善徳女王の感想と二次創作を中心に活動中。

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花郎世紀ベースの家系図をとにかく作ってみた。

※コメントをくださった方、ありがとうございます!明日お返事します~vv



誰か人物について調べていると、とにかく家系図が作りたくなるタイプの管理人(・∀・)
そんなわけで、花郎世紀ベースの家系図は幾つかあります。今回は、それをまとめて更新しようかなと!
笹の葉とも何の関係もない上に、果たして何の役に立つのかも疑問ですが、善徳女王の人間関係を知る上でちょっとでも助けになればいいなーと思います☆


その前に、ここで花郎世紀に関するメモ。

実は『花郎世紀』には、三十二世風月主のことまでしか書いてありません。
何故かと思ったら、文武王死去前後で反乱を起こした者達が風月主出身者で、しかも当代の信功が反乱の首謀者の息子だったので、文武王の正室である慈儀王后が、風月主制度を廃止して、郎徒は兵部に帰属させたからだそうです。
でも、すでに庶民も郎徒になれると言う制度が浸透して地方でも花郎徒が盛んになっていて、徐羅伐でも花郎を求める声が高かったので、太后となった慈儀が国仙と花郎の文化を許可し、それが続いたそうな。

ちなみに、反乱を起こしたのは、二十六世風月主・真功と、二十七世風月主・欽突です。
真功は真興王と美室の息子である寿宗の孫。欽突はユ信の妹・政姫の息子で、ユ信の娘・晋光の夫でもあります。そして、欽突の姉・欽信と真功の間に生まれたのが、信功です。また、欽突と晋光の間に生まれた娘は、文武王と慈儀の次男・政明太子(神文王)の正妃でもありました。
さらに、謀叛を知りながら報告しなかったと言う理由により、当時の上大等であり、二十三世風月主・軍官と、その嫡男である三十二世風月主・天官が誅殺されています。天官の妻は欽突の娘なので、欽突一族が処刑されたとも言えます。

そして、欽突一族の謀叛で終わる『花郎世紀』の著者・金大問は、その謀叛を鎮圧した呉起と、慈儀の妹・雲明の息子です。しかも、呉起の父親と、慈儀&雲明姉妹の母親は、同父母兄妹だったりします。慈儀一族とも言うべき派閥が、鎮圧する側に見えます。

つまり、『花郎世紀』とは、謀叛を鎮圧した人間の息子が書いた戦勝記録のような意味合いもあるわけですねー。いやー、うさんくさいなー(笑)

おまけに。
金大問ですが、家系図を見る限り、彼は金姓ではなく、朴姓のような気がします。朴堤上→青我(堤上の子供が娘だけだったので、堤上の外孫に朴姓を継がせることに)→白欣→[炎り]臣→魏花→二花→菩利→礼元→呉起→大問と来てるので…。
とすると、この謀叛は、ユ信&欽純&政姫&宝姫&文姫の五人兄弟が築き上げた金官伽耶金氏の天下が、その死後、呉起や慈儀ら新羅王族朴氏によって崩された…とは言わないまでも、勢力バランスが大きく変わった一件であることは間違いなさそうです。

歴史は回る!(何)





* *


●ユシンとホジェの関係図●
ユシン家系図
まずはじめは、ユシンから!
ユシンの子供たちは、『三国史記』だと全員チソ(チュンチュの三女)の子女と言うことになっていますが、二人の結婚はユシンが相当なおじさんになってからなので、花郎世紀が言うように、『花郎世紀』に登場してユシンの生前にすでに活躍していた三光と、『花郎世紀』に記述のある四人の娘は、ヨンモの産んだ子女ということで間違いないと思います。
それにしても、こうして見ると、ユシンの娘たちは基本的にユシンの甥と結婚してるんですよね。すげー身内感というか、堅実な結婚相手ばかりです(・∀・)

●チュンチュとヨンチュンの関係図●
チュンチュ家系図1
作ってて自分でもワケがわからなくなった家系図です(笑)
大元神統と真骨正統の違いとかが伝わるようにと作ってったら、どんどん複雑怪奇になっちゃったんですよねー。後世でもこうなので、きっとその時代でも血が入り組んで面倒なことになってたんじゃないかと勝手に推察してますv

●ソルォンの家系図●
ソルォン家系図
ドラマではミシル一途な雰囲気のソルォンですが、わりと女性関係は逞しいというか、このようにあっちこっちで子供がいます。そして意外にも、ミシルとの間に生まれた子供はポジョン一人なんですよね(セジョンさんとはハジョンの下にもう一人息子がいます)。
そして、こうして家系図にしてみるとわかりますが、実は、ソルォンさんの孫娘とユシンの弟が結婚してるんですよ! また、ソルォンとマンミョン夫人が叔父・姪の関係であることもわかります。わりとユシン一家とソルォンさんは近い位置にいるんですよねー。

