも役者の競演を売りにした作品においては、役者の尊厳を傷つける考え方に私には聞こえるんですよー(汗)
イ監督なら、監督が責任を負うことになんら異論はありませんが、キム監督タイプの作品では、役者が自分の頭であれこれ考えて役作りをしてその役作りに対してプライドを持っているのに、その人達に対して「いやいや、役作りは監督の手柄(責任)でもあるでしょう?」と言うのは違うんじゃないのと。
チームだと言うなら、役者は自分の役に対しては一人で責任を負って少しでも他の人の負担を減らすのが「チームプレイ」だと思いますし、それが「自由放任文殊の知恵」タイプの大原則です。皆で才能を持ち合って、責任を分け合って、天才が一人で作る作品とは違う魅力のある作品を作り上げるんです。

私は宝塚歌劇が好きなんですが、宝塚では、トップスターや二番手の役者に対しては、そのルールは活用しません。何故なら真ん中とその付近に立つ役者には、「その地位に相応しいだけの力量」が求められるからです。主演であるトップスターは、作品の出来はともかく、演技の出来は必ず本人だけが背負いますし、それどころか、作品的には駄作でも、そうと感じさせないだけの力量すら要求されます。
私にとって、一つの作品の主演や、主要キャストと言うのは、そう言うものなんです。「作品を背負う」のが、主演の役者の義務だし、主要キャストはその主演を支えて責任を分かち合うもので、その覚悟がないなら主要キャストに名を連ねるべきではないし、その覚悟は地位に相応しい器量として尊重するべきだと思っています。

思うに、ナムギルさんの失敗を彼一人の責任にすべきだと私が強く思うのは、彼にはこの覚悟が足りないからなんですよ。これからも(たぶん実力派)役者として生涯生きていくのに、脚本に責任を押し付けるような、そんな覚悟でどうするんだ、と…。
そう言う意味での叱責を込めて、ナムギルさんに演技の全責任を押し付けますし、監督には「自由放任文殊の知恵」タイプの監督として、実力のあるキャストと脚本家を選ぶ力を高めて欲しいから、演技指導の責任を問わないんだと思います。
私は広辞苑に載っている理想に彼らを押し込むより、それぞれの個性を優先する方が合理的だと考えるようです。



話変わって。
トンマンのピダムへの気持ちですが、ピダムの乱が起きた時にトンマンが「ピダムと結婚したのが、愛からか、政略からか、自分でもわからない」と言っていますよね。だから、最終回までそれはあやふやでいいんだと思います。トンマンは、一度も「ピダムを愛している」とは言いませんでしたし。
でも、トンマンの行動で、トンマン自身がわかっていなかったピダムへの甘えやピダムの癒し(これらは公主時代からありました)がどれほどトンマンには大切だったかを感じれば、十分だと思いますー。

「ピダムが死んだら、トンマンは生きていられなかった。身体が独りでに滅びた。」

私にはこれは、「愛している」と言う言葉より激しい愛情表現だと感じましたし、ただの恋愛では片付けられない、政治や生まれなど様々な面で深い繋がりのあるトン&ピの複雑な間柄をよく表現している脚本だなー…と思いました。
これまで脚本を考察したり、二次創作をして朧げながら確信したんですが(←どっちだw)、正直、女王のトンマンの心理的葛藤が事細かく描かれ、ピダムに向かって「愛している」とはっきり自覚し、断言したら、その瞬間にトンマンと言うキャラクターは破綻します。
何故なら、心理的葛藤と言うのは、キャラクター本人の自我を追い求めるものです。でも、王と言うのは、この世で最も自我を圧し殺し、自分以外の全ての人の自我に人生を捧げなければならない生き物だと、善徳女王では描かれいます。だから、トンマンは女王である限り、自分の心と向き合うべきでもなければ、自分の心を知るべきでもないんです。

チュンチュへの遺言については、それがあってもトンマンの大業優先は微塵も揺らがないとは思いますが(笑)、憤怒と言う自我に走るチュンチュはまだ王に相応しくないし、チュンチュにもその自覚はある、と言うことを示すシーンだったので、ドラマのテーマとしても必要でしたよねー。(ピダムが死んだのは自業自得ですから、ピダムのフォローは不要です。笑)

**

なんだかいつにも増してグダグダですみません…。週末には纏めてお返事出来そうにないので今しちゃいましたが、もし意味不明でしたら、書き直しますので、仰ってください…!(あ、tocco様の文章、わかりやすいですよー!お返事しやすくて助かりますv)

追伸:私はどちらでも構いませんが、コメントを公開すると、他の方がわかりやすいと思いますw

  1. 2011/11/12(土) 13:37:15 
  2. URL 
  3. ぴあ 
  4. [ 編集 ] 
善徳女王の作品の良さや、脚本の深さは、監督や俳優を批判しなければ伝わらないものなのでしょうか?


緋翠さんは、文章を書く才がおありになり、創作文をお書きになることで、違った視点での善徳女王の魅力を沢山の方に伝えていたと思います。
こちらへは、今年の3月ぐらいからおじゃましており、「蕾の開く頃』で行き場のない悲しみを救っていただきました。
緋翠さんの書く、物語は描写がとても素敵で、作品の更新が待ち遠しく日に何度も訪問させていただいたことが、数多くあります。
いろいろな方が訪問され、いろいろな想いを緋翠さん(コメントでお名前を翡翠様と変換されている方をお見かけしますが、字体を間違えるのは大変失礼だと思いますよ)に語られて行くのだと思います。
作品を生み出しながら、返信も丁寧にされており、善徳女王への愛が伝わってきて、こちらへ訪問するのが楽しみでした。


ですが、毒吐き以降、善徳女王の良さを伝えるのに批判をして良さを伝えることが多くなり、こちらを訪問してもトキメキや煌きを感じなくなってしまいました。
作品に対する熱い想いがあり、ご自身のお考えになる世界観があり、その良さを知ってもらいたくて、納得がいかない役者と監督への思いを語られているのだと思います。

でも、想いが熱すぎるせいでしょうか、私はこちらのご忠告の記事やコメント欄を呼んで、不覚にも不整脈を起こしました。「好きなものを語ってその魅力を伝えてくれる」その人のそれに対する大切な思いが伝わると、こちらも幸せな気分になるのですが……拒絶反応のほうが強かったようです。人の気持ちって難しいですね。

緋翠さんは、よく宝塚のシステムのことを引き合いにだされていますが、(安奈 淳さんのベルばらの時代から見ています)私は、「最高のステージをお客様に見せる」ために、ベテラン俳優も昨日今日入った新人も脚本家・演出家も音楽家も振付家も身分の上下は一切なく討議していき作品を創り上げてゆく劇団が好きで二十数年見続けているので、求めるものが違うのかなと思います。


私も、緋翠さんと同じく女王時代が一番好きです、女王時代あってこその善徳女王だと思っています。女王時代がなければDVD全巻揃えて作品を見直すことも、ネットを徘徊して、こちらに辿り着くこともなかっただろうな(笑)
優等生発言をするわけではないですが、「善徳女王」の脚本家も役者さん(脇役の方も)・美術・衣装も全て好きです。挿入歌だけは、微妙に違和感がありますが、ポニーDVDを見ると使用音楽は韓国放送後に再作業して、クオリティの高い音楽とサウンドをリマスタリングすることで全体の完成度をあげた。と書いてあります。緋翠さんは日本版の音楽がよくないと書いておられますが、ただ音楽が良くないと書くのでなく韓国版の調べの良さを緋翠さんの筆の能力で伝えていただけたらなと思います。



お忙しくて、大変だと思いますが、多数の連載の続きを楽しみにしています。
大分寒くなってまいりました、お体に気をつけてお過ごし下さい。



緋翠様、ぴあ様

  1. 2011/11/12(土) 16:47:23 
  2. URL 
  3. 鷺ノ宮 
  4. [ 編集 ] 
こんにちは。
ぴあさんへのメッセージに緋翠さんのコメント欄をお借りします。

ぴあ様へ
はじめまして。緋翠さんを翡翠さんに変換していた鷺ノ宮と申します。
ご指摘恥ずかしい限りです。ありがとうございました。

緋翠さんは自己弁護できる方なので、私の出る幕ではないと思います。
ただ、せめて自分の責任に負う部分は一言お伝えしたくて、動悸持ちをおして参りました。

>でも、想いが熱すぎるせいでしょうか。私は、こちらのご忠告の記事やコメント欄を呼んで、不覚にも不整脈を起こしてました。

ぴあさんの体調、ご気分大丈夫でしょうか?
緋翠さんとのやり取りが、過熱する発端は私の表現不足が原因です。

>>±万人の快・不快

記述した通り心配して見守っていました。必要以上に毒を吐かれたのは、作品を読んで、ミーハーにはしゃいだ私のコメントが引き金でした。
説明が短い上、キャラクターか俳優かの主語さえ同じ表記の有り様です。
言葉は厳密さが大事ですね。

その上で、ご自分のホームサイトで、作品の凸凹について、理由を明記しながら語られるのは、ご自由だと思います。

なぜなら、私のように無責任にキャラクターピダムが好き好きと、一見さんで騒ぐことは誰にでもできますが、作品の課題を指摘することは、限られた熟練者にしかできないからです。

今、韓国ドラマの視聴率が低迷しているようです。どんな人気脚本家と監督と俳優のタッグでも、だそうです。
理由として視聴者の傾向にマッチしなくなっているから、という記事を読みました。元々3大慢性病がある上にです。
1、脚本の創造性がない。
2、脚本が直前に仕上がる。
3、出演俳優のイメチェンの失敗

その中で善徳は40%の視聴率。
私も緋翠さんのナムギルさん演技指摘については、韓国女性にはない消化不良で日本人女性の私だけが感じるものなのか
と思うことが、最近でもあります。
ただ、期待を込めた批判は、韓国ドラマの将来には、プラスになると考えています。

どうか不整脈が治まって、引き続き楽しまれることを願います。

マイサイトがないため、失礼致しましたー。



今回は公開コメで

  1. 2011/11/13(日) 12:25:28 
  2. URL 
  3. tocco 
  4. [ 編集 ] 
失礼します~。
緋翠様、お忙しい中丁寧なお返事有難うございました!
ですが今回は緋翠様にお返事させていただく前に、緋翠様初めこちらにいらしている方々にお詫びをしなければならないと思い、参上致しました。
緋翠様、緋翠様のブログをお借りしてしまうこと、申し訳ありませんm(_ _;)m
ですがこれは言わないわけにはいかないと考えましたので…。


ぴあ様、鷺ノ宮様、初めまして。
toccoと申します。
先日から非公開コメントにて管理人の緋翠様と議論を楽しませていただいていた、緋翠様のSS愛読者の一人です。
ぴあ様におきましては、文面からきっと純粋に緋翠様のSSを楽しみにしていらっしゃるんだろうな、と感じました。
緋翠様に貴重な時間を割いていただいているのを申し訳なくもとても有難く思うのと同時に、ぴあ様初め、純粋に緋翠様の作品を楽しみにされているこちらの読者の方々、そして管理人である緋翠様にもとても申し訳ないことをしていたと、ぴあ様のコメントでハッと我に返りました。
「自分の考えに対する意見があるなら聞かせて欲しい」と仰って下さるサイトやブログの管理人さんというのは、私が見た限りですけれどあまり多くはありませんでしたので、つい緋翠様の言葉に甘えて自分の考えるところをコメントで投稿させていただいたのが始まりでした。

が、それはやはり緋翠様にとっては新しいSSを作る妨げになってしまうし、こちらのSSを楽しみにしている方々にとっても望んでいることではないでしょうし、迷惑以外の何者でもなかったな、と…。
私の勝手でぴあ様を初めとした緋翠様の読者の方々の楽しみを奪ってしまったこと、本当に申し訳ありませんでした。
「このtoccoって人いい加減にしたら?」と思われていた方も大勢いらっしゃったと思います。
その通りです。
本当にごめんなさい。
ですが、緋翠様がそういう私のコメントに対してもとても丁寧に返信して下さったので、それに対するお礼とそれを受けての私の考えを、最後に述べさせていただくのをどうかお許しください。
緋翠様が私に返信して下さった内容を、ないがしろにはしたくないのです。
できるだけ短くまとめます。
それで本当に、この議論は最後に致します。

そして鷺ノ宮様。
緋翠様とのやりとりが過熱したのは私の責任でもあります。
おそらく鷺ノ宮様にもご負担をお掛けしてしまったかと思います。
申し訳ありませんでした。
やはり自分のブログでもないのに意見を述べるのは、いくら管理人さんが良いと言って下さっていてもおこがましかったと反省しました。
緋素様の作品を楽しみにしていらっしゃる方が沢山いるというのに、私は自分の事しか考えていなかったと思いました…。
緋翠様に甘えてしまっていたと思います。
そして、緋翠様に宛てられた言葉だとは思っていますが、

>期待を込めた批判は、韓国ドラマの将来には、プラスになると考えています。

鷺ノ宮様のこの言葉に、何だか私も救われたような気持ちになりました。
横からで申し訳ないと思いつつ、有難うございました。


そして鷺ノ宮様が仰るとおり、私も緋翠様には自己弁護できる能力がおありになると思っているので余計なことかもしれないとは思いつつも、こちらにいらっしゃり、このコメントを読まれている全ての方々へ、どうか一つだけ、お伝えしたいことがあります。

私は純粋に緋翠様とのやりとりを楽しませていただいておりました。
文面から緋翠様がどのように感じ、考えて「善徳女王」に対してそのように思われたのか、感覚的にですが理解しておりました。(というか、そのつもりです。)
緋翠様の持つ考え・意見に対する反感からコメントさせていただいたのではありません。
自分の考えとの違いを、純粋に楽しみたかったのです。
非公開コメントにさせていただいたのは、一部表現に、公の場に出すには差し支えがあるのではないかと思えるものがあったからです。
それがもしかしたら、緋翠様に対する誤解を生んでしまったかもしれず、緋翠様に対しとても申し訳なく思っています。
今回の議論(監督や脚本、役者の責任とかそういう話)に関し、緋翠様には一切の非はありません。
あるとすれば、ブログの管理人さんに対して自分の意見を言った私の方です。
場をお騒がせし、本当に申し訳ありませんでした。
ですが、ぴあ様に対しても申し上げましたが、緋翠様が返信して下さった内容に対する私の考えは最後にどうか述べさせて下さい。
それが貴重な時間を割いて返信して下さった緋翠様に対する感謝の気持ちであり、礼儀でもあると考えていますので…。

では後ほど、緋翠様へのお返事を投稿させていただきたいと思います。
ご迷惑とは思いますが、これで本当に最後にしますので、どうかご理解いただければと思います。

ぴあ様へ

  1. 2011/11/13(日) 14:35:20 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
ぴあ様、はじめまして!管理人の緋翠と申しますv
まず、お体の具合はいかがでしょうか?(汗) どうか、ご無理だけはなさらないでください…!

※名前のこと、ありがとうございます…!ただ、これは一発変換の出来ないややこしい名前をつけた私に問題があるので(書きやすい名前を書くのも名づけのコツだと気付く前につけちゃったんですよ(汗))、「翡翠」と呼ばれるのは気にしてません(笑)

> 緋翠さんは、文章を書く才がおありになり、創作文をお書きになることで、違った視点での善徳女王の魅力を沢山の方に伝えていたと思います。

ありがとうございます…!趣味でやっていることが善徳女王好きの方のお役に立てて、幸せだと思います。特に、『蕾の開く頃』は私自身の最終回ショック払拭の為に書き始めたものですが、同じようなショックを受けた方の助けになれて、本当に良かったですv
返信も、今や趣味ですし、何より、コメントは私に宛てて書いて頂いたお手紙のようなものだと思っているので、返信しないと言う選択肢が出現しません(笑)

あ、韓国版の調べのよさを事細かにお伝えするのは、曲名がわからないものもあるので難しいのですが(汗)、違いをざっと纏めますと、

・韓国版のエンディングはオープニングと同じ、勇壮な曲。日本版は哀愁を貴重としたものなので、受ける印象が全く違う。
・日本版では「比才」と言う弦楽器中心の曲が、緊迫した場面など、あらゆる場面で多用されているが、韓国版ではもっと重々しい、迫力のある曲を複数使い分けている。「比才」と言う曲は、その名の通り比才(花郎)の場面の為の曲なので、それ以外には使われていない。
・日本版では、57話のトン&ピのラブシーンで、ユシン役のオムさんボーカルのユシンの曲が流れていたが、韓国版ではトンマンの心情を表現する柔らかい女性ボーカルの曲が流れていた。
・最終回でのピダムが死ぬシーンの曲も含め、全編を通して、差し替えられた曲はボーカルが主張された曲が多過ぎる。韓国版ではもっと演奏重視の曲や、ボーカルが主張しない曲が多用され、役者さん達の衣擦れや吐息、風の音など、さまざまな音が入っていたが、日本版では(特に前半戦は)台詞の声ばかりで、物音がほとんどない。

こんな感じでしょうか。私は音楽的な専門家ではないので、どの曲はどの楽器で…とかは全くわかりませんが(汗)、場面に合う曲と、そうでない曲の区別はそこそこつきます。それを考えると、日本版は曲の意味や、韓国版ではその曲がどういう使われ方をしていたか、などを無視した差し替えをしたように思いますー。

> お忙しくて、大変だと思いますが、多数の連載の続きを楽しみにしています。
> 大分寒くなってまいりました、お体に気をつけてお過ごし下さい。

ありがとうございます!ぴあ様も、寒さが増してきましたし、どうかお身体ご自愛ください…!


※ここからは少しご気分を害することが書かれているかもしれません(汗) もし体調が宜しくなければ、別の機会にご覧になることをオススメ致します…!!











> 善徳女王の作品の良さや、脚本の深さは、監督や俳優を批判しなければ伝わらないものなのでしょうか?

ぴあ様の仰る通り、そんなことはないと思います。
同様に、私が何も言わなくても、何も書かなくても、善徳女王の良さは十分に伝わると信じています。
また、毒吐き記事など一連の批判記事が色んな方に不快感を与えてしまったことも、私が意見を述べずにただ二次創作だけしていれば、このブログにいらっしゃる全ての方が嫌な気持ちになることはないと、二次創作を始めた時から承知しております。

その上で、私は自分の意見を発信することを選びました。根拠のないことを理由に批判することは絶対にせず、どんなご意見が来ようと受け止め、お返事すると覚悟した上で、発信することを選びました。
それだけでなく、「二次創作だけを見たい」と言う方の為に、ブログ開設当初から、二次創作物には記事のタイトルに「連載」「SS」「小ネタ」などの単語を必ず明記し、カテゴリーも分け、お返事や考察や私の意見を述べているその他の記事との区別を徹底してきました。
毒吐き記事のように失礼なことを書いている場合や、コメント欄で急に反論する場合も考慮して、タイトルに注意文を書いたり、この「ご忠告」記事も作りました。

ぴあ様が不整脈を起こされたことに対しては、本当に申し訳ないです(汗) そんなものを書いている自分に、少し嫌悪も感じます。

ただ、それでも言わせて頂くと、半年も私のブログにお越しなら、二次創作物とその他の記事がタイトルやカテゴリーではっきりと区別されていることぐらい、ご存知ですよね? そして、ぴあ様は二次創作物をお楽しみになりたくていらっしゃっていて、しかも、毒吐き記事で相当不愉快な思いをされたのだと言うことも、文面からお察しします。

では、何故それだけの予防措置を無視して、この記事をご覧になったのでしょうか?
しかも、記事だけでなく、何故コメント欄までご覧になったんでしょう? 二次創作ではないと言うことは、タイトルをご覧になればおわかりになったはずなのに。

安奈淳さんの時代から宝塚をご覧になっているのであれば、ぴあ様は分別を持った大人の女性だと思います。(ちなみに私は紫吹淳さん時代からです。)(←あんまし関係ないですね…)
高いお金を払ってご覧になる宝塚なら、酷い公演を見させられれば不満を仰るのは当然ですが、タダで見られる私のブログでは、閲覧者様にも閲覧の責任を持って頂く必要があります。ご覧になりたいものと、見ると不愉快なものがはっきりしていらっしゃるなら、それらを見る見ないはご自分の責任でなさって頂きたいのです。

私には、これ以上の予防措置を取ることも、自分のブログで自分の意見を述べずにいることも、意見を寄せてくださる方との議論をしないことも、不可能です。
二次創作と同じく、ドラマの長短について語ることもまた、私のやりたいことだからです。

それでも尚、ブログの中に二次創作物とドラマについて語ることの両者が共存しているのがぴあ様のお身体に障るようでしたら、もう、私のブログにお越しにならない方が良いのではないか…と思わずにはいられません(汗)

最終回ショックも癒えたのなら、最低限の目的は一先ず果たせたことと思います。
なら、今、最も大切なのは、ぴあ様のお身体です。
そして、手厳しいことを言いますが、ぴあ様の健康について責任を負うのは、ぴあ様ご自身であって、私ではないんです。
お身体に変調を来たすものがあれば、それをご覧にならないと言う選択をすることもまた、大切なことだと思います。
どうか、一度お考えになってみてください……と、お願い申し上げます…!

鷺ノ宮様へ

  1. 2011/11/13(日) 15:42:37 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
鷺ノ宮様、こんにちはーv
ぴあ様は不整脈、鷺ノ宮様は動悸…し、心臓の弱い方って、多いんですね…(汗)(←元気なスポーツマン心臓の管理人です)

……って、そんな暢気なことを言いたいのではなく!(汗)
鷺ノ宮様、体調が悪いのにわざわざすみません…!仰る通り、自己弁護出来る私の起こした議論の為に、鷺ノ宮様にご負担をおかけして申し訳ないです。
名前のことも、一発変換出来ない名前が悪いので、そんなにお気になさらないでくださいー!

> その上で、ご自分のホームサイトで、作品の凸凹について、理由を明記しながら語られるのは、ご自由だと思います。

ありがとうございます。そう思ってはいるんですけれども、私一人ではどうしようもないな…とも思っているので、ホッとしました(笑)

> 今、韓国ドラマの視聴率が低迷しているようです。どんな人気脚本家と監督と俳優のタッグでも、だそうです。
> 理由として視聴者の傾向にマッチしなくなっているから、という記事を読みました。元々3大慢性病がある上にです。

これは、日本でも同じですよね。昔のような高視聴率は、そう簡単には出なくなったと思います。
理由は、ドラマの内容にもあるとは思いますが、韓国も多チャンネル化しているのが大きいのではないでしょうか。視聴者の方に選択肢が増えれば、それぞれ好みの番組を探し出して、バラけますし。
また、だからこそ、歴代の番組と遜色ない高視聴率を取るドラマと言うのは、それだけ様々な層と時代性に対応した、より複雑で魅力的で多面的な作品になっているのではないかと思いますv 善徳女王もですし、他の高視聴率ドラマもきっとそうなのではないかなーと(笑)

> 私も緋翠さんのナムギルさん演技指摘については、韓国女性にはない消化不良で日本人女性の私だけが感じるものなのか
> と思うことが、最近でもあります。

うーん、どうなんでしょう…。こればっかりは、韓国の方にアンケートを取らないとわかりませんねー(笑)

> ただ、期待を込めた批判は、韓国ドラマの将来には、プラスになると考えています。

この一文を胸に刻んで、善徳女王の長短をこれからも語りたいです。そして、鷺ノ宮様とも色々と語り合えると嬉しいです…!

