善徳女王の感想と二次創作を中心に活動中。

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チャンバラと政治。@阿莫城&速含城の戦い

管理人的に、その時代劇が面白いかどうかを決めるポイントの一つに、

主人公サイドの王様がチャンバラの達人と言う設定で、それを披露して人を斬るか否か

と言うラインがあります。
結論から言いますと、披露したら「これは期待出来ない…」な作品決定で、披露しないもしくは達人設定でなければ、期待を持って見続けられる作品です。(←あくまで私の感覚なので、アテになりません(;・∀・))

えっと、なんで王様がチャンバラを披露しちゃいけないかと言いますと、王様が一人で敵(武術を仕事にしている人)と戦って勝つのは、結果的に、その人が王としては無能だと証明するようなものだからなんです。
つまり、王がプロの兵士や殺し屋に勝てるような類希な武人だと言うことは、

・本を読むより剣術の稽古ばかりして成長した。→浅識である可能性が高い。
・剣より、各国の歴史や法律を学べと勧める賢い家臣もいなかった。→政権運営に必要な有能な人材を確保していない。
・あるいは、賢い家臣がいても、言うことを聞かなかった。→狭量。
・自分の護衛兵を信頼していない、あるいは護衛兵が無能。→人を見る目も人望もない。
・自ら武芸を披露せねばならないほどの苦境に簡単に立たされている。→自分の身を守る用心も知恵もないほど愚か。


と言うことで、まぁ少なくとも大きな欠点が5つもある王様だと言うことを証明するようなものなんじゃないかなーと思うんです。

勿論、ドラマの中では、武芸の達人であることを、王様の長所として描いているのはわかります。
でも、はっきり言って、こんな滑稽なことはないんですよ。
剣術の稽古なんかしたって一生政治はわかりませんし、ゲームじゃあるまいし、王自身が一騎当千して隣国を攻め滅ぼせるわけでもない。数百人はいるであろう護衛兵に無駄な給料を払って、国庫を浪費してもいる。当然、未然に危険を防ぐ知恵も湧かないくらいなのだから、危機管理能力もろくに期待出来ない。
それなら、別に悪役が政治を牛耳ってもいいんじゃないかと思えるんですよ。ろくに物も知らず家臣もいない王に、安定した悪役政治を壊した後のビジョンがあるとは到底思えませんし。もっと王に相応しい人間がいるだろーと、思ってしまいます。


でも、だからと言って、戦闘シーンなしがいいわけではありません。充実した殺陣や、戦のシーンにおける緻密な脚本と、俯瞰的かつ迫力ある演出は大好物です!(*´∇`*)し、何より、↑で王様がチャンバラをするだけで王様の資質や現状がわかるように、戦闘シーンと言うものは、そのドラマの政治性を浮き彫りにします。
……てな話を、続きからツラツラとv


* *


郎徒時代の百済戦は、映像のクオリティが素晴らしくて、まずそっちに目が行きました。
特に、阿莫城の第一関門を陥落する戦いは、普通のドラマでは「火矢→なんか城門が開く→落城」と言うイメージ映像で終わる攻城戦を、かなりしっかりと描いていたように思います。まず、

その1.火矢・投石を浴びせる。
その2.門を破る為の攻城兵器(破城槌)を投入。(ソッちゃんが破城槌に乗ってた)
その3.梯子などの城壁を登る道具を複数投入。城壁を登る。(アルチョンが監督してた)


と、城門を突破したり兵を乗り越えたりするにはどうするかや、その後、白兵戦になった時には、将軍レベルと兵卒レベルの戦い方の違い(トンマン達は剣よりレンガや石の方が有力な武器にw)をはっきり打ち出していました。さすがに衛生面での攻撃はドラマですからしていませんでしたが、それでもドラマで描く攻城戦としては、かなりレベルが高かったんじゃないかなと。
百済(防城)側も、梯子から上がってくる兵に対して、縄がつけてあって回収可能な殺傷兵器を繰り出したりと、石投げておしまい、じゃなく、ちゃんと兵器が作ってありましたよねー。