●ヨンモ一家を巡る家系図●
花郎家系図
ヨンモというより、ユモとか、ホジェとか、ユシン周辺の色んな人を中心にした家系図です。載せきれなかったので省いていますが、この家系図に登場するほとんどの人が、碧花・魏花の姉弟の子孫だと思うと、新羅社会の狭さがわかります。
ついでに、これ以前にも近親婚を繰り返していたことを考えると、意外と弊害がないんだなーとも思いました。思うに、近親婚にするなら、男女共に複数の異性と関係を持てる境遇にしないといかんのかもしれませんね。そうしたら血が残りやすいのかなと、なんとなく思いました。そりゃもちろん、現実に試したいとは思えませんが(笑)(ノ∀・)ハッハッハ



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  1. 2013.07.07(日) _00:00:00
  2. 新羅歴史談義?
  3.  コメント:7
  4. [ edit ]

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comment

7月7日ピダムの誕生日に寄せて

  1. 2013/07/07(日) 01:39:35 
  2. URL 
  3. 月夜見 
  4. [ 編集 ] 
翡翠様

 はじめまして。いつも楽しく読ませて頂いています。系図、歴史学の研究者も真っ青なくらいです(私自身歴史学の研究者の嘴が出た程度のはしくれですが(笑))。
 7世紀というのは本当に東アジア的には超絶的に面白い時代で、これまた不思議なことに日中韓で女帝が統治するいわゆる「女帝の世紀」です。基本的には韓半島の三国にしても倭にしても世界帝国である隋唐帝国にいかに対峙していくかという命題の中で豪族(貴族)連合的王権から律令制を採用した中央集権国家へとだぴを図るのですが、結果としてそれに成功したのが新羅と倭(日本)です(成功したキーパーソンとなるのが善徳女王と持統天皇という女傑を頂いた国というのが笑えます)。
 翡翠様の文章を読んでいていつも思うのが本当にドラマの人物達をよく理解しておられるということです。わたしもピダムは「極めて現実主義的な冷徹な政治家」だと思います。ある意味彼の悲劇は有能すぎる極めて王位継承権の高い王族だったことにあるのではないかと。ピダムの女王期の位置づけはトンマンの剣であり、持統天皇にとっての藤原不比等であって、けっして元正天皇にとっての長屋王(長屋王自身はピダムとは対極の非現実的な理想論者です)ではありません。基本古代史系時代劇はファンタジーだと思っていますので、いっそピダムという人物に奥行きを出すためにも新羅において独自の律令が制定されなかった(新羅は唐の律令を使用して施行規則である格式のみ制定)、出来なかった理由をピダムに持って来ても良かったのではないかという気がします。実際日本の場合も、下地になるものや制定までの先人達の積み上げ、実働部隊の存在もありますが、あれが出来た最大の要因は藤原不比等という個人の力量にかなりの部分が依存していると思います。個人的にはピダムという人物の本質は極めて律令の根本にある法家の思想と相性が良いと思うので、ピダムが律令の制定を考え、その策定作業をしていたけど、「ピダムの乱」による本人の死で、それを策定、完成できるだけの力量を持つ人間がいなくなってしまったから、遺されたものを春秋達がうまく利用して、後の世代が格式を策定したみたいなものがあっても良かったのではという変な妄想をしてしまいます(すいません。勝手なことばかり言って)。
 あと、ムンノの子育て問題ですが、私的にはムンノの育て方の最大の問題はピダムがミシルと対峙した時のことをあまり考えていなかった点にもあると思います。ムンノはピダムがミシル達に利用されないようにということは考えたかもしれませんが、ピダム本人が自身の出生の事情を知った時に、自身中にあるミシルと似た部分に対してどう感じるかということに対しては全く考慮されていません。個人的にはピダムは母親以上に現実的で冷轍な人物ですが、その矜持の高さも怜悧で明晰な頭脳も、気性の激しさも同母兄弟の誰よりも母親に似ています。穿ち過ぎかもしれませんが、ピダムがヒョンジョンの名を拒絶したことや、牢獄でのユシンの言葉に対する拒絶は、彼が母親の思考や行動は理解できるが、だからといって母親を受け入れることも出来なかったことをよくあらわしていると思います。ムンノがするべきだったのはピダムの気性を考え、ピダム自身が自分の母親と似た部分を認め受け入れるだけの器量を養わせることにあったのではないか(ムンノにそれが出来たかどうかは別として)と思うのですが・・・。
 