本題のお返事(?)です。

  1. 2011/11/14(月) 01:01:00 
  2. URL 
  3. tocco 
  4. [ 編集 ] 
緋翠様へ。
ご迷惑掛けまくりで申し訳ないです;
これでこの議論(と言って良いのか…)は最後にします。
こんな奴の意見にも丁寧にお返事下さり、本当に有難かったです。
そして、本当にすみませんでした…。
コメントの公開・非公開について私なりに思うところがありましたので、表現に気を付けつつ、今回の議論コメントは公開にさせていただきます。


まず、私の根本的なものの考え方を二つお伝えさせて下さい。
一つ目。
どんな天才であっても、人間に「完璧」は有り得ない。
二つ目。
人間が創り出したものに関しては、何事も「原則なくして例外はない」。

私は何事もまず「原理・原則・理想」ありきだと思っています。
「だから融通が利かないんだ」と言われることもありますが(笑)、それが無ければ例外も融通も応用も有り得ないからです。
「例外・融通・応用」なるものは「原理・原則・理想」を追い求めた結果、それが実現困難であったりそれを土台にしてもっと良いものに発展させられる場合に出現するものだと。

そんなわけで、監督が理想に届かないのは基本当たり前で、悪いことではないと思っています。
問題はその理想に近づける努力をしたか否か、言い換えれば理想を目指したか否かです。
そして彼らが適用している例外や融通、応用は、その結果から見出したものかどうかです。
(「こだわり」とか「自由放任文殊の知恵」とかのタイプは、理想を追求する目的のための手段だと思います。)

緋翠様の仰るとおり、残念ながら「善徳」の監督ズは「脚本理解力」が低いのだと思います。^^;
ですから、基本的に私の価値観では彼らはもうその時点で、「理想を目指している」とは到底言い難いんです。
「脚本を理解する」ことは演出家(監督)としての基本だと思いますので。
俳優の演技・舞台装置・照明・音楽・音響効果・衣装等々、どれを取っても脚本の理解なくして演出は本来成り立たないと思います。
ぶっちゃけ、韓国だからそれでも通用するのであって、日本やら他の国では監督としてすら通用しないことの方が多いのではないかと…。
まぁ何と言うか、それこそ偉そうな考えだと自分でも思いますが、でも原則から考えればそうだと私は思うので…。
ですので、正直私からしてみれば「ピダムの演技的な間違いを指摘するのは、端から非現実的」な時点で監督が悪いとしか思えないんです。
勿論演技力が不足していた役者も悪いですけど。
それを自覚してフォローしているから、していないから、以前に、そこを別の手段でフォローしなきゃいけない時点で「監督」としてはマズイ。
と、私は思ったんです。

「自由放任文殊の知恵」タイプの監督だというなら、大前提として脚本を理解していること。
その上で役者に自由に演技させること。
そして役者が間違った脚本解釈で演技していたら怒鳴るなりして(笑)、脚本を尊重した軌道修正を図るべきだったんじゃないでしょうか、ということなんです。
演技「指導」ほど強いものでなくとも、「指摘」くらいはするべきだったというのはそういう意味です。
私は「演技指導をするべきだ」という最初の意見を訂正し、「指摘くらいはするべきだ」と言ったのです。


ここまで考えて気が付いたのですが、緋翠様は「韓国内から見た」監督としてどうかという視点から見ており、私は「韓国外から見た」監督としてどうかという視点で見ていたのかなぁと思いました。
だからたぶん、お互いどこまで行っても平行線なんだろうなーと。
でも、私はそれで良いと思っています。

…正直なところを言うと、なんだかもうわけわからなくなってきました。(苦笑)
私は議論をするには向いていない人間なんだと思います。
ごめんなさい、もうたぶんグダグダなことしか言えないし、答えになっているかどうかすらわからない(爆)
それに緋翠様の創作活動や他の読者の方々の楽しみを奪ってまでこの議論をする意味がわからなくなってしまったもので…。
何やってたんだろう私…と思います。
普段全然使わない頭を使い過ぎて疲れたんだべか(爆)
自分でももう何が言いたかったのかさっぱりわかりません(笑)


とりあえず、絶対一つだけ正しい!と言えることがあります。
それは、どんな考え方・視点を持っている人でも、「善徳」とトンピが好きならば緋翠様の二次創作は楽しめる!ってことです。
それさえ正しければ、もうあとは私の考えなんて間違っててもオールオッケーです!(笑)

…できるだけ短くまとめます、って言っといて、十分長いですね、無駄に…(遠い目)
あまりきちんとしたお返事になっていなくて申し訳ないと思いつつ、でもそもそもアウェーの人間が人様に迷惑掛けてまでやって良いことでは無かったので、これで良いとも思ったり。
最後になりましたが、私のくだらない議論もどきにお付き合い下さって本当に有難うございました。
緋翠様に対してもこれを見てしまった方々に対しても、文中御不快になられるような表現がありましたら本当に、本当に申し訳ありませんでした。


緋翠様の新作SS、私も楽しみにしています。
それでは、(洒落にならないくらい本当に)失礼しました…m(_ _;)m

tocco様へ

  1. 2011/11/14(月) 23:52:10 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
tocco様、こんばんはーv
こちらこそ、いつも丁寧なお返事をありがとうございます!(議論の続きも明日じっくりお返事致しますv)

そして。
私は、tocco様が謝ることは何一つないと思います…!

二次創作を楽しみにしてくださるのは勿論有り難いのですが、私はその方達に雇われている人間ではありません。
ここは、私の自由意思で始めたブログです。二次創作をしようがドラマについて語ろうが、それを選ぶ権利は私にありますし、どちらがより偉いわけでも、素晴らしいわけでもありません。それに、こうして語っている時も、二次創作の波が来ればそちらを書いたりします。
ぴあ様や、ぴあ様のように思っていらっしゃる方には申し訳なく思いますが、今はこのブログ以外にもたくさん二次創作ブログがあり、私自身、たくさんの二次創作物をすでに書いてきました。二次創作が好きなら、すでにかなりの量があるんですから、読み返せばいいんです。
そして、目障りに思われても、私はちゃんとカテゴリー分けもしていますし、議論することをタブー視されても、止めるつもりはないんです(汗) 誰かに言われてやめるぐらいなら、始めからしなければ良かったんですから、自分で満足が行くまでは続けます。

……と言うわけで、私は「議論カモン!議論したい!」と言う意志は全く衰えていませんし(笑)、tocco様にそのことで責任を感じて頂きたくありません。
tocco様もぴあ様も鷺ノ宮様も、私にとっては等しく大切なお客様です。私のもてなし方では、全員を満足させることは到底出来ませんが、リンク先の方々も利用して頂ければ(←コラ!)、なんとかご満足頂けるものと判断しています。

> 「自分の考えに対する意見があるなら聞かせて欲しい」と仰って下さるサイトやブログの管理人さんというのは、私が見た限りですけれどあまり多くはありませんでしたので、

もしそうなら、なおのこと、tocco様にとっても議論することは大切だと思います。そして、それが、二次創作を楽しむことより重要度が低いことは有り得ません。

ですから、どうか、これまでと同じように接して頂けると嬉しいです…!
今はもう、二次創作だけしかしてはならないなら、ブログを続ける意欲が半減してしまいそうですから(笑)

> 「このtoccoって人いい加減にしたら?」と思われていた方も大勢いらっしゃったと思います。

あ、それに、↑これを言うなら、正しくは「管理人いい加減にしろ。何様だ」だと思いますw tocco様に議論を促し、より長ったらしいお返事をしているのは、私ですから(笑)
ぴあ様のコメントも、私宛ですから、tocco様も鷺ノ宮様も、そんなに気に病まないで頂ければ…と思います(難しいかもしれませんが。汗)

ここからは私の思いなのですが。
ええと、私の嗜好にご忠告や抗議をされるのは、構わないんです。万人の好みに沿うなんて、不可能ですから。
ただ、義務教育ではないのですから、選択の権利を皆様も、私も持っています。不愉快であれば、見なければいい、それだけです。不愉快とわかっていながら見たものにまで、私は責任を負えませんし、tocco様も負う必要はないと思います。勿論、鷺ノ宮様も。

ですから、おこがましいと言うのは、当てはまりませんよー!
自分のことしか考えていないなんてことも、勿論ありません。断言します。
tocco様は、私が促したから議論してくださったのでしょう? それなら、tocco様は私の「議論をしたい」と言う意見を尊重してくださったんです。上手く言えませんが(汗)、凄く、物凄く感謝しています。有り難いです…!

私も、tocco様の考え・意見を拝見して、自分の考えについて見つめ直し、もう一度組み立てていく作業を楽しんでいます。特に監督の話は貴重ですから、約一週間、tocco様のおかげで凄く刺激的に過ごせました。
私こそ、tocco様のことを誤解させてしまうようなお返事をしていないか、今更になって焦っています…! あ、私への誤解は私が産み出しますから、ご心配なく(笑)

> ご迷惑とは思いますが、これで本当に最後にしますので、どうかご理解いただければと思います。

もうtocco様はそう言うお気持ちにはならないかもしれませんが(汗)、私はまだ出来ることなら議論を続けたいです…!お互いの意見に対する疑問がちゃんと解消出来た、と言う瞬間が味わいたいなーと…。
どうか、よろしくお願い致します。そして、たくさんお気遣いさせてしまって、すみませんでした。ありがとうございます…!

緋翠様、tocco様、ぴあ様へ

  1. 2011/11/16(水) 04:53:19 
  2. URL 
  3. 鷺ノ宮 
  4. [ 編集 ] 
お邪魔しま-す。
いろいろお話ししたいことはあります。

まずは、ご家族さまのご病気お見舞い申し上げます。徐々に回復されますように。



>「議論カモン!議論したい!」

とのこと。
どこをどう解釈したのか・・・。

緋翠様に捧げる2次創作になってしまいました。

トンマンとスンマンの
「政策議論」です。

逆に、お口に合わず、笑い種にも、慰めにもならなくても責任を負いかねます。
→削除もありです。
(送り付けで、ありかしら?)
心配過ぎて、非公開コメントで別途送付します。
善処願います。



さて、3つの「議論」
1.討論、ディベート
2.決議
3.好き嫌い論≠ニセ議論
との説がありますが。

3.議論とは相互理解である。
と、捉えています。

噂に聞く「炎上」を懸念していました。「郷に入りては、郷に従え」や、どこまでがルールで議論で許されるのか、対面でない活字の世界では分かりにくいのです。ディベートや決議経験があっても。

私にとって、ブログ散策は利害のない、娯楽時間に、副交換神経全開で楽しむ場所です。

アドレナリン全開の仕事モードではありません。

なので、ここで一概に「議論」はゲーム感覚の勝敗です。現在、完敗状態なのに、この爽やかさ。沢山の見落としに対する新発見は負け組に利益です。相変わらずピダムファンなのに、主役はトンマンばかりの話が浮かびます。緋翠さんの影響がじわじわ?

toccoさんとのやりとり、もの凄く楽しんませて頂いてました。
私が聞きたくて、二の足を踏んでいた内容だけに、中断残念です。

>>監督もOK シーンにした訳ですよね?

小首を傾げる、で終わっていましたので。

どなたか奮闘中ね、と思っていました。toccoさんクールダウンすれば、きっと続くはず。

こういう応援って、ウザイんですよね?

緋翠さんの議論、好きです。
アンチ・パターンの禁じ手もないです。準備不足の私には、ややオウム返し質問が多く「事後処理」となりましたが、私の自己責任です。


ここから、少し黒鷺ノ宮になります。
が、質問と確認と疑問と文章の読み取りの可能性について、提議しています。
寛大にお読み頂けると、助かります。


ご自分で説明されたら済むことですが。
ぴあ様は、「忠告」の「管理人の趣旨」には抵触されず、「読まない選択肢」を放棄して、もしくは「読む選択肢」を選んで、「自己責任」の境界線を越えて「質問形式」でコメントされていませんか?体調不良となった事実を伝えただけで、管理人さんに責任をとれとも、これ以上議論を続けるなとも。
「勢い」とか「活気」と解釈されなかった状況誤認では?
作品批判に対する過剰防衛は攻撃と捉えられるので、それに管理人さんレーダーが反応された様子。ぴあさんは、御自分なりに本編作品も、感動した2次創作作者の緋翠さんのことも大事にされたい思いを伝えに来られたのでは?(お名前の漢字指摘からお見受けしても)


似た体験者として、実はぴあさんの避雷針になろうとして、緋翠さんの弁護をした(ややこしい?)のですが、誘雷針となり落雷してしまいました。残念。

スポーツ心臓人間/緋翠さんに幻影を抱いておられたとしても、いいじゃないですか?
わざわざ対話をしに来られた緋翠さんのファンに、手厳しい仕打ちではないですか?

議論の前提には、対話ありきです。

私も議論のルールは相互同意をしてからすれば、良かったかなー、と事後感想。

議論も好きではないですが、嫌いでもなく、中味薄が課題ですが、まずは対話から議論も始めませんか?

SS で気のきいた記述ができず、緋翠さんの土俵で通し稽古を着けて頂いてる分際なのに、相互理解のための議論に望んで訪問してしまいました。
動機は、前向きな白鷺ノ宮です。

管理人のみ閲覧できます

  1. 2011/11/16(水) 05:09:14 
  2.  
  3.  
  4. [ 編集 ] 
このコメントは管理人のみ閲覧できます

ええと…

  1. 2011/11/16(水) 23:19:28 
  2. URL 
  3. tocco 
  4. [ 編集 ] 
本当にあれ?どうしよう?こういう場合ってどうしたら良いんだったっけ?と焦っているアホの子toccoです。
緋翠様、鷺ノ宮様、わざわざお気遣い有難うございます;
ええと…何か言わなきゃいけない気がするんですが、何を言ったら良いのだろうとテンパっているのですが、とりあえず今の私の気持ちを。

元々クモの巣が張っていた+容量の少ない脳ミソをフル稼働させて議論させていただいていた為、オーバーヒートを起こして前回のコメントを考えているうちに何が言いたかったのか、何がしたかったのかよくわからなくなった、というのは事実です;(すみません…)
でも、人様に迷惑(不愉快な思い?)かけてもなぁ…という気持ちなのは、ちょっと脳ミソが回復してきた今でも同じだったりします…。

「善徳」を見て、緋翠様の二次創作に触れて、ますます「善徳」に嵌まった、という人って結構多いと思うんですよ。カウンターから見ても。
でも今回のようなお題の議論で、そういうこちらのお客様が減ってしまったりしたら…と思うと、自分のサイトやブログだったら仕方ないと思えるんですが、そうではないのでそこまで割り切れないというか、やはり私の立場としてはいたたまれないのです…(汗)

緋翠様に議論を続けたいと仰っていただけたのはすごく有難いなぁと思いましたし、私も自分から吹っ掛けた議論なので(汗)本当はちゃんと最後までやるべきだよなぁ…と若干後ろめたくもあるんですが、「ほ、本当に良いのだろうか…」と…(滝汗)
うまく言葉にまとめられなくて、「複雑な心境」としか言いようがないのがもどかしいのですが…。

もし本当に続けても大丈夫なのであれば、緋翠様に対する議論のお返事は前回のコメント前半部分の通りなのですが、あれにもうちょっとだけ補足したいこともあったりするのですが…。
できればぴあ様ご本人の現在のお気持ちを知りたいです。
私が非公開コメントだった為、もしかしたら「炎上」のような事態だと勘違いされた可能性もありますし…。(もしそうだったらぴあ様に本当に申し訳ないです;)
やっぱり下手に非公開にするべきじゃなかった…と、今更ながら後悔ですorz


それから鷺ノ宮様へ。

>こういう応援って、ウザイんですよね?

いえ…!私に限ってはそんなことなかったです…!
余計なご心配お掛けしてすみませんでした。(←誰もしてない?w)
楽しんで下さってた人もいたんですね…有難うございます(TдT)

tocco様へ

  1. 2011/11/17(木) 00:27:32 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
tocco様、こんばんはーv
前回お返事しました通り、tocco様さえ宜しければ私はまだ議論をさせて頂きたいなーと思っているので、今回はいつも通りにお返事致します。
なので、早速本題を(笑)
(コメントを公開してくださり、ありがとうございます!きっと、tocco様の考察を直に知りたかった方々が、喜んでいらっしゃると思いますv)


> ですから、基本的に私の価値観では彼らはもうその時点で、「理想を目指している」とは到底言い難いんです。
> 「脚本を理解する」ことは演出家(監督)としての基本だと思いますので。

うーん……「理想ではない」ならわかりますが、「理想を目指していない」と言うのは違う気がします。
監督達は、確かに脚本理解力が低いですが、それはあくまで「反射神経が悪い」と言うことです。出された脚本をわずかな時間で吟味し、キャラクターについて隅々まで把握する能力が低いのであって、脚本の流れがシノプシスのままであれば、監督達はそれなりに理解したと思いますし、その点では全く理想を目指していなかったと言うこともないと思います。

> 俳優の演技・舞台装置・照明・音楽・音響効果・衣装等々、どれを取っても脚本の理解なくして演出は本来成り立たないと思います。

何故そう言えるかと言うと、音楽差し替え前の韓国版を知っている身として、上記の「演出」を監督がほぼ完璧にやっていたことは断言出来るからです。
そして、撮影開始前に完成しているシノプシスをちゃんと理解しているからこそ、上記の演技を除く「演出」が出来て、また、あくまでその「演出」は、決してピダムをバカ扱いはしていませんでした。バカな役なら音楽でそれが色濃く出ますが、女王時代のピダムに関しては、監督はシリアスな演出を貫いていました。それなのに、それでも監督は理想を目指していないと? それは、キャスティングの努力も含め(監督だって、上手い役者を見て演技を学び、演技指導力向上も出来ます)、あまりに監督のしたことを軽視し過ぎていませんか?
何より、脚本にOKを出したのは、監督です。細かい脚本理解力はなくても、面白い脚本に対して余計な口出しをしてスケジュールを遅らせたり脚本家の邪魔をしない理性は、私はもっと評価されて然るべきだと思います。撮影スケジュールの厳しさを問題視されるなら、尚更。

そして、何より、演技指導と言うものには、「演技する際どう動くか」が含まれます。どう並ぶのか、立つ位置、座る位置、全てが「演出」に含まれる「演技指導」です。監督は、確実にこれはやっていました。
ナムギルさんが間違えたのは、第一に「表情」です。この「表情」は、役者が一番自己主張出来るところであると同時に役者の力量が問われるところで、どんな監督であれ、最も演技指導が難しいところです。
それが出来なかったら監督失格なら、イ監督もそうではありませんか? 同じタイプの表情しか引き出せなかったり、必要なのに引き出せていない表情があるのは、厳密には演技指導が出来ているとは言えませんから。

> ぶっちゃけ、韓国だからそれでも通用するのであって、日本やら他の国では監督としてすら通用しないことの方が多いのではないかと…。

そして、これです。通用しないなら、何故tocco様は善徳女王を評価されているのか、最後まで見れたのか、さっぱりわかりません。理想主義で、監督にも高い理想を求めていらっしゃるのに、プロにあるまじき監督の作品を見ていられるんですか? 私なら、脚本のレベルが学芸会ものだったら、一話だって見ませんけど…。

> ですので、正直私からしてみれば「ピダムの演技的な間違いを指摘するのは、端から非現実的」な時点で監督が悪いとしか思えないんです。

……とは言っても、こう言われてしまえばそれまでですね(笑)

ただ、ここまで監督に厳しいなら、他のスタッフ、役者、あるいは日本や海外の監督にももっと厳しい評価をされるべきだと思います。
ラスト十話のピダムの演技指導(指摘)が出来なかっただけで、監督に対して「プロとして通用しない」と言う言葉まで出されてしまうなら、まず自分の演技に反省の色なしのナムギルさんはプロの役者としては失格ですし、不味い演技をカバー出来なかったベテラン陣も先輩役者として無責任でありいい役者とは言えず、役者と監督の力量を無視して結果的に視聴者の誤解を招く脚本を書いた脚本家もプロ失格、ぐらいは言うべきではないでしょうか。
で、全体的に見て、少なくとも監督と脚本とメインキャストの一人が「理想を目指していない」のであれば、作品自体も「理想を目指していない」駄作だと評価なさるべきだと言う気がするんですが…。

tocco様の監督論自体は、なるほどーと思いましたが、監督にだけ原則を突きつけるのなら、頷けません。

> 「自由放任文殊の知恵」タイプの監督だというなら、大前提として脚本を理解していること。

私も理想はこの通りです。
ただし、ならば監督が全ての役者に対して演技指導をするイ監督のような方には、キャスティングに配慮しないぶん、大前提として「監督の演技指導が完璧であること」を要求すべきだと思います。そして、私が見る限り、イ監督の指導は完璧ではありません。幅が狭く、脚本に書いてあることを表現しきれておらず、役者の上手い下手をカバーしきれてもいませんから。
完璧な演技指導が出来ないのに演技指導をするなら、それも理想にはかなっていないことになるはずです。


> だからたぶん、お互いどこまで行っても平行線なんだろうなーと。

私もそう思います(笑)
ただ、私は「韓国内から見た」監督として評価してはいません。韓国に住んでもいないのに、それは出来ません(笑)
たぶん、辞書の解釈の違いなんじゃないかな…と。
そして、私は佳作か駄作かの責任は監督に押しつける代わりに、一つの作品を通しての役者の演技力の評価は、役者一人のものにするようです。私の場合、演技の責任を監督と分割したら、役者さんの価値が評価出来なくなるので(笑)

> 私は議論をするには向いていない人間なんだと思います。

いえ、そんなことはないですよー!
慣れです。上手く言えない自分に慣れれば、大丈夫です。私みたいに(笑)
私も慣れないうちは(今もか。←)、かなり余計なことばかり言ったと凹んでいましたが、段々凹むのに慣れてきました(え)

> それに緋翠様の創作活動や他の読者の方々の楽しみを奪ってまでこの議論をする意味がわからなくなってしまったもので…。

私には意味があるんですよぉおおお。それだけじゃ、足りないっすか…私一人の愛では(爆)

> それは、どんな考え方・視点を持っている人でも、「善徳」とトンピが好きならば緋翠様の二次創作は楽しめる!ってことです。

いやー、どうでしょう(爆)
あ、そう仰って頂けるのは嬉しいのですが、冷静に考えて、そんなことはないですよ。二次創作よりキャラ語りが面白い、と言う方もいらっしゃいましたし。

そして、私の二次創作の動機が、トン&ピショック緩和と、酷評されまくりだった女王時代の脚本の素晴らしさを確かめ喧伝することなので、一つ目は果たせましたし、二つ目を拒否られたら、正直モチベーションを保てないです(笑)

> あまりきちんとしたお返事になっていなくて申し訳ないと思いつつ、でもそもそもアウェーの人間が人様に迷惑掛けてまでやって良いことでは無かったので、これで良いとも思ったり。

いやいや、私以外の全ての方がここではアウェーで、迷惑をかけているのはホームの私ですよー。私にはtocco様との議論をしない選択肢があったのに、その選択肢を見向きもしなかったんですから。
でも、やっぱりtocco様はやりづらいと思いますので、辛くない範囲でまたお相手して頂ければ、凄く嬉しいですv


私も長々すみません(汗) そして、恐らく文中に不愉快な表現が散見されることをお詫び致します…。

あ、SSは、私の気分一つで書けるか決まります。でも、頂くコメントがSSに関するものだからと書けるものではないので、お構いなく…!

色々とお気遣いくださり、ありがとうございましたv

横レス失礼いたします~

  1. 2011/11/18(金) 00:27:49 
  2. URL 
  3. りば 
  4. [ 編集 ] 
管理人様が横レスOKといつか言っていたような・・・というおぼろな記憶のもと、tocco様へのコメントを書かせて頂きます。

tocco様初めまして。このブログの一訪問者である、りばと申します。tocco様のコメントを読ませて頂き、tocco様がご自分と緋翠さんとのやり取りについて、「読者の楽しみを奪っていた」「迷惑以外の何者でもなかった」と書かれているのを読みまして、一言申し上げたくて。全ての読者がそう思っているとは限りません。

人それぞれだとは思いますが、私の場合、緋翠さんのSSの読者であり楽しみにしてもいますが、混ざるのは無理としても、こちらのブログで交わされる意見交換もまた、読ませて頂くことを楽しんでいる、このブログ全体の読者でもあります。なのでtocco様とのやり取り、というか緋翠さんのtocco様への回答を読ませて頂き、tocco様のコメントが読めないのが残念でしたので、続きを公開コメントにして戴いて喜んでもいます。

なのでtocco様に対し「いい加減にしたら?」と思ったことは、少なくとも私はありません。

私がこのブログの読者になったのは去年の8月前後で、まず緋翠さんのSSや考察を読ませて頂いてきまして、緋翠さんが口火をきった今年の7月からの経緯、推移も逐一見てきました。その上で申し上げるんですが、まずtocco様の「やり取りが過熱している」という表現に「過熱しすぎてしまっている」というニュアンスを感じたのですが、今回のtocco様と緋翠さんのやり取りはそれにあてはまらないのではないかと思います。

7月以降、こちらでは何度も色んな方と緋翠さんによる作品についての意見交換はなされてきて、今回以上に長く熱くなったこともありますし、更にそれが原因でブログ運営が緋翠さんの手に負えなくなったという事も見受けられませんでしたので、意見交換についてtocco様が責任を感じられることはないのでは?

