善徳女王の感想と二次創作を中心に活動中。

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少年と乙女。@チュンチュ×トンマン

※本日二本目の記事です。



トンマンでカップリング表記すると、どう言うわけだかピダムに対してだけは「トンマン×ピダム」になるんですよねー。あ、厳密にはチョンミョンに対してもそうなんですが(コラ)、男相手だとピダムだけ。
この「×」の意味や使い方について詳しく知っているわけではないので、これが正しいかどうかはさっぱりなんですが、アクションを起こす方が前に来るべきなのかなーと勝手に考えて使っています。より相手を求めている、必要としている、と言ってもいいかも。
ピダムはバカ犬なのでひたすらトンマンに尻尾を振ってますが(ちょ)、実はピダムより、飼い主のトンマンの方がより深刻にピダムを必要としてると言うか、彼に依存している部分が強いんじゃないかな…と最近思うようになりまして。

ケーキを初めて目にした子供が、「これがケーキだよ」と教えられて大喜びした結果、その百円のケーキ(しかも実はケーキはケーキでもパウンドケーキだったり)以外のものはどんなケーキであっても認められない、そのケーキが一番美味しい、と言うのと。
世界中のケーキを知っていて、食べたこともある、ちゃんと味もわかる大人が、自分の子供が作った、超下手っぴで美味しくもないケーキを世界で一番美味しいと言うのと。

どっちがより罪深いかと言われると、私は後者の方が罪深い(愛が深い)と感じます。なので、トンマンとピダムは、「トンマン×ピダム」。そんなイメージです(笑)

とまあ、そんな前置きはさておき!(えぇ)
続きからチュンチュ×トンマンの話です。


****


「大人」には大人の魅力があるように、「少年」には少年の魅力がある。

驕慢。残酷。浅薄。無恥。繊細さ。
純粋。柔軟。未来。煌めき。美しさ。

大人の男になるにつれ、維持することが難しくなっていくモノや、失わなければならないモノが、少年にはある。


善徳女王では色んなタイプの「少年」がいました。
異国からやって来た、おおらかで自由な魂を持つ男装の少年。身分に縛られ、影となることを強いられ苦しむ少年。真っ直ぐに夢と希望を信じて歩み続ける、生真面目な少年。確かな実力に裏打ちされた地位に誇りを持つ少年達。剥き出しの野性と繊細さを併せ持つ少年のような青年。
色々なタイプがいましたが、皆、負の輝きよりも、正の輝きに満ちていました。きらきらして、純粋で。

ところが最後に現れた少年は、負の輝きに溢れていた。
声変わりをし始めたばかりの(初登場の時は12~13歳だと思います)、幼い少年。一見、きらきらしていて、美しくて、純粋そうで。
でもその少年は、未来を持ち、未来を恐れずにその上に君臨するが故の冷酷さで、大人達が築き上げた砂上の楼閣を壊していく。容赦なく、全てを壊していく。壊して壊して、全てが砂に還ったまっさらな世界の中心に、自分が立つ為に。
理由なんかない。砂上の楼閣の美しさも荘厳さも、少年には無価値。古いと言うことは、それだけで罪になる。害になる。古くなったおもちゃは要らない。お下がりは要らない。要らないから、壊す。その、攻撃性。

チュンチュは腕っぷしは弱いですが(笑)、紛れもない「男」なんですよね。「大人の男」からは遥かに遠い、まだ護るものがないからこそ、自分と言う存在を保ち、誇示する為に本能のままに攻撃的になる。そこに、「女性」はカケラも感じられません。

ただ、傲岸に、冷徹に。
自分だけが持つ特別な力を信じる純粋さと、それが世界を壊す力だと信じる残酷さ。蟻の巣を埋めるのと国を一つ滅ぼすのを、同じよーに考えていそうな危うさ。超頭の回転が速いのに、相手の心理を読めるのに、その力を他人を見下し、侮り、利用する為にしか使えない不器用さ。
母を恋しがっていても、愛を嘲笑う哀しさ。愛が存在することを知っていても、愛を必要としていても、それを最も価値のないモノと見なすことで強がり、自己を護るしかない哀しさ。

どこまでも少年らしくて少年そのものなのに、こんなにも負の要素ばかりしかないチュンチュはマジで怖いです。こんなに歪な心を内に抱えて全てを溜め込んでいるなら、そりゃーパッショネイトにもなるだろうなーと思います。炎を通り越して溶岩レベルまで到達した、活火山のようにパッショネイトなキャラに。

でも、いつまでも少年でいたら、世界から孤立してしまう。世界を否定するにも、限度がある。
だからチュンチュも、大人にならなければならない。せめて、大人を受け入れることの出来る、青年にならなければならない。
異質なモノを認めて、手を取り合わなければならない。雑草すら生えてない山にも咲く花があることを、知らなければならない。裸の山は、死の山なんだと、知らなければならない。


その、「少年」にとって最も身近で、異質なモノ。
同じ年月を生き、同じものを見てきたはずなのに、全く違う存在。

それは、「少女」。

だからチュンチュも、少女と出会う。ポリャンと出会う。
同じ人生を歩んできたけれど、全く違うものを見て、違うものの感じ方をしてきたであろう少女。彼女となら、チュンチュは変われる。反発しつつも少女を大切に思って、護りたいと感じるようになる。これぞ物語の王道、待ってました!!………の、ハズが。