月夜見様へ

  1. 2013/07/10(水) 23:34:24 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
月夜見様、はじめまして!緋翠と申します。コメントをありがとうございます!v

って、すっかりド忘れしてました…!(震)7月7日はピダムの誕生日じゃないですかー!!ぴ、ピダム、誕生日おめでとう!(←遅すぎる)

系図はマニアの楽しみと言いますか(笑)、昔からの趣味なんです。なので、きちんと勉強されている月夜見様のような方に誉めていただけると、とにかくお恥ずかしいです(ノ∀`)

> 7世紀というのは本当に東アジア的には超絶的に面白い時代で、これまた不思議なことに日中韓で女帝が統治するいわゆる「女帝の世紀」です。

わかりますわかります! 飛鳥時代が好きなもので、七世紀の日本に関してはある程度知識があったのですが、こうして新羅や隋・唐まで見ていくと、本当に画期的な時代だなーと思います。
といっても、政治史的なことはほとんどわかんないんです(笑)(・∀・)←コラ
ちゃんと勉強していないツケと言いますか、

> 豪族(貴族)連合的王権から律令制を採用した中央集権国家へとだぴを図る

こういう部分が文章として理解できても、現実的にはピンと来ない困った頭です(汗)
ただ、家系図マニア目線でいくと、日本と新羅の両国で六世紀には一般的だった皇族の異母兄弟の婚姻が、何故か七世紀に入った頃になくなっていくんですよね。これは、婚姻というものが制度化されて、戸籍が出来ていく過程ではないかと思ったりしています。
また、隋・唐、さらに北周が実は独弧氏を介して姻戚関係にあったりするのも面白いなぁとv 和蕃公主の存在と言い、家系図マニアにも興味深い時代です(・∀・)

> わたしもピダムは「極めて現実主義的な冷徹な政治家」だと思います。

おお!ありがとうございます~!(*´∇`*)
そして、ピダムの位置づけは難しいといつも思います(笑) 個人的には、ピダムの悲劇は父が廃位されるような王だったことかと考えたりもしましたが、ピダムなら、どんな環境でも彼らしく生きて、後悔はないのかなと思ったりもします。普通の人間の尺度で彼の幸不幸を計ってはいけない気がするというか…。

> ピダムの女王期の位置づけはトンマンの剣であり、持統天皇にとっての藤原不比等であって、けっして元正天皇にとっての長屋王(長屋王自身はピダムとは対極の非現実的な理想論者です)ではありません。

おお…! 初めて聞くタイプの比較で、めっちゃ興奮しましたー!(*゚∀゚)
不比等と長屋の違いは語ると長くなりますが、私は皇位継承権のない不比等とピダムを同一には語りづらいですね…! 個人の資質云々以前に、身分や血筋で生き方がある程度縛られる時代であることを考えると、長屋の方がピダムの置かれた環境に近いんじゃないかなーと思ったりしてしまいます。私は不比等はむしろ、身分制度に風穴を開けたという意味では、真骨の王を擁立したユシンとかチュンチュとダブりますね。(そう言えば、新羅で聖骨の王が消えて百年後に、日本でも純皇族の天皇は消えたんですよね)
また、新羅の律令は、確かに日本のように「~~律令」みたいな形で制定されてはいませんが、そもそも隋・唐とは異なる身分制度に順応させたりしていますし、日本と同じように一定の独自色はあるのではないでしょうか。そして、なんだかんだ言っても、島国の日本と、陸続きでいわゆる緩衝地帯の新羅では、独自色を打ち出すにも限度がある気もします。
もちろん不比等の才能を否定するわけではありませんが、日本と新羅では、「戦時中」状態の時間が圧倒的に違うじゃないですか。国境線が海になっている日本と違って、新羅は常に陸上での国境線に神経を尖らせていなければならないでしょうし、だから新羅では独自の律令の制定を実現する能力よりも、現在の戦況に対応できる柔軟な政治・外交・軍事力が求められていたのではないかなーと思っています。(日本も、任那問題が存在する間は陸上での国境線を抱えているも同然でしたから、独自の律令制定には至っていませんし。)
というわけで、私はそれらを兼ね備えたピダムは、新羅というお国柄で見るに、最も有能な男に相応しい人物設定なのではないかと考えています(・∀・)(私も勝手なことばかり言ってすみません…!(汗))