ドラマに関する熱い対話はすでにこのブログの名物というか、分かち難い一部なのだと私は勝手に思っています。多くの人を惹きつけるSSの書き手であると同時に、ドラマ善徳女王について語り、語り合うことを追及する方でもある、二つの要素がどちらも緋翠さんの一部であるように。

そしてSSであれ議論であれ、読まない自由、読む自由、読む事を通し他人の考えを知ることを楽しむ自由があると思い、私はその自由を行使し、また満喫しております(笑)

tocco様がおっしゃる、議論が「緋翠様にとっては新しいSSを作る妨げになってしまう」というのも、どちらを優先させるかは緋翠さんの自由なのではないかと思いますが・・・。どなたかが自作のSSを緋翠さんのブログを使って連続で公表される場合に緋翠さんが「頂き物にかまけていると頭が閲覧者モードになり、自分でSSを書けなくなる傾向もあるみたい」だという言葉はこのブログ上で目にした事がありますが、それ以外で何かに手をとられSSが書けないから避けたい、という事も(少なくとも表向きは)なさそうですし。お二人のやり取りはこの場合にも勿論あてはまらないですし。

なので意見交換が盛り上がったことをよくない事のように、そして「申し訳ないことをした」と謝罪されるのは、あくまで私個人としては、ですが、どうしてだろう?と不思議でさえあります。

tocco様の問いかけに応える事、それにどれだけの時間を使うかは緋翠さんの決められた事ですし、つきつめれば議論歓迎!な土俵を作られたのは緋翠さんご本人なので。議論を交わす当の相手の意志にかかわらず、こちらのブログの読者からの反感を買ってまで議論をしようとは思わない、とお考えだとしたら残念です。

お二人のやり取りを傍から「こういう考えもあるのか~」と楽しんで読んでいる、そんな読者もいるという事をお心に留めていただけたらと思います。・・・ただ、あくまで個人的な意見すが(笑)。沈黙=冷ややかに見ている、ではないという事を申し上げたく、しゃしゃり出てみました。できればお二人のやりとりの続きを、読ませて頂きたいと思っております。

鷺ノ宮様へ

  1. 2011/11/18(金) 07:12:11 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
鷺ノ宮様、おはようございますv
お見舞いありがとうございますー!昨日、無事退院しました。暫くは元気に療養です(笑)
(あ、遠慮して頂きたくないので、この話はこれきりにして頂けると助かります^^;)

> 緋翠様に捧げる2次創作になってしまいました。
> トンマンとスンマンの「政策議論」です。

ありがとうございますーv
た、ただ、私は読者としての感想を述べるのが苦手なので、こちらのお返事はまた後ほどさせて頂きます。すみません…!
また、以前にもお話ししました通り、コメントは私個人に宛てられた手紙のようなものですから、私には削除と言う選択肢は基本的にありません。これ、覚えて頂けると助かります(笑)

では、本題に。

> 3.議論とは相互理解である。と、捉えています。

なるほどー。
確かに、それなら、「炎上」は一番望まざる結果ですね。(一応、このブログを私が管理出来なくなったことはありませんので、炎上したことはないと自負しています(笑))
また、活字の世界ではわかりにくいと仰いますが、日常生活でも、初対面の人に対して馴れ馴れしくタメ語で話し掛けたり、荒い言葉を使ったら、上手くいかないことも多いでしょう。活字の世界だからと特別視しなくても、常識は同じだと私は思いますが…。

> 私にとって、ブログ散策は利害のない、娯楽時間に、副交換神経全開で楽しむ場所です。

私もそうです。娯楽です(笑) ただ、他の人の絡む娯楽ですから、色々と気をつけてはいます。


> 相変わらずピダムファンなのに、主役はトンマンばかりの話が浮かびます。緋翠さんの影響がじわじわ?

おおー!ありがとうございますv ピダムのお話を書く時もお役に立てれば益々嬉しいです(笑)

> toccoさんとのやりとり、もの凄く楽しんませて頂いてました。

私も、また世界が一つ広がっている気がして、tocco様とお話しするのが楽しいです!まだまだ続けばいいのに…と念力を送っていますw
あ、応援がウザいと言うことはありませんので、どぞどぞーv

> 準備不足の私には、ややオウム返し質問が多く「事後処理」となりましたが、私の自己責任です。

すみませんー(汗) 意味を取り違えるのが一番困るので、鷺ノ宮様には質問ばかりしました。相手の方の言うことがわからないうちは、吟味も同意も反論も出来ませんので…!


さて。
鷺ノ宮様が黒鷺ノ宮様となられたので、ここからは私も黒緋翠になります(笑)

> が、質問と確認と疑問と文章の読み取りの可能性について、提議しています。

……この文章がまず私にはちょっと意味がわからないんですが(すみません)、えーと、「質問と確認と疑問と文章の読み取りの可能性」って、どう言うことなんでしょうか…?
「管理人に質問をして、管理人の意図を確認した上で、鷺ノ宮様が感じた疑問を示す。また、ぴあ様の文章から読み取れるぴあ様の意図を鷺ノ宮様が幾つか推測して、ぴあ様の代わりに管理人に話したい」……ってことでしょうか? もしそうなら、次からはもう少しわかりやすく書いて頂けると助かります…!

> ぴあ様は、「忠告」の「管理人の趣旨」には抵触されず、「読まない選択肢」を放棄して、もしくは「読む選択肢」を選んで、「自己責任」の境界線を越えて「質問形式」でコメントされていませんか?

「自己責任」の境界線を越えて……の意味がまたわからないのですが(汗)、私も「質問形式」のことは承知の上で、ぴあ様の最初の質問に関しては、行間をあけた後すぐに、ちゃんとお答えしています。質問を無視してはいません。

> 体調不良となった事実を伝えただけで、管理人さんに責任をとれとも、これ以上議論を続けるなとも。

あの、「とも」…の後が大事なんですけど(笑) 「続けるなとも」言ってるように聞こえるのか、「続けるなとも」言ってるように聞こえないのか、はっきりしてくださらないと、困ります。

> 「勢い」とか「活気」と解釈されなかった状況誤認では?

とりあえず、「状況誤認」と仰るなら、鷺ノ宮様は、「ぴあ様は状況誤認をして、その為に体調不良の事実を伝えただけで、そこには管理人を批判する意図はない」と解釈した、と仮定します。間違っていたら、今度は省略しないではっきりと意図が伝わるようにコメントをお願いします。

話を戻しまして。
私は、ぴあ様のコメントから、鷺ノ宮様とは全く違う印象を受けました。
と言うか、「あなたの書いたものを読んだ為に体調不良になった」と手紙をもらったら、どう言う気持ちになるか、どう感じるか、お考えになってください。そうしたら、

> 作品批判に対する過剰防衛は攻撃と捉えられるので、それに管理人さんレーダーが反応された様子。

これは的外れなご指摘だとおわかり頂けると思います。

私が反応したのは、鷺ノ宮様が、以前体調不良でありながら私とやり取りをなさってさらに体調を悪化させたと仰っていた時と同じく、「私のブログを健康問題の原因になるように扱わないで欲しい」と思ったからです。
はっきり宣言します。

私は、体調を悪くしてまで、私のブログに来て欲しいとは思いません。

それより、ご自身とご家族の為に、体調を良く保って頂きたいんです。
私のブログには、鷺ノ宮様やぴあ様の健康と引き換えにするほどの価値なんか全くありませんし、自分のブログがまるで依存性のある毒物みたいになるのを黙って見過ごすのも無理です。
私は来てくださる方の健康を破壊する為にブログを始めたわけではありません。これは確かです。

> ぴあさんは、御自分なりに本編作品も、感動した2次創作作者の緋翠さんのことも大事にされたい思いを伝えに来られたのでは?(お名前の漢字指摘からお見受けしても)
> スポーツ心臓人間/緋翠さんに幻影を抱いておられたとしても、いいじゃないですか?

ここが最大の問題です(笑)

えーと、もし私のことを大事にお思いなら、私に幻影の通り振る舞うのを要求することも、私のやりたいと言うことに深い理解を示さずに待ったをかけることも矛盾すると、おわかりでしょうか?(汗)
鷺ノ宮様やぴあ様のご意見は、私には、「お前の左半身(二次創作)は魅力的だが、右半身(議論)は不快で他の人の健康を損なわせる存在だから、捨てるなり人目に晒さないよう手を打つなりしろ」と言う風に聞こえるんです。勿論、そう仰るのは構いませんが、鷺ノ宮様は、それを読んだ私が「左半身が愛されてる」と歓喜して二次創作に邁進するのが当たり前だとお考えになるんですか? なかなかキツいことを仰います(笑)

> わざわざ対話をしに来られた緋翠さんのファンに、手厳しい仕打ちではないですか?

では、反問します。
私の書いたものを自由意思で読んで不整脈になった方に対して、他にどうお返事をすれば、その方の為になるんですか?
「不整脈になっても読み続けてくださってありがとうございます」……その方の健康は無視した偽善者の台詞ですよね。
「以後、不整脈を起こすような記事に関しては予防措置を取るのではなく、もうそう言った記事を書くこと自体を止めますから、安心して全ての記事をお読みください」……私はその方の奴隷ですか?

なんと言うか、自由な身分の人間同士として相手の方の健康を第一に考えたお返事をしたら、それを「手厳しい」と表現されてしまうのなら、私はもうお返事のしようがありません。
それとも、私に対する幻影とは、私を偽善者や奴隷に見立てたものなんでしょうか。勿論、私に対して幻影を抱かれるのは皆様の自由ですが、だとすれば、その幻影は少しも有り難くないですし、正直私ではなく私の幻影が大事なのだとしか受け取れません(笑)

> 議論の前提には、対話ありきです。

議論にしろ対話にしろ、まず相手を理解する前に、自分を理解しなければどうしようもありません。自分の言ったことや要求が客観的に見て……せめて、相手から見てどう言う意味を持つかぐらいは、お考えになって頂けませんか?
それが、議論や対話をする前に、大前提として求められるべきものだと私は思います。
そして、その上で、私のぴあ様へのお返事が「手厳しい」と第三者から批判されるほど、ぴあ様を軽視し、ぴあ様への配慮に欠けていたかを、考え直して頂きたいです。

> 似た体験者として、実はぴあさんの避雷針になろうとして、緋翠さんの弁護をした(ややこしい?)のですが、誘雷針となり落雷してしまいました。残念。

うーん…(汗)
あの、私はコメントをくださった方とは、直接やり取りをするようにしています。
ぴあ様の避雷針になると言うのは、私の「手厳しさ」を和らげようと言うお考えかもしれませんが、無理ですよー(笑) 同じ威力の、形も中身も違う雷が二ヶ所に落ちるだけです。←怖い



以上、「自己弁護が出来る」と言うご期待に応えてみた黒緋翠です(笑)
ちなみに自己弁護には、「体調不良の際は議論に加わらない」と言うのもあります。例え相手に体調不良を伝えようと、体調がさらに悪くなるわ、上手く議論出来ないわ、相手に気を遣わせるわで、自分にとって良いことナシだからです。
議論をなさる際には、是非この自己弁護をオススメします。

最後に白緋翠に戻りまして。

> 動機は、前向きな白鷺ノ宮です。

ありがとうございます…!
このお言葉を頼りに、もう一つの方もお返事をさせて頂きますv

緋翠様へ

  1. 2011/11/18(金) 17:46:23 
  2. URL 
  3. 鷺ノ宮 
  4. [ 編集 ] 
こんにちはー。

11月15日の夜のこと。入浴中に「何か大事な事を忘れている。」と考えていて、思い出した事が「はっ!今日は坂本龍馬の命日だ!」でした。

そして、たまたま此方を訪問した時の事態に「何かしなければ。」と、一念発起したところ、明後日の方向へいつもの如く行ってしまいました。(T^T)

toccoさんの様に、正直に動揺していれば良かったのですが申し訳ないです。

意見を発言すると、「それは違う!」と、トンマンとユシンに同時に突っ込まれていたアルチョンの気分です。 (;_;)/~~~

気持ちだけは伝わるといいのですが駄考・愚行でした。

>議論は対話です。

確かに、ぴあ様に対話として、
説明されていました。(^^;

正論の緋翠様の真逆論として、駄考の可能性を潰して頂いてほっとしました。

ぴあ様の代弁すら、自己責任・自己弁護主義の私としては、終止変えでした。

ひとかどの緋翠様に、口角泡を飛ばして(活発に意見して)も、角が立つだけでした。
(^^;

これ程、筋が通っていらっしゃるとは、あっぱれです。

私が偽善者面を致しまして差し出がましいことでした。(^o^;)
申し訳ないです。

なので、事細かにお返事割愛致します。第2便も、「ご苦労さん」肩ポンで、ご勘弁願えませんかね。しくしく-。(*ToT)
(突然すみません。りばさんの名フレーズを借用させて頂きます。)

立つ鳥後を濁した-!
宝探しの水辺が、足掻けば足掻くほど流砂に~。

ユムジョンの様に寄生せず、旅立ちます。
うわーん、しくしく(*ToT)

りば様へ+議論の続きです

  1. 2011/11/18(金) 22:04:31 
  2. URL 
  3. tocco 
  4. [ 編集 ] 
緋翠様、必死こいて議論の続きを考えて参りました(笑)

その前に、りば様へお返事させて下さい。

りば様初めまして、toccoと申します。
わざわざ私宛てにコメント下さいまして有難うございます。+恐縮です。
そうですね…今までの経緯から見て議論することは既にこちらのコンテンツの一つになりつつある(なっている?)し、緋翠様もそれを嫌だとは仰っていないですしね。(むしろOKして下さってますしね)
自分の考え方の癖だと思うんですが、つい反射的に「迷惑だったかな」と思ってしまって。
落ち着いてきた今は、無駄に遠慮し過ぎてしまったなと思っています。(笑)
それにたしかに、変に「沈黙=冷ややかに見ている」と思いすぎてしまった節もあったかな、と自分でも思います。
自分のホームだったら別に何てことなかった(っていうと語弊があるような気もしますがw)と思うんですが。
ただ、私のような偏った考え方を読んで丁寧にお返事して下さる緋翠様は勿論、楽しんで読んでいると仰っていただけて何だか嬉しかったです。
有難うございました。


では本題です~。
いつもに増して、グダグダな気がしないでもないですが…。


>監督達は、確かに脚本理解力が低いですが、それはあくまで「反射神経が悪い」と言うことです。出された脚本をわずかな時間で吟味し、キャラクターについて隅々まで把握する能力が低いのであって、脚本の流れがシノプシスのままであれば、監督達はそれなりに理解したと思います

うーん、監督に対してそのように仰るのであれば、役者に対してもそう仰るべきではないでしょうか。
何故監督ならば「反射神経が悪い」ことが許されて、役者はダメなんでしょうか?
「反射神経が悪い」ことに対して、どちらも同じに責任を負うべきだと私は思うのですが。


>何故そう言えるかと言うと、音楽差し替え前の韓国版を知っている身として、上記の「演出」を監督がほぼ完璧にやっていたことは断言出来るからです。

えーと、ということは、監督ズは「脚本を理解していた」ということですか?
ならば何故ピダムの表情演技の間違いに気付かなかったんでしょう。
あとユシンの緊張感のなさにも。

あと、演技以外の演出も、私は監督ズだけでやっているわけではないと思います。
その下に照明監督やら音楽監督やら衣装監督やらがいて、さらにその下にスタッフがいたと思っています。
演技以外の演出が上手くいっていたのは、彼らの功績でもあるのではありませんか?
それこそ、あまり周りに口を出さない方針の監督なのであれば尚更。
なので、私は「監督のしたこと」に対して軽視しすぎてはいないと思っています。


>それが出来なかったら監督失格なら、イ監督もそうではありませんか? 同じタイプの表情しか引き出せなかったり、必要なのに引き出せていない表情があるのは、厳密には演技指導が出来ているとは言えませんから。

演技指導が「成功」していないからダメだと言っているのではないです。
成功しなくても「やった」という行動に意義があるんです。
「演技指導をしている」ということは即ち、少なくとも「演出のために演技を改善しようとする努力」はしているということです。
ですから、この場合は役者の演技に対する責任は役者のみにあると思っています。
キム監督はそこは全て役者に任せっきりだったのでしょう?
役者が脚本と違う(表情)演技をしていても、大体でも脚本を理解してさえいれば「お前そこ違うだろう!脚本もっぺん見直して来い!」ぐらい言えたと思うんですが。
監督がそのように行動し、役者に対して接していたのであれば役者が全て悪いと思いますが、そうでないなら、そう言えなかった(行動できなかった)監督も悪いと思います。


>そして、これです。通用しないなら、何故tocco様は善徳女王を評価されているのか、最後まで見れたのか、さっぱりわかりません。理想主義で、監督にも高い理想を求めていらっしゃるのに、プロにあるまじき監督の作品を見ていられるんですか? 私なら、脚本のレベルが学芸会ものだったら、一話だって見ませんけど…。

私は脚本の「内容」については一度も批判していないつもりです。
多少演出や演技に難があっても、話の大筋が面白かったから最後まで見たんです。
だから「善徳女王」という話自体を悪いと言う気がないんです。
むしろ話は面白かったです。
問題は「演出や演技」というだけで。


>ただ、ここまで監督に厳しいなら、他のスタッフ、役者、あるいは日本や海外の監督にももっと厳しい評価をされるべきだと思います。

はい。一応私の心情としてはそういうシビアな評価を監督以外にもしている人はいるのですが、「演技に対する責任は監督にもあるんじゃないのか」ということが言いたいがために監督にばかり集中砲火してしまっていることは認めます。(笑)
で、その監督以外のシビアな評価対象の代表が、「後半は準主役級」という立場からいってナムギルさんだと言いたいのです。
つまり、監督にもナムギルさんにも等しいだけの責任があると。
「ナムギルさんだけに責任がある」というのはおかしいのではないか、と。
責任対象に監督の存在が抜けていると思います、と。


>自分の演技に反省の色なしのナムギルさんはプロの役者としては失格

ここは違うと思います。
私は役者としての評価はあくまでも「ドラマの中での演技」(つまり表面的なもの)に限ったものだと思っています。
「ドラマ」以外の場でどんな言動をしたとか、演じているときに役者本人が自分をどう思っていたとかいう内面的なことは、見えている演技の評価には関係ないのでは?
役者本人の自惚れとかは「演技が下手なこと」の原因ではあると思いますが、「だから全責任を負え」というのは違うと思います。
たとえ自惚れていても求められる演技が出来ていれば、演技に対する責任はないと思います。
求められる演技が出来ていなかったから演技に対する責任の一端があるわけで、自惚れていたから全責任があるわけではないです。
そんなことを言ったら、求められる演技が完璧に出来ていても、「自惚れている」という人間性で全ての責任がその役者にあることになってしまいますが、そうなんですか?
「自惚れている上に演技が下手だから嫌い」というならわかりますが、「自惚れている上に演技が下手だから責任がある」というのは自分の好みの問題と責任論を混同しているように私には思えます。
私がこの言葉を言い換えるなら「求められる演技が出来なかったナムギルさんは現時点ではプロの役者としては失格」になりますし、実際それはそうだと思います。
そしてこれからどう変わっていくか、或いは変わらないことによって「役者」としての評価はまた変わっていきます。
(ついでに、今後評価が変わるかどうかについては監督にも同じことが言えます。)
人間性がどうかというのを演技という「技術」の評価に加えるのはフェアではないです。
ちなみに、このあたりのことはオム・テウンさんに対する評価(たしか7月の記事にありました)にも言えます。
「努力している(ように見える)」からといって演技に対する責任自体が軽減されることはないと思います。
「努力しているように見えるから、責任はあるけど大目に見られる」という、演技を見ている人個人の心情ならわかりますが。
「頑張っているから責任はない」「頑張っていないから責任がある」では「頑張っている」ように見えさえすれば、その人はたとえ演技が下手でも「頑張っていない」ように見える人に全ての責任を押し付けることが出来る、というとんでもない理屈が成り立ってしまうのですが。
私は演技が未熟であったならオムさんにもナムギルさんと等しいだけの演技に対する責任があると思います。
そしてそれをスルーした監督にも。


>不味い演技をカバー出来なかったベテラン陣も先輩役者として無責任でありいい役者とは言えず、役者と監督の力量を無視して結果的に視聴者の誤解を招く脚本を書いた脚本家もプロ失格、ぐらいは言うべきではないでしょうか。

それは極端だと思いました。
そもそもベテラン役者の仕事の内容は、主役級の役者のカバーをすることも含まれてはいますがそれが全てではないですよね?
「自分に与えられた役をこなすこと」も必要ですよね?
それが出来ていなかったベテラン役者は、私にはいないように見えました。
そこだけを取り出して「無責任でありいい役者とは言えず」というのは、ちょっと極端です。
脚本についても、そもそも脚本の内容を重視する方針を取ったのは監督です。
監督が脚本に口を出したのにも関わらず、それを無視して自分の好きなように書いたというならプロ失格でしょうが、そもそも監督が口すら出していないと思われるので誤解を招くも何もないと思います。
監督が脚本をどのように解釈したかは脚本家にきちんと自分の口で言うべきですし、それがなければ脚本家だって自分たちが意図したように監督は解釈してくれたと思って当然だと思います。
ちなみにそれは「脚本に口を出すこと」ではなく、「面白い作品を作る」ためには必要だと思われる「脚本家と解釈のすり合わせをすること」だと思います。
(それがイ監督の場合は手直しをする、という作業も入ってくるだけで。)


>全体的に見て、少なくとも監督と脚本とメインキャストの一人が「理想を目指していない」のであれば、作品自体も「理想を目指していない」駄作だと評価なさるべきだと言う気がするんですが…。

前に言いましたが私は「理想を目指している」≒「理想に近づく努力をしている」だと思っています。
それは物に対してではなく、人に対してかかってくる言葉です。
だから、作品という「物」に対して「理想に近づく努力をしていない」というのは適切ではないと思います。


>ならば監督が全ての役者に対して演技指導をするイ監督のような方には、キャスティングに配慮しないぶん、大前提として「監督の演技指導が完璧であること」を要求すべきだと思います。

いいえ。私はイ監督のようなタイプであっても大前提は「脚本を理解していること」だと思います。
どんなタイプの監督であっても理想は「面白い作品を作ること」であり、その大前提は「脚本を理解していること」だと思います。
「面白い作品を作る」ためにどういう方法を取るかによってタイプが分かれるだけで。
「面白い作品を作る」ために必ずしも演技指導が必要なわけではないということは、緋翠様も仰っていたのでは?
それに私は人間である以上「完璧」はあり得ないし、それを求めることは不可能だと思っています。
また、イ監督のようなタイプだからといって「全て」の役者に指導をすることはないと思います。
脚本や監督の思惑を理解し、それと同じ、或いは限りなく近い演技をしている役者に対して指導は必要ないからです。
それに自分が演技指導をするからといって、キャスティングに全く配慮しないなどどいうこともあり得ないと思います。
少なくとも役のイメージは大事にしているはずです。
だから実力不足の役者を起用する事態にもなるわけで。
(イメージが一致して実力もあれば一番なんでしょうが。)


>完璧な演技指導が出来ないのに演技指導をするなら、それも理想にはかなっていないことになるはずです。

理想は「完璧な演技指導をすること」ではなく「面白い作品を作ること」ですから、ならないです。
それに何度も申し上げているように、人間に「完璧」は不可能です。
それに演技指導がしたいなら監督ではなく演劇関係の学校の指導者になるなりすれば良いのでは?


>そして、私は佳作か駄作かの責任は監督に押しつける代わりに、一つの作品を通しての役者の演技力の評価は、役者一人のものにするようです。私の場合、演技の責任を監督と分割したら、役者さんの価値が評価出来なくなるので(笑)

あー…そこなんですかね、私と緋翠様の考え方の違いって。
私は監督や役者の責任は問うても、彼らの評価は一つの作品ではしないんです。
時間の経過と共に上手くなっていくかどうかで判断しているので。
どんなスタッフや共演者とやっても上手くなっていっているようであれば良いと思うし、そうでなければこりゃダメかな、と。
だからナムギルさんやオムさん、監督ズについても「現時点では」イカンと思いますが、これからどういう演技・演出をしていくかによって、私の場合評価は変わります。


それから前回言った「補足したいこと」なんですが…。

>しかも、監督ズには確かにナムギルさんの気性を判断出来なかった責任もあるっちゃありますが、ナムギルさんの場合、彼もファンも、ナムギルさんは下積みが長くて苦労もしたし、見た目や人気重視の浮わついたアイドル俳優なんかではなく「実力派俳優」だと自負しています。
こう言ってはなんですが、「実力派俳優」が演技的にあからさまに失敗したなんて、それだけで恥ずかしいものです。しかも、ピダムの演技的に成功している部分について、ナムギルさんやファンの方は「ナムギルさんの手柄」にしています。監督や脚本の手柄ではなく。
公平に言って、ナムギルさんが『「監督の演技指導を必要とする」非実力派俳優』だと言うなら、失敗だけでなく、成功も監督の責任です。でも、ナムギルさんは『「監督より演技のプロであると言う前提のある」実力派俳優』なんですよね。だとしたら、成功だけでなく、失敗も彼の責任とするべきではないでしょうか?
それが、「実力派俳優」に課せられた義務じゃないんですか?

補足というか、疑問なんですが、これってつまり「実力派俳優ならば、成功も失敗も全て俳優の責任である」っていうことですよね。
ということは、裏を返せば「成功も失敗も全て俳優(ここではナムギルさん)の責任である」と仰っている緋翠様はナムギルさんを「実力派俳優」とお認めになっている…ということになりますが。

>ナムギルさんが「ファンは水物」と言って『実力派俳優』を名乗る限り、キャラクターの失敗ならともかく、演技(脚本理解)の失敗の責任を一部であれ監督に負わせるのは、恥の上塗りで可哀想だと私は思います。(「演技力の欠如」に加えて、「実力派俳優と言う看板に見合う仕事をしなかったのに、責任も取らない不誠実な役者」と言うことになりますから)
なので、ナムギルさんの自負と監督の努力を尊重して、私は敢えてナムギルさんに全責任を押しつけます

とも仰っていますし。
ナムギルさんとファンが彼を「実力派」と言っているから緋翠様もそれを認め、それを理由に可哀想だからとナムギルさんに全責任があると仰るなら、私はナムギルさんを「実力派俳優」と認めている立場ではないので、その観点からも異議を唱えます。
本人とファンの方がどう思っていらっしゃるかはわかりませんが、少なくとも現時点で彼は「実力派俳優」ではないと私は思います。
それを目指してはいるかもしれませんが。
実力派だったらそれこそ脚本を理解していないなんてことにはならないですし、もっと微妙な感情表現も上手いと思います。
そして監督だって、ナムギルさんの演技をスルーした責任を問われるようなことは何一つなかったはずです。
ですから、もし本人が「実力派」を名乗っているのだとしたら、「演技力の欠如」に加えて、「実力派俳優と言う看板に見合う仕事をしなかったのに、責任も取らない不誠実な役者」ということになってしまっても仕方がないと思いますが。
私はそういう実績のない「自負」は尊重する必要はないと思います。


うわぁ~、また無駄に長い(汗)
しかもやっぱりグダグダだ…すみません(滝汗)

とりあえず今考え付くのはこんな感じです…。

鷺ノ宮様へ

  1. 2011/11/19(土) 13:55:08 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
鷺ノ宮様、こんにちは!
ま、纏めてお返事した方がいいわ…!と感じたので、今回は二回分のコメントに対して、一度にお返事させて頂きます(汗) お許しをー!