少年と少女は、欠けたピースのよーな存在じゃなかった。
互いを知らないからこそ純粋に反発し、興味を持ち、互いを学んで、手を取り合い大人への階段を昇る……よーなことは、なかった。

人をバカにして生きてきた少年は、当たり前のように少女を騙した。
そこまでは良かったのに、少女は少年の思いのままになってしまった。知らない存在では、なかった。何度も目にして触れてきた、「女」と言う生き物だった。あるいは、「女」と言う一面ばかりが強調された存在だった。少年から見れば、遊郭の妓女達と少女は全く同じ。肌に触れられても、彼の心に触れられることなどない存在。

「少女」は、「少年」を否定しなかった。
「少年」の作り上げた幻に恋をした「少女」は、少年の箱庭に新たに誕生した人形に過ぎない。一度人形になってしまった少女がどうなろうが、少年は何も感じない。壊れたら、また新たな人形を用意すればいい。

…そもそも「少女」に興味を持っていなかった「少年」は、また一つ壊した。いつかは花開くかもしれない蕾を自ら潰した。
そして、自分と同じように、少年の性を持つ男達(ピダムとか。ユシンは違う)を侍らせながら、復讐と言うゲームを楽しみ続けた。

でも、一人だけ、他の誰とも違う意味を持つ存在がいた。
母チョンミョンの形代で、自分と同じように異国からやって来て、自分と同じように復讐を誓い、自分と同じように「古きモノ」を壊そうとしている女。

母に裏切られた少年にとって、女は女であると言うだけで虐げられて然るべき存在だ。さらに、その女が自分が手にすべきモノを横から浚おうとしているなら、尚のこと許し難く感じて当然。

だからチュンチュは、「女」の一面である母性を見せるトンマンに牙を剥いた。
彼女だけは箱庭の人形にすら出来ない存在だから。人形を支配するのは、あくまでも少年自身。そこに、少年の箱庭を哀れむ存在は必要ない。必要ないなら、壊すだけ。

けれどもトンマンを見ていく内に、チュンチュは気付く。
トンマンは、「女」とはチガウ、と。
(ミセンのように。笑)「女」をたくさん見てきて、触れてきたからこそわかる。

骨品制の頂点に君臨する聖骨でありながら、神国の「性」を否定する潔癖さ。
「母性」を持ちながらも、自ら罪人を斬り殺し、それに深く傷つく繊細さ。
少年のように毅然と戦い、少女のように純真な心で可能性を信じるその真っ直ぐさ。
古きモノを破壊していくのではなく、その身に取り込み、他のモノへと生まれ変わらせる、産みの力。
明らかに異質で、異様な感覚。
肯定し、信じ、進んでいく。その、清冽な輝き。

チュンチュと同じように人を操りながらも、その為に自分をも傷つけて、それでも信じて、また傷ついている愚かな存在。傷ついても傷ついても、前に進み続け、挑み続ける、逞しい存在。

「少年」は、やっと出会った。
彼と同じ道を歩み、同じものを見ていながらも、全くチガウ感覚を持った存在に。「少女」でも、「女」でもないけれど、彼が知らなかった生き物に。
「少女」の魂と「母」の心を持つ「乙女」に、出会った。

……オトメって言うにはあまりにトンマンが年上過ぎると言う点はさておき(笑)、イロイロ汚れている少年チュンチュは、彼の箱庭遊びに取り込まれない「乙女」を必要としていた。欠けたモノを埋め合わせ、少年の攻撃性に歯止めをかけ、それを自信と向上心に生まれ変わらせてくれる存在を求めていた。
荒廃して、岩石だけがゴロゴロしている山に咲いた、一輪の花。溶岩を吐き出さずにはいられない少年に、自制を促すか弱い存在。か弱いくせに大きなモノを要求する、図々しい存在。
山と花一輪、全く力はチガウはずなのに、いつの間にか山が花に左右されている。護られている。ボロボロだった山肌を、花が覆い、庇っている。


……普通、こーゆー聖なる少女系のネタは、三十路の男とうら若い少女であることが多いと思うんですが、それが逆転しているところも好きです。
絶望と復讐と言う同じキーワードを持ちながらも、幼い少年はこの世の汚濁を知り尽くし、大人である乙女はこの世の可能性を信じている。倒錯的で、色っぽくて、哀れで、大変ツボです。二人とも片想いなところも(笑)

んでもって、山は山、溶岩がなくならないとこもツボです。活火山であるが故の、哀しさと言うか。
大人になっても本質は変わらないチュンチュは、自分の孤独をより一層噛み締めるのではなかろーか。トンマンもピダムも殺してしまってから、やっと、二人が、二人だけがチュンチュを理解し、恐れずに向き合ってくれたことを実感して孤独に震えるんじゃなかろーか。
だって、ユシンとアルチョンは、チュンチュの本質を理解出来ないから。政治的に欠かせないパートナーであっても、精神的に共鳴する関係じゃないから。

そうやってより孤独になったチュンチュが王座に上り詰めて、不可解な死を遂げることを(不可解な点があるらしーです)考えるのが、大変楽しいです。

……ああもう、チュンチュ考えてる場合じゃないのに! リレーの続きを書きたいのに、チュンチュが邪魔をする…!! あーもーどうしてこんな歪んだキャラクターが好きなんでしょうか(汗)


※いつも通り、ここで語られているトンマンやチュンチュはかなり管理人の特殊なフィルターを通して見たキャラクターです。いつもすみません(汗)

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