> あと、ムンノの子育て問題ですが、私的にはムンノの育て方の最大の問題はピダムがミシルと対峙した時のことをあまり考えていなかった点にもあると思います。

うーん…確かにそうですね。ムンノ、そこのところはまるっとスルーでしたね(笑)
私はムンノに甘いのか、実は最近はもうムンノの子育てになんの文句もなくなってきました(←えっ?)(むしろピダムみたいなブッ飛んだ天才児をよく制御し続けたなぁと感心しています(ノ∀`))。

> 穿ち過ぎかもしれませんが、ピダムがヒョンジョンの名を拒絶したことや、牢獄でのユシンの言葉に対する拒絶は、彼が母親の思考や行動は理解できるが、だからといって母親を受け入れることも出来なかったことをよくあらわしていると思います。

いきなりすみません…!えと、ピダム、ヒョンジョンの名前を拒絶したことありましたっけ…!?(←ちゃんと見てないのか管理人…!)最終回でミセンからヒョンジョン呼びをされても反発しなかったことなら覚えているのですが…!(記憶があやふやですみません(汗))
そして、女王時代のミシルに対するピダムの反応は、「ミシルは偉大だぞキャンペーン」もあるので難しいですねー(ノ∀`)(笑) おまけに、実は私、牢獄でのピダムの拒絶は、「ナムギルさんの演技はようわからん(・∀・)ハッハッハ」とスルーしてました…(コラ!)

> ピダム本人が自身の出生の事情を知った時に、自身中にあるミシルと似た部分に対してどう感じるかということ

これなんですが、ピダムは女王時代以前にも、何度かミシルと接触し、何よりミシルのやり方を目の当たりにしていますから、その中で(特にミシルの乱直前の清遊などで)、自分自身と似ている部分やそうでない部分などについてはすでに大いに感じるところがあったと思います。でも、だからといってピダムは母親を受け容れられなかったとは思えません。(事実、ミシルの乱を誰よりも早く感知しています)
牢獄での拒絶は過剰反応だとは思いますが、敢えてナムギルさんの演技を省いて脚本のみから推察するなら、司量部令として法を司る番人に等しい存在となったピダムは、反逆者状態のユシンからこれまた反逆者であった母ミシルの名を以て戒められるというのは、非常に不愉快かつ咎めるべきことなのではないでしょうか。
ユシンの口から発せられた言葉は何かと正しく聞こえがちですが、これまで何度かブログ内で触れてきたように、女王時代のユシンはピダムの器量に追いついていないがために、間違った感想をピダムに対して抱いていることが多々あると私は考えています。百済軍を巡る牢獄でのやり取りも、あくまでユシン自身がもっと的確な形で情報をもたらすことが出来れば解決したわけで、ユシンとしては、自分の口下手をなんとかするための交渉術として、ピダムが耳を傾けるであろう「ミシル」という刺激的な単語を無意識に口にしたのではないかと思ったりしましたv

……なんだか物凄く長い上にぐだぐだしたお返事ですみません…!