あ、坂本龍馬の命日は知りませんでした。15日だったんですねー。

> 気持ちだけは伝わるといいのですが駄考・愚行でした。

すみません(汗)
仲裁をしてくださっている、とお気持ちは感じたのですが、私も自分の真意を誤解されたくはなかったので、黒緋翠になって反論しました。鷺ノ宮様も黒鷺ノ宮様になっていらっしゃったので、これくらいはいいだろうと感じたのですが、相変わらずバッサリ言い過ぎたようで申し訳ありませんー(汗)
でも、コメントの内容に対して反論はしましたが、鷺ノ宮様から意見を頂いたこと自体に対して反感を持ったわけではないので、頑張って立ち直って頂けると嬉しいです…!

> ひとかどの緋翠様に、口角泡を飛ばして(活発に意見して)も、角が立つだけでした。
> (^^;

いや、角が立つわけではないですよー(汗) 反論することは、角が立つことではないんです。
私は、意見をもらった場合、同意することが全てだとは思いません。相手の方の意見がどういうものかを確認した上で、同意したり反論したりするのが私のやり方なんです。

> ユムジョンの様に寄生せず、旅立ちます。
> うわーん、しくしく(*ToT)

ご不快かと思いますが、反論するのは拒絶ではないと、ご理解して下さることを祈ります…!(汗)
無理にでも戻ってこいとは言えませんが、また来てくださるのをお待ちしています。


最後に、トンマンとスンマンのお話については、

> なので、事細かにお返事割愛致します。第2便も、「ご苦労さん」肩ポンで、ご勘弁願えませんかね。しくしく-。(*ToT)

と言われてしまったので、興味深い内容だとあれこれ考えてはいたのですが(笑)、細かい感想は差し控えます。
でも、もし鷺ノ宮様がブログを開設することになったら、ぜひこのお話を掲載して頂きたいですー!そして、その時こそ、ちゃんと感想をコメントしたいです。
読みごたえのあるお話をありがとうございましたーvv

私のせいで鷺ノ宮様の善徳女王への熱意がなくなりませんように…!

緋翠様、りば様、tocco様へ

  1. 2011/11/19(土) 22:17:58 
  2. URL 
  3. 鷺ノ宮 
  4. [ 編集 ] 
上空旋回から、只今舞い戻りました-。立ち直り早っ!
水鳥、渡り鳥、不死鳥かもしれません。

こちらで、遊ばせていただいて1ヵ月半の新参なんですね。7月中旬の記事も、まだまだ未読があり驚いています。

りば様
10月1日の「ドラマIF もの」で、緋翠様と、りば様のやりとりに感激し、「一体、何者ですか?」なる自分の驚きのコメントを見て思い出し笑いをしてしまいました。

りば様が噂の「あの方」かと、今になってわかりました。

今回のご登場にも首を長ーくして、実はお待ちしていました。
念願のtoccoさん励まし応援には 、りば先輩、貴方(貴女?)でないとだめなんです!

7月の記事を拝見して、あまりの濃さに「りば先輩!」とお呼びしてもよろしいでしょうか?

2度目で、ようやく「初めまして、よろしくお願い致します。」と、ご挨拶させて頂きます。

緋翠様に至っては、議論は対等の方がいいのかもしれませんので、心の中で「師匠」とお呼びしていてもよろしいでしょうか?

私気概だけの弱虫ですが、少しずつ免疫力と要領を得て参りまして、やはり「名物」から目が離せません。

すぐ泣き真似しますが、まだまだ愛読者です。今後とも手加減ご無用と申し上げに来ました。

緋翠様の信念の基、緋翠様らしい持論展開をのびのびしていただきたく応援に上がりました。

これからもスポーツマンシップに則り、精一杯ぶつかり稽古に励みます。(え?)

でも、ネタがなく茶番劇士担当になりそうです。(^o^;)

tocco 様
tocco様の復帰に3回転の小躍りをしました!!(*^^*)
読者のヒーローに乾杯です!

これから緋翠様のコメントかと待てなくなり、幕間の茶々入れに来てしまいました。
(皆様、お茶でもどぞどぞー。(^o^)v)

毎日の喜怒哀楽の部分部分が善徳女王の台詞に縁取られ、彩られ、熱意が冷める気配はないです。現が夢か、夢が現か。ここで一句。
「現のみ、見し我に、夢を与えた、善徳女王」字余り。

議論でないですね。えーと、反論、反論。宿題ですね。最近、自問自答で完結する傾向が強くなってしまいました。(^o^;)
年内はブログ開設無理なので、復耶会状態で居候させて頂きます。

実は、(こそこそ)監督ズって、誰ですか?(^^;(汗)
キム監督、イ監督まではなんとかわかるんですが・・・。





tocco様へ

  1. 2011/11/19(土) 23:30:39 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
tocco様、こんばんは!
再び議論のお相手をしてくださり、ありがとうございますーvv そちらのお返事は、また後ほどさせて頂きます…!

これは私の気持ちの持ち方と言うか、逃げなんですが(笑)、自分のやりたいことや意見が、万人に受け入れられるはずなんて、ないんですよ。なので、議論をすると言う選択肢も、全ての方に受け入れられるはずがないと思うんです。ぴあ様のようにお感じになる方もいらっしゃって当然ですし、りばさんのようにお思いになる方もたぶん他にもいるのではないかと。
と言うわけで、特に議論をする時は、あらかじめ反論とか、議論自体をNOと感じる方がいらっしゃる、と言うことを覚悟しておいた方が、精神衛生上イイかもしれません…!(って、今更過ぎるorz)

りばさんも仰ってましたが、私の場合、二次創作をするのとキャラ語りをするのは、同じ意味を持つんですよー。どちらも「善徳女王について自ら考える」と言う意味では、全く同じなんです。
その上で、二次創作をした方が表現し易ければ二次創作をし、考察とか議論をした方が表現し易ければそうする、と言う感じなんです。(現代ものの二次創作が私のサイトでは少ないのも、二次創作が、「萌え」と言うより「善徳女王研究の一環」みたいな色合いが強いからかもしれません)
なので、二つは切っても切り離せないと言うか、考察なり議論が出来なくなると言うことは、「善徳女王のことを考えるのを止める」と言うことに通じるんですねー。ややこしいことに(笑)

と言うわけで、私は二次創作だけを求められても、批判のない考察を求められても、お応え出来ないんです(汗) そこのところで、どうしても融通が利かないようで…。
ぴあ様には、そこのところを理解して頂けると有り難いな、と思います。私にとっては、善徳女王研究の手法が、批判もある考察であり、二次創作でもある、と言うことを。

そう言えば、鷺ノ宮様もtocco様も「炎上」を気にしておられたようですが、よほどのことがない限り、「炎上」はしないと思いますので、ご安心を…!(確かに、7月の方がもっとハードでしたし、これくらいなら問題ないです(笑))
それに、ぴあ様は、(公開非公開関わりなく)コメントをくださった方に対して物申されたのではなく、あくまで私に対してコメントをくださいました。ぴあ様が疑問を抱かれたのは、私の方針であって、tocco様や鷺ノ宮様のコメントに対してではないので、あんまりお二方が落ち込まれると、むしろぴあ様はお困りになるのではないかと思います^^;
あ、いえ、勿論これは私の推測ですが、私宛てにコメントをくださったので、そう言うことだと思いますー。

りば様へ

  1. 2011/11/19(土) 23:48:37 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
りばさん、こんばんはー!
勿論、横レスOKですv そして、横レスに横レスするのもOKです、と言うわけで失礼をw

まず、自己弁護が出来るとか言っておきながら、不足する部分が多過ぎる私のフォローを今回もしてくださり、ありがとうございます…!←勝手に「フォローしてもらったーvv」とときめいてますw(ちょ)
何より、

> ドラマに関する熱い対話はすでにこのブログの名物というか、分かち難い一部なのだと私は勝手に思っています。多くの人を惹きつけるSSの書き手であると同時に、ドラマ善徳女王について語り、語り合うことを追及する方でもある、二つの要素がどちらも緋翠さんの一部であるように。

興奮して吐血しそうなくらい嬉しいお言葉をありがとうございます!!りばさんにこう仰って頂いて、改めて自分の二次創作に対するスタンスがはっきりしました。
二次創作をしているのは、勿論キャラクターが大好きなので彼らを自分で動かしてみたい、と言う欲もありますが、何より、善徳女王と言うドラマを研究(?)して感じたことを表現するのに、二次創作ほど便利なものはないんですよね…。語りの方が表現し易い時もありますが、理論ではない、感覚的な部分を他の方に伝える手段として、二次創作ほど優れたものはないんです。そのことを、りばさんのこのコメントできちんと実感しました。
「頂き物にかまけていると頭が閲覧者モードになり、自分でSSを書けなくなる傾向もあるみたい」と言うのも、そうですねー。閲覧者モードでは、その方の書いたものを楽しむ頭になってしまって、善徳女王研究をする頭ではなくなるので、二次創作も語りも出来なくなってしまうんだな、と。

なので、りばさんのご指摘通り、今回のやり取りはSSを書く妨げにはなりませんね!

横レスなのであんまり長々は書きませんが、以下の文章が私の魂の叫びそのものだったので、脆過ぎる涙腺が多少壊れましたww

> そしてSSであれ議論であれ、読まない自由、読む自由、読む事を通し他人の考えを知ることを楽しむ自由があると思い、私はその自由を行使し、また満喫しております(笑)
> なので意見交換が盛り上がったことをよくない事のように、そして「申し訳ないことをした」と謝罪されるのは、あくまで私個人としては、ですが、どうしてだろう?と不思議でさえあります。
> tocco様の問いかけに応える事、それにどれだけの時間を使うかは緋翠さんの決められた事ですし、つきつめれば議論歓迎!な土俵を作られたのは緋翠さんご本人なので。議論を交わす当の相手の意志にかかわらず、こちらのブログの読者からの反感を買ってまで議論をしようとは思わない、とお考えだとしたら残念です。

りばさんは、痒いところを見つけて掻いてくれる、魔法の孫の手みたいですね…!!(←もっと他にいい言葉はないんか…)
ありがとうございますー!!・゚・(ノД`;)・゚・

tocco様へ

  1. 2011/11/20(日) 01:22:27 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
tocco様、こんばんは~v

今回はまた、超長いです(笑)


> ということは、裏を返せば「成功も失敗も全て俳優(ここではナムギルさん)の責任である」と仰っている緋翠様はナムギルさんを「実力派俳優」とお認めになっている…ということになりますが。

これが私の評価方針を如実に物語っているんだな…と気付きました(笑)
結論から言えば、私はナムギルさんのことは実力派俳優だとは欠片も思っていません。なので、散々下手だと言ってきました。
そして、役者一本で食っていくなら、実力派だろうがそうでなかろうが演技で失敗すればそれは全て役者の責任だと言うのが、私の原則であり、理想です。だから理想主義に従うなら、善徳女王ではナムギルさんだけでなく、オムさんやポジョンとかソヒョンパパとかも駄目だったと思います。
でも、私の場合、原則(理想)に合わないからと批判するわけではないんです。それがtocco様との一番の違いかと思います。

そもそも、批判と言うのは相当重いものです。簡単に人のやってることを批判すべきではない、と私は考えています。
なので、通常はドラマを見るだけで役者の演技力まで深刻に批判することはありません。tocco様が一つの作品では責任は負わせても評価はしないと仰っていましたが、私の場合は、一つの作品ではその時点での上手い下手などの評価はくだしても、責任は負わせないんです。私の中では、評価より、責任と言う言葉の方が重い言葉なので。
つまり、評価として「下手だなー」と言っても、「それがドラマを壊した」とか、責任を匂わせるような重い批判は、そう簡単にはしないようにしています。
また、私はプロの演技の批評家ではないと言う自覚があるので、「役者とはこうあるべきだ」とか、「監督とはこう言うものだ」と言う理想では批判しません。第一、理想を元に批判をしたら、批判せずに済む人なんて一握りしか残りませんから。

と言うわけで、例え大根役者だろうと、本人にその自覚があれば、「下手だな」と評価はしても、批判はしません。役者本人が「自分は演技が下手だ」とか「脚本の理解力が低い」と思っていて、それを逃げではなく、演技の向上の為に使っているなら、その自覚が役者の演技を良くする可能性があるので、批判しないんです。

でも、ナムギルさんの「自称実力派俳優」と言うのは、違います。
彼の場合は、ドラマの中で演技的に失敗しているだけでなく、自分の演技を反省せずに、公式ガイドブックでは監督にも脚本家にも文句を並べていました。はっきり言って、「なんて傲慢な役者だろう」と思いました。
傲慢でも、ミシルのヒョンジョンさんのように一定の実力があれば構いませんが、ナムギルさんは与えられた役割をこなす実力がなく、傲慢である為に一つの作品の中で成長する要素もないので、私は彼を批判対象にしました。
私が許し難いのは、理想通りの力を発揮出来ない無能さではなく、自省のない傲慢さです。何故なら、「面白い作品」を作るのに、それが一番邪魔だからです。

イ監督も同様です。
私から見れば、彼は自分の実力以上に自己評価が高いタイプです。だから、確かにドラマを作る度に自らに実力より高い理想(ハードル)を課すことがありますが、私から見ると、そのハードルを越えられていません。
私は高いハードルを置いた心意気より、自分一人の力で跳べるわけもない高いハードルを跳ぼうとして失敗したことを重要視します。本来、監督には面白い作品を作る義務があるのに、理想を重視するあまり失敗することで、「看板倒れの面白くない作品」になりがちだからです。


なので、tocco様の理想主義に、かなり違和感を感じます。

> 理想は「完璧な演技指導をすること」ではなく「面白い作品を作ること」ですから、ならないです。

私はtocco様の理想の話を聞いて、tocco様の理想が「面白い作品を作ること」だとは思いませんでした。
監督の理想を聞いている限り、監督にとって大事なのは、面白い作品作りより、辞書に載っている通りの「演出」を目指すことだ、と言う風に聞こえたんです。

勿論、辞書にある「演出」をすることが「面白い作品」を作る為の必須条件ならtocco様の仰る通りですが、私はそうは思いません。
演技指導や衣装や音楽のどれを取っても、tocco様が指摘したようにそれらのプロと作り上げるものなんですから、それなら、全部に手を出してプロを仕切るタイプもいれば、苦手なものを自覚して、苦手なものは丸ごと実力あるプロに任せるタイプがいたっていいのではないでしょうか? 「面白い作品」を作る上で問題なのは、「演出」の中で監督が獲得した点ではなく、「演出」の中で監督とプロが一緒に獲得した点なんですから。
なので、もし「演出」のいずれかをプロに丸投げすること自体が問題だと仰るなら、私はtocco様の理想は「面白い作品を作ること」にはならないと思います。

以上のことを踏まえて、私は、「面白い作品を作ること」が理想だと言うなら、「脚本への口出しと、不完全な演技指導」と「脚本の理解不足と、演技力を出来る限り重視したキャスティング」は、どちらも共に監督とプロの双方の力を使って理想を目指す、別々の方法なんですから、同等に扱うべきなんじゃないか、と思います。
何故なら、どちらも一長一短でしょう。前者は脚本家の個性を潰したり役者の演技力をフォローしきれないことで作品の完成度を低くしますし、後者は脚本を表現しきれなかったり役者の演技を修正出来なかったりして、完成度を低くします。どっちの欠点も似たようなものです。
そして、前者は「監督が脚本を自分が理解出来るレベルに引き下げます」し、後者はそれをしません。(脚本のプロではない監督が短時間で理解・演出出来る脚本に、レベルの高いものはありません。だから、私は撮影期間が短いドラマの監督に、脚本理解力はなくてもいいと思っています。大枠は話し合っても、あとは監督自身が脚本から感じたことを映像に出来れば、それで十分だと思うんです。役者だって、脚本家に逐一指示されているわけではありませんから)
前者は全てが監督の手の内なので、形は綺麗でも小さい作品になり、後者は監督が制御しきれずそれぞれが勝手に仕事をするので、形は歪でも自由に広がった大きな作品になります。

監督が辞書にある「演出」を正しくこなせば勿論前者になりますが、前者が後者より面白いとは限りません。事実、視聴率で見れば、イ監督とキム監督はどちらも負けず劣らずの高視聴率を取っています。
だから、面白いのが理想なら、どっちだっていいと思うんですよ。

私の考えでは、面白い作品が理想なのに、面白い作品を作る監督はこうあれ、と言う理想を押しつけるのは矛盾しているように感じます。
それより、「面白い作品を作ること」が理想なら、「こう言う方法でも面白い作品が作れるのか」と感心して、その方法を極めるにはどうすればいいかを考える方が、監督論としては理にかなっているのではないでしょうか。
だからキム監督の話をするなら、「どんなキャスティングで役者の力と雰囲気と演技力のバランスを整えたのか」を語り、イ監督の話をするなら、「どんなキャスティングで役者の雰囲気を活かし、演技指導を仕切ったのか」を語るのがイイと私は思いました。
監督一人が、辞書にある「演出」をいくつこなしたかより、辞書にある「演出」をよりハイレベルな形でこなす為に、監督が自他の力をどう活かしたかの方が、「面白い作品を作る」為には有益だと感じるからです。

役者の評価も、同様に、自他(自分の演技力と、脚本力)をどう活かしたかを、私は重要視します。それに失敗したら、結果的に一つの作品の中で、演技的に失敗した、と判断します。
なので、オムさんは失敗とは言いません。オムさんは他を活かす(脚本を信じる)道を選び、それを果たしたからです。

と言うわけで、

> うーん、監督に対してそのように仰るのであれば、役者に対してもそう仰るべきではないでしょうか。
> 何故監督ならば「反射神経が悪い」ことが許されて、役者はダメなんでしょうか?
> 「反射神経が悪い」ことに対して、どちらも同じに責任を負うべきだと私は思うのですが。

イ監督なら、私は役者ではなく監督が責任を負うべきだと思いますし、キム監督なら、監督ではなく役者が責任を負うべきだと考えます。
何故なら、それぞれの監督が、面白い作品を作る為に選んだ方法が、違うからです。違う方法で全く違う料理を、でもどちらも美味しい料理を作っている以上、片方だけを指して「こっちが教科書通りだから、全てこの方式で作るべきだ」と言うのは、芸術分野においては通用しない理論だと思います。

> >何故そう言えるかと言うと、音楽差し替え前の韓国版を知っている身として、上記の「演出」を監督がほぼ完璧にやっていたことは断言出来るからです。
> えーと、ということは、監督ズは「脚本を理解していた」ということですか?
> ならば何故ピダムの表情演技の間違いに気付かなかったんでしょう。
> あとユシンの緊張感のなさにも。

いえ、違います。理解はしていません。でも、理解していなくても、感覚的に「こうした方がいい」と監督ズが決めてやった演出で、大きく的外れなものはなかったと思いました。
ピダムとユシンの演技を指摘出来なかったので、「ほぼ」と付けましたが、それ以外に何か演出上変なところがありましたか?
また、「ほぼ」と言うのは、上の方で語ったとおり、少なくとも演技については「プロ」である役者に任せるのが監督の方針だからで、実力を見誤ったミスキャストだ、演出力不足だと責めるには、ユシンもピダムも、役者の持ち味と役柄が当たり役といって差し支えないほど合い過ぎていたと思います。
と言うわけで、「ほぼ」完璧だと表現しました。
こう言ってはなんですが、例えば同じ王ものでも『イ・サン』と比べると、善徳女王の映像の迫力は格段に上です。監督を評価する「演出」には、それも含めて評価をするのが正しいと私は思うので、ドラマにしては迫力ある映像を提供している監督ズを、演技指導をしないからと、イ監督より低く評価されるのは不満です。私が知る限り、イ監督は息を呑むような素晴らしい映像を撮った例もなければ、素晴らしい映像を撮ろうと何か特別なことをしたと言う話も聞きません。
私は、監督の力量を評価するなら、役者の領分でもある演技指導をしようとしなかったことより、監督自身の領分である映像分野において、唯一無二の素晴らしい映像を撮ろうとしなかったことの方が、大問題だと感じます。イ監督は、映像的には女優の美しさを引き出すことにこだわりを持っていると仰っていましたが、善徳女王と比べて、『イ・サン』や『トンイ』の女優さんが格別に美しく撮られているとは思えませんでしたし。

> >そして、これです。通用しないなら、何故tocco様は善徳女王を評価されているのか、最後まで見れたのか、さっぱりわかりません。理想主義で、監督にも高い理想を求めていらっしゃるのに、プロにあるまじき監督の作品を見ていられるんですか? 私なら、脚本のレベルが学芸会ものだったら、一話だって見ませんけど…。
> 私は脚本の「内容」については一度も批判していないつもりです。
> 多少演出や演技に難があっても、話の大筋が面白かったから最後まで見たんです。

これは、すみません(汗) 言い方が悪かったです。
私が言いたかったのは、私は脚本に煩い人間なので、脚本が悪ければ一話だって見ていられないように、監督についてそれだけ理想の高いtocco様なら、監督(演出)が悪ければ全話を見るのは相当な苦痛だったのでは?と感じたんですよー(汗) いくら話が面白くても、監督が理想から程遠ければ、見ていられないものじゃないか?と。
んで、見ていられたなら、「演出や演技」にも、それなりに見ていられる理由があったのではないか、と思ったんです。
ちなみに私の場合は、一度はピダムの芝居をきちんと見ましたが、以降は何か理由がない限りは、ピダムの芝居はまともには見ていません。ナムギルさんの容貌や仕種の研究とか、脚本上のピダムの台詞に集中しています(酷)

> 人間性がどうかというのを演技という「技術」の評価に加えるのはフェアではないです。
> ちなみに、このあたりのことはオム・テウンさんに対する評価(たしか7月の記事にありました)にも言えます。
> 「努力している(ように見える)」からといって演技に対する責任自体が軽減されることはないと思います。
> 「努力しているように見えるから、責任はあるけど大目に見られる」という、演技を見ている人個人の心情ならわかりますが。

正確に言うと、人間性ではないんです。個人の人間性なんて、インタビューではわかりませんから。
そうではなく、役者としての作品(監督・脚本)に対する向き合い方は、演技力に大きく関わるので、それを重視しています。
「頑張っているから責任はない」のではなく、長編時代劇と言うものは、その間、例え下手だろうと真摯に脚本に向き合い、演技力を向上させようと周囲の役者の演技を学べば、徐々に脚本が感覚的に身体に染み込んで、役者を脚本にある役柄に近付けてくれる魔力があるんです。頭で考えて演技するのではなく、身体が演技をするようになるんです。
これは、韓国のドラマだけでなく、それは日本の大河ドラマでもあることです。
なので、「努力しているように見えるから、責任はあるけど大目に見られる」と言うのは、物凄く私情でもあるんですが、反面、そこに真理もあるんです。努力すれば、その役限定で、演技が出来るようになることが、あるんですよ。それが当たり役と言うものです。

ユシンやピダムは、当たり役です。その上、約半年もの間、彼らはその役だけに向き合い、毎回毎回脚本と言う形で新たな情報を得ることで、役に対する理解を深めることが出来ます。
普通の人が、見知らぬ他人について語るより、家族について語る方がより饒舌になるように、役者も、短期間の付き合いしかない良く知らない役より、たくさんの情報を知っていて、長期間付き合いのある役の方が、より演技が饒舌になります。その役の時だけ、演技力が上がります。

なので、私は脚本と真摯に向き合い続けたオムさんは下手な役者だと思いますが、批判しません。彼は下手な役者に望み得る最高の進化をして、女王時代のユシンになったからです。
ナムギルさんも私は下手な役者だと思います。そして彼を批判します。それは、彼は脚本が与えてくれた情報を「そんなの、俺のピダムじゃない」と感情的な部分で跳ね除けたからです。脚本にあるピダム像を理解することを第一にしなかったら、下手な役者に望み得る最高の進化を遂げることは出来ません。実際、出来ていませんでした。
そして、これは監督の演技指導でどうにかなる問題ではないんです。役者の、仕事(演技)に対する心構えが変わらないことには、どうしようもないことです。
だから、監督ではなく、役者の責任なんです。例え監督が演技指導をするタイプでも、カメラの前でその指導をきちんと受け入れるかどうかは、役者次第ですから。(例えば、『イ・サン』の時、主役のイ・ソジンさんはイ監督と演技をどうするかで何度も対立したと言っていました。監督が演技指導をするタイプでも、役者が自分のこだわりを貫くタイプなら、監督の言う通りにするものではないんです)

> >不味い演技をカバー出来なかったベテラン陣も先輩役者として無責任でありいい役者とは言えず、役者と監督の力量を無視して結果的に視聴者の誤解を招く脚本を書いた脚本家もプロ失格、ぐらいは言うべきではないでしょうか。
> それは極端だと思いました。

極端と言うか、tocco様が監督に理想を求められたので、だったら他の人達の理想も考えるべきだろうと思ったんです。

> そもそもベテラン役者の仕事の内容は、主役級の役者のカバーをすることも含まれてはいますがそれが全てではないですよね?