そして、役者の都合もあるかもしれませんが、花郎がその1~その3で大活躍するのが、めっちゃ納得がいったと言いますか。
そもそも彼らは、9話で見る限り、徐羅伐では遊花に囲まれ、ちやほやされて暮らしていました。「こいつらホントに戦えるのか?」と一瞬不安になるくらいでしたが、次の10話で、ソクプムは破城槌に乗って城門を破壊する任務を担当し、アルチョンは梯子で城内(敵陣)に入る任務を担当しています。
城門・城壁を破壊するのは、敵兵から集中攻撃を喰らう為に最も戦死率の高い任務です。だから、そこに大将のソヒョンパパはいませんし、ソヒョンパパの副官ですらいません。そう言うところに、当たり前のように花郎が投入される……と言うところが、何と言うか、面白いなと。
ただ戦を描いて、落城したーとかそんなことをやっているわけではなく、わざわざ兵部の将軍と花郎の戦い方を描き分けることで、花郎の政治的な基盤が…彼らの日頃の特別待遇(王の廃位すら唱えられるほどの権威)が、いったい何に基づくものかが、明確に提示されていますよね。祭祀を司るからとか、そう言う表向きな理由だけでなく、花郎と言うものが、新羅の軍事力を支える「決死隊」であることが、言葉ではなく、物語で語られているんです。
そして、花郎を描くことは、花郎出身者と番組内で繰り返し字幕で強調されている、ミシル・セジョン・ソルォン・ミセン・ハジョン(ヨンチュンも?)と言った面々の本質をも描くことになります。ミシル達のことは、言葉でも多少説明がありましたが、彼らが花郎出身でありながら生き残って出世しているだけで、彼らのしぶとさや強さがわかるようになっているんです。

つくづく、上手い脚本だなーと思います。(ちなみにこれは、キム・グノン監督ではなく、パク・ホンギュン監督の手柄なような気がします。キム監督の最新作『階伯』では、この手のリアリティーがまるで見られないので。)
ただの、古代の戦シーンとして見てもかなりよく出来ていますし、一方で、物語上も凄く意味がある。ただのサービスシーンではない。
と言うのは、戦争の最中にも、花郎=ミシルと、郎徒=トンマンの思想の違いから来る討論が行われているからなんです。

トンマンとミシルは、政治家としての在り方が正反対です。極端に言えば、トンマンはプラス思考(楽観的)で、ミシルはマイナス思考(悲観的)。トンマンは期待し、希望を持ち、ミシルは危惧し、疑念を抱く。
そして、花郎達は、アルチョンやユシンでさえ、戦場ではミシルの分身なんです。と言うか、ミシルこそが、まさしく源花、最高の花郎であり、アルチョン達はミシルをモチーフに作られたアンドロイドみたいなものでした。

ミシルの台詞の中には、たびたび「人は醜いものだからこそ、上に立つ者は恐怖によって人を支配するべきだ」と言う意味の言葉が出てきて、「人には本来善悪などないからこそ、上に立つ者は希望によって人を導くべきだ」と言うトンマンと、大きく対立します。
この命題が初めてトンマンに突きつけられるのが、戦場で、アルチョンが軍令だと言って負傷兵を斬り殺した時なんです。

軍令とは、秩序をもたらすものです。戦場での法律であり、それがなければ戦場は無法地帯になってしまいます。
ところが、アルチョンや花郎達の軍令は、秩序を超えていました。
花郎達が出撃命令を下される時、彼らは戦死する為に戦うことを求められるからこそ、死の恐怖を打ち消す為に、軍令と崇拝(花祀堂)が巧みに利用され、中途半端に使えなくなった兵器(人)は、敵軍に渡らぬよう破壊(殺)されました。まるで、ミシルが化け物扱いされることと、天神皇女として敬われることを、同時に利用しているように、花郎達はそうやって郎徒達を統率していた。
ミシルや花郎達にとって、支配することとは、相手の思考能力を奪い、感覚を麻痺させることでもあったんです。