  1. 2013/07/11(木) 02:11:38 
  2. URL 
  3. 月夜見 
  4. [ 編集 ] 
翡翠様

お返事ありがとうございます。

本当に好き勝手言ってすみません・・・。

・ユシンがピダムの器量に追いついていない。
 はい。私もそう思います。ただ、ユシンは鈍感でニブイなりに妙なところで相手を刺激してしまうところがあるので、やはりピダムにとってミシルはあまり触れられたくないところであったのではないかと。何というかピダムにとってミシルはその思考性や野心、政治家としての力量や行動は理解できるし、受け入れられるけれど、母親として愛しろ(一見そうは言ってなくても母親の野心を継げというのは結局母親として愛しろと言われているのと同義だと思うのですが)と言われるとやはりかなり複雑なものがあるのではないかと。そういうところをニブチンのユシンに無意識に言われるとやはり反発はすると思います。(まあ、ピダムの場合は感情と冷轍な政治家としての本質は別々に同時並行的に作動しているようですが・・・。一見感情的になっていても絶対に冷徹な本質が常に物事を冷めた現実主義的な目で見ているというか。)
・ピダムと不比等について
 実は不比等には結構古くから天智天皇の子供説というのが根強くあります。日本の場合、皇家における異母兄弟の婚姻が積極的に行われた最大の要因が継体天皇の即位にあります。超の付く傍流の継体は大王家の嫡流の皇女を正妃とすることで大王位に就くことができました。実は継体以前においては大王の正妃や大王の母親が王族であることはそれほど重要ではありませんでした。不比等に関しては研究者によっては不比等は持統天皇の異母弟であるから準王族である不比等の台頭は皇親政治の流れの中で考えられるとも言われています(あまり言われませんが、その意味では光明皇后が問題視されたのはむしろ母方が地方豪族にすぎない県犬養氏だったことにあるのでは?不比等の長男、次男の母親は蘇我氏でしかも、持統天皇にとっては年下の母親の従妹叔母です)。この場合、問題になるのはある意味壬申の乱で否定された天智天皇の息子であるということでしょうか。ただ、この時代において不比等が王位継承からは極めて遠い人物だったのは間違いありませんから、ピダムとは簡単に比較できないのは当然です。考えてみれば意外にピダムに近いのは天智天皇なのかもしれません。壬申の乱で近江方が敗北した結果、神とされた天武天皇に対して天智天皇は冷酷非情な独裁者とされ、あまり良い様には記録されていない(白村江の戦いも実際に引き起こして、陣頭指揮をとっていたのはパワフルな母上済明天皇です。むしろ天智・天武兄弟はこの母上の後始末をさせられたのが実態かと・・・。)様な側面もあります。まあ、あくまで私の個人的な感想としてはピダムの資質(現実主義的な冷徹な政治家という意味で)と天智や不比等の資質はよく似ている気がします。
・独自の律令と地勢状の問題
 実はあまり知られていないことなのですが、律令制度というのは戦時体制なのだそうです。いかに効率よく、有効に戦闘員を確保できるかということを主眼に中央集権化がすすめられたそうです。日本の場合、これが最も効果的に発揮された例が藤原仲麻呂の乱です。新羅も自国の実態に合わせたものを作ろうとしていた痕跡は間違いなくあることから、やはり「理方府(司量部の後継機関の名前)格式」(間違っているかも)に先行する形で「○○律令」的なものを作ろうとした機運はあったのだと思います(大宝律令以前は「郡」ではなく「評」と表記していたのは半島の影響)。統一新羅の身分制や行政制度を見ていると個人的な感想ですが、地理的に隋唐帝国と地続きだから独自制定が難しかったというよりも、結局は骨品制度を打破できなかったのが最大の要因の気もします。
話は変わりますが、ピダムの司量部は中国の御史台が元になっている機関ですので、王の直属というだけでなく他の部よりも格が上のはずです。そういう意味でも脚本家がうまいなと思います。
・ムンノがあの天才児をよく制御
 おっしゃるとおりだと思います。制御するのはそれは大変どころではなかったと私も思います(苦笑)。でも、反面ピダムはものすごく素直な子供だったとも思います。まあ、えてして天才というのは天才であることと引き換えに何かしら欠落した部分があるそうなので本当に大変だったと思います。

本当に好き勝手言ってしまっていますね。すみません。でも、何というか空白の10年は本当に妄想が膨らむおいしい10年でもあると思います。翡翠様のSSは本当にこの10年に何があったのかを埋めてくれる素敵なものばかりなのでこれからも素敵なSSを楽しみにしています。

  1. 2013/07/12(金) 01:23:25 
  2. URL 
  3. 月夜見 
  4. [ 編集 ] 
翡翠様へ

 すごいですね。歴代風月主のキャッチフレーズ。「花郎世紀」日本語訳の出ていない中でここまで読みこる方はそうそういないと思います。

昨日の追記
 何かだらだらすいません。

・司量部と御史台
 本当にピダムを司量部令にしたのは脚本家がうまいなあとつくづく思います。司令部は今でいう検察庁に相当する機関ですが、司量部の原形である御史台は本当に大きな権限を持っているだけでなく、その長官である御史大夫は六部(吏部・戸部・兵部・礼部・刑部・工部)の長官(尚書)よりも位が高く、宰相たる尚書令に互するだけの力がありました(日本の場合だと御史大夫に相当するのが按察使大納言(大納言の筆頭))。何というか、今でいうところの検察機構とCIAのような内外の諜報を一手に行う司量部を正常に機能させるには並大抵の能力では不可能であり、それを可能にしたピダムは替えの利かない存在だったと思います(李氏朝鮮の暗行御史はある意味、司量部の部分的には後継的な機関)。
・ピダムとムンノ一家
 ピダムは本当に翡翠様のおっしゃられるようにごく少数を除くと他人に対して本当に興味が無いというよりも無関心(自分自身に対しても五十歩百歩な気がしますが)ですよね。ただ、お師匠様ムンノの家族に対して彼はどう思っていたのかなとも思います。その他大勢に比べればだとは思いますが、多少は関心もあれば、罪悪感(彼ら家族からムンノを奪ったという)もあったのではないかと思うのですが・・・。どうなのでしょうか?ある意味ではピダムの乳兄弟ともいえるクムガンなどはチュンチュの時代には上大等にまで登りつめるくらいの優秀な人物なはずです。有能なクムガンやアルチョンの奥方(当然旦那様込み)くらいとは多少の付き合いがあっても良さそうなのですが・・・。
・女帝(女王)が評価されない理由
 やはり諸悪の根源は儒教というよりも朱子学にあると思います。何せ女が王であるということに対して女であるというだけでその功績も何もかもを正当に評価せずに「悪女」とする傾向があります・・・。朱子学の世界は男中心の世界ですから。当然、鮮卑族をはじめとする北族系遊牧民のレピスト制や母系社会とは相いれないものです。日本も新羅も本質的には双系的な母系社会の要素が強くあります。その意味では日本の女帝(持統天皇は除く)を中継の傀儡扱いしたり、孝謙・称徳天皇や善徳女王をまっとうに評価しないのも長く続く男性社会的風潮が原因だと思います。