全てではありませんが、カバー出来なかったら、それは「理想」ではありませんし、カバーすることを試みなかったら、「理想」と目指していることにはならないはずです。それがtocco様の理想論ではないんですか?
「自分に与えられた役をこなすこと」が理想なのは、ベテランだけでなく、子役だってそうです。
ベテランなら、それに+αで仕事をすべきでしょう。しないなら、それは無責任だと言うのが、理想主義の方が取るべき道ではないのでしょうか。
監督に対してはどんなタイプであれ全ての演出に責任を持つことを求められるのに、何故ベテラン役者がカバー出来なかったら「無責任でありいい役者とは言えず」と言うのがいけないんでしょうか。私は別に、役者失格とは言っていません。ただ、理想の欠落した役者になるのに、それは「いい役者とは言えない」とtocco様は仰らないのですか?

脚本も、理想ありきで語るなら、「理想の脚本家とは、面白い内容を書き、撮影がスムーズに進むよう早めに脚本を提出し、監督や役者が脚本の意図と違うことをしないように配慮すること」ではないのでしょうか。それが欠けたなら、理想の脚本とは言えないのではないか、と私は思ったのですが…。


ぬおー……私も超長くてすみません(汗)
言葉足らずだったり余計だったりですが、つ、伝わりますように…!!

緋翠様

  1. 2011/11/20(日) 22:30:31 
  2. URL 
  3. 鷺ノ宮 
  4. [ 編集 ] 
こんばんは-。
ブレイクタイムのビギナーズクェッションです。

おかしな質問だと思われたら、ご指摘頂けると助かります。過去に同じ話題ありましたっけ?

7月16日「一対の。」を読ませて頂きました。(*^^*)

すると素朴なギモンが出てきました。

百獣の王(獅子=ネコ科)ピダムが大好きです。個人的な好みでピダムはこうあってほしいと思います。

しかし、作品イメージのポスターに花郎ユシンが獅子、ボロピダムが狼という水墨画をバックにした2人の姿があります。

スタッフ側が、ピダムにイヌ科の演技のイメージを求めていたとすれば、ピダムが「野良犬」になったり、「飼い犬」になったりが、ナムギルさんの演技の狙い通りで、緋翠さんのブログの写真とト書等のイメージにも合うのです。

あくまでも、イヌ科、ネコ科の振り分けは、こじつけっぽいので、私の疑問の設定の仕方がおかしのかもしれません。

前者はネコ科、知識労働者(ユシンも当てはまるか疑問です)、「智」の将で、後者はイヌ科、肉体労働者、「武」の将 です。
(極端な枠組み?)

また、視聴者の私たちの希望が、設定と違う幻想を望んでいたなら、勝手な「消化不良」「違和感」を感じているということになる可能性が出てきます。

イヌなら、くんくんメソメソ、わんわんOK です。取り敢えず。
あんなに忠義を尽くしたのに、暗殺されかけたので、飼い犬が飼い主の手を噛んだ。
主従関係をはっきりしようか、の乱になります。

ネコ科なら、ナムギルさん演技が違和感になります。

脚本はネコ科、ポスターはイヌ科?どういうことなんでしょう?

ポスターだけが、異質なイメージなら、脚本のネコ科がキャラクターピダムであり、ナムギルさんが、演技に失敗したことになります。

では、紛らわしいイメージポスターは誰の指示で製作されたのでしょう?

師匠ご存知でしたら、ご回答よろしくお願い致します。引っ込め、質問却下もありですよ。(^o^)v

高度な「監督と俳優が責任を分かつ」か、「俳優だけの責任か」の問答中に、横レス失礼します。

51話~62話のナムギルさん演技には「異論」ありに、同意された緋翠様と、tocco様の間では、「責任の所在」を検証されているんですよね?

>>監督もOK シーンにした訳ですよね?

の、自分の疑問の回答を見届けたいと思います。お二方がご負担でなければ。

とても気になったので。

  1. 2011/11/21(月) 17:36:35 
  2. URL 
  3. tocco 
  4. [ 編集 ] 
緋翠様、毎度毎度丁寧にお返事有難うございます…!
早速お返事、したいところなのですが、今回はその前に確認したいことがあります。

緋翠様が「私の理想主義」にかなり違和感を感じたのと同じように、私も緋翠様が私のことを「理想主義者」と言われることに物凄い違和感を覚えました。
前々から多少感じてはいたのですが、今回特に強く感じました。
緋翠様は私が「監督」の定義を広辞苑を参照して考えたことを基に、私を「理想主義者」と断定した上で、その考えを基に全ての議論を進めていらっしゃる。

辞書的な意味合いを根拠として「監督」を考えることが、緋翠様にとってはそんなに「理想主義」で違和感のあることだったのでしょうか。
もしそうであるなら、私は「議論をしたい」と仰っているはずの緋翠様が何故そのようなことを仰るのか理解に苦しみます。
そもそも「議論」とは論理的に進めるべきものです。
論理的に進めるために、「情報源(ソース)」を示すことは「議論」や「ディベート」の基本です。
論文なんかでもそうです。必ず情報源として「出典」を明記します。しなければならない決まりになっています。
何を基にそう考えたのか、はっきりしないことにはその主張自体にも疑問符がつきます。
辞書=言葉の意味=情報源に基づいた考えをおかしいと仰るなら、その根拠となるれっきとした「情報源」をお示しいただいた上でご説明願います。
論理的に議論を進めるために明記した情報源を「理想主義だ」と根拠もなく切って捨てるのであれば、それはもう議論ではありません。
もし何かしらの情報源があった上で「辞書的な意味合いを基本として考えることは間違いである」と証明されていれば、そのときは私の考える方向が間違っていたと認めます。
ただし、その場合でも「理想主義」という緋翠様の私に対する評価には同意しかねます。
私は議論の基本に忠実に従っただけですので「理想主義」ではありません。
誤解されたくないしそのようなレッテルも貼られたくないので、ここではっきり文字として残して明言しておきます。

そこを確認しないことには、私としては今後の「議論」は続けられないです。
そしてもし、私がこのように言うことも「理想主義」だと仰るならばとても残念です。

鷺ノ宮様へ

  1. 2011/11/21(月) 19:59:11 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
カムバックした鷺ノ宮様、こんばんは!v渡り鳥のように一年後とかじゃなくて良かったです(笑)
そして、7月中旬の記事には我ながらイタイ記事もあるので、お恥ずかしいです…!(滝汗)

> 緋翠様に至っては、議論は対等の方がいいのかもしれませんので、心の中で「師匠」とお呼びしていてもよろしいでしょうか?

いえいえいえいえ…!私は師匠と呼ばれるほど優れた人間ではないので、心の中では「頑固者」ぐらいにしといてやってください(笑)
「こいつと関わって人生損した」と思われないように、頑張りますーv また何かあれば、ツッコミを入れてください^^
私もぶつかり稽古に励んで、進化を目指します(え) お茶、ごっつぁんでした!(←違)

> 毎日の喜怒哀楽の部分部分が善徳女王の台詞に縁取られ、彩られ、熱意が冷める気配はないです。現が夢か、夢が現か。ここで一句。
> 「現のみ、見し我に、夢を与えた、善徳女王」字余り。

私が製作陣なら、このお言葉、めっちゃ嬉しいと思います(笑)
あ、別に無理に反論しなくていいんですよー!(汗)疑問を感じたら質問するだけでも、立派な議論だと私は思っています。
調べればすぐにわかりそうなことであれば、質問する前に調べて欲しいなーとブラックなことも思いますがw、私は説明が下手なので、「~~の文章の意味がわからん」とかありましたら、お聞きになってくださいv

> 実は、(こそこそ)監督ズって、誰ですか?(^^;(汗)
> キム監督、イ監督まではなんとかわかるんですが・・・。

あ、善徳女王は監督が二人いるんですよ。キム・グノン監督(金髪の人)と、パク・ホンギュン監督です。
このうち、パク・ホンギュン監督は他に(長編)時代劇の監督をしていないもので、語るには材料不足な為(笑)、キム・グノン監督が槍玉に上がっています。(←もう少しマシな表現を…)

> しかし、作品イメージのポスターに花郎ユシンが獅子、ボロピダムが狼という水墨画をバックにした2人の姿があります。

手元にある善徳女王関係の画像を見たのですが、こ、こう言うポスターを見たことがありません…っ!(汗)
どこで見られるんでしょう? 気になります…!

では、本題に入りまして(笑)

まず、善徳女王のストーリーやキャラクター設定は、企画(シノプシス)の段階と、実際にドラマの脚本が書かれた時では全く違うものになっています。(ノベライズをお読み頂ければ、別物っぷりがお分かり頂けるかとw)
これは、シノプシスを原作として書き終えた後にキャスティングをして、いざ脚本を書く時は、役者に合わせてキャラクター設定などをかなり変えていることが大きいのではないかと推察出来ます。
なので、確かにノベライズでは

> 前者はネコ科、知識労働者(ユシンも当てはまるか疑問です)、「智」の将で、後者はイヌ科、肉体労働者、「武」の将 です。(極端な枠組み?)

こんな感じでした。ネコ科イヌ科と言うより、『三韓一統の主役であり王者たる獅子・ユシン』と、『捨てられ冷酷なまま死んでいく狼・ピダム』ですが、とにかくノベライズでは二人の設定はドラマと全く違ったんです。
ポスター撮影は、ドラマの撮影開始より早いでしょうから、ユシンやピダムだけでなく、トンマンやミシルもシノプシスをベースとした形でポスター作成をしたのではないでしょうか?
なので、どう考えてもチョンミョンより大役のピダムが、チョンミョンより格下扱いのオープニングと同様に、私はポスターのイメージは厳密にはドラマのキャラクターとは違うと解釈しています。
と言うわけで、

> また、視聴者の私たちの希望が、設定と違う幻想を望んでいたなら、勝手な「消化不良」「違和感」を感じているということになる可能性が出てきます。

と言うことはないんじゃないかなーと…。
むしろ、役者さん達の方が、シノプシスとドラマの脚本の差に付いていくのが大変で、混乱したようです。シノプシス通りなら、ユシンは完全無欠のヒーローで、ピダムは美貌の残虐な負け犬、チュンチュは反抗期だけど根はイイ子、トンマンはユシンとピダムとチュンチュのオマケのこずるい女、みたいな扱いでしたから(笑)
あくまで私の印象ですが(汗)、特にナムギルさんはシノプシスで描かれていた悪役の狼ピダムに強く惹かれていたらしく、その為に脚本の変化に対して反応が鈍かったのかもしれません^^;

ええと、結論は、ドラマの撮影開始前と開始後でキャラクター設定が変化した為に、撮影開始前に撮ったポスターとドラマの中での演技から受けるイメージが変わったから、です。(←たぶん、ですのでー!)
師匠ではないですが、お役に立てれば何よりです…!

> >>監督もOK シーンにした訳ですよね?
> の、自分の疑問の回答を見届けたいと思います。お二方がご負担でなければ。

ん? これは、ドラマで放送された以上、監督はOKを出したのではないでしょうか。
私は、論点は、全ての監督に確かな脚本理解力と、それに伴う演技指導(指摘)を求めるべきか否か、と言うことかと思ってましたー。


※二つのコメントに対して、まとめてお返事してしまいました。お許しをー!

tocco様へ

  1. 2011/11/21(月) 22:51:49 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
tocco様、こんばんは!
これは急いだ方がいいと感じましたので、急ぎお返事致します…!

> 辞書的な意味合いを根拠として「監督」を考えることが、緋翠様にとってはそんなに「理想主義」で違和感のあることだったのでしょうか。

いえ、私が違和感を覚えたのは、辞書をベースとした理想(原理)主義と、「面白い作品を作ること」と言う現実主義を同時に唱えられているところです。
この二つは全く性質が違いますから、同時に主張するのはおかしいんじゃないかと感じまして…。理想(原理)主義自体に違和感があるわけではないんです。
そして、tocco様を理想主義と断定したのは、↓の通り、tocco様ご自身がそのように仰ったからでして…(汗)

> まず、私の根本的なものの考え方を二つお伝えさせて下さい。
> 一つ目。
> どんな天才であっても、人間に「完璧」は有り得ない。
> 二つ目。
> 人間が創り出したものに関しては、何事も「原則なくして例外はない」。
> 私は何事もまず「原理・原則・理想」ありきだと思っています。
> 「だから融通が利かないんだ」と言われることもありますが(笑)、それが無ければ例外も融通も応用も有り得ないからです。
> 「例外・融通・応用」なるものは「原理・原則・理想」を追い求めた結果、それが実現困難であったりそれを土台にしてもっと良いものに発展させられる場合に出現するものだと。
> そんなわけで、監督が理想に届かないのは基本当たり前で、悪いことではないと思っています。
> 問題はその理想に近づける努力をしたか否か、言い換えれば理想を目指したか否かです。
> そして彼らが適用している例外や融通、応用は、その結果から見出したものかどうかです。
> (「こだわり」とか「自由放任文殊の知恵」とかのタイプは、理想を追求する目的のための手段だと思います。)

ええと、これは「tocco様は理想主義である」と言う意味ではなかったのでしょうか…!?

勿論、広辞苑の定義に基づいた議論そのものを悪いとは思いません。
ただ、「演出」もそうですが、芸術分野において言えば、広辞苑の定義が現実と矛盾することはあります。
例えば、「絵画」と言う言葉の意味は、広辞苑によると「物体の形象を『平面』に描き出したもの」とありますが、天井画みたいに、『曲面』に描くものもあります。天井画の定義は、「天井の装飾として描かれた絵画の総称」なのに、です。それを「広辞苑の定義に反する」からと、「天井画は絵画としては理想を目指しているものとは言えない」と批判するのは、変でしょう?
数学とか、論理的な科目なら広辞苑の定義には絶対的な意義がありますが、芸術分野においては、天井画と言う絵画の一種が示すように、広辞苑の定義は現実的とは言えません。代表例を挙げている、ぐらいの感覚で私は見ています。

勿論、私も「議論」とは論理的に進めるべきものだとは思いますが、広辞苑の定義に疑問符をつけるのが非論理的なことだとは思いませんし、また、監督と演出について語るのに、私の論拠を文献での「出典」や「情報源」に求められるのであれば、それはないので、私はtocco様にとって、議論するに値しない者なんだと思います。

また、上でも書きましたが、私が違和感を覚えたのは、広辞苑などの文献をベースとした理想(原理)主義と、「面白い作品を作ること」をベースにした現実(合理)主義を、tocco様が同時に唱えられているところです。
天井画の例でわかるように、辞書の定義や原理を第一とするなら、それらと「面白い作品を作ること」は、論理的に考えて矛盾します。だから違和感を覚えました。

私は、もしどちらもtocco様の主義だと仰るなら、監督に対してもっと甘い点をつけるべきだと感じましたし、理想(原理)主義を第一とするなら、脚本家に対しても演技の責任を負わせるべきだろうと思いました。
何故なら、広辞苑によると、脚本とは「演劇・映画・放送などの仕組・舞台装置および俳優の動作・せりふなどを記載した上演のもととなる本」です。それなら、ナムギルさんが小物っぽい動作をした原因として、「俳優の動作を細かく記載しなかった脚本」も挙げられるべきでしょうから。


……ええと、私はtocco様の仰ることをそんなに曲解していたのでしょうか?
ディベートに詳しくないのでよくわからないのですが(汗)、議論の基本には、「矛盾する主義主張をしない」と言うことは含まれないのでしょうか?
そして、tocco様はご自分で「何事もまず「原理・原則・理想」ありき」と仰ったのに、それを私が「理想主義」と評することのどこが、誤解なんでしょうか? 「理想主義」ではなく、「原理主義」と言えば良かったんですか?
確かに、「「例外・融通・応用」なるものは「原理・原則・理想」を追い求めた結果、それが実現困難であったりそれを土台にしてもっと良いものに発展させられる場合に出現するもの」とも仰っていましたが、監督と演出に対して例外をお認めにならなかったので、理想主義だな、と確信したのですが…。

> そしてもし、私がこのように言うことも「理想主義」だと仰るならばとても残念です。

今回のコメントが「理想主義」かはわかりませんし、何故tocco様がこのように仰るのかも、今の私にはわかりません…(汗)。(私の理解力が低いのか…!)

緋翠様へ。

  1. 2011/11/22(火) 01:27:54 
  2. URL 
  3. tocco 
  4. [ 編集 ] 
>ええと、これは「tocco様は理想主義である」と言う意味ではなかったのでしょうか…!?

違います。(苦笑)
たしかに「まず原理原則ありき」と言いましたが、何故そこだけを取り出して「理想主義」になるのですか?
最初に「原理原則」なりの「基本的なこと」がなければ、応用も発展も有り得ないと言いました。
「面白い作品を作ること」をベースにした現実(合理)主義は、理想の「応用」だと思っている、ということです。
私にしてみれば、いきなり「応用」って有り得ないです(苦笑)
それこそどんだけ天才なんですか、の世界です。
その方が余程「理想主義」です。
「理想はこうだけれども、それはなかなか上手くいかないから別の方法を考えて応用する」というのが「理想主義」なんですか?
私は極めて「合理的に」考えたつもりですが。

ですので、私は「矛盾した主張」はしていないつもりです。


>数学とか、論理的な科目なら広辞苑の定義には絶対的な意義がありますが、芸術分野においては、天井画と言う絵画の一種が示すように、広辞苑の定義は現実的とは言えません。代表例を挙げている、ぐらいの感覚で私は見ています。

議論対象は確かに芸術ですが、議論自体は「論理」です。
それにたしかに辞書的な定義は現実的ではないかもしれませんが、それこそ私は「プロの批評家」ではないので、演劇に関しては専門的な知識はありません。
ですから、辞書的な意味を「基本的な」定義として出しました。
緋翠様は「代表例」以外の定義をご存知なんですか?
でしたらそれを示していただかないと、私にはわかりません。


>天井画の例でわかるように、辞書の定義や原理を第一とするなら、それらと「面白い作品を作ること」は、論理的に考えて矛盾します。

前提がまず違うし、何故論理的に考えて矛盾するのかわかりません。


>また、監督と演出について語るのに、私の論拠を文献での「出典」や「情報源」に求められるのであれば、それはないので、私はtocco様にとって、議論するに値しない者なんだと思います。

それは「何故そのように思ったのか」という根拠がないということですか?
「自分が考えて考えて考えた末にそう思ったから」というのが根拠ということですか?
ということは「自分の頭」以外に根拠がないということですか?
私は緋翠様ではないので、どれほどその考えが素晴らしく、正しいのかがわかりません。
文献でなくとも、その正当性が私にもわかるような根拠を下さい。
緋翠様自身がさんざん言っていたではないですか。
「私を納得させることが出来るだけの理由と根拠を述べてください」と。
同じことを、私は緋翠様に求めているだけです。
それが出来ないと仰るなら、緋翠様は根拠のない主張を掲げ、それによって俳優たった一人を批判したということになります。
というか、そのようにしか解釈できません。
私の根拠を変だ、おかしいと仰るなら、それについても根拠を示して下さい。
絵画と天井画の例えが正しければ、監督についても辞書的な意味を参照することが間違っていると必ず言えるのですか?
その例えだけで「辞書の意味は当てにならない」とは思わないです、私は。
辞書の意味を否定するなら、たった一つの例えではなくて、もっと普遍的なことを仰っていただかないと納得できません。


>監督と演出に対して例外をお認めにならなかったので、理想主義だな、と確信したのですが…。

例外、認めませんでしたか?
それを認めた上で、それでも「演出家」なのだし、役者の演技もほんの少しでも良いから視野に入れても良かったんじゃないの?と言っていたんですが。
十分例外も応用も認めているつもりなんですが。


それから。
「ディベートに詳しくないのでよくわからない」ですか…。
とても無責任な言葉に聞こえました。
詳しくもないのに議論を促していたわけですね…。
私だって大して詳しくないから、発言する前に私なりに「議論」や「ディベート」とはどういうものかを多少なりとも調べました。
きっと緋翠様の方が詳しくて、経験も豊富だろうと思って。
そういうことは私に聞く前にまずはご自分でお調べになって頂きたく思います。


>今回のコメントが「理想主義」かはわかりませんし、何故tocco様がこのように仰るのかも、今の私にはわかりません…(汗)

以上、一応わかるように説明したつもりです。
何故私が言わんとしていることがかなりの確率で別の意図に取られるのか、正直わかりません。
私なりに一生懸命わかるように言っているつもりなのですが。
しかも別の意図に受け取られたまま、今回のような説明もなくいきなり断定口調で論じられてしまう。
論点がすり替えられた上に、間違った解釈で私の考えを決めつけ、批判する。
「批判は人が簡単にして良いものとは思わない」と仰りながら、私のことはいとも簡単に。
(「私はプロの演技の批評家ではないと言う自覚があるので、『役者とはこうあるべきだ』とか、『監督とはこう言うものだ』と言う理想では批判しません。」という部分を、批判ではないとは言わせませんよ。(笑)私に対し「理想で批判している」と十分批判に受け取れます。)

私の文章力が低いと言われればそれまでですが、そうだとすればこのまま議論を続けていても結局私が本当に言いたいことは伝わらないので、無意味なんじゃないでしょうか。
いつまでも平行線のまま続いても仕方ないですし。
文章力が低いなら、やはり私は議論に向いていないですし。


あと鷺ノ宮様とのコメントのやりとりで論点の話が出ていましたが、私は鷺ノ宮様の仰ったように「監督と俳優が責任を分かつ」か、「俳優だけの責任か」を論点にしていたつもりです。
「全ての監督に確かな脚本理解力と、それに伴う演技指導(指摘)を求めるべきか否か」ということを言っていたつもりはありません。
私たちの議論を見て全ての人が「全ての監督に確かな脚本理解力と、それに伴う演技指導(指摘)を求めるべきか否か」ということを論点にしていると見ていたなら私の表現がまずかったと思いますが、少なくとも鷺ノ宮様は理解して下さっていたので、この辺に関しては理解できない程の文章を書いていたわけではないと思います。


議論は感情的になったら終わりだと思うので、私にはもうこれで議論は限界です(苦笑)
というか、正直疲れてきました…。
緋翠様には申し訳ないですが。
お互いに違う論点で見ていたなら、お互いの疑問点が解消するということもないでしょうし。
結論が見えないのは残念ですが、もうこの辺で終わりにさせていただけないでしょうか。
私の方が持ちません(苦笑)

これが私の最終極意

  1. 2011/11/23(水) 02:38:07 
  2. URL 
  3. 鷺ノ宮 
  4. [ 編集 ] 
tocco公主様、緋翠様へ

今晩は。
お二人とも、お疲れ様でございました。
勤労感謝の日です。
ゆっくりお寛ぎください。

tocco 様
ご立派でした。

胸が詰まって言葉がうまく出てきません。

結果、tocco様が「有効」「技あり」を取られて優勢と、私は見なし幕引きとします。多数決できるなら、 読者の方々のご意見、ご感想を頂きたいタイミングです。

私個人的には、「lady /淑女」の称号をtocco 様に授与致します。

もしくは、一緒に仕事したいですね。(*^^*)

このように、反省会、評価会を通常開きまして「ギロン」を振り返り、より発見を得たりします。

って、対面の「ディベート」「議論」実践経験者が、まさか私だけ?!
ぬおぉ-。

「ディベート」は、今や小学生が授業中に取り入れてるじゃないですか?グループ各5人で、立論、根拠、証拠をだいたい準備の休憩を入れながら、2~4分と刻み反論、尋問、防御みたいな感じで。また、アバウトな説明ですが、司会がルールを都度案内するので参加者は従います。

社会人になってからの研修では、どの立論、チームでも、私だけが不敗でした。若き日のお遊び(遠い目)。口頭アドバイスが禁じられているだけで、メモの投げ込みも可能で、プロファイリングも、目配せもできます。偶々、テーマが当時の面子の中では、やや知っていただけのラッキーもありました。
筆談や黙読は、メモだけなので、こちらの「ブログでも同じだ」と仰った緋翠様の説明には、「そお?」と思いつつ、人それぞれだし・・・と、聞き流してしまいました。

緋翠様は、趣味に娯楽だと仰っりながら、やはり戦闘態勢になりやすかったことが敗因でしょうか。
「対話型地雷」に私も予告なく吹き飛びましたが、tocco様は受け身でかわされました。
ご立派です。最後まで丁寧に向き合われました。

この「忠告」は、私宛に開設され、私の提案を採用して頂き、当面は常設して頂いています。なので、勝手に見届け人になっています。 すみません。お許し下さい。

まさか論点ずれが発生しているとは、夢にも思いませんでした。確認してみるものですね。非公開時代の助走に知らない部分があるかも知れないと思ったり、私の読解力は鈍ったか?と眠い目を擦り何度も読み返しました。

素敵な綺羅星のような論展開を、お二人はそれぞれお持ちなので、惑わされました。

組織では、問題解決型より課題達成型が主流なので私もあまり細かい言葉尻をあげつらわなくなりました。
でも、tocco様の姿勢を拝見して「誠意」とは斯くありたいと痛感したので、敬意を払います。 とても私にはしたくても、出来ない事だと思います。

私にできること?できたこと。
私、軽犯罪被害者です。
初動調査も自力でしまして、目撃者も2人発見し、犯人は捕まり、示談で賠償金も手にしました。検事と弁護士相手に白兵戦の取引と交渉です。
激しい「私怨」はありました。
恐怖に打ち勝つために、「憤り」を選んで。(トンマンか?)( →_→)

今は「犯罪を憎んで人を憎まず」です。そうするしか、自分が昇華できないからです。

緋翠様のナムギルさん演技には、「私怨」を感じます。
それでは、対論者が感情を受けきれないでしょう。

人生では、譲れないこと、譲ってはいけない時が必ずあります。例え、弱虫で大概拘りのない私でさえ。力はそういう時に発揮するべきものではないですか?