11話のトンマン
それに対して、↑のシーンで、トンマンは強硬に反論します。(ちなみに、トンマンは取引材料がない時には、意見はしても、そうそう強硬に反論したりはしません。ここで徹底的に反論出来たのは、アルチョンとユシンを黙らせることの出来るもの=ソヒョンパパからの密書を手にしていたからですし、そう言うところがトンマンの賢さで、素敵だなと思いますvv) 負傷兵を斬り捨てて行軍するのは、将の怠慢だと喝破するんです。
と言うのも、アルチョン・ユシンはトンマン達の上官であって、ぶっちゃければ給料が違います。ところが、それだけハイレベルな仕事が出来るからこそ上官でいるはずなのに、アルチョンは自分が負傷した時、郎徒達と同じように斬られようとしました。彼は、郎徒の面倒を最後まで見ることを放棄したんです。
ユシンは、「皆で生き残る為だと言って訓練をさせておきながら、戦場ではそれを撤回するなんて、詐欺だ」と言われていましたが、アルチョンの行動も、高給取りであり、尚且つ郎徒達に日頃から信望を要求する花郎としては、給料泥棒と言われても仕方のない詐欺のようなものです。

二人は現状では部隊の指揮官であり、トンマン達にとってはソヒョンパパと変わらない立場だと言うのに、郎徒達と同じように生死を決めようとすることに対し、トンマンは無責任だと激怒しました。部下に忠誠を求めるなら、上官は上官に相応しい能力を見せて、部下の命に最後まで責任を持つべきだと。
トンマンから見れば、「軍令だ」と言う一言は、上官の責任逃れでしたし、事実、アルチョンもユシンも、軍令だからと思考を停止し、頭をフル回転させて策を練っているわけではありませんでした。生き残る為に策を講じるより、死ぬ為に戦う方が困難も少ないので、ある意味楽をしていたわけです。

砂漠で諸侯に対して「茶の交易を禁止するなんて、間違っている」と宣言した時から、トンマンは終始一貫して、上に立つ者にも民衆にも、「生き残る為の思考」を求めます。現状がこうだからと、そこに安住して死を、損を受け入れるのではなく、よりよく生き、生き残る為に努力するのが人の義務であり、上に立つ者は、より多くの者がそれをどうやって成し遂げるかを示すことが仕事だと突きつけるんです。
だから、公主になっても、女王になってもそれは変わらず、復耶会問題の時もピダムの時も、罪がなければ、最後まで救おうと努力し続けました。

人を簡単に捨ててはならない。人を得る者が天下を取る。何故なら、人を得る者は、それだけ多くの人を理解し、得ようと、誰よりも知恵と勇気を絞り続ける。そして、より多くの者を得るのに必要なのは、恐怖ではなく、希望である。――それが、第一話から提示されているこの作品のテーマであり、トンマンはそのテーマを背負っている主役でした。
対して、アンチテーゼとなる人は、トンマン以外の全ての登場人物だと言っていいと思います。時にミシルであり、諸侯であり、アルチョンであり、ユシンでもあった中で、ミシルが最もそのアンチテーゼを理解していたが為に、トンマンの前に立ちはだかりました。
アンチテーゼを担う人々とトンマンは常に論を戦わせて、道を模索していきます。そして、その模索していくと言うことが、トンマンの望む道であり、このドラマの長所の一つなんじゃないかなーと思う管理人でした。
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  1. 2012.04.18(水) _00:00:00
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  1. 2012/04/20(金) 00:08:14 
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げん様へ(おめでとうございます~!!)

  1. 2012/04/20(金) 23:36:31 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
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げん様、こんばんはー!おおお、ブログ開設のお知らせ、ありがとうございますー!
ブログ名はmikazu記……三日月なのでしょうか、それとも…?と気になりますし、げん様のブログを見てみたくて堪らなかったので(普通のおしゃべりも善徳語りも楽しみですvv)、早速お邪魔したいと思います(*´∀`*)
と言うわけで、残りのお返事はげん様のブログにて…!

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  1. 2012/04/22(日) 00:09:04 
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