月夜見様へ・その1

  1. 2013/07/15(月) 22:28:18 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
月夜見様、お返事ありがとうございます!こんばんは~v(・∀・)
(今回もぐだぐだと長くまとまりのない返信になってしまったので(すみません(汗))、お時間がある時にお読みください(笑)(ノ∀`))

> ・ユシンがピダムの器量に追いついていない。
> ただ、ユシンは鈍感でニブイなりに妙なところで相手を刺激してしまう

それ、わかります(笑) ユシンとしては必死に言葉を探して言ったつもりが、そのせいでトンマンが大きなショックを受けることもありましたし。
そして、月夜見様のコメントを読んで思ったのですが、要するにピダムのミシルに対する拒否反応は、ミシルの能力に対するものではなく、「乳児ピダムを捨てた挙げ句、実子として認知すらしなかった」という、母としてはあまりにアレなミシルに対するものですよね。これは養父ムンノがどうこう出来る問題ではありませんし(いくら母親第一な韓国でも(笑)、ピダムが実父に関するコンプレックスを持っていないのはムンノが父として正しく存在したからだと思います)、無遠慮に他人に触れられるのは誰だって嫌な問題なのではないでしょうか。
特にピダムは、

> 母親として愛しろ(一見そうは言ってなくても母親の野心を継げというのは結局母親として愛しろと言われているのと同義だと思うのですが)

とまではいかなくても(私はピダムはミシルの野心を継いではいないし、終始継ぐつもりもなかったと考えています。ピダムの野心を聞いたミシルやミシル一派が、「それが達成されればピダムは王になれる」と勝手に考えただけで)、少なくともトンマンから母ミシルの勢力の統率を求められているピダムにとって、ミシルは母である以上に、部下がいつも心中で美化し、崇拝している厄介な存在でもあると思います。兵部の人間から不用意にミシルとダブらされることは、例えミシルがピダムにとって赤の他人であったとしても、トンマンのためにも彼の能力で部下を従わせなければならない政治家ピダムにとっては同じくらい不本意なことなんじゃないでしょうか。
あ、もちろん過剰反応の一番の理由は、ピダムの生い立ちやついに認知されなかったことをきちんと知らないユシンが、ピダムの出世とミシルの存在は関係ないのに(トンマンは母子関係を知る前に司量部の構想をピダムに語っていました)、あらゆる意味で無神経にも「母ミシルに比べてお前の能力は不足している」という意味のことを口にしたからだと思います。

> ・ピダムと不比等について

不比等の御落胤説、知ってます知ってます!(笑)個人的にはこれは、清盛の御落胤説と同様に、「御落胤」とする必要が生じるくらい異常な出世をしたことを意味しているだけだと考えていますが…。それに、不比等が御落胤なら、同母兄と言われる定恵はどうなんだと思いますし(笑)

> 日本の場合、皇家における異母兄弟の婚姻が積極的に行われた最大の要因が継体天皇の即位にあります。
> その意味では光明皇后が問題視されたのはむしろ母方が地方豪族にすぎない県犬養氏だったことにあるのでは?