「ディベート」は、勝敗を決める手法に過ぎません。懸念事項が短期決戦で洗い出せます。グループなら、10人の視点で。
論点をずらすことは、反則行為です。どんなに根拠が優れていたとしてもです。

>監督もOK シーンにした訳でですよね?

tocco様の論を借りれば、理想通りだったのか、妥協したのか、俳優独りに放置プレイがどこまで 許されるのか?と言う疑問です。

合格点として、編集し、放映されたのなら、俳優の演技の勘違いを許容した「監督も責任を分かつ」派に私は、入ります。理由が時間切れ、体力切れにしろ、本人の頑固さゆえにしろです。

NG シーン、カメラチェックシーンを見ると、監督が大きく修正不可能な切迫感はありません。狙い通りなのでしょう。それが、脚本理解力不足にしろ、監督も俳優も反応仕切れていない点では、同罪です。

同時に、視聴者が脚本に「自分が見たいように見る」幻想を抱いている説も可能性として削除できる根拠が今は見当たりません。逆に有力説になりました。

しかも、実力派俳優というより演技派俳優であろうとしているナムギルさんのみが、責任を負わなければならない理由が理解できなくなりました。

私は「インタビューの内容」と「作品の演技」は別物として見ることができるので。

俳優がインタビューで、失言し脚本家に、礼儀を失したから、俳優独りが責任を負い、監督は脚本家に礼儀を失しなかったから、「理解力不足」「反応の悪さ」は、監督にはタイプがあるから、責任を負わないというのは「私怨」の論理です。

特に、「公式ガイドブックの内容が、予想外だったから」という理由を何度も記載されています。理由としては、人情的に「そうだなー。」と思います。

でも、「議論」と仰った以上は、結果は「俳優のみが、責任を負う」には、否です。

ちなみに、私が仕事で使う「議論」は言葉にケンを持たないように皆注意しています。

今どきはこのように「応用」な司会もなく、時間制限もない非営利な自立的な会話が、趣味の世界では流行りかと関心を持ちましたが、「基本」のない主張だったと思います。文書で「議論」は初めてです。要領が違います。

「議論」は利益を得るための草案作りに使用し、「議決」は本番の仕上げです。
企画はよくご存知の通りです。

そして、決めた事に責任者と納期を決めて結果を出すことが仕事です。利益がなければ意味がなく損失です。

言葉尻は方言や癖程度のことで、短時間で同じ結果を導ければ効率がいい。省けるものは省きます。バックボーンが違うのでしょうね。

tocco様、緋翠様。

説教染みたぼやき節でしたが、
それでも、この場が好きですよ。 居候なのに申し訳ない。ヽ(*´▽)ノ♪


tocco様と鷺ノ宮様へ

  1. 2011/11/24(木) 01:07:57 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
tocco様、鷺ノ宮様、こんばんは。
お二方に対して言いたいことがかなり被ったので、ひとまず被った部分のみ、纏めてお返事させて頂きますー。
今日か明日に、個別のお返事を致します。遅れてすみません…!(汗)



最初に申し上げたいことは、議論とディベートは同義ではないと言うことです。

私は、議論とは「相手の意見を理解し、納得する為の行為」だと思っています。
勿論、仕事においてはそうも言っていられず、議論を「自分の意見の正当性を主張し、大衆の同意を得ること」と考えなければならないこともありますが、そう言うものは通常は「裁判」や「討論」や「演説」と呼ばれるものです。もっと言えば、ディベートです。
しかし、ここは、自分の主張を通さなければ仕事にならない、そう言う場ではありません。

第一、私は「ディベートをしたい」とは言っていません。「議論をしたい」と、繰り返し言っています。
そして、私が議論を奨励するのは、私の主張する「脚本の素晴らしさ」や「特定の役者を贔屓することの短所」などの意見について、疑問質問反論したいであろう多くの方達に、新しい見方を知って頂きたいからです。
私に対して、疑問質問反論をして、私の意見に対する理解を深めて頂きたいからです。

ちなみに、脚本やナムギルさんに関して私を論破してくださった方は今もいらっしゃいませんが、論破とは、私がその方のご意見に納得することです。その方のご意見が、「筋が通っている」と納得出来るものである、と言うことです。
つまり、私がご意見をくださった方に鬱陶しいくらいに様々な質問をするのは、私が「筋が通っている」と納得出来るようにする為です。どちらが正しいか間違いかを決める為ではなく、勝敗を決する為でもなく、「理解し、納得する為」です。
善徳女王の脚本や登場人物のことを理解する時と同じように、相手の方の述べることに対して、一貫性がない、筋が通っていないと思えば、何故そうなったのかを解明する為に、私はあらゆる質問をします。質問をして、説明して頂かなければ、理解のしようがないから、質問なり反論なり疑問なりを差し挟みます。

それは議論ではないと言われれば、それは仕方ありません。
ですが、私のブログでただ勝敗を決する為の『ディベート』をして、何の意味があるんでしょうか? 私を打ち負かすことが目的であるなら意味がありますが、私はコメントをくださった方を打ち負かす為にこんなことをやっているわけではありません。

私は、新しい考え方を知り、それを自らに取り入れる為に議論をすることの方が有意義だと感じているからこそ、質問も反論も含めた『議論』を奨励しています。
その為には、一つの考え方を目にした時、何故そう考えるようになったのかを知る為に、その論拠を理解しようと論点を移すこともあります。病気になってなんらかの症状が出た時に、その症状の原因が何かを知る為に検査や手術をするように、あらゆる可能性を追究し、それによって相手の方のものの考え方や論拠を理解するんです。そうしなければ、口喧嘩と何も変わらないと思っています。

これまで何度も言ってきましたが、私は誰かと戦い、勝利する為に二次創作や考察をやっているわけではありません。
こんなことを一年半もやっているのは、せっかく善徳女王を好きになってくださっている方に、もっとこのドラマの魅力を知って欲しいからです。他の方が主張している魅力ではなく、私が感じた魅力を知って欲しいからこそ、二次創作や考察をやっています。
そして、ドラマへの理解をさらに深める為に、様々な雑誌や史書に目を通すだけでなく、ブログに来ている方からの質問や反論も受けつけています。議決を得る為にやっていることではありません。



ナムギルさんに私怨があると思われるのもこれが初めてではありませんが(笑)、正直に言って、初回視聴で脚本と剥離した演技をしているとわかるくらい演技的に失敗していたのは、彼一人でした。(オムさんは下手ですが、脚本の理解を妨げるような、脚本と剥離した演技は一度もしていません)
監督の力不足が取り上げられる度に何度も言ってきましたが、スンホくんも含めた他のメインキャストは、誰一人として脚本と剥離した演技をしていません。しかも、そのことに対して監督の功績を認めてそれを演技指導(指摘)力として評価することはなく、さらにナムギルさんの演技的に成功している部分についても監督の功績を認めず、ただナムギルさん一人の失敗を正せなかったことだけを取り上げて、監督にも失敗の責任があると仰り、監督としての力量まで問題視されるのは、納得がいきません。
監督には全ての役者の演技に関して責任があるのなら、トンマンやミシルやその他の役者さん達の演技的な成功は、監督の「演出」の賜物でもあるはずです。

それとも、全ての役者に対する「演出」の功績を吹き飛ばすほどの価値が、女王時代のナムギルさんの失敗にはあるんでしょうか。
あるいは、「例外」的に、監督はナムギルさんにのみ……しかも、彼の失敗にのみ責任を負うのでしょうか?
それは、例えば生徒が一人だけテストで合格点を取れなかった時に、「合格点が取れなかったのは、先生の教え方が悪いからだ」と言うようなものに聞こえるんですが、それが筋の通った話なのでしょうか。クラスの八割が合格出来なかったならまだしも、一人だけ合格点を取れなかったなら、私は、合格点を取れなかった子の才能か努力が足りなかったことを原因とするのが、筋の通った言い分だと思いますが。何故かと言うと、常識的に考えて、先生の教え方が悪ければ、他の生徒が皆合格出来たなんて、おかしいからです。

善徳女王の監督に対するtocco様の評価の低さがどう言う理論に基づいているのかを知りたくて、そちらに重点を置いて議論をしていましたが、それはお二方のご希望に沿わないようですので、監督の演技指導に関する責任にのみ論点を絞って、質問しました。
tocco様でも鷺ノ宮様でも構いませんので、議論を終える前に、この部分で私が納得出来るだけの答えをくだされば、有り難いです。

tocco様へ

  1. 2011/11/24(木) 18:34:41 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
tocco様、改めまして、こんばんはー。
では、早速一つ前のコメントの続きを。

> たしかに「まず原理原則ありき」と言いましたが、何故そこだけを取り出して「理想主義」になるのですか?
> 「面白い作品を作ること」をベースにした現実(合理)主義は、理想の「応用」だと思っている、ということです。

これが私には納得出来ません。
tocco様は、監督の定義については広辞苑を絶対の原理としながら、何故「理想(主義)」と「現実(主義)」と言う言葉の意味については、広辞苑を無視なさるんでしょうか? 広辞苑を見る限り、「現実(合理)主義は、理想の「応用」」なんて、どこにも書いていません。理想とは、未だ現実には存在しないものであり、行為の起動力であると広辞苑にあります。

つまり、私から見れば、tocco様は「現実(合理)主義は、理想の「応用」」と言う、広辞苑を否定するtocco様の独自理論を主張しながら、「演出」については広辞苑に書かれている意味を論拠にして、私の意見を否定なさっているんですよ。
それが、私の意見を有り得ないと評価出来るぐらい、論理的なご意見なんですか?
私には、tocco様は二枚舌に聞こえます。広辞苑を議論の基準にすると仰りながら、tocco様の理論に関してだけは広辞苑の記述を無視した「例外」を認めていらっしゃるんですから。

そして、鷺ノ宮様への合同のお返事でも書きましたが、監督に演技指導の責任がある、と言うことは、善徳女王の中で演技的に成功した全ての方について演技指導の責任がある、と言うことです。演技指導をしなかったとしても、監督がOKを出したんですから、監督は全ての役者の演技を認めたことになります。
つまり、監督に演技指導の責任を求めるなら、監督の評価は低くなるはずがありません。トンマンやミシル達の演技は、失敗どころか、成功しているからです。「演技指導」に関して、95%は成功しているのに、監督をプロとして通用しないと仰るのなら、tocco様のプロの監督の定義がおかしいと言われても、仕方ないと思いますが。

私が監督に対してナムギルさんの失敗の責任を問わないのは、演技の責任が監督にあることを認めれば、他の全ての役者の演技についても、役者一人の手柄ではなく、監督と役者の手柄になるからです。
私は演技的に成功している人達は、独力で脚本を理解したと評価しています。だから、ナムギルさんに関しても監督に責任は問いませんし、成功も失敗も彼の手柄にしています。公平な目で見て、ナムギルさんだけを「例外」扱いする理由が、ないからです。

私から見て、tocco様は「一つの作品に基づいて現時点での評価をする」と言う主旨のことを仰っておきながら、作品単位で監督を評価していません。そして、広辞苑を基準にしておきながら、広辞苑を無視した理論を論拠にしています。
鷺ノ宮様は理解したようですが、私には、tocco様がいったい何を基準に理論を築き、監督に対する評価をしていらっしゃるのか、全く理解出来ません。
論理的な議論を要求されるなら、広辞苑を無視した「現実(合理)主義は、理想の「応用」」と言うご意見と、広辞苑を絶対のものとする主張を同時に仰ることのどこが論理的なのかを、まず説明して頂きたいです。

> 「理想はこうだけれども、それはなかなか上手くいかないから別の方法を考えて応用する」というのが「理想主義」なんですか?

はい、思います。何故なら、広辞苑には、「理想主義」とは「人生の意義を、理想を実現するための努力に置く思想」とあります。
tocco様は、善徳女王の監督の力量を批判するのに、「理想を目指していないから」と言うお言葉を使いました。しかも、理想を実現する為に、「応用」と言う「努力」をするべきだと仰っています。これは、まさしく理想主義の考え方です。

> 私は極めて「合理的に」考えたつもりですが。

つもりであっても、そうなっていません。理想の話にしろ監督の評価にしろ広辞苑の重要性にしろ、tocco様の主張には一貫性がなく、論理的に破綻するんですよ。
何故、と突き詰めていくと、最初の話と食い違ってくるので、tocco様の本当の主張は何なのかを知る為に、様々なことをお訊ねしなければならなくなりました。

絵画の例についても、芸術分野での言葉の定義の難しさ、不確かさを示す為に、絵画の定義と矛盾する天井画の話をしました。
言葉を変えれば、芸術分野は、既存の「代表例」から成る辞書の定義を覆して、新たな定義を産み出していくものだし、それを「面白い」と世に認めさせるのが芸術家だと言うことです。「演出」は、大学でも芸術学部に所属して学ぶ、芸術の一種です。
同じ芸術分野にある絵画を例にしたのに、「前提がまず違う」とは、具体的に何が違うんでしょうか?
そして、どこが矛盾していないんです? 平面であるべき絵画を曲面に描く天井画を「天井に描く絵画の総称」と定義するのは、絵画と言う言葉の持つ定義と矛盾していませんか?

> それは「何故そのように思ったのか」という根拠がないということですか?

私の考え方が根拠として相応しくないなら、これまでの考察などに書いてきた理論に、必ず大きな矛盾点があったはずです。矛盾点を見つけられないなら、私の考え方にはある程度の信用を置いて頂きたいし、私の言うことがわからなければ、もっと内容について質問してください。お答えしますから。
ですが、私の理論がどうこう言う前に、私は、tocco様の理論の破綻をなんとかして頂きたいです。
お忘れかもしれませんが、私は今のところ、tocco様については、tocco様から頂いたコメントの内容しか資料がなく、その主張が論理的に破綻していると言うことしか知らないんです。ここは私のブログですから、tocco様は私の考え方をたくさんご存知ですが、私がtocco様のものの考え方を知るのは、これが初めてです。あらゆる質問をしなければ、到底、tocco様が私を知るほどには、tocco様を知ることが出来ません。

> 「ディベートに詳しくないのでよくわからない」ですか…。
> とても無責任な言葉に聞こえました。
> 詳しくもないのに議論を促していたわけですね…。

認識の差かもしれませんが、私の言う「詳しい」は、専門書を読み、理解している状態のことです。
多少なりともなら、調べてありますし、第一、ディベートをしたいとは言っていません。
tocco様こそ、議論とディベートの違いもわからずに、私がディベートをしていると勝手に判断なさっています。私がしているのがディベートではないくらい、調べていればお分かりになるでしょうし、調べなくても、私は一度も「ディベートをしたい」とは言わず、「議論をしたい」と言っています。

> 何故私が言わんとしていることがかなりの確率で別の意図に取られるのか、正直わかりません。

それは、私の理解力不足だけではなく、tocco様の主張やご意見に矛盾があったり、言葉の意味をtocco様独自のものに変えたりなさっているからです。しかも、私の使う言葉の意味を、辞書とは違う意味に受け取られることがあります。

論点をすり替えたと言うのはその通りですが、tocco様の主張が矛盾していると感じた為に、tocco様の主張が矛盾しているのかいないのかを検証する必要がありました。そして、検証した結果、やはり矛盾しています。

また、批判と仰いましたが、今日まで批判はしていません。質問と確認と反論と主張はしましたが、批判はしていません。

> (「私はプロの演技の批評家ではないと言う自覚があるので、『役者とはこうあるべきだ』とか、『監督とはこう言うものだ』と言う理想では批判しません。」という部分を、批判ではないとは言わせませんよ。(笑)私に対し「理想で批判している」と十分批判に受け取れます。)

これは、私は理想主義ではないと言うことを言っているのであって、理想主義を批判しているわけではありません。私が問題視したのは、tocco様が「原理・理想ありき」と仰りながら、それを全ての基本になさらず、特定の事柄にのみ適用するところです。

tocco様の文章力は、低いどころか、高いと思います。
ですが、一応論理学を学んだ身としては、論理的とは到底言えません。
勿論、全ての主張が論理的である必要はありませんが、ナムギルさんがそうしたように、論理的でない主張を論理的なものとして仰るのは、問題です。

監督は「演技指導をすべき存在」だからナムギルさんの演技に関して責任があると言うなら、他の役者に関しても同様ですから、作品単位で見れば、監督はかなり優秀です。監督が「理想を目指していない」と批判するなら、それは、ナムギルさんをはじめ、全役者の演技に責任を持たなかったから、でしょう? 演技に責任を持っている上にダメ監督だと言うのは、論理的な話ではありません。
また、「原理・理想ありき」で広辞苑などの辞書を基本に議論されるなら、理想や現実や理想主義と言った言葉を使う時は、辞書に基づいた意味で使うべきです。「ありき」は、基本と同義ですから、基本を自分で否定していることになってしまいます。

> 「全ての監督に確かな脚本理解力と、それに伴う演技指導(指摘)を求めるべきか否か」ということを言っていたつもりはありません。

これは、すみません。tocco様が理想主義の考え方をしているので、ついでに理想主義の有用性について議論したくなったんです。
順番を間違えました。申し訳ありません(汗)


最後に、赤の他人の主張を理解することは、楽なことではありません。疲れるのが当たり前です。
と言うか、めちゃくちゃ疲れるのが、本当の議論です。時間制限があり、第三者が勝敗を決するディベートより、赤の他人同士が互いを理解するまで議論することの方が、何倍も困難で、過酷だと思います。
にも関わらず、疲れるからと、こんなに早々と議論を切り上げるのは、自由意思で議論に参加しておきながら、ちょっと無責任じゃないかなーと感じます……が、健康第一ですから、tocco様が持たないなら仕方ありません。
ただ、これぐらいで議論を止めたいとお考えになるtocco様に、私が議論に関して不勉強だと失望されたくはありません。7月に自分から始めた議論をまだ投げ出していない私の方が、議論と言うものの本質はわかっていると思いますので。

すみませんでした…<(_ _;)>

  1. 2011/11/24(木) 21:54:30 
  2. URL 
  3. tocco 
  4. [ 編集 ] 
なるほど。
何故緋翠様が私を理想主義と言っていたのか、ようやく理解し、納得できました。
私のどこが間違っていたのか。
丁寧な説明有難うございます。
そして前回、前々回と貴女に対して失礼な発言をしていたことをお詫びします。
大変申し訳ありませんでした。
私の方が「理想主義」をきちんと理解していませんでした。
と、いうことは私は理想主義ですね。
納得しました。認めます。お恥ずかしい限りです。

で、それを納得した上で。

>監督に演技指導の責任がある、と言うことは、善徳女王の中で演技的に成功した全ての方について演技指導の責任がある、と言うことです。演技指導をしなかったとしても、監督がOKを出したんですから、監督は全ての役者の演技を認めたことになります。
つまり、監督に演技指導の責任を求めるなら、監督の評価は低くなるはずがありません。トンマンやミシル達の演技は、失敗どころか、成功しているからです。「演技指導」に関して、95%は成功しているのに、監督をプロとして通用しないと仰るのなら、tocco様のプロの監督の定義がおかしいと言われても、仕方ないと思いますが。

あー…そうですね。
ん?いや、でも!
演技指導と仰っていますが、「指摘」もそれに含まれるものなんでしょうか。
私は「指導」と「指摘」は違うものだと思っていたし、これも具体的な意味の違いがわからなくて以前辞書を見たんですが、力関係として「指導」>「指摘」だと解釈しました。
それと、「監督が必ずしも演技指導をする必要はない」という貴女の意見に納得し、二回目の投稿のときに(非公開のやつですが)その旨を書いた記憶があります。
その上で「指摘」しなかったことに対する責任は何故ないのか、そこがわかりません。
ですから、監督をプロとして通用しないと言ったことに関しては訂正します。
この監督も、プロとして通用しています。
が、「指摘」をしなかったことに対する責任はどうなのか、という点についてはまだ明確な回答をいただけていないので、そこが知りたいんです。

>私が監督に対してナムギルさんの失敗の責任を問わないのは、演技の責任が監督にあることを認めれば、他の全ての役者の演技についても、役者一人の手柄ではなく、監督と役者の手柄になるからです。
私は演技的に成功している人達は、独力で脚本を理解したと評価しています。

あ!そこです!私が言いたいの!
私は演技の責任が監督にもあると思っていて、手柄も監督と役者のものだと考えています。
だから役者の演技の失敗も、監督と役者が負うべきだと考えているんです。
ですから、私はナムギルさんの人気が出たのは監督の功績でもあると考えます。現時点で。
それと、さっき引用させていただいた部分と若干被るのですが、(三つめの引用は24日01:07:57のコメントからです)

>トンマンやミシル達の演技は、失敗どころか、成功しているからです。
>私の考え方が根拠として相応しくないなら、これまでの考察などに書いてきた理論に、必ず大きな矛盾点があったはずです。矛盾点を見つけられないなら、私の考え方にはある程度の信用を置いて頂きたいし、私の言うことがわからなければ、もっと内容について質問してください。お答えしますから。
>正直に言って、初回視聴で脚本と剥離した演技をしているとわかるくらい演技的に失敗していたのは、彼一人でした。(オムさんは下手ですが、脚本の理解を妨げるような、脚本と剥離した演技は一度もしていません)
監督の力不足が取り上げられる度に何度も言ってきましたが、スンホくんも含めた他のメインキャストは、誰一人として脚本と剥離した演技をしていません。しかも、そのことに対して監督の功績を認めてそれを演技指導(指摘)力として評価することはなく、さらにナムギルさんの演技的に成功している部分についても監督の功績を認めず、ただナムギルさん一人の失敗を正せなかったことだけを取り上げて、監督にも失敗の責任があると仰り、監督としての力量まで問題視されるのは、納得がいきません。

まず、ミシルの演技が成功しているというのは理解できるのですが、トンマンの演技が成功していると仰るのは何故なのですか?
たしかに女王になるまでは成功していたと私も考えますが、女王時代については表情からその心情を理解することが困難に感じ、女王トンマンの演技についてはあまり成功しているとは思えないのですが。
それともそういう演技が脚本にて要求されていたんでしょうか。

次に、緋翠様のこれまでの考察に対する矛盾点というか、疑問点を三つ目の引用から発見しました。
「脚本と剥離した演技」と仰っていますが、何故そう言えるのでしょうか。
今までさんざん言っててさっぱり気付いてなかったんですけれども。
「脚本と剥離している」と判断するには、「脚本にどう書かれているか」がわかっていなければ判断できないはずです。
一番最初のコメントで「ホン・グギョンの演技がそこまで脚本と剥離しているとは思わない」と自分でも書きましたが、考えてみればそれもおかしい話だな、と。
実際の脚本を見たわけでもないのに「脚本と剥離している」「剥離していない」が判断できるなんておかしくないですか?
私はホン・グギョンの演技について、全体の話の流れから考えて「演技が合っている」と思いましたが、脚本の解釈の仕方というのはそれで本当に正しかったんでしょうか。
同様に、善徳についても全体の話の流れから脚本に書かれている内容を判断することって、本当に可能なんでしょうか。
「話の流れが自分にはそう見えていても、脚本に書かれている内容とは違う」ということは有り得ないんでしょうか。
最初の疑問とも絡むのですが、女王時代のトンマンの演技は、あれは本当に脚本に書かれていた演技なんでしょうか?違う可能性ってないんですか?
同様にオムさんやナムギルさんについても。
テレビでドラマを見ているだけの立場の人間に、脚本の具体的な内容までわかるものなんでしょうか?
脚本集とかが発売されているなら別ですが。