うーん…でもそれなら、賀茂氏を外祖母に持つ文武天皇も問題視されるんじゃないかなーという気も…。私は、光明子の問題は、
「奈良以前、天皇の正室(大宝律令以後は皇后)は「オオキサキ」と呼ばれ、他の妻妾とは別格の存在であり、「オオキサキ」は必ず皇族だったから」
かなと。継体以前も、もちろん皇族以外の妻はいますが、基本的に「オオキサキ」は皇族であったと記憶しています。
ただ、天皇の母は皇族だけでなく、蘇我氏もアリでした。つまり、宮子がセーフで光明子が問題なのは、宮子はあくまで「母」であるのに対して、光明子は「オオキサキ」に昇ったゆえだと思っています。

> 不比等に関しては研究者によっては不比等は持統天皇の異母弟であるから準王族である不比等の台頭は皇親政治の流れの中で考えられるとも言われています

うーむ…皇親政治(不比等が御落胤)なら、光明子問題は有り得ませんし、むしろ、蘇我氏の流れを組んだ外戚政治が「オオキサキ」の座まで得ることによって更なる高みに達した、と評価してもいいのではないでしょうか。
というか、光明子が立后したのは不比等の死から九年後ですから、不比等が立后まで考えていたかは一切不明ですよね…?(・∀・;)不比等の行った外戚政治は、皇親ではなく、あくまで「娘を天皇生母に」という蘇我氏のものと同じ範囲ではないでしょうか。

> 考えてみれば意外にピダムに近いのは天智天皇なのかもしれません。

おおっ。天智天皇ですか!謎が多い御方ですよねv

> 白村江の戦いも実際に引き起こして、陣頭指揮をとっていたのはパワフルな母上済明天皇です。むしろ天智・天武兄弟はこの母上の後始末をさせられたのが実態かと・・・。

この辺は、確かに660年の百済滅亡を受けて行動を起こしたのは斉明天皇ですが、まだ白村江も起きていない661年には崩御してしまいましたし、何より朝鮮半島への介入・出兵はこれ以前にも何度もありますから、斉明天皇や天智天皇の個性というより、政府の総意ではないでしょうか。天智天皇が近江へ引き返したのも、665年に百済の残存勢力が完全に掃討され、翌年に唐が高句麗に派兵したのを確認してからですから、後始末というより、介入の意義(旨み)があるうちは介入しようという日本の伝統(意志)なんじゃないかと。

> 現実主義的な冷徹な政治家

私も天智天皇や不比等にはこういう一面があると思います。ただ、あくまで天智天皇はほぼ今上の皇子、不比等は臣下の子として生まれたわけですから、廃帝の庶子であるピダムとは色々違うんじゃないかなーと思ったりしました。(繰り返しすみません…!(汗))

> ・独自の律令と地勢状の問題
> 実はあまり知られていないことなのですが、律令制度というのは戦時体制なのだそうです。

あ、聞いたことありますあります!v
ただ、戦時体制といっても、それは「いずれ起こりうる危機への対策」であって、リアル戦争中に律令制定に必要な諸々を行うのは、経済的にも人事的にも不可能です。(天智天皇も、戸籍を作成したのは百済滅亡を確信して近江に戻ってからでしたし。)藤原仲麻呂の乱で役に立ったとしても、それはあくまで結果の話で、乱の最中に新しい律令を作るわけではありません。
私が言いたいのは、そういう意味では、近代以前の日本には、律令制定をはじめとする内政充実に専念したいと思えば、それが実現できるだけの地の利(海)があるということです。そして、新羅には、そのような地の利はありません。その地の利がどれだけ大切かは、三国時代から朝鮮まで、国が変わった…つまり身分制度が変わっても、中国への朝貢だけは(日本に併合されるまでは)変わらなかったことから言って、骨品制以上に国の根幹に関わる問題だったんじゃないかと思ったりしました。

> ピダムの司量部は中国の御史台が元になっている機関ですので、

日本だとあまり意味がなかった弾正台もそうですよね(笑) 実は、ピダムが一人違う衣装を着れているのは、きっと皆より一段偉い御史台モデルだからだと勝手に妄想していました(爆)


続きますv


月夜見様へ・その2

  1. 2013/07/15(月) 23:02:47 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
続きです(・∀・)v

> 歴代風月主のキャッチフレーズ。

これは、大体意味はわかっても、訳せと言われるとちょっとめんど…もとい(笑)、難しかったので、ゲームのキャラ紹介みたいなノリにしちゃいました。

> 何かだらだらすいません。

いえいえv 私もだらだらお返事していて、申し訳ないです(ノд`;)

> ・司量部と御史台

御史台で思い出したんですが、友人から「『彩雲国物語』は御史台が舞台だ」と聞いたことがあります。王権と官僚の狭間にある御史台は、歴史的には大変厄介な部署ですが、物語の舞台としては最高なのかもしれませんね!
私の知る限りでは、日本の按察使大納言は名目だけで御史台的な仕事をしているかはわかりませんが…(汗)

> 今でいうところの検察機構とCIAのような内外の諜報を一手に行う司量部を正常に機能させるには並大抵の能力では不可能であり、それを可能にしたピダムは替えの利かない存在だったと思います

ですねー。というか、もはやドラマの司量部令は、スンマンの時代に新設された中侍(宰相)と役割的にはあんまり変わりませんよね。上大等のヨンチュンに機密があまり明かされないところを見ても、脚本家ズは御史大夫をさらに上回る中侍つまり宰相の先駆けとして、司量部令像を作り上げていったのかもしれません。

> ・ピダムとムンノ一家

ムンノ一家が出てこなかった一番の理由は、ドラマの都合だと思われますが(笑)、『花郎世紀』のムンノ伝を読んでいると、実はクムガン達がムンノの強い影響下にあったかは、ちょっと疑問です。
というのも、ムンノはセジョンの郎徒として高名で人気もありましたが、身分的には伽耶の末裔レベルなもので、コチルブの娘ユングンはムンノとの結婚を長らく渋ったそうです。結局、ムンノ四十歳、ユングン三十歳で結婚したことでようやくムンノは妻ユングンと同じ真骨の身分に引き上げてもらえましたが、この状態を見るに、子供達への影響力を強く保持していたのはユングン側だったはずです。おまけに二十年後にはムンノは亡くなっていますし(なんと、クムガンの死去の五十五年前です)、クムガンが風月主にはならずに最高位の上大等に至ったところを見ても、クムガンはコチルブ→ユングンの後継者として成長した可能性が高いのではないかなーと。
勿論、父と子として愛情はあったでしょうが、『花郎世紀』でも晩年のムンノ夫妻は旅に出ていますし、その上クムガンは三男ですから、実際にも十歳になるかならないかでムンノに生き別れて、母方の実家で育ったんじゃないかと私は推察しています。
罪悪感については、まず、ピダムがムンノの妻子の存在を認識していたかが不明なので、一概には言えませんが、ムンノが国仙であると…つまり、ピダムが自分は貴種であると認識した後にムンノの妻子の存在を知ったとしたら、罪悪感は全く抱かなかったと思います。一般的に、主君が自分の乳母子に罪悪感を抱いたりしないように。

> ・女帝(女王)が評価されない理由

すみません、↑へのお返事がどうしてもFC2さんにはじかれちゃうので、これは残念ながら省略させていただきます…(涙)

最後に、めちゃめちゃ嬉しいお言葉をありがとうございます…!(つД;)トンマンとピダムの十年を妄想し続けて良かったです!v
SSの更新は相変わらず遅さですが、マイペースに頑張ります!(*´∇`*)

月夜見様へ・その3

  1. 2013/07/15(月) 23:11:32 
  2. URL 
  3. 緋翠@管理人 
  4. [ 編集 ] 
月夜見様、すみません!無事投稿できるようになりましたので、投稿させていただきます。すみませんでした(汗)


> ・女帝(女王)が評価されない理由

これって不思議ですよね。ヨーロッパには、高評価の人気者もいるのに…と考えてみますと、宗教以外に、王位継承の問題が案外評価に関わっているのかなーと思ったりしました。
こう、ヨーロッパは、庶出子の皇位継承権を認めていないために、皇女や外孫への皇位継承が一般的じゃないですか。また、女帝が独身なんていうある意味「皇統の無駄」になるようなことは決してせず、婿をとらせて、でも王位は女帝自身が維持するというシステムが確立しています。つまり、ヨーロッパの女帝には男の王と同様に自ら王権を握り、皇位継承を左右する権利があるわけで、それを生かすも生かさぬも自身の力と運次第です。
でも日本の女帝は、即位後に婿がいる人は一人もいないんですよね。強力な皇位継承候補が複数いるために夫に先立たれた中年の后が調停もかねて独身のまま即位するか、生涯独身の皇女かです。例え同じ立場に置かれたのが男の王だとしても、こんな立場では王権を保持するのは困難でしょうし、情勢も不安定になりがちだと思います。
後世の見方には勿論朱子学の影響がありますが、当時の視点に立っても、少なくとも庶出子(皇后の子ではない皇子)が皇位を継げる日本では、ヨーロッパのように皇女に強力な皇位継承権があるわけではありません。そう考えると、そもそも日本では女帝の正統性が希薄で、それゆえに在位中は難しい舵取りを迫られ、また功績があってもその評価は渋くなりがちなのではないでしょうか。
対する善徳女王は、何気にヨーロッパと同じく庶出子の即位は認めない新羅の女帝ですから、『花郎世紀』を読む限りでは当時は高評価です。なので、後世のあーだこーだはあまり気にしなくていいんじゃないかと思っています(笑) 朱子学も立派な文化ですしv←めっちゃ上から目線ですねw


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