>私から見て、tocco様は「一つの作品に基づいて現時点での評価をする」と言う主旨のことを仰っておきながら、作品単位で監督を評価していません。

あれ?そう言いましたっけ?
私は一つの作品での責任は問うても、評価は一つの作品だけではしない、と言ったような気がするんですが。
現時点ではマズイと思ったとしても。と。
そして徐々に変わっていくかどうかで評価は変わる、とも。
だから作品単位で監督を評価しないのは妥当だと考えているんですが。
これは矛盾してないと思いますが…。
何故ダメなんでしょうか。

>論点をすり替えたと言うのはその通りですが、tocco様の主張が矛盾していると感じた為に、tocco様の主張が矛盾しているのかいないのかを検証する必要がありました。そして、検証した結果、やはり矛盾しています。

私が貴女にとって理解できないことを言っていたのは認めますし、謝ります。
ですが、だからといって論点をすり替えることを良いとは思えないです。
論点が変わるということは、最終的にお互いが納得するための結論が変わってしまうということではないですか?
別の論点を設定したいなら、最初の論点についてある程度の決着がついてからにしていただかないと、お互いに何を言っているのかさっぱり理解できなくなる原因になると思うのですが。
それとも論理学的にはOKなんですか?
私は自分で調べた限りではNGだと解釈していたのですが。


…でも疲れてきたというのは本当なので、このまま続くとしても今まで以上にローペースになってしまうと思います。(汗)
他に時間を割きたいこともあるし…。(勝手ですみません。)
ただ、コメント数もかなりの数になってきたし(関係ないか?)ある程度結論を付ける、まではいかなくともどこかで休止する必要はあるんじゃないかなーと思うんですが。
いや、私が疲れてきたせいなんですが。
ここまで深く、また長引く(緋翠様にとっては早いのかもしれませんが、私にとっては十分長いです…お互い文章量もかなりだし)とは思わなかったもので、その点についてはたしかに無責任です。(笑)

他にも、

>監督の力不足が取り上げられる度に何度も言ってきましたが、スンホくんも含めた他のメインキャストは、誰一人として脚本と剥離した演技をしていません。しかも、そのことに対して監督の功績を認めてそれを演技指導(指摘)力として評価することはなく、さらにナムギルさんの演技的に成功している部分についても監督の功績を認めず、ただナムギルさん一人の失敗を正せなかったことだけを取り上げて、監督にも失敗の責任があると仰り、監督としての力量まで問題視されるのは、納得がいきません。

という部分について、何だか上手く言えないけど釈然としないものがあるんですが、今のところ上手く言葉にできません。
なので、自分の中でまとまり次第ここのことについてはまたそのうち言及させて下さい。

鷺ノ宮様へ

  1. 2011/11/24(木) 23:55:50 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
鷺ノ宮様、こんばんはー。
そして、勝敗決めや反省、お疲れ様です。

どうお返事しようか迷いましたが、先にコメントをさせて頂いた通り、私の意見を無視して議論をディベートに変換され、妨害されることに対して、反論致します。
また内容がキツいかもしれませんが、ディベートや議論に慣れていらっしゃるならそれぐらいは堪えられるでしょうし、私に対してコメントをなさった以上、自己責任を自覚して、泣き真似はしないで頂けると助かります。

では、本題に。

まず、鷺ノ宮様が私の言う「議論」を勝手にディベートに置き換え、勝敗をお考えになるのは構いません。

ですが、仮にもご自分のことを私より「議論」なり「ディベート」を知っているとお考えなら、最初から私の言う「議論」は「ディベート」に必要なルールや設定を用意してもいないし、そもそも私は「ディベートをしたい」とは言っていないと言うことに、何故気がつかないんでしょうか?
私は、勝敗や議決を目的に議論をしているとは、言っていません。
勿論、鷺ノ宮様の経験と実績は素晴らしいですが、ご自分のことを語る前に、私の言うことをもっときちんとした形で理解して頂けませんか? そして、前にも言いましたが、ご自分の仰っていることがどう言うことなのか、もう少しお考えになってください。

どうも勘違いされているようですが、私は「議論をしたい」と言った以上、学術的に専門家と言えるような勉強はしていなくても、「議論」について最低限のことは調べています。二次創作をする為に様々な準備をしているように、議論も、何の準備も覚悟もなしにしたりしません。
そして、私が知る限り、議論とディベートは別物です。また、ディベートとは、勝敗に重点が置かれがちで、互いの意見を理解し納得したり、よりよい結論を生み出すには不向きなものです。
私がディベートではなく議論を選んだのは、理解を求めるからです。新しい意見、見方に対する理解と納得の為には、質問も反論も欠かせないからこそ、反論を奨励しています。

> 緋翠様は、趣味に娯楽だと仰っりながら、やはり戦闘態勢になりやすかったことが敗因でしょうか。
> 「対話型地雷」に私も予告なく吹き飛びましたが、tocco様は受け身でかわされました。

まるで、私が地雷を仕掛ける凶悪犯のような仰りようですねー(笑)
お忘れかもしれませんが、鷺ノ宮様は、最初から赤の他人である私に向かって馴れ馴れしい語調で話し掛け、ピダム可愛さを全開にして根拠なくトンマンを罵倒し、文章には赤の他人が読んでも意味が理解出来るような配慮が全くありませんでした。
そのコメントに対して、私は礼儀を失することのないよう、丁寧にお返事したつもりでしたが、その対応を「対話型地雷」と評価されるとは、心外です。私には、赤の他人に対していきなり礼儀を失したコメントをなさることの方が、よほど「戦闘態勢」に思えましたが。

> ご立派です。最後まで丁寧に向き合われました。

さて、いったいいつ私がtocco様に議論を強制したのでしょう?
そして、tocco様は自由意思で私との議論を始められたのに、「疲れた」と私との議論を放棄しようとしています。自分から議論に参加しておいて、「疲れたから、もう終わりにしたい」と仰ることの、どこが立派なのでしょうか?

> この「忠告」は、私宛に開設され、私の提案を採用して頂き、当面は常設して頂いています。

あの、この記事は鷺ノ宮様だけの為のものではないと、以前にも申し上げましたよね? 何故私の言うことを無視なさるんでしょうか?
この記事は鷺ノ宮様のものでも、鷺ノ宮様だけの為のものでもありません。ですから、見届け人をなさるのは鷺ノ宮様の自由ですが、まるでご自分の記事のように仰るのは、誤解を招くので、出来れば控えて頂きたいです。

> 緋翠様のナムギルさん演技には、「私怨」を感じます。

そう言われるのにも、慣れましたねー(笑)
ですが、そう仰るからには、私のナムギルさんの演技に対する批判が非論理的であると言うことを、証明してください。
証明するには、私の意見の矛盾を指摘してくださればいいんですが、鷺ノ宮様は私の意見のどこに矛盾をお感じになったのでしょうか? それを説明して頂かない限り、私の批判を「私怨」と仰ることこそ、根拠のないただの誹謗中傷であり、失礼極まりない行為です。


> >監督もOK シーンにした訳でですよね?
> tocco様の論を借りれば、理想通りだったのか、妥協したのか、俳優独りに放置プレイがどこまで許されるのか?と言う疑問です。

それはお答えしました。監督が役者の演技を認めてOKを出したから、放映されたんです。

> 私は「インタビューの内容」と「作品の演技」は別物として見ることができるので。

それから、役者の評価はドラマで流れる演技のみを基準に評価をすべきで、監督はドラマで流れる映像のみではなく、制作の課程に何を考えていたかをも基準に評価をするべきと言うのは、不公平ですよ。
役者のインタビューを評価の基準に加えないなら、監督のことも放映された映像のみを基準に評価してください。評価の基準が違うのは、おかしいです。

> 合格点として、編集し、放映されたのなら、俳優の演技の勘違いを許容した「監督も責任を分かつ」派に私は、入ります。

それは、構いません。
ただし、その場合、監督は全ての役者に対して責任を負っていることになります。ナムギルさんだけに、監督の責任を問うのはおかしいですから。
と言うことは、評価の高いミシルや他の全員の演技にも、監督の責任があることになります。勿論、ナムギルさんの花郎時代以前の演技にも。
つまり、監督は決して演技指導力や脚本理解力が低いわけではない、と言うことになります。役者さんと共にミシルの名演技を生み出し、女王時代のチュンチュもきちんと筋の通った演技になっているからです。失敗はしましたが、女王時代のピダムのみですから、テストで言えば満点ではないにしろ、90点以上はとれているでしょう。
ですが、tocco様は監督のことをプロとして通用しないとまで仰いました。監督には、役者の演技に対する責任がある、と仰っておきながら。
私は、それはおかしいと思いました。だから、何故tocco様がそうお考えになったのかを知る為に、質問と反論を繰り返しました。そこのところを理解なさった上で、鷺ノ宮様はこのように仰っておられるのでしょうか?

私は、監督には脚本理解力も演技指導力もほとんどないと思っています。つまり、成功した演技は、全て役者さんの力量の賜物だと思っています。
だから、監督には演技に対する責任がない、と言いました。ナムギルさんの失敗に関して責任があるなら、その他の全ての演技的な成功に関しても責任がある……要するに、好演は監督の手柄でもある、と言うことになりますが、そんな称賛を受けるだけの演技指導力が監督ズにあるとは、私には全く思えないからです。

簡単に言えば、私は監督を庇っているのではなく、ナムギルさん一人を擁護する為に、他の全ての役者達の実力を過小評価されることが、許し難いんです。
これを「私怨」と仰るなら、監督の演技指導力と脚本理解力の高さを証明してください。tocco様の現在の主張は、論理的に破綻していますから。
私はその破綻の理由が知りたくて質問をしていましたが、それが議論ではないなら、tocco様の意見は論理的に破綻していないと、証明してください。

> 「議論」は利益を得るための草案作りに使用し、「議決」は本番の仕上げです。
> そして、決めた事に責任者と納期を決めて結果を出すことが仕事です。利益がなければ意味がなく損失です。

議論を、随分と限定的な意味で使ってらっしゃいますね。その上、私はこれは仕事ではないと何度も言っているのに(仕事なら報酬を請求します)、また勝手に仕事の話と決めつけて評価をなさっていらっしゃいます。
えーと、居候と仰りながら、鷺ノ宮様にとっては私の言うことは理解する価値も覚えておく価値もなく、その上「ディベート」をご覧になりたいのでしたら、私のブログにコメントをくださる時間を使って、ご自分のブログを開設なさってはいかがでしょう? その方が効率がいいし、有意義だと思います。

そして、私はインタビューを根拠に、ナムギルさんの演技を批判してはいません。
女王時代の彼の演技が失敗していることは、脚本と照らし合わせて、論理的に証明してきました。それを「私怨」と言われる覚えはありません。
ただ、インタビューが、彼への批判をブログでするキッカケになったのは、事実です。よりにもよって、タダではない公式ガイドブックで、善徳女王のファンに向かって脚本を非難していたので、脚本の素晴らしさとナムギルさんの主張の不当さをドラマのファンの方に理解して頂く為に、批判を公開し始めました。
そのキッカケが「私怨」だと言われるのは仕方ありませんが、「不満だけど黙っておこう」と言う私の気持ちを変えた原因は、ナムギルさんの出世作に対する恩知らずっぷりと、脚本に対する理解力不足と、それらを自覚していない傲慢さだと言うことを、忘れないで頂きたいです。

最後に、他の方にも申し上げましたが、鷺ノ宮様も、「好き」と言いさえすればあとは何を言っても要求してもいいと勘違いなさっておられないか、不安です。コメントを頂けること自体は有り難いですが、内容によっては、相手を著しく傷つけたり、侮辱していることになると言うことを、もう少ししっかりお考えになって頂けないでしょうか。

緋翠様へ

  1. 2011/11/24(木) 23:57:05 
  2. URL 
  3. 鷺ノ宮 
  4. [ 編集 ] 
今晩は。

tocco様のカムバック嬉しいです。タフですね。貴女の出現がなければ、私は来ない人になっていました。


私もモチベーションがないので、もう最後か最後かと思いながら入力しています。



まず、今後の進行の確認です。
この世界では、お互い「Go」の確認をしてから、
次の段階に進むことが、注意書きをしなくても、暗黙の了解のご様子ですね。

矛盾がありますが、確認しない来客の礼儀が悪いのでしょう。
日本のネットマナーは先進国中でも、非常にうるさいと後から知りましたが、開放性があるようで、閉鎖的な「むら」社会だとお互いに認識を持った方が、摩擦は減るでしょう。
「善徳女王」繋がりがなければ、確実に来ない世界でした。

ここは社会の窓口ですか?

まず、管理人の主義主張の「論文」を作成し、「ご忠告」記事に掲載されることをご提案致します。

管理人の確固たる理由を明解に示されることが先決です。この場合、立論・根拠・証拠までご提示されることは、主張側の責任です。さぞ、大作になるでしょう。

>「生半可な論拠ではない」
>「なんとなく」でない「ドラマのファンとして許しがたい」と思うだけのはっきりした
理由がある。

過去の議論から広い集めることを「訪問客」にさせるのですか?

>イッチャッタ二次創作なので、脚本批判は許せない。
>擁護するのはレンタル料金のようなもの。

人情的に分かりますが、論理学を学ばれた方の弁証としては、
日常会話過ぎるでしょう?

立証が出来てから、その後で「論破」して下さいと言われることが、一般社会の礼儀です。

一番の勘違いは、「立証責任が主張側にある」という自覚に欠けてらっしゃることです。だから、この「私を納得させて下さい。」がでてくるのです。

学生生活・社会生活の体験があれば必ず通る通過儀礼のはずですが、こんな甘い我が儘が実生活で通用しているのですか?

今回は「論点ずれ」を理由にタオルを投げました。交通整理をしないと、時間の無駄遣い、精神衛生の悪化、体力の浪費と判断したからです。効率とか時間感覚も違うようです。

経験値を活字から得ようとしていますか?

後からの説明で、「意図的」にということで驚きました。
私なら「論点ずらし」をする方とのエンドレスな議論は不毛です。
それなら、ブレーンストーミングです。それでも一区切り時間制限があります。そして、否定しないことが鉄則です。

私の時は各々「記事」にして頂いたので、「論点ずれ」を免れ、対個人戦の煮詰まり度合いが和らぎました。
しかも、場面毎の細分化の話題にしていたので、突っ込み具合も具体的で助かりました。
「コミル」の記事は「成果」です。印象の裏付けにより、手緩そうな初動調査も実施していた事実が確認でき、ピダムの手柄と判明しましたが、ユシンほどの切迫感がないので、ユシンの説明が悪いのでなく、ピダムの必死さがないことの方が、悪いような印象がまだ残っています。
そこが、ナムギルさんの演技の失敗例なんですか?
と、続けることが可能です。
これに対する「監督の演技指導の責任」の有無ですか。

そもそも、私は「演技指導」に興味がなく、NG シーンで和やかに笑い転げている暇があれば、不合格点なら、平均「take 1~10」の中で修正が可能なのにしなかったと言っています。
監督は韓国女性には許容範囲と判断したのに、私と緋翠様を含むこのブログの巷の数人には、「違和感」「消化不良」となっただけのことです。

また、「理想」と「現実」のギャップを把握しないと責任は問えないのではないですか?

そこで、緋翠様の希望の演技を「理想」と定義します。
スポンサーや製作陣の理想とは、差異の確認のしようがなく、通訳雇ってインタビューの申し入れでもしないと、裏は取れず、この不毛な議論は埒があきません。

しかし、緋翠様は見るに耐えない「表情筋」の演技は見たくないんですよね。
なら、特定の静止画を差して、
このシーンは、目線方向はこうなっているのをこうしていれば、合格点になったのに、とか
逐一正確に指摘する自信はありますか?

貴女の心の中の完成した「理想」が認識できているなら、具体的にナムギルさんの何がどう「脚本」と解離しているのかを示すのが、貴女の発議する義務です。

仮にも「お客さま」と呼ばれる訪問者に貴女を納得・説得する義務はありません。
ここでの「お客さま」の概念さえ、一般常識とは解離しています。「お客さま」≠「フレンドリーなブログ友達」ぐらいの境界線と認識しています。

一般常識の「お客さま」なら、「恐れ入ります」「申し訳ございませんが、」などのマジックフレーズやクッション言葉ぐらい駆使して貰えませんか?「お客さま」がお願いするのも本末転倒ですけどね。

私はブロ友以外の「お客さま」=ギロンの「餌食」か「生け贄」かと思っていました。

tocco様宛の返信を引用して申し訳ないですが、「お客さま」に向かって「二枚舌」は、あり得ない失言のうえ、個人攻撃です。  
そこは、「矛盾」など論理を指摘するのが妥当です。

善徳女王は相変わらず好きなので、台詞遊びに事欠きませんが、こちらの世界が急激に色褪せてきて残念です。

なので「監督の責任は全俳優に及んでいる」が私の立場ですね。で、ナムギルさんだけが、51話~62話の演技が失敗していると主張しているのは緋翡様です。
少なくとも、「違和感」のある視聴者を3人集めて、各俳優の演技に51話から1話毎に評価点を付けたとします。それは、?か×や0か1
でなく、10段階評価にすればバラツキがでます。
緋翠様はここを前者で評価されるので、ナムギルさん個人攻撃になっているいるのではないですか?

例えば、クラスで先生は、60点を合格点と設定していました。ナムギルさんが60点だったのでOK シーンにしました。他の俳優も65点~95点とバラバラですが、監督の許容範囲でした。

しかし、一部の父兄?は60点は合格点ではないと主張している私たちのような人がいます。

だから、最低点を採ったのは、俳優本人の責任の影響力が大きく左右しましたが、OK した監督の監督責任があります。しかし、監督は他の俳優をいい点でOK できたのは、俳優本人の頑張りが大きく左右しましたが、監督はいい状態でOK 出来たことに、ナムギルさんの演技より満足度が高いとして、時間・予算的に全体最適に纏め、総合的に満足しています。

なので、私個人的には、平均視聴率40%以上を獲得した監督は偉大です。
何故、監督を評価していないと思われるのかが、緋翠様の解釈が理解できないだけです。

tocco様と路線が被っているので、ご負担ではないかと判断し返信します。

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  1. 2011/11/25(金) 02:20:08 
  2.  
  3.  
  4. [ 編集 ] 
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すみません、質問追加です

  1. 2011/11/26(土) 18:17:21 
  2. URL 
  3. tocco 
  4. [ 編集 ] 
鷺ノ宮様へのレス中の文章で疑問点があったので、お忙しいところ恐縮ですが質問を追加させて下さい。

>私は、監督には脚本理解力も演技指導力もほとんどないと思っています。つまり、成功した演技は、全て役者さんの力量の賜物だと思っています。

「監督には脚本理解力も演技指導力もほとんどない」ということは比率にすれば

監督の脚本理解・演技指導
ある:なし=1:9

程度だということだと解釈しました。ならば役者については

役者の成功の功績
ある:なし=9:1

役者の失敗の責任
ある:なし=9:1

でないと公平にならないと思いました。
緋翠様は「成功した演技は、全て役者さんの力量」と仰っています。
それは同じく比率にすれば

監督の脚本理解・演技指導
ある:なし=1:9
のとき、

役者の成功の功績
ある:なし=10:0

役者の失敗の責任
ある:なし=10:0

ということだと思いました。
これは私は不公平だと思いました。

監督の1割の脚本理解・演技指導力はどうなるんでしょうか?

役者の成功の功績・失敗の責任
ある:なし=10:0
というなら、

監督の脚本理解・演技指導
ある:なし=0:10

つまり「監督には脚本理解力も演技指導力も全くない」と主張しなければ矛盾していると思ったのですが。
「ほとんどない」のか、「全くない」のか、どっちなんでしょう?
「全くない」というのだったら「役者に全責任がある」というのは納得できます。
「ほとんどない」というのだったら「役者に9割責任があるが1割はない」と言わなければ納得できないのですが…。

ただし、「監督には脚本理解力も演技指導力も全くない」という場合は、緋翠様の考える監督の仕事は何なのかも教えていただけないでしょうか。
演技的な演出は全て役者任せ、それ以外の演出も下のスタッフ任せ、脚本も脚本家任せ、脚本も演技も理解しないまま撮影することの他にどんな仕事があるのか今の私には思いつかないもので。

以上です。
前のコメントの分と一緒にしていただいて構いませんので。
では失礼しましたー。

tocco様へ

  1. 2011/11/27(日) 15:30:38 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
tocco様、遅くなってすみません…!こんにちはー。

理想主義のこと、ご理解頂けて良かったです…!ありがとうございます。私の方こそ、いつもいつも説明が下手で、申し訳ありません(汗)

> 演技指導と仰っていますが、「指摘」もそれに含まれるものなんでしょうか。

指導とは教え導くこと、指摘は大事な点や欠点を具体的に示すこと、ですよね。なので、含まれると言う表現とはちょっと違うかもしれない気が……。
例えば、これが演技ではなく、数学だとすると、数学の出来る人は、先生のように指導したり、間違いを指摘出来ますが、指導が出来ないくらい数学の苦手な人に、その場で間違いを正しくポンポン指摘出来ると言うことはないと思うんですよ。数学の指導が出来るくらい数学が出来る人なら、その場その場で正しい指摘も出来ると思うんですが。
と言うわけで、指導と指摘は違うものではありますが、指導が出来ない人に、指摘なら出来るだろうと言うのは、特に短時間での話なら、違う気がします。なので、指導と同じく、指摘についても責任はない、と判定しています。

> まず、ミシルの演技が成功しているというのは理解できるのですが、トンマンの演技が成功していると仰るのは何故なのですか?
> たしかに女王になるまでは成功していたと私も考えますが、女王時代については表情からその心情を理解することが困難に感じ、女王トンマンの演技についてはあまり成功しているとは思えないのですが。

演技が成功しているかどうかを何に求めるかによって、評価はわかれるでしょうが、私の場合、脚本に描かれているキャラクターをきちんと表現していれば「成功」と評価します。(上手い下手はまた別問題です)
脚本の理解の仕方は↓で語るとして(笑)、女王時代のトンマンが、その心情を理解出来るような表現をすることは、脚本を正しく表現していることだとは思えません。
何故かと言うと、女王時代(と言うか、ドラマ全体)を貫く脚本のテーマは、「王」と言う存在がどのような存在であるか、と言うことです。「王」は恋愛だの個人の野心だのと言った「人」の感情を極限まで押し殺し、側近であろうと身内であろうと民草であろうと私情を交えず政治的に扱えるか、これが大事なポイントでした。だからピダムの乱が起きた時も、トンマンは「ピダムを愛して結婚したのか、ピダムの勢力(権力)を掌握(奪う)為に結婚したのか、わからない」と独白していました。良き「王(名のない存在)」であり続けようとしたトンマンが、その晩年に押し殺してきた「トンマン自身の心」とどう向き合い、折り合いをつけるのか、つけられないのか、それが一つのテーマでした。ピダムが乱を起こした時にトンマンの愛を確信出来なかったのも、トンマン自身が自分の心をわからないように、表情からではその心を確信出来ないくらい、トンマンが「王」であったからです。
なので、トンマンの心情が表情からわかりやすいようでは、トンマンの心理にも、ピダムの心理にも無理が生じます。

と言うわけで、私はトンマンの演技は成功していたと思います。「心情がわからないこと」自体が女王トンマンに求められたことであり、その答えを最終回で示すことで、物語が完結しているからです。
そして、私は監督はこれを理解していなかった、と確信しています。何故かと言うと、女王トンマンの終結である「チュンチュへの遺言シーン」が本編ではカットされていたからです。(韓国では、最終回の翌週に特番(総集編+インタビュー)が放送され、その時にこのシーンのみ丸ごと追加放送されていたので、恐らく脚本家か役者か、とにかく製作サイドからかなりクレームが来たのだと思います。)

> 「脚本と剥離した演技」と仰っていますが、何故そう言えるのでしょうか。

んで、これは、簡単なことです。
例えば、朝礼で校長先生の話を聞く時に、話の内容(脚本)をいちいちプリントアウトして配られるとは限りませんよね。でも、私達は何を言われたかを大概は一度聞いただけで理解出来ます。それは、校長先生の外見・仕種(演技)やその場の状況(演出)を認知することより、校長先生の話を聞き、何を話しているか(脚本)を理解することを重要視しているからです。
ドラマを観ながら脚本の内容を知りたい時も、同じようにやればいいんです。ドラマの方が演技や演出が派手なので、話(脚本)にだけ集中するのが難しいかもしれませんが、その気になれば、話の内容を知ることは誰にでも出来ます。話の内容を理解するには、読解力が必要ですが…。

そして、「脚本から剥離している演技」を見つけると言うのは、話の内容と表情・動作が食い違っていることに気づくか、です。例えば、日常生活でも、友人の結婚式に呼ばれた人が「おめでとうございます。私も嬉しいです」と言いながら、仏頂面だったり苛々していたら違和感を感じますよね? 同じことなんですよ。

ええと、つまり、少なくとも脚本に書かれている台詞を知るには、日常生活で人の話を真剣に聞く時と同じように、ドラマの登場人物の話やナレーションを真剣に聞いて、理解すればいいんです。演技や演出と言った余分な視覚情報は無視して、役者の話す言葉、字幕、吹き替え後の台詞を聞いて、理解する。それだけです。
コツがあるとすれば、役者に対する好悪が脚本の理解の妨げになることが非常に多いので、役者が演じているとは考えずに、校長先生みたいな、「好悪の感情や関心はないけれど、絶対に話は聞いておかなければならない相手」の話を聞くつもりでドラマと向き合うことでしょうか。

> 最初の疑問とも絡むのですが、女王時代のトンマンの演技は、あれは本当に脚本に書かれていた演技なんでしょうか?違う可能性ってないんですか?

何事も100%とは言えないので、可能性がないとは言えません。ですが、少なくとも私は脚本と演技が食い違っていると感じたことはありません。
オムさんも、技術的な面で「花郎」と言う職業を表現するのが下手だとは感じましたが、ユシンと言う一人の人間については、脚本と食い違っていると感じたことはありません。


> 私は一つの作品での責任は問うても、評価は一つの作品だけではしない、と言ったような気がするんですが。

ああ、すみません(汗)
そう仰っていたのですが、一方で、善徳女王を見た上での監督の能力についても語って評価をしておられたので、これは、責任のみではなく、評価も作品単位でしているよな、と思ったんです…。

> それとも論理学的にはOKなんですか?

あー……ええと、ここら辺が違う、と言うか…。
まず、論理学と言うのは、結論を求める為のものではないんですよ。論理と言うのは、簡単に言うと、あくまで、その人の意見や思考が、「辻褄が合っている」ことを指すんです。「AだからBである」と言う時に、AとBに矛盾がなく、Aの論証が的確であること、これが論理なんです。
だから、私がしていたのは、tocco様の仰る最初の論点が「AだからBである」と言う方式のものなのに、tocco様の仰るAの論証が的確ではない(矛盾している)為に、的確な論証を探す為に、あれこれtocco様から掘り出すことだったんですよ。そして、その論証が的確なものであれば、結論は、「真」、つまりtocco様は正しいと言うことになりますから、脱線していたわけではないんです。
それと、ここが大事なんですが、tocco様が正しいからと言って、私が間違っているわけでもなければ、その逆もまた然り、と言うのが論理学なんです。tocco様と私は、異なる論理体系を持っているので、どちらが正しいではなく、論理的に通じるものであれば、どちらも正しい、それが論理学です。
そんなわけで、tocco様と私、双方の「論理」が果たして「論理」として成立しているかどうかを検証しあい、理解しあうことを、私は議論と呼んでいます。

> 監督の1割の脚本理解・演技指導力はどうなるんでしょうか?

説明が不足してすみません(汗)
この一割は、エキストラと乳幼児の子役に対する演技指導力です。
その方達は、申し訳ないんですが、「役者」とは評価していないので、「全ての役者」には入らないんですよ。何故なら、「役者」にはまず固有名詞の役名がなければなりませんし(エキストラには、それがない)、乳幼児の子役(赤ん坊とか、チュンチュの子役)には、脚本を独力で理解する能力があるとは言えません。
なので、監督には「ほとんど」脚本理解・演技指導力がなく、成功した演技は「全て」役者さんの力量の賜物、としました。

> ただし、「監督には脚本理解力も演技指導力も全くない」という場合は、緋翠様の考える監督の仕事は何なのかも教えていただけないでしょうか。
> 演技的な演出は全て役者任せ、それ以外の演出も下のスタッフ任せ、脚本も脚本家任せ、脚本も演技も理解しないまま撮影することの他にどんな仕事があるのか今の私には思いつかないもので。

それと、全くない、と言うわけではないのでこの文章の条件には合致しないかもしれませんが、お答えしておきます。
そもそも、「それ以外の演出も下のスタッフ任せ」と言う言葉は、監督に対して失礼です。そのドラマの映像的な世界観がどうなるかは、監督次第なんですよ。その下のスタッフは、監督の世界観に合わせて、専門分野で仕事をするものですから、「演出も下のスタッフ任せ」と言うのは、違います。大河とかでも、そうでしょう? 同じNHKのスタッフが作っているのに、監督によって全く異なる世界観になります。
例えば、善徳女王の製作局であるMBCは、イ・サンやトンイも製作していますが、同じ衣装スタッフが作っているのに、衣装の色の使い方などはイ監督とキム監督では全く違います。キム監督とパク監督の違いも、チュモン(キム監督とイ・ジュファン監督)やケベク(キム監督とチョン・デユン監督)と比べれば、見えてきます。
衣装一つ見てもわかるように、セットから、ロケ地の選定、人員の使い方、カメラアングルなど、全てにおいて、監督の力量と采配は大きく影響します。善徳女王は、それぞれのキャラクターの個性を映像的にも打ち出し、「王」「新羅」「花郎」をテーマにしたドラマとして、映像的にもかなり効果を上げていると私は感じました。なので、監督の総合的な力量は評価しています。特に、時間をかけて撮影されている序盤は素晴らしかったので。



以上ですー。答えになっていますように…!(汗)

あ、ローペースはOKですよ!私も暇を作ってやっていることなので(笑)
結論をつける、と言うのはtocco様と私では意味が違うかもしれませんが、tocco様が納得出来た時点で、私の議論の目的は一応達成されますー。ご参考までに(笑)
そして、休止にするのも終わりにするのもtocco様の自由なので、そこはお任せ致します…!私のお返事のペースも、翌日のこともあれば、何日もかかることもありますしv

ではでは!

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  1. 2011/11/28(月) 19:06:47 
  2.  
  3.  
  4. [ 編集 ] 
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お返事有難うございます

  1. 2011/11/30(水) 01:14:33 
  2. URL 
  3. tocco 
  4. [ 編集 ] 
私の疑問に対する丁寧なご回答、どうも有難うございます。
大分すっきりしてきました。
今回でこの議論をする必要はもうなくなるかと思います。

とりあえず今の状態の私の考える結論というのは、緋翠様が「自分はこう考えている」ということに対して私が理解し、その上で私も「自分はこう考える」と自分なりの考えを確定して結ぶことかなと思っています。


本題です。

まず、「指導」と「指摘」のことと、監督の1割の脚本理解・演技指導力はどうなるのかについてですが、この二点については貴女の言わんとしていることは大体理解できました。
ですが細かいことですが一点だけ違うと思う部分がありました。
「『役者』にはまず固有名詞の役名がなければならない」というのは当たらないです。
例えば日本の時代劇における斬られ役で有名な福本清三さん。
こういった人たちには役名がないことも多いです。
彼らに対して役名がないからと「役者には入らない」というのは私は失礼だと思います。
彼らだって立派な役者であり、彼らなくして日本の時代劇における迫力のある殺陣のシーンは撮れないです。
だから役名がないからといって「役者ではない」とは言い切れないし、そう言うのは役者に対して失礼です。


>「それ以外の演出も下のスタッフ任せ」と言う言葉は、監督に対して失礼です。

なるほど、理解しました。訂正します。


>善徳女王を見た上での監督の能力についても語って評価をしておられたので

これは申し訳ありません。
監督の能力については「評価」ではなく「この人はそのように思っている」と訂正して読んでいただきたく思います。
そしてその「思い」は時間と共に変わる可能性があるという風に理解してもらえると有難いです。


それからトンマンの演技と脚本の理解の仕方については大変わかりやすかったです。
ただ、

>女王時代(と言うか、ドラマ全体)を貫く脚本のテーマは、「王」と言う存在がどのような存在であるか、と言うこと

私はドラマ全体のテーマは「『トンマン』という人間の生き様」、また「人とはどんなものであるか」だと思っていましたし、個人的にはそう考えた方がしっくり来ます。
「王とはどんなものであるか」と「王」に限定した話は52話から具体的に描かれていたので、それは女王時代に限定したものだと思いました。

しかし、私は最初からこのトンマンの演技についてや脚本の理解の仕方についてをお尋ねしていれば疑問解決が早かったのだということに気付きました。
話の筋を冷静に追って行った結果、トンマンの演技はそれから外れてはいなかった。
そういうことだと解釈しました。
つまり緋翠様の言う「評価する」という言葉の具体的な意味は「脚本を理解している」ことだと。
同様に、ナムギルさんについてはそれから外れていた。
監督はチュンチュへの遺言シーンをカットした。
彼らは脚本の読解力に欠けている。
だから「評価しない」。
それも同様に、「脚本を理解していない」という意味ですね。


ここからはそれを理解した上での私の考えです。
主にドラマの見方についてです。
「トンマンの心情がわかりにくい」というのが「王として私情を押し殺しているから」であり、そのように見えるのがこの脚本としては正しいのだということは理解できました。
ということは視聴者はトンマンに関しては、ピダムの視点に一番近い形でドラマを見せられていることになるので、そこについてはピダムに感情移入しやすいのも自然なことなのだと納得しました。
だから「トンマンの本心がよくわからない」「王として結婚しようとしたのか、人として結婚しようとしたのかわからない」「トンマンが酷いように見える」という感想を抱くこともまた普通にあり得ることなのだと思いました。
なので「批判する」のは熱くなり過ぎかもしれませんが「女王時代のピダムが可哀想だと思い、女王時代のトンマンが何を考えているかわからない」という感想を持つことも間違いではないと、緋翠様の脚本に対する説明のお陰で確信しました。

最初私が言った「俳優の演技が悪かったのは監督も悪いのではないか」というのはそうでもない、というのは今までの議論を通して大体理解できました。
しかし、脚本の解釈の説明から、「女王時代のピダムが可哀想だと女王時代のトンマンを批判するような人」が出てきてもおかしくないのだと思いましたので、それをこの記事で許せない・譲れないと仰る緋翠様の考えには同意できないな、と考えました。
ですから「そう思ったとしてもこのブログでは禁句」というローカルルールだと解釈することにしました。
緋翠様とは別の観点からかもしれませんが、私も脚本は尊重したいと思いますので、私はそのような感想もそれならそれで否定しないです。
(勿論緋翠様の見方も否定しません。)


ナムギルさんと監督が脚本をきちんと理解しておらず、それに対して緋翠様は怒りを覚え、批判したというのは理解できましたし、それならば彼らもいろいろ言われても仕方のない部分があるとも思いました。
そしてそれはそれで解決しました。

が、脚本理解に対するお話を伺ったお陰でまた別なものが見えました。
それが「女王時代のピダムが可哀想だと女王時代のトンマンを批判するのが許せない」という貴女の考えに対する私の考えです。
それは「女王時代のトンマンの心情はわかりづらくて正解」である以上、揺らぎません。


ちょっと話は変わりますが、緋翠様は他の方へのコメントで「一部のピダム(ナムギルさん)ファンの方達は51話までのピダムにどんな幻覚を見ていたのか」と疑問を呈されていましたので、ナムギルさんファンではありませんがピダムは好きなキャラなので、私なりにお答えします。
ピダムについて、「ミシルの息子」「どうやらトンマンが好きらしい」ということが51話までに判明し、「最後は反乱を起こして死ぬ」ということから、どういう過程を経てトンマンに反旗を翻すかに興味があり、そこが詳しく描かれることに期待していたのです。私の場合は。
ですから私個人の感想ですが、女王時代に「王とはどういうものか・トンマンの王としての苦しみ、悲しみ」を主なテーマとして持ってこられても、その期待していた部分は完全には満たされなかったのです。
だから女王時代については「よくわからない」「あまり面白くないような気がする」という感想になりました。
私としては51話までに描かれていた「ピダムの善悪二面性」という伏線が回収しきれていない印象を受けたのです。
私の見方が浅いだけで、実際はそうでもないのかもしれませんが。
51話までは「善」寄りだったので、52話からは「悪」寄りであって欲しかった。
それが私がピダムに抱いた「幻覚」です。

ナムギルさんが最初のシノプシスの「悪役の狼ピダム」に惹かれていたというのであれば、個人的にはその気持ちは理解できます。
私もそういうの好きですし、そういうキャラを「負け犬」とは思わず、むしろ「複雑な心理を持った面白いキャラ」だと魅力的に思う性質なので。
それに対する未練に引きずられて変更後のピダムの演技の反応が鈍くなってしまったことについてはたしかに褒められたことではありませんが、同じ人間としては私は理解できます。
私が彼をあまり責める気になれないのはそのせいなのかもしれません。
責められることについて、ある程度は仕方ないし、役者として成長して欲しいと思うならそれも必要と思いますが、あまりにも責められているのを見ると、個人的にはそういう人間としての心情まで否定されているような気がして。


今回緋翠様と議論させていただいたことに対する、私の結論です。

「演技について、悪いのは俳優だけでなく監督も悪いのではないか」という疑問について、私が最終的に出した答えは「監督がそういう方針である以上、やはり俳優が悪い」です。
しかしその議論をする中で、女王時代の脚本について「女王トンマンの心情がわかりづらい」という見方が正しいとわかったので、視聴者はトンマンについてはピダムに近い視点でドラマを見ていたことになり「ピダムを哀れに思い、トンマンがわからない」という感想を持つこともまた自然であり正しいと結論付けました。
故に、監督については理解しましたが「女王時代のピダムが可哀想だと女王時代のトンマンを批判するのは許せない」という緋翠様の意見には同意することは不可能です。
(「自分は許せないからローカルルールにする」というならまだわかります。)
緋翠様のような見方も正しいとは思いますし、いろいろ疑問点が解決することもあります。
でもそれが全てとも思いません。
いろいろな見方があるということを理解した上で、どの見方を選択し、受け入れるかは個人の自由です。
それが「正しいもの」ではなかったとしても、自分がそれを気に入ったのなら正しくなくたって構わないと私は思います。
法を犯すようなことでもないですので。

そしてナムギルさんについては、脚本をきちんと理解せずに演技したことは緋翠様の仰るとおり、プロである以上責められても仕方ありませんが、「悪役ピダム」に惹かれていた個人の心情は私は理解できます。
故に緋翠様がナムギルさんを批判するのは間違っているわけではありませんが、私個人としては「悪役に魅力を感じない人もいるんだな」ということで、そこをちょっと残念には思います。

これ以上は特に申し上げたいことはないし、自分の中にある疑問も全て解決したと思うので割合気持ちもすっきりしていますので私としてはこれで満足です。
ただ、私は緋翠様とはやはりちょっと意見の違う人間のようですので、私の出した結論でお気に障る部分がありましたら申し訳なく思います。
が、先に申し上げた通り、そこについてはたぶんもう揺らぎようがないのですみませんがご了承願えると有り難いです。
それから言葉足らずな部分があったらすみません。
また矛盾していると思う部分があるかもしれませんが、それは矛盾しているのではなく、私の言葉が足りないのです。(汗)

三週間程も長々とお付き合いいただき有難うございました。
これからもブログ運営頑張って下さい。
応援しています。

あ様へ

  1. 2011/12/01(木) 00:23:52 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
> 落ち着け!!血管切れて体に悪い。如何なる時も冷静に、、

ありがとうございます。
ただ、出来れば、初めてコメントをくださる時には、もう少し丁寧語と言うものを使って頂けるともっと有り難いです(笑)
血管は切れていませんので、ご安心をv

tocco様へ

  1. 2011/12/02(金) 22:22:26 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
tocco様、こんばんはーv

> 大分すっきりしてきました。

ありがとうございます。もう少しだけすっきりして頂く為に、最後にまたあれこれ申し上げることをお許しください^^;


> ですが細かいことですが一点だけ違うと思う部分がありました。
> 「『役者』にはまず固有名詞の役名がなければならない」というのは当たらないです。

役者の評価の仕方で申し上げた通り、「評価出来る」と私が判断するには、脚本理解力を伴う役作りが必要不可欠です。固有名詞のないエキストラや斬られ役に対して、脚本が事細かに一人一人の人格なり生い立ちを設定されていることがありますか? あるとすれば、よほど稀なことですし、少なくとも善徳女王でそのような斬られ役は見ませんでした。なので、脚本理解力について語っている今回は、そのような方々を「役者」とは扱えませんでした。
それに、今は技術の話はしていません。斬られ役の方々が競うのは、殺陣の上手さ、つまりは技術であって、脚本理解力を考える時に斬られ役の方々を「役者」に入れるなら、メインキャストのスタントマン達も「役者」に入れる必要が生じます。彼らの演技も放映されているわけですから。
と言うわけで、私が斬られ役やスタントマンを「役者」に入れないのは、彼らの優れた技術を疎かに考えているわけではなく、今回のテーマである、個々の役柄に関する脚本理解力を論じる対象ではないからです。
でも、彼らは個々の役柄はなくても、集団で「民」「復耶会の人間」「郎徒」などを表現していたので、「一つの集団に、ある役柄を演じさせる」と言うことはちゃんと出来ていたと、監督を評価しました。

> 私はドラマ全体のテーマは「『トンマン』という人間の生き様」、また「人とはどんなものであるか」だと思っていましたし、個人的にはそう考えた方がしっくり来ます。
> 「王とはどんなものであるか」と「王」に限定した話は52話から具体的に描かれていたので、それは女王時代に限定したものだと思いました。

これは違うと感じます。
何故なら、トンマン個人の生きざまが大事なら、第一話は要らないからです。また、第一話は、ミシルの生きざまを表現するにしても、中途半端です。ノベライズにはちゃんと描かれていたミシルの生い立ちやトンニュン太子との恋は全カットで、真興大帝の死から描かれていますから。
では、第一話に何の意味があったのかと考えると、それは、「名君・真興大帝と暗君・真智王を通じて異なる王の姿を描き、さらには新羅と言う国家を描くこと」ではないかと考えられます。
そして、第一話のみならず、トンマンの子役時代にも諸侯とのやり取りで君主像が語られ、郎徒時代も繰り返し権力者による統治や政治のやり方について言及されています。これは、普通の「人」には関係ない話題です。善徳女王で語られるのは常に、君主がどのように民や貴族を導き統べるべきかであり、それは「王」の問題です。トンマン個人の問題でも、「人」の問題でもありません。
「人」をテーマにしたいのなら、ノベライズにあったミシルの恋(恋人のトンニュン太子に裏切られて、王家に復讐を誓うミシル)は間違いなく入れるべきでした。でも、代わりにドラマがクローズアップしたのは、真興大帝に政治的に切り捨てられた為に、自らの政治を展開していくミシルの姿です。
と言うわけで、第一話からも、ドラマ全体を貫くテーマは「王」であったと考えます。

> しかし、脚本の解釈の説明から、「女王時代のピダムが可哀想だと女王時代のトンマンを批判するような人」が出てきてもおかしくないのだと思いましたので、それをこの記事で許せない・譲れないと仰る緋翠様の考えには同意できないな、と考えました。
> ですから「そう思ったとしてもこのブログでは禁句」というローカルルールだと解釈することにしました。

確かにドラマの見方は千差万別ですから、どのようにご覧になろうと私が口出しすることではありませんが、私が「許せない」と感じるのは、上記のような方は、ナムギルさんも含め、「ピダム視点」と「ピダムのファン視点」を混同し、ファン視点の意見を「ピダム視点」だと主張しているからです。

前に『「ピダム視点」とは』と言う記事を書きましたが、私が考える「ピダム視点」とは、脚本にあるピダムの視点でドラマを見ることです。そうすると、ドラマが終わった時、ピダムがトンマンを「酷い」なんて思うのは、有り得ないんですよ。
確かに女王時代の途中まで、ピダムはトンマンがわからず拒絶に傷ついていましたが、57話以降、彼は順を追ってトンマンの心を知っていき、最終話でサンタクとヨムジョンによってトンマンの愛を確信し、「トンマンが俺を裏切ったのではなく、ヨムジョンやミセンですらわかっていたトンマンの愛を信じられなかったのは、俺だ」と気がつきました。だから逃げずに死にに行ったんでしょう?そうでなければ、何故ピダムは反乱軍を捨てて死にに行ったのか、説明出来ません。トンマンを「酷い」と恨んでいるなら、最後まで反乱軍を捨てたりはしなかったはずです。

つまり、「ピダムが可哀想」と言う発想自体が、ピダム視点の発想ではないんですよ。そして、その上トンマンを「酷い」と堂々と言い切るのは、完全にピダムの心情を無視したファン視点です。
本当にピダムと言うキャラクターを大切に思っているなら、ピダムが精神的にどう成長したのか、彼がトンマンをどう愛したのかを無視してトンマンを批判することなんて、出来るはずがありません。ピダムの心情を無視した批判をしておきながら、「ピダム視点」と断言するなんて、私には許し難い傲慢さです。
ピダムが大切なら、脚本を尊重するなら、何故もっとピダムを理解しようとしないのか、何故ピダム視点とファン視点を混同しておきながら恥ずかしくないのかと、そう反論したくなるのが当たり前ではありませんか?

そして、トンマンの心が理解しにくいのはその通りですが、忘れて頂きたくないのは、57話以降、「ピダム以外の大多数のメインキャラクター」が、トンマンのピダムへの愛を理解していました。ユシン、チュンチュ、チュクパン、ミセン、ヨムジョンと、トンマンとある程度接していて(視聴者はトンマンの行動をこれらのキャラクターより見ています)、人情がわかるキャラなら、トンマンのピダムへの対応を見て、愛しているんだと確信していました。
それなのに、最も情報を得ている視聴者の立場で、幼い頃からのトンマンも知っているのにトンマンの愛がわからないとは、いったいどういう見方をしていたのか、首を傾げざるを得ません。ピダムだって、気付かない自分が間違っていた、と感じたくらいなのに。

> ピダムについて、「ミシルの息子」「どうやらトンマンが好きらしい」ということが51話までに判明し、「最後は反乱を起こして死ぬ」ということから、どういう過程を経てトンマンに反旗を翻すかに興味があり、そこが詳しく描かれることに期待していたのです。

えっと、かなり詳しく描かれていたように思いますが…。
と言うか、51話までに得た情報がそれだけなんですか!?(汗) しかも、比才での戦い方や、ムンノに剣を向けると言う決意や、ヨムジョンを服属させる際の行動は、ピダムの「善」の部分だとお考えになったんですか?
いやちょっと待ってください。「ミシルの息子」と「反乱を起こして死ぬ」なんて、ドラマを見なくても、例えば公式HPを見ればわかることですよ!(汗)
51話までドラマをご覧になったのなら、ピダムと言うキャラクターのものの考え方や、行動力、性格とか、もっと色んなことがわかるでしょう? ピダムは、善なる目的の為に、第三者は無意識に悪としか判断出来ない手段を無意識に選ぶと言う、合理性の権化である為に善悪を気にしないキャラだと、描かれていたじゃありませんか……って、わ、私の見方が変なのでしょうか(汗)

それと、「悪役の狼ピダム」に関してなのですが。
まず、「悪役に魅力を感じない人もいるんだな」と言うのは、違います。私が大河ドラマで好きなキャラ第一位は、『太平記』でフランキー堺さんが演じた長崎円喜と言うキャラクターで、このキャラクターは間違いなく悪役でした。悪役の魅力なら十分に理解していると思います。
私がナムギルさんの未練を批判するのは、女王時代のピダムだって十分に悪役の要素があり、悪役演技も出来たのに、しなかったのはナムギルさん本人だからです。

女王時代のピダムは、能力的には断トツでナンバーワン、ミシル以上の大物です。トンマン、チュンチュ、ユシンが束になって戦わなければ勝てないラスボスがピダムなんです。
悪役をやりたかったなら、そのラスボスを演じるのに、悪の魅力を詰め込むことは出来ました。トンマンが歯噛みするようなキャラだったんですから、「悪役の狼ピダム」と言う、恐ろしさを内に秘めたキャラクターとして演じることは出来たんです。悪役がやりたかったなら、悪女ミシルに惚れたトンマンが愛した男なんですから、悪役演技をしたって良かったんですよ。
でも、そう言う可能性をナムギルさんは自ら潰し、しかも脚本に文句を言っています。見当違いも甚だしく、到底「仕方ない」とは言えません。
人間としての心情とは言え、自分の怠慢を仕事仲間のせいにする人は、批判されて然るべきだと思いますから。


> いろいろな見方があるということを理解した上で、どの見方を選択し、受け入れるかは個人の自由です。

その通りだと思います。
ただ(笑) ただ、tocco様もイマイチおわかりになっていないような気がするので改めて申し上げますと(汗)、私が「反論する」とこの記事で言ったのは、

私に対して、この3つを主旨とするコメントをなさった場合

です。
頭の中で考えているだけだったり、自分のブログで主張するだけなら、いっこうに構いません。
問題は、私個人に宛てて書くコメントと言う『手紙』の中で、そう言ったことを主張なさることです。

常識的に考えて、赤の他人に宛てた手紙で、いきなり自分の考えに同意を求めたり、誰かを批判したりするのは、不躾でしょう? それで反論されたとしても、「よく知りもしない相手に不躾な手紙を書く方がどうかしている」と考えるのが普通だと私は思います。
勿論、法を犯すようなことにはならないでしょうが、この考え方のどこがローカルルールなのか、わかりません(汗)


以上、最後まで長々とすみませんでした(汗)
tocco様の結論に、「なるほどー」と頷きつつ、気になるところは反論させて頂きました。どうか、善徳女王を理解する上での一助になりますように…!

> 三週間程も長々とお付き合いいただき有難うございました。

こちらこそ、お忙しい中、ありがとうございましたー!応援して頂けて嬉しいですv 頑張ります!^